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Wikipedia:井戸端/subj/企業のスキャンダルなどについての記述のガイドライン策定

企業の特にネガティブな側面、、事件についての記述のガイドライン策定

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マークアップ修正 SGreen 2006年9月4日 (月) 13:23 (UTC)[返信]

楽天証券のWikipedia記事の恣意的な削除、楽天証券はそれを認めて謝罪するという事件がありました。

ノート

今回のような企業のスキャンダルも含め、どの程度それらを取捨選択し、どういう構成でまとめるべきか、Wikipediaという新しい百科事典の価値を失わないようなガイドラインの策定をはじめるべきだと思います。 以下このWikipedia基本方針とガイドラインを踏まえて議論するものとします。

以下、一連の流れとともに、この提案の合理性を箇条書きで説明したいと思います。

  1. 今回のような事件が起こり、さっそく記事に追加する人が必ず現れる。これはWikipediaの原理からいって当然のことであり、新規性、柔軟性をもつ利点であるといえる。
  2. 一方で、Wikipediaの「百科事典である」「中立性を重視する」「ニュース速報ではない」「ネガティブな情報でバッシングする場ではない」「告発の場所ではない」「演説の場所ではない」「匿名掲示板ではない」という理由で、この新規の書き込みを吟味、選別、削除する人が現れます。
  3. 1のスタンスの人、もしくはその内容が適正だと主張する人と、2のスタンスの人、もしくはその内容が適正でないと主張する人の間ですり合わせ、合意のようなものが行われる、もしくは合意も行われない段階で編集保護されて凍結されてします。
  4. ここで、現実にはどのようになっているかというと、3の段階において、ごくごく少数のたまたまそこに居合わせた人間による編集の中途半端なタイミングにより、正当性にとぼしい編集過程でと記事が保護され凍結されてしまうことが多い。このようなすり合わせ、議論はそれぞれのノートを見れば明らかなことが多いが、到底成熟した議論の結末を迎えているわけではなく、誰かの一方的な打ち切りであることがほとんどである。
  5. このような議論は、いわゆる「ループ」議論であり、今回のような企業のスキャンダル的なことが起これば、「いちいち」ゼロから議論されている。そのため4のような状態に陥る記事も非常に多い。
  6. このような好ましくない状態になるのは、とりもなおさず、十分簡潔で、具体的なガイドラインが存在しないからである。
  7. Wikipediaの「百科事典である」「中立性を重視する」「ニュース速報ではない」「ネガティブな情報でバッシングする場ではない」「告発の場所ではない」「演説の場所ではない」「匿名掲示板ではない」などなどはすでにガイドラインがあり、ループ議論のなかで必ず引用されるが、これらが具体的でないために、いちいち合意までの同じ議論が違うノートで独立して行われる必要がある。
  8. 以上により、企業スキャンダルを記事にするには、具体的にどの程度のところまで、体系的にどのような構造で記事に組み入れるのか?もう一歩も二歩も踏み込んだ、ガイドラインを策定し、そのようなループ議論の初期の段階でかんたんに参照提示できるような環境を整えるべきだろうと考える。できれば具体例としてお手本になるようなパイロット記事、テンプレートがあれば理想である。

以上、Wikipediaにおいて実際に観察される現象、その現実的な解法を書きましたが、以下、より踏み込んだ私見を書かせていただきます。このあたりは「英語版の本家」で議論したほうが適切なのかどうかよくわかりませんが、上の提案の土台になる私見であり密接に関連しているので書かせていただきます。

