Wikipedia:井戸端/subj/内容過剰の判断基準について
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内容過剰の判断基準について
[編集]過剰な内容の整理のガイドラインについて、具体的にどのような記述が内容過剰なのかという判断基準を教えていただきたいです。
方針によると
- 記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべき
- 適当な重み付けを決定する際には、信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し、ウィキペディアの編集者や一般の人々の間での普及度は考慮に入れないようにすることを心に留めてください
- 解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません
とありますから、ウィキペディアン個人の主観で、ある記述が内容過剰であるか否かを判断してはならず、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識の要約として、二次資料などの信頼できる情報源で有意な言及があるか否かによって判断していくべきものだと考えます。
つまり、内容過剰が問われた際は、まず二次資料ではなく、一次資料から削っていく。この私の方針理解が正しいか間違っているか、皆さんのご意見をいただきたいです。ご教授よろしくお願い申し上げます。--Sizzlejs(会話) 2021年2月25日 (木) 08:08 (UTC)
- コメント「二次資料などの信頼できる情報源」という考え方は変ですね。Wikipediaは資料の「信頼性」について、「二次資料”だから”信頼できる」とはしていないはずです。二次資料の中に、(査読などされて)信頼性のあるものも、そうでないものもある、としているはずです。したがって「まず二次資料ではなく、一次資料から削っていく」という機械的な判断にはならないはずです。--Travis sttoko(会話) 2021年2月26日 (金) 03:39 (UTC)
- 返信 (Travis sttokoさん宛) 以下の表は、信頼できる情報源に対する私の理解をまとめたものです。
信頼性 情報源 資料 査読・事実確認 例 信頼できない情報源
(not reliable sources)自主公表された情報源
(self-published sources)一次資料
(primary sources)× 個人ウェブサイト 信頼性に乏しい情報源
(questionable sources)提携・協力関係にある情報源
(not independent sources)二次資料
(secondary sources)△ 公式ウェブサイト 独立した情報源
(independent sources)一次資料
(primary sources)× 目撃したジャーナリストによる報道記事 △ 新聞社や雑誌の運営するブログ 二次資料
(secondary sources)△ タブロイド新聞 信頼できる情報源
(reliable sources)○ 学術誌 - 表はen:WP:PRIMARYに「Primary sources may or may not be independent sources.(一次資料は独立した情報源であるかもしれないし、ないかもしれない)」、en:WP:SECONDARYに「Secondary sources are not necessarily independent sources.(二次資料が必ずしも独立した情報源であるとは限らない)」とあったため、以上のように分類しました。
- 信頼できる情報源#大衆文化やフィクションを読む限り、分野によっては信頼性に乏しい情報源であっても許容可能とされてるため、分野によりますが「二次資料 = 信頼できる情報源」と大まかに理解しています。もし信頼できる情報源もあれば、「信頼できる情報源 > 信頼性に乏しい情報源 > 自主公表された情報源」の序列に従って削っていく考えです。この考えについて何か問題点があれば、何かコメントをいただきたいです。--Sizzlejs(会話) 2021年2月27日 (土) 21:19 (UTC)
- 「内容過剰」という観点からはもっと賛成できません。「内容過剰」の問題は、全体からみてアンバランスに細部の記述が分厚くなって記事が要領を得ないということではないでしょうか。ある記事の記述に、出典として使用してよい一次資料に基づく、説明に重要な中核的記述と、二次資料に基づくトリビアルな記述が混在していた場合、「内容過剰」の観点から、”もしどちらかを削らなければいけないとするなら”、前者が生かされて、後者が削られるべきではないでしょうか。「内容過剰」をめぐる編集は、内容をめぐる問題なので機械的にではなく内容を吟味してされるべきです。つまり「「内容過剰」であるという理由で、優先順位を機械的に決めて一次資料から削る」というのは理屈にならない理屈であると考えます。--Travis sttoko(会話) 2021年2月28日 (日) 03:40 (UTC)
