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Wikipedia:井戸端/subj/削除主義者

公立幼稚園・小学校・中学校記事が削除主義者によって削除依頼に上がっている件

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Wikipedia:削除依頼/日本の公立幼稚園の単独記事なぜWikipediaは「公立義務教育学校」(幼稚園は義務教育ではないが)の単独記事を目の敵にするのか。私立がよくて公立はだめというのは筋が通らない。沿革や基礎情報などは学校史としても価値がある。ジェイド 2007年6月6日 (水) 09:19 (UTC)--(リンクが版指定では無いものの様な為、直リンクを修正。--Thats-you 2007年6月6日 (水) 10:25 (UTC)[返信]

私立はよくて公立はだめ、ではなく、単に仕事量が多いので今回は公立だけの依頼になったのではないでしょうか。そのように取れるコメントもありますし。で、削除依頼ページを見てみましたが、やはり公立がどうの私立がどうのではなくて内容の有無に重きを置いているように見えます。というよりその他の話はでていません。で、ででで、ジェイドさんの書きこまれている通り「沿革や基礎情報」は学校史として、確かに価値はあると思います。ますが、「沿革や基礎情報」が無い物や、またそれだけのものが散見されます。それらの記事は果たして「百科事典的である」と言えるでしょうか?--突撃ひとり 2007年6月6日 (水) 09:47 (UTC)[返信]
依頼者です。ジェイドさん、まず削除依頼のサブページをちゃんと読みましょう。せめて依頼部分だけでも最後まで。「私立幼稚園や小中学校の単独記事も同様ですが、とりあえず公立幼稚園だけで依頼します。」と書いてあります。もっとも、詳細に理由を述べるべきと言われればそれまでですが、ちゃんと読んでいれば「私立がよくて」とは言わないでしょうし。正確な理由は「記事数が多く、かつそれらの記事に内容・特徴がない」「とりあえずカテゴリごと」です。また、ジェイドさんは「削除してもまた作られる」「身近にある」と仰られていますが、いずれも議論とは無関係です。
あと私は削除主義者のつもりはありません(少なくとも削除依頼に関わることは多くない、というのは事実)。私としては削除7割・統合3割という感じですが、正直いえば単独記事が濫造されている現状が改善されれば良いです。まとめると「個人的には削除か統合、ただし削除寄り」「削除という選択肢も視野に入れる」「より多くの人の意見を集められる」といった理由で削除依頼に出しました。--氷鷺 2007年6月6日 (水) 11:17 (UTC)[返信]
まず削除依頼を出してからと言う姿勢に見えましたから、削除主義者だと思いますよ。私は統合推進派です。著作権が絡まない物で定義がある記事については、統合するのが望ましいのであって、削除するべきではない共思っています。今回の件だってプロジェクトで統合提案をするならまだしも、削除依頼ですからね。--ゞ( ̄ー ̄ )アロエ 2007年6月6日 (水) 11:56 (UTC)[返信]
文章は1行のみの電話帳レベルなら要らないと思うんですが、それで削除主義者と呼ばれるなら仕方ないです(やっぱり響きは気に入らないけれど)。あと、いきなり削除依頼をしたのではなく、一応ウィキプロジェクトの方で事前に意見を聞いています(統合提案ではないですが)。--氷鷺 2007年6月6日 (水) 12:29 (UTC)[返信]
ジェイドさんは「単独記事を目の敵にするのか」とおっしゃっていますが、「大して調べずに、特定の地域について『沿革や基礎情報』すら不十分のサブスタブ以下の学校記事を片っ端から粗製濫造し、その後まともに加筆をせずに放置する」人があちこちの地域で多数現れてサブスタブ未満の記事が量産されている現状をどうお考えですか。私はそういった行為はやめてほしいと思っているので、削除依頼では削除票を投じています。今回削除依頼の対象となっている幼稚園記事についても「沿革や基礎情報」すら不十分だから、削除依頼に出されたと認識しています。適切な統合または加筆がなされるという前提ならば存続でもよいと思っていますし、教育の特徴や特色ある取り組みなど百科辞典的な情報がきちんと盛り込まれた記事ならば単独記事でも大歓迎と考えています。
ジェイドさんは大阪府の学校について「沿革や基礎情報」すらまともに書いていないサブスタブ未満の記事を片っ端から立てていらっしゃるようですが、まずはご自分の立てた多数の記事に対して有意な加筆をしていただければと存じます。私も大阪府の学校記事を中心に編集していますが、サブスタブ以下の記事に対して資料不足で加筆したくてもできないというケースも多くあって困っています。1-2行しか書けないのなら自治体記事の「教育」の項にまとめて書くか、無理に単独記事を立てずに書ける人が現れるまで待てばよく、あえてサブスタブ以下の学校単独記事を乱立させたいという意図のほうがわかりません。
削除依頼については、サブスタブ未満の学校記事の扱いについて話し合う機会ができたということで、結果的にはよい機会だったと思っています。--Nyalulu 2007年6月7日 (木) 00:52 (UTC)[返信]

