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Wikipedia:井戸端/subj/削除依頼は方針について議論する場ではない?

削除依頼は方針について議論する場ではない?

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Wikipedia:削除依頼#注意事項の「削除依頼は方針について議論する場ではありません。」が気になって初出を調べてみたのですが、2004年9月22日付け[1]で追加された日本語版独自の拡張が原型であることはわかったものの、どんな議論に基づいてこれが決まったのかがわかりませんでした。ご存知の方はいらっしゃるでしょうか。気になる理由を説明しておきます。ウィキペディアは、「最初に立項すべき項目を決め、それから執筆者に依頼する」のではなく「まず執筆者を募って、書かれたものの中から単独で立項すべきでないものを執筆者の合意によってふるい落とす」という仕組みなので、削除審議は事実上、編集会議の機能ももっています。Wikipedia:削除の方針が、記事の内容が乏しくても主題が立項に値するものなら削除対象としないのも、削除審議が項目選定の役割を肩代わりしているためだろうと思うのです。その削除の方針にしても、特筆性などのガイドラインにしても、削除審議で浮かび上がった論点をフィードバックする形で編集されたり新たに作られたりしていますし、英語版には削除審議のまとめページもあって、立項が認められるかどうかの目安になっています。その過程では方針の解釈をめぐる議論も当然行なわれているはずではないでしょうか。日本語版の削除依頼は、日本特有の事情により、著作権関連の(つまり記事の内容に応じた)案件の比重が高く、削除すべき内容のものをリストアップし合意の手順を踏んで管理者に削除を依頼する場としての側面が強いように思われるのですが、ウィキペディア全体の方向も視野にどんな記事(項目)が適切かを具体例に即して議論して合意を形成する場、というのもほかに見当たらないようですし、2004年に決めたときの事情が解決しているのなら、方針(解釈)についての議論をことさら抑止するような文言は取り払ったほうがいいと思います。(もちろん、議論のための議論になれば適切な場への誘導が必要でしょうがそれは「方針について」に限らないでしょう。英語版注意事項ではコメントにコメントするときのやり方まで案内していますが。)--Cerberean 2009年2月1日 (日) 00:25 (UTC)[返信]

削除依頼は、ルールが決まっている中で、そのルールに合致しているかを検討している場なので、「方針についての議論は方針のページで」という今の運用は問題ないと思います。方針に疑問がある場合にWikipedia:削除の方針で議論を呼びかけることは何ら禁止されていませんし、方針の解釈についてプロジェクトで検討しましょうということも普通に行われています。
個別依頼のページで断片的に全体方針の議論がなされてしまうデメリットを防ぐ効果を考えると、今の注意書きは必要と思います。ただ、「他人のコメントにコメントした物は除去することがあります。」は行き過ぎとは思いますね。実際の運用はそれに続く「依頼ページ内で長文の議論になる場合、該当のノートへと移動します。」のようになっていますし、議論(や議論への誘導)を消去するかのように読めるこの1文は削除してもいいかもしれない。Fuji 3 2009年2月1日 (日) 06:33 (UTC)[返信]
まずは、削除依頼は方針についての議論の場ではない、でしょう。方針の議論をするならば、方針のノートです。04年の事情はわからないですけど、当時と今では状況も違うので、確認してもあまり意味はなさそうな。で、そういうのを超えて、「削除依頼は方針についての議論の場ではない」というのは、除去する必要はないと思います。
これは人それぞれだと思いますが、「まず執筆者を募って、書かれたものの中から単独で立項すべきでないものを執筆者の合意によってふるい落とす」というのではなくて、執筆者は、おおむね方針から逸脱しない範囲であれば百科事典の項目を自由に書けるんだけど、さすがにダメな場合もあって、まったくダメなら即時で、それほどあからさまにダメじゃなければコミュニティの合意を経て、削除させてもらう、てなイメージを、ぼくは持っています。
で。依頼の場で、方針についての話に及ぶことはあります。依頼の場の審議の中で、その依頼自体の結果はともかく、方針を改訂する必要があると思われるような方向で議論が進みはじめたら、方針のノートへ移動するというのが望ましいのではないかな。個々の審議の結果から、方針を修正していくということもできると思いますし、これも好ましいことだと思います。
特定の案件の削除依頼の場で、方針だけでは、対応できないようなことも出てくると思いますから、方針を踏まえたうえで、それを超えて削除あるいは存続という意見があってもいいと思います。さらに言えば、その意見が、その依頼の審議の場で検討に足る意見であれば、方針に合わないというだけで却下するべきではないけれど、過去の議論の中で受け入れられなかった意見に類するものを繰り返し述べられても受け入れられないでしょうし、検討した上でなお削除という意見もまた認められるでしょう。その結果が、例外的なものであれば、方針には手をつけなくてもいい場合もあるでしょうし、方針を改訂する必要があれば、それはそれとして提案するということになると思います。ある案件では方針を超えた結果に至ったけれど、方針とするには成文化が難しいようなこともありますから、そういったことは、方針をどうするか、という議論として行なう。
「ウィキペディア全体の方向も視野にどんな記事(項目)が適切かを具体例に即して議論して合意を形成する場」は、コメント依頼や井戸端、あとは「何ではないか」や独自研究や削除関連のノートなどということになると思います。全体的な議論をするなら、それなりに周知する必要がありますから、個別の削除依頼というのは、適当じゃないと思いますよ。依頼の場で話が進んでいたなら、お知らせで告知して、削除依頼のノートで議論とか。
コメントにコメントは、その再コメントが審議の中で有用なら残せばよいと思いますよ。それほど厳密に除去/移動されているような印象はないけど、ぼくが最近は目にしていないだけかもしれません。戻したほうがいいんじゃないかと、編集した人と話せばなんとかなるんじゃないかなあ。意見に耳を貸さずにコメントに逐一コメントする人は、時々いらっしゃるので、その対策として追加されたのではなかったか。表現を直したほうがいいかもしれない。--Ks aka 98 2009年2月2日 (月) 09:37 (UTC)[返信]
運用ではなく文言のことなんです。「削除依頼は方針の適用について検討して合意を形成する場であって方針そのものについて議論する場ではありません。」ぐらいの書き方でもいいんじゃないでしょうか。方針そのものについて議論する場がほかにあるのは事実なんで、注意書きにわざわざ書かないでも出てきたときに誘導すればいい、と私は思いますが。
削除依頼審議から始まった方針関連の議論としては、英語版の特筆性ガイドラインの関連文書に挙げられた「百科事典的でない」あたりが記録されているようです。「百科事典的でない」は削除依頼審議で使わないようにしよう、という呼びかけです。このような方針関係でなくても、個別の案件でこの種の案件は今後どう処理するか、というような議論になる場合もありますよね。具体例に即して、というのはそういう場合です。井戸端に行く前の段階です。
運用面、もう慣れましたが、審議でコメントをいきなりノートに移されるのはびっくりしました。--Cerberean 2009年2月2日 (月) 12:46 (UTC)[返信]