- 返信 (Travis sttokoさん宛) en:WP:PRIMARYNOTBADに「一次資料 = 信頼できない」、en:WP:NOTGOODSOURCEに「二次資料 = 信頼できる」という意味ではないと書かれており、Travis sttokoさんのおっしゃるとおりでした。
- スポーツ新聞は「信頼できる出典」となりうるのかでも議論されてるとおり、分析・評価を行ってるのが二次資料であり、分析・評価を行ってるからといって査読や事実確認の機能が働いてるとは限らない。だから「二次資料 = 信頼できる情報源」とはならない。
- en:WP:NOTGOODSOURCEによれば、信頼できる情報源は「査読や事実確認の機能」「評判のよい出版社」「主題について直接言及してる」「独立した情報源で利害関係がない」といった諸特性で決まるそうです。
- en:WP:APPLYRSによると、信頼できる情報源に対する最終的な判定基準は真実である確からしさによって決まるそうですが、その確からしさはウィキペディアン個人の考える真実と一致しているかではなく、監督機能が働いてる情報源であるかといった諸特性から決まるそうです。
- en:WP:HISTRSによれば、「Where scholarly works are unavailable, the highest quality commercial or popular works should be used. (学術的著作物が使用できない場合、最高品質の商業的または一般的著作物を使用すべき)」で「The most desirable source for an individual claim is the scholarly work that gives weight to discussing the claim in the first place. (最も望ましい出典は、その主張を論ずることに重みを与える学術的著作物)」とされています。このような意味で最高品質の二次資料が一次資料を参照して言及してる場合、孫引きにならぬよう一次資料を出典として明記することは正当でありうる。また「This ensures that your use of the primary source is not original research or original research by synthesis:(これにより、一次資料の使用が独自研究や発表済みの情報の合成でないことが保証されます)」とありますから、大筋としては個々の記述に重み付けを与えることのできる分析・評価を行っている二次資料が必要で、その場合、その二次資料はできる限り信頼できる情報源により近いものでなければならず、そのように信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することを要求してるのが、ウィキペディアは何ではないかの百科事典の記事は記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきの意味ではないかと理解したのですが、このような理解であれば正しいでしょうか。--Sizzlejs(会話) 2021年3月2日 (火) 19:12 (UTC)
- コメント 分野にもよりますが、内容過剰というのは、そんな難しく考えるようなものではなく、端的に言えば説明文として悪文ということです。説明文として悪文とは何かといえば、これも何も特殊な話ではなく、それこそ小中学校の作文の授業でやるレベルの話であって、しばしば骨と肉で例えられるように、肉付けが多すぎて文章の意図や文脈が不明瞭になってしまっているとか、そういうものです。なので、あたかも内容過剰に関するウィキペディア独自の基準があるかのように想定し、それによって「ウィキペディアの規則に従えば、こうであるべき」という発想が既にズレているように思います。
- また、内容過剰の整理というのは、ただ過剰と思われる情報を引けという意味でもなく、全体的な論理構成も考え直し、再構成するという観点も含まれてます。そのパラグラフで説明するには蛇足だが、記事全体としては必要な情報だというなら、それは、その情報を適する別の場所で説明するようにすればいいのであって、整理のために完全に記事から除去しろとか、そこについている出典が1次か2次かで判断を変えろというようなものではないです。--EULE(会話) 2021年2月27日 (土) 00:43 (UTC)
- 返信 (EULEさん宛) 私が内容過剰に関するウィキペディア独自の基準があるかのように考えたのは、過剰な内容の整理#運用基準の制定に「通常、内容過剰タグはウィキペディアは何ではないかにおいて不適切だとされている要素を含む記事に使用します」とあったからです。「ウィキペディアは何ではないか」をクリックするとウィキペディアは何ではないか#内容に「百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです。検証可能であり、出典の明記された内容が、適切な重み付けをされて取り扱われます。」とあり、「適切な重み付け」をクリックすると「信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます」とあったため、上記方針1〜3のような関係で理解しました。過剰な内容の整理#運用基準の制定によれば、上記方針で解決できない問題はウィキプロジェクトに委ねられるそうですが、通常は上記方針どおりのプロセスを経るのではないでしょうか? --Sizzlejs(会話) 2021年2月27日 (土) 21:19 (UTC)