議論が拡散してしまうかもしれませんが、住所だけ書いたような警察署記事Category:警察署やら、Category:日本のバス停や、わざわざ文章で表現してわかりにくいCategory:京都府道配下の記事もあります。こういう記事を作成する方はWikipediaを一体何と考えているのでしょうか?よくわかりません。--fromm 2007年6月7日 (木) 04:02 (UTC)[返信]

バス停はさすがにちょっとですが、警察署やや微妙(不祥事のあった警察署だけ記事が大きくなるのはちょっとですすね。)、都道府県道はOK(鉄道は問題ないのだから都道府県レベルの道まではOK)だと考えています。--Tiyoringo 2007年6月10日 (日) 11:24 (UTC)[返信]

警察署については、Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の行政機関で議論をお願いします。--PeachLover- ももがすき。 2007年6月10日 (日) 12:30 (UTC)[返信]

削除主義者と

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今(過去も)削除主義者が、アナウンサーの記事や公立学校の記事や2ちゃんねるの板記事などを徹底削除に持っていこうとしているが、この連中はWikipediaの項目数を何ゆえに減じたいのかがわからない。何ならこの私が、「全国の無人駅の記事」「マイナーアニメのキャラ別記事」「北朝鮮の簡易な略歴しか載ってない政治家」とか片っ端から削除依頼を出しましょうか?そうしていけば何万、何十万という記事が一瞬に消滅し削除主義者の理想になるが少しずつでも記事作成・編集してきたWikipedianはこれを機にやる気をなくしてWikipediaから去っていくと思う。ジェイド 2007年6月7日 (木) 09:57 (UTC)[返信]

そのような記事を書いていませんので私は、去る予定はありません。安心してください(何。--あなん 2007年6月7日 (木) 10:05 (UTC)[返信]
同じ項目でも人によって発展性のあるなしの判断が分かれると思いますし、基準を作成して全てを一律に判定するというのも難しいでしょう。またもしジェイドさんのいわれるような「削除主義者」が片っ端から削除を依頼したとしても、合意がなければ削除されませんから幾つもの項目が一瞬にして消滅してしまうことはありません。実際に削除に至ってしまう項目には、それ相応の理由があるとみるべきでしょう。 By 健ちゃん 2007年6月7日 (木) 10:17 (UTC)[返信]
まあまあ。上のような記事が削除されるべきか否かはともかくとして、事由が意味不明だったり、自分の好き嫌いで削除依頼を出す人がしばしば現れるのは事実であり、削除依頼を出す為だけに活動している人もいるのです。本人は雑草取りのつもりであっても、私も個人的には記事を書かずに削除しかしないというのは正直言って面白くありません。不平の一つも言いたくなるだろうとは思われますよ。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月7日 (木) 10:18 (UTC)[返信]
相応の理由がなければ削除はされませんし、本当に百科事典に必要とされるような執筆者には関係ない話だと思いますよ。「記事」と呼べないものばかりで何万項目達成とかなっても不名誉ですし。(ところで「何万項目達成」という記念すべき記事が、いつもまともな記事ばかりなのは気のせいだろうか…?)--氷鷺 2007年6月7日 (木) 10:30 (UTC) 訂正--氷鷺 2007年6月7日 (木) 11:01 (UTC)[返信]
否、そういう意味では無く…。ところで達成項目の件ですが、たぶん遊園地等での来客達成と同じなのでは? 某所でアルバイトをしていた時にそういうイベントがあったのですが、あれは広告になりそうな家族々々した一行を適当に選ぶのだとか。某都市伝説の多い千葉県内東京飛び地の事では無いです、念の為。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月7日 (木) 10:36 (UTC)[返信]
٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥さんじゃなくて、一番上の方に言ったものなので気にしないでください。私の場合、ちゃんとやってくれる人なら削除だけでも良いと思います。そういう人も必要ですから。自分が書いたものが削除依頼されたら少しは不愉快でしょうが…。(達成項目、やっぱりそうなのかなぁ…まぁその方が良いですけど)--氷鷺 2007年6月7日 (木) 11:01 (UTC)[返信]

