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Wikipedia:井戸端/subj/出典に応じた適切な分量の記述とは

出典に応じた適切な分量の記述とは

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ノート:菅直人#Naruhodouさんの編集についてで行っているやり取りで疑問に思ったことがあるので質問させてください。菅直人の記事の一部の記述において、「各メディア個別にはそれほど大きく取り上げられなかった事象に関する記述が、各メディアの小さな報道記事を組み合わせることで、その事象が大事だったかのように思わせる長大なものになっている」と感じる部分があったのでノートで是正要求を行いました。私は是正要求のより所としてWP:IINFOの「記事はむしろ主題について一般に認められている知識をまとめたものです[11]。検証可能で出典が明示された記述を、適切な分量で配置してください。」を提示しました。すると利用者:Naruhodouさんというユーザーが「『適切な分量』というものに対して規定が無い」、「読む人によっては重要と思うかもしれないので掲載しておく」と反論してきました。

そこで質問なのですが、「適切な分量」とはどれくらいの分量なのでしょうか?--タコロス会話2013年10月6日 (日) 14:49 (UTC)[返信]

井戸端は自分の主張を強化したり、論争を解決したりする場所ではありません。以後はコメント依頼のほうがよいと思います。
適切さについては、記事の主題や、情報源の質、量、記事との関係など拠りますから、一概には言えません。記事や論点となっている記述から考えるに、分量のバランスについてはWikipedia:中立的な観点を参考にしてみてください。--Ks aka 98会話2013年10月6日 (日) 15:43 (UTC)[返信]
分量について定量的に考えることはなかなか難しいですが、定性的にであれば比較的簡単と思われます。つまり「一般に認められている知識」がどのようなものかについては、まず出典の質にその答を見つけることができるのではないでしょうか。出典が人の目に触れる機会が多く長いほど、そこに書かれている情報は、より一般的になるでしょう。例えば新聞記事では、地方紙よりも全国紙、1回だけの報道よりも何日にもわたって経過が伝えられたもの。媒体では、新聞記事や週刊誌などよりも、書籍にまとめられたもの。書籍では、販売部数が少ないものよりも、刷や版が重ねられ、広く・長く読まれているもの。これらの比較は、当たり前だといえるかもしれませんが。
それで、適切な分量について考えるにあたっては、より一般性の高い出典があるものを多めに、そうでないものを少なめに、とするのが自然と思います。これは相対的な話であり、例えば本質的に新聞記事しか出典が見つけられないような主題であれば、記事がほとんど新聞を出典としていても差し支えないのではないかと思います。逆に、教科書などに多くの情報を見つけることができる主題であれば、それらを差し置いて新聞を出典とした記述ばかりを置いておくのはバランスの悪い状態であると思います。
具体的な分量については、出典の相対的な数や文章量、信頼性の度合いに比例させてみる、というのも一案ではないかと思います。--Calvero会話2013年10月7日 (月) 14:35 (UTC)[返信]
お二方ともコメントありがとうございます。この案件に関してはすでにコメント依頼も行っているのですが、参加してくださる編集者の方がいませんでしたので、こちらで質問しました。論争がある話題で複数の説が存在する場合は、その説の支持者の数や出典の文章量から各説の記載量の比率を検討するというのが適切であると私も考えています。しかし、単に「ある事象に関する記述量」となるとやはり難しいですね。雑報紛いの出典を組み合わせて(私からすると、世間的な扱いが)瑣末な出来事を大事件かのように思わせる長大な記述がwikipedia内で時々見かけられるのが気になるところです。--タコロス会話2013年10月13日 (日) 16:19 (UTC)[返信]