- 返信 (Sizzlejs氏宛) なんだか齟齬の原因がわかった気がします。そもそも「通常、内容過剰タグはウィキペディアは何ではないかにおいて不適切だとされている要素を含む記事に使用します」が、問題のある一文と私は判断します。もともとの「Wikipedia:過剰な内容の整理」の文面は、このようになっており、「ウィキペディアは何ではないかにおいて不適切だとされているもののみ」に適用されて運営されてきたルールや概念ではありません。変更履歴を見ると、2012年に半保護用氏が追加したものであり、変更の主は冒頭文との整合性などにあって、議論自体もあまりなされておらず、この不要な一文の加筆は見過ごされてしまったようです。とはいえ、現行文書でもその主眼は、「しかし」で続いて、その後にあってオリジナルの文章と同じです。ですから、「通常、内容過剰タグはウィキペディアは何ではないかにおいて不適切だとされている要素を含む記事に使用します」という一文があったからという理由なら、これはノイズとお考えください。また、私の方でこれから文面の改定提案を出します。
- Sizzlejs氏は初心者だからあまり馴染みがないと思いますが、ウィキペディアの方針文書は、その文面自体が絶対なわけではなく、これすら自由に編集することができ、時に勝手に編集されていることもあります。まあ、明らかに問題の物は通常は誰かが気づいて差し戻ししたりするのですが、運良く見つからずスルーされて将来の問題の種になっていたというのは割とあります。--EULE(会話) 2021年2月28日 (日) 01:11 (UTC)
- 返信 (EULEさん宛) 私が内容過剰に関するウィキペディア独自の基準があるかのように考えたのは、過剰な内容の整理#運用基準の制定に「通常、内容過剰タグはウィキペディアは何ではないかにおいて不適切だとされている要素を含む記事に使用します」とあったからです。「ウィキペディアは何ではないか」をクリックするとウィキペディアは何ではないか#内容に「百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです。検証可能であり、出典の明記された内容が、適切な重み付けをされて取り扱われます。」とあり、「適切な重み付け」をクリックすると「信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます」とあったため、上記方針1〜3のような関係で理解しました。過剰な内容の整理#運用基準の制定によれば、上記方針で解決できない問題はウィキプロジェクトに委ねられるそうですが、通常は上記方針どおりのプロセスを経るのではないでしょうか? --Sizzlejs(会話) 2021年2月27日 (土) 21:19 (UTC)
- 報告 Wikipedia‐ノート:過剰な内容の整理#改定提案(2021年)に、現行文面があたかも「ウィキペディアは何ではないか」に反する場合のみ適用されるかのように読める文面の改訂を提案しました。--EULE(会話) 2021年2月28日 (日) 01:57 (UTC)
- 報告本日、Wikipedia:過剰な内容の整理を改訂いたしました。--EULE(会話) 2021年3月14日 (日) 01:37 (UTC)
- 「内容過剰が問われた際は、まず二次資料ではなく、一次資料から削っていく」← 必ずそうだというわけでなく、ケースバイケースですが、基本的な考え方としてはそんな感じだと思います。--Yapparina(会話) 2021年2月28日 (日) 02:11 (UTC)
上記の通り、Wikipedia:過剰な内容の整理を改訂しました。今回のSizzlejs氏の提起は、「Wikipedia:過剰な内容の整理」が「ウィキペディアは何ではないか」全体に付帯するガイドラインと解釈したことに端を発しております。しかしながら、上記で説明した通り、また元々の参照元である英語版などとも比較してもらえれば分かる通り、当該のガイドラインは「ウィキペディアは何ではないか」全体ではなく、その中の「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」(WP:IINFO)と関連付けられたものになります(だから、WP:IINFOの方でも「過剰な内容の整理」へのリンクがある)。もちろん、それ以外の部分にもまったく関係しないとは言いませんが、間接的な一文を基に類推解釈に類推解釈を重ねるような形で、「過剰な内容の定義とはこうである」という提起は意味がないものです。そうしたやり方はまさしくWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんで戒められているものになります。--EULE(会話) 2021年3月14日 (日) 01:37 (UTC)
間違っているでしょう。主題を知らないけど口を出しまくるという、仕切り屋さんがしゃしゃり出る。それは方針じゃなくて、方針の悪用とか、都合のいい切り取りというやつです。第一に共同作業の場なのだから、ルールの字面だけを優先して無用なトラブルになったら本末転倒。--180.23.226.19 2021年3月20日 (土) 00:01 (UTC)