(インデント戻し)私は削除主義寄りの人物です。削除の方針ではないですが、やはりWP:NOTのに当てはまるような記事が存在していることは、Wikipediaの質の低下につながると考えています。削除したからと言って白紙過保護するわけではありませんから…。新規記事を書く際は、利用者ページなどのサブページで、ある程度記事を書き上げて、それから一般空間に移動してほしいと思っています。ウィキペもユーザーが増えてきて、無責任な投稿も増えてきたように思います。私としては記事の新規投稿はIPユーザーにできないようにしてほしいと思っています。--テンパわたる( ("ε") 会話/ φ(.. ) 履歴) 2007年6月7日 (木) 13:37 (UTC)[返信]

おそらくですが、俺も「項目が多い≠良質な辞典」と考えない、従って「項目数が減ろうが知ったこっちゃ無い、質がより高まるのであれば削除は立派な編集だ」と考えていますので、削除主義寄りなのでしょうね(非常に不本意ですが)。削除主義者というと何でもかんでも削除しているように取られがち(なのでこの呼び方は嫌いなのです)ですが、実際はそういうことでもなく、削除依頼という第三者の視点を交えての話になりますから、何十万もの項目が減るなんてコトは現実的にはほぼありえないでしょう。削除するべき記事というのは一律ではありませんから。そこを間違えてはいけないのでしょうね。もっとも、「削除されたよ!チキショー」というより「削除する必要の無い、質の高い記事を書くこと」こそが本質なのであって、そういうところから離れた俗語的な削除主義者はお帰りください、とは思っていますが。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月7日 (木) 14:46 (UTC)[返信]

(コメント)××主義者かどうか、という議論は余り意味がないと思いますが、削除することで質が向上するのかどうかについては、短い記事ではなくて長い記事がないと意味がない、というわけではない点を考えていただければと思います。当然、項目の対象そのものの実態が怪しかったり、項目名そのものしか含まれない記事だけで記事数が増加していくのは不毛です。しかし、項目自体はいかにも百科事典的な項目から、より網羅的な細目に移行していくのは当然だと思います。また、自らに関心がないジャンルに関しては、その記事の必要性を高く評価する契機もないと思います。いわゆる古典的な百科事典的な枠組みを実際に超えていく場面が出てきて当然だと思いますし、通常の百科事典では付き合い切れない項目についても対応していく現状が出てきているのだと思います。その状況下で、百科事典的であるかどうか、という議論をすれば、実質的には明確な基準がないと思います。むしろ関心がないような記事であったり内容が短かったりしても、著作権・プライバシー侵害などの積極的に問題がなければ、共存していく方向にシフトしていってよいように思います。--磯多申紋 2007年6月7日 (木) 15:01 (UTC)[返信]

(コメント)百科事典の質を上げていくことを考える上で、「内容しょぼいよなー」とか「これって執筆者の独りよがりじゃないの?」って感じで質に問題ありそうな記事があったとき、加筆で質を上げる方向で考えていくか、質が悪いのを削除していくことで現存する記事の質を担保していくか、方向性の違いの部分があるんじゃないかなーと。加筆で活かしていきたい立場で言うとするなら…削除依頼を出す人が、依頼を出す前に「この記事削除じゃなくても、加筆で活かせないかな?」とか「1年くらいは待って加筆を待ってみるか」とかちょっと考えてみてくれればいいんでないかなーと。しかし、削除依頼に常駐してよく削除票入れてるユーザーが、Wikipedia:削除依頼/ターンパイク定理とかWikipedia:削除依頼/トンチン年金とかで「辞書からの転載です」と言ってるにもかかわらず誰も票入れてくれない状況考えると、削除による質の担保って、少なくとも分野によって偏りがありそうな気が、ねぇ。。--Etoa 2007年6月7日 (木) 15:39 (UTC)[返信]

削除主義者か否か、というのは「鳴かぬなら~」の川柳と同じく、その人の性格を表しているのではないかと。「鳴かせてみせう」という者は編集をし、「殺してしまへ」という者は削除し、「鳴くまで待たう」という者は放置(笑)する。飽く迄もそれが理路整然たるものであるならば、実際の処はどれが正しく、どれが間違い、というものでは無いのでしょう。…されど畏れながら御館様、ういきへでいはこめうにてひを育てんとするには、それがし、今暫く鳴かせるべき思案をするのが良いかと心得るにて候。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月7日 (木) 15:58 (UTC)[返信]