(インデント戻します)今の文面を確認したら、「投票およびコメントは必ず該当する依頼ページの最下部に追加してください。削除依頼は方針について議論する場ではありません。他人のコメントにコメントした物は除去することがあります。依頼ページ内で長文の議論になる場合、該当のノートへと移動します。また、そういったものがあるときには進んで移動の作業を願います。」なのだけど、「削除依頼は方針の適用について検討して合意を形成する場であって方針そのものについて議論する場ではありません。」と、そんなに違うかな? 「削除依頼は方針について議論する場ではありません。」のところを、ご提案の文面に修正するのは、全体として長くなるという意見もあるかもしれませんが、個人的には、よいと思います。「他人のコメントにコメントした物は除去することがあります。依頼ページ内で長文の議論になる場合、該当のノートへと移動します。また、そういったものがあるときには進んで移動の作業を願います。」も多少修正の余地はあると思います。ともあれ、文面の調整なら、方針のノートに移動しませんか?--Ks aka 98 2009年2月2日 (月) 13:01 (UTC)[返信]

注意書き文面の「調整」というより全面的な「見直し」を考えています。私もそうなのですが、最初に参加する審議が削除依頼という編集者も多いと思いますので、意味不明な点がないようになるべく整理したほうがいいでしょう。検討中のWikipedia:提案削除がそろそろ試行期間に入る段階のようで、新たな削除依頼参加者が増えていく可能性がありますし。見直す前に、まず現行の文面がどんな経緯で定められたのかを把握しておきたいのです。
もう一点、同じく2004年9月22日に追加された項目について、同様の確認をしたいと思いますので、セクションを分けます。--Cerberean 2009年2月4日 (水) 01:51 (UTC)[返信]

「できる限り理由を簡単に」

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「できる限り」が「簡単に」に係っているとも読めそうな文面です。後続の文脈と合わせると特にそのように感じます。当時の議論を見ても、依頼ページの分量が問題になっています。実際、上記「方針について」の引用されているページ(依頼ページや利用者会話ページ)を検索してみると、「過度の議論」や「正常な審議」といった表現があり、意見表明に関してこれを越えるべきでない「適正な水準」があると感じている編集者も多いと思います。一方で、長文の議論自体は(ノートへ移動という条件付ですが)容認されています。何をもって「過度」と感じるかは予め具体的に説明するのが困難でしょうが、たとえば「意見に耳を貸さずにコメントに逐一コメントする」場合は、議論の量ではなく「意見に耳を貸さない」(と感じられる)ことが問題なのでしょうし、長さに関する注意はもう少し説明的であっていいように思います。長さそのものが問題なのだとすれば、(著作権案件以外では)予め記事のノート等で長文になりそうな議論が出揃ってから削除依頼、というような手順を推奨したほうがよいでしょう。「正常な審議」や「適度の議論」の言い換えを考える上で通常のウィキケット以上に特に削除依頼審議固有の問題について必要と考えられる観点があればご教示ください。--Cerberean 2009年2月4日 (水) 01:51 (UTC)[返信]