  1. 「Wikipediaは百科辞典である」、というもっとも基本的な方針があるが、この「百科事典」という定義は実はあいまいである。明らかにWikipediaは古い紙メディアの百科事典というスタイルを踏襲しながらも、インターネットのダイナミズムによりそれ以上のものになる可能性がある。おそらく創始者が「ネット版のもっとも質と量の優れた百科事典をつくろう」というスタンスにおいて想定していなかった価値を創造する可能性がある。
  2. Wikipediaは、大まかに2つの勢力によって均衡が保たれており、A)ひとつは、インターネットのダイナミズム=速報でも事実確定ならばすぐさま記事になる、これまでなら一般人がリーチしにくい議論になりそうな「あたりさわりがあること」でも記事になる。B)もうひとつは、注意深く、保守的に、A)の内容を検閲する勢力です。この勢力のもちいる道具はWikipediaの「百科事典である」「中立性を重視する」「ニュース速報ではない」「ネガティブな情報でバッシングする場ではない」「告発の場所ではない」「演説の場所ではない」「匿名掲示板ではない」というすでに確立しているガイドラインであり、異論をはさむことを許さない武器として使用します。
  3. A、Bは一個人の記事の書き方として内面的な葛藤として存在する場合もあるし、別々の人間がノートで議論するという形で表層化する場合も両方あります。
  4. A、B両者の働きにより、Wikipdiaの中立性、客観性などが保たれながらも、情報の量、質、深みが増します。
  5. BはAの暴走を食い止めるブレーキとして機能します。保守的な勢力といえますが、特に記事の信頼性を担保するためには不可欠な勢力です。不可欠ですが、Aの勢力がインターネットのダイナミズムを乱用する傾向があるのと同様に、Bの勢力も保守的なガイドラインを乱用する傾向があります。
  6. まず、前提として必ず認識しておきたいのは、すでに合意もってWikipediaに安定的に掲載されているという内容でも今までの紙の百科事典よりも特に企業人物においては多岐にわたり内容が深いということです。(極楽トンボの山本などの芸能人は古い百科辞典には書かれようもなかったし、ハリーポッターの次回作=未定という記述などはありえなかったという決定的な違いがあります。)このような部分において「Wikipediaは百科事典である」ということをもって、このようなあらたに出現したWikipediaの拡張を否定するひとはいないでしょう。しかし、このラインでどんどん、拡張していけば、いずれ、問題のある領域に踏み込むことになります。これが「Wikipediaは何でないか?」というガイドラインです。実際、この領域間にはグレーゾーンというものが存在しており、白黒はっきり切り分けることが難しいというのは、すでにループ議論が発生していることからも明らかです。
  7. B=保守的な勢力はしばしばこのグレーゾーンにおいて主観的な裁量判断をします。6において指摘したような、すでにWikipediaは既存のふるい百科事典とイコールでない拡張されているものであるという認識が甘く、このグレーゾーンにおいてAの勢力を抑えるために「Wikipediaは百科事典だからそれは許されない」というものいいをします。また、すべての新規記事について「中立性を重視する」「ニュース速報ではない」「ネガティブな情報でバッシングする場ではない」「告発の場所ではない」「演説の場所ではない」「匿名掲示板ではない」というチェックを入れます。このチェックを入れるというのは、5で書いたように暴走を食い止める役割なので当然ですが、同時にわけもわからずこれらのガイドラインをお札のように乱用し、無駄であきらかに必要のない議論を誘発することももちろんあります。また、バッシングの割合が結果的に多いとして、記事を別ページにまるめこむという構造編集をする努力もなしに、これらのガイドラインを盾として大幅な削除したりすることもあります。この段階でまた「百科事典だから」という言及が繰り返されることもあります。たとえばこの井戸端のページにもそのような人はいます。上にほうにある「余談だが」を削るうんぬんの議論ですが、私は、トリビアであれど、豆知識であれど、きちんとしたフォーマットであれば、その情報は掲載されるべきだと思います。その情報が多くなるのであれば、別ページに分離すればよいと思います。「百科事典にいれるのは異質です」という意見もありましたが、これこそナンセンスなものいいであり、百科事典とはそもそも体系的にものごとを読者に伝える道具であるという本質を見失っているものいいでしょう。豆知識であろうとトリビアであろうと、体系的にトリビアとして情報共有すればいいのです。これを排除することによって我々が得る価値というのはいったいなんでしょうか?体系でしょうか?体系的にトリビアはトリビアとして分離されていればそれでよいと思いますし、このような新しい記述方式はあたらしいWikipediaでこそ積極的に採用していく価値の創造だと考えます。
  8. 以上、現在のWikipediaの基本ガイドラインは、十分ではありません。特に「法を運用する側」であるB=保守的な勢力による、基本ガイドラインという憲法の拡大解釈がまかりとおっていると感じます。そしてその不注意な法の運用の仕方、もしくは頑なな思い込みがWikipediaのあるべき可能性の芽、情報の豊かさ、いままでになかった価値をあらゆるところで摘み取っているように感じます。

きちんとなるだけ、ケースバイケースでブラッシュアップした詳細で具体的なガイドラインをつくり、「わかりやすいところに置き」「誰でもすぐに参照できる」ようにすべきです。 --FXST 2006年9月2日 (土) 12:00 (UTC) 勝手ながら箇条書きを # を用いた物にさせていただきました --Calvero 2006年9月2日 (土) 13:49 (UTC)[返信]