(コメント)自称削除主義者の皆様には、記事内容に関するコメント依頼と査読依頼、削除依頼を上手に使い分けていただければと思います。かつては削除主義者に対していろいろと思うところもありましたが、削除依頼は広義のコメント依頼と考えればまだ救いもあるでしょう。もっとも次から次とハンドルを変えて削除依頼に登場するのはいただけませんが。個人的にはもっと厄介な案件・・続発する数値改竄が未検証のまま放置されている現状をどうするか、そっちの対策に比べれば削除主義者の跳梁跋扈など取るに足らないことです。--Lcs 2007年6月8日 (金) 03:12 (UTC)[返信]

(コメント)個人的には、Botで小惑星一つ一つの記事を書いてる言語版もあることだし、つまらぬ記事でも存在していいと思ってます(広告記事はいらないが)。--Monaneko 2007年6月9日 (土) 06:22 (UTC)[返信]

項目数をなぜ減じたいのかがわからないなんていうようじゃ、初めから議論になんかなりませんね。項目の数が多けりゃそれでよいの・・・? 無意味だわ。--PeachLover- ももがすき。 2007年6月9日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

中身があって多い事が良いに決まっています。削除主義者とされる方達の明らかな間違いはここでしょう。削除する事と中身を濃くする事とは全くの別次元。あと、スタブ記事を作る人と、削除に否定的な人もまた、同義ではありませんし、スタブ乱立を良しとしている事を意味するものでもありません。誤解無きよう。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2007年6月9日 (土) 14:46 (UTC)[返信]

(コメント)議論の拡散や不十分な点も多々ありますがご容赦ください。井戸端過去ログも読みましたが全部には目を通しきれませんでした。上記の「公立幼稚園・小学校・中学校記事が削除主義者によって削除依頼に上がっている件」とも関わっているのでどちらに投稿しようか迷って慎重になっていました。Wikipedia:削除依頼/日本の公立幼稚園の単独記事に書いた内容とも重複しますが、確かにスタブ記事の乱立をよしとは思いません。実際、地域のページの赤リンクを埋めるため、公共機関、学校、河川、公園、寺社仏閣に至るまでのページを乱立している状態が見られます(郷土POV)。逆に力を入れるあまりに冗長になっている記事も散見いたします。しかし、そういった記事が論議を待たずにいきなり改編・削除されたり削除提案のタグが貼られて既成事実化されていたりするのが如何なものかと思うのです。しかもそういう場合の多くは、加除修正や元に戻したりすると自分の投稿した表現に強くこだわり、即リバートしたり、当該ノートや投稿者ノート等での合意も無く「Wikipedia:コメント依頼」は行うものの、「Wikipedia:削除依頼」が提出されます。スタブは作りたくない物の、どうしても自分が研究したり特別に関与した事項ではないため文書量が短くなることもあります(卑近な例で申し訳ありません、人工衛星ふじ3号HIT-SATなどに関わる磁気トルカなど。しかしそれぞれのページ内でその説明をすると冗長になるので分離させた)。また仮に内容が公式ホームページに近いとしても、ウィキペディアの内部リンクと言う大変便利な機能によって、関連事項が用意に検索出来ることは大きな利便性の一つと思います。(自分も含め)多くの方がウィキペディアを使う理由でもあると思います。確かにリンク集ではないことも分かります。辞書における検索は不明な事柄を探っていくのが常道です。ウィキぺディアに行けば何かが分かると信じてアクセスします。記事が無い時は失望します(それが当方の投稿のきっかけとなった)。確かに一つ一つの記事が存在に値するかの検証は極めて困難であるとは思いますが、虚言、悪戯、複製は勿論悪です。が、とにかく十把一絡で先に削除ありきは投稿意欲を削ぎ、ウィキストレスを増し、メリットがあるとは思えません。極論すれば「ウィキペディアは不要」に至りませんか。話を広げて申し訳ないのですが、「ウィキペディは何でないか」の中に現れていない、「Wikipediaの精神」(ウィキペディアは何なのか、その必要性とは)を説いて頂けるとありがたいと思います。--Richard Pman 2007年6月9日 (土) 14:50 (UTC)加筆修正--Richard Pman 2007年6月10日 (日) 06:31 (UTC)[返信]

(コメント)百科事典なので、記事は多い方がいいと思います。無理やり、削除する記事を見つけるような行為はしないくてよいと思います。(削除主義者の方々は、他人の書いた記事がないと活動が成立できない、自分では何も生産できないという、誰かに寄生しないと生きていけないタイプの人達だと認識していますので、仮想世界であっても、あまりかかわりあいたくないです。というか、目をつけられたら、何かされそうで怖い人達。) --ヒヤリハット 2007年6月10日 (日) 05:03 (UTC)[返信]

まず断っておきます。「まず最初に削除ありきな人たち」≠「削除主義者」ではありません。逆に、「他人の書いた記事がないと活動が成立できない、自分では何も生産できないという、誰かに寄生しないと生きていけないタイプの人達」=「削除主義者」はある意味その通りでしょう(ただし俺は認めない。そんな執筆者は正しい削除主義者ではない)。ただ、それが本質ではありません。俺は上の通り「残す価値の無いものはさっさとkill(プログラム用語で、「バグが発生したときにプログラムを(強制)終了させる」の意)して、もっと詳しい人間に作らせるべきだ」と考えています。が、当然俺が編集をするときには人一倍記事の内容に注意しています。
上までの議論を見ていて、「皆さんちっと自分に甘すぎやしませんか。」とか思います(暴言)。俺は即時削除などの行為はその記事に対しての決定的評価じゃねえかと考えています。自分が書くときには「レベルの高いもの」を投稿すべきで、それはウィキペディアの方針から考えるにただのリンク集であったり、概要だけであったりしないはずです。そりゃあ自分が書いたものが消されれば腹も立つけど、それだけ主張されると「じゃあ自分の投稿したものの質に対しては何も考えていないんですか?」とか言いたくなります。「削除されているかどうか」じゃなくて、「質を見ようよ」とか思いませんか。その時点で論点がズレる(しかも決定的に。議論にならないほどに)気がします。--ish-ka -s.i.b!- 2007年6月10日 (日) 08:00 (UTC)[返信]
小惑星記事の他言語へのリンクがポーランド語、イタリア語、ポルトガル語などに片寄っているのは妙な感じは抱いていました。さすがコペルニクスの国と思いましたがBOTでしたか。日本語版が記事数で抜かれるわけですね。外部リンク集ではないと思いますが、内部リンクが多いことは推奨されていると思います。特別ページに孤立したページ、カテゴリ未導入のページ、言語間リンクのないページ、があるように明らかだと思います。これは存続すべき、これは削除すべきと一人一人の主観が入るのは当然ですが、独自の研究ということばがあるように、独自の判断ともいえるわけです。記事サイズで判断するというのも1つの方法ですが、Wikipedia‐ノート:短いページで言われているように短いページの存在意義も加筆を行なうためのページだと言われてますね。--Tiyoringo 2007年6月10日 (日) 11:42 (UTC)[返信]

安易な削除行為はサイトの発展に逆行するものである

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ウィキペディアの至るページで記事またはページそのものの理由なき削除行為が横行している現状に、なぜ誰も疑問をを呈さないのか?ウィキペディアは「発展し続ける、万人に開かれたフリー百科事典」をコンセプトに開設されたサイトであり、安易な削除行為は推奨されない。殊に、理由なき削除など以ての外である。新たなページを開設してもページの発展性を議論せずに削除あるきで議論が進められる方針には疑問を呈さざるを得ない。例えば、企業のページを開設するにあたり、A社は論議もはさまれずに開設が認められ、存続ありきで問題にもされない。一方で、B社はページの開設そのものが宣伝行為と看做される。では、A社は良くてB社はダメだという線引きは何処で発生するのか。誰が決めているのか。そういう論議が発生する。記事生産者が削除主義者に削除の理由を求めても回答しない場合が多い。「宣伝目的のため」などという理由を付け加えることもあるが、そもそも何処がどのように宣伝目的なのかという最も説明が必要な点については回答しない。これで記事の生産派だけが荒らし扱いとなるのは公平性を欠くと言わざるを得ない。 更には、出典を提示していても「出典に値しない」と主張する削除主義者が非常に多く目につく。新聞・雑誌・ニュース番組の報道機関による公式なマスコミ報道であっても「出典に値しない」というのは、どういう根拠でそのように判断しているのか。その点についても削除するにあたって明確な理由を示す削除主義者は少ない。これらの行為は生産派と削除主義派が対立する構図を作り出す致命的な欠点である。