FXSTさんの議題に全ては合致しないのですが似ている議論を現在行っております。こちらの議論は著作権の侵害の恐れがある記事に対する対処についてなのですが、共通する点もあるかと思いますのでこちらも参照いただければと思います。#著作権侵害の恐れがある記事に対する対処について--Broad-Sky 2006年9月2日 (土) 12:37 (UTC)[返信]
失礼を承知の上で少しだけお伺いしたいのですが、FXST さんはウィキペディアのガイドラインを全て読まれ、ご理解なさった上でのご提案でしょうか。よりあえずWikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いを読んだことはおありでしょうか? また、編集暦はあまりないようですが、閲覧暦は長いのでしょうか? また、「すべきです」というのはご自身もその策定に参加する意思があることを示しておられるものでしょうか。上記のような議論の齟齬はたいていの場合、ガイドラインをきちんと理解していない方が起こしやすいものであるような気がいたします。すなわち現状のガイドラインでは文章が難解すぎて理解できないためだ、とおっしゃているようにも見受けられます。またガイドラインを全く読まずに、あるいは考慮に入れずに編集する方もおられるかと思いますが、そのような方々がガイドラインに反するような編集を行った場合はどのように対処すべきとお考えでしょうか。--Calvero 2006年9月2日 (土) 12:47 (UTC)[返信]

Calveroさん、 ひととおり目は通したつもりです。 あと、提案の内容の正当性と編集暦、閲覧暦の長さはどのような相関があるでしょうか?たいへん失礼ですが、お前は新参だからだまっていろというような文面にも読み取ること可能であり、このような態度はWikipediaでしがちな過ちであるともガイドラインにありますね。

編集暦は署名にしたのはごく最近ですがIT関係を中心に1年ほどあります。閲覧は、かなり長いと言っても良いでしょう。プロジェクトがかなり初期の段階から耳にしており、日本語はほとんどないときから見ていたといえば見ていましたが、当然使えなかったので、見ていないといえば見ていません。しかしこのあたりの閲覧暦の長さなどというものは、今回の提案の合理性を担保するものでは当然ありません。

「すべきです」という合理性については、上の投稿の内容のほとんどを占めるものであり、別段独断だとは考えておりませんし、もちろん、策定にも参加したいと思っており、そのための提案です。

ご指摘の「ガイドラインを全く読まずに編集を行った場合」「文章が難解である」これも含めて改善すべきだと考えております。あってもみつからないガイドラインなど、ないに等しいのです。これと一緒に提案するのもフォーカスがずれるのでどうかと思いましたが、現行のWikipediaのガイドラインは非常に見つけにくい場所にある。誰でも気軽に編集できるという体裁になっているのに、そのやり方の注意などがとても見つけにくいのです。

それも踏まえて申し上げているのですが、今あるガイドラインがすべて見つけやすく編集者が踏まえて作業を行ったとしても、今のガイドラインのあいまいさではループになるでしょう。骨組みはそれなりにしっかりあるが具体性に乏しいからです。

あと、もしCalveroさんが、私の提案にたいして、なにかたしなめること、意見がおありになるのであれば、そのようなリンクをぽんとまるなげしてしまうのではなくて、具体的な箇所においてご教授いただければより建設的であると考えます。そもそも私が違和感を持つのはそのような、「WikipediaのXXにXXとある」という既存の文面を盾にして本質を話し合わない姿勢なのです。「憲法」を変えようなどと言っているのではありません。その「憲法解釈」のポーズに問題があると申し上げているのです。 --FXST 2006年9月2日 (土) 13:02 (UTC)[返信]

上のWikipedia:ウィキペディアで起こしがちな間違いへのリンクは「7. ウィキペディアのことがよくわからないのに、独断でウィキペディアを変革させようとすること。」を踏まえた上でのお考えであるかを伺いたかったためです。経験の多寡を問うたのは、現行のガイドラインでうまくいっている部分、機能していない部分を俯瞰的に議論するためにはウィキペディア全体に対する深い理解が不可欠であること、また内容の正当性いかんよりも、もしも原稿ガイドラインの理解不足、あるいは誤解に基づく提案であったとしたら、まずその点に関する説明を先に行わなければならないと考え、念のため確認した次第です。
具体的な題材がないと議論が進めにくいので、とりあえず楽天証券の例について、ガイドラインの修整した方が良いとお考えになっている部分をご指摘いただければ幸いです。それからちょっと横道にそれますが、わかりやすい掲載箇所として、主要なガイドラインを左側の「ナビゲーション」「ヘルプ」「検索」「ツールボックス」と並べておくのも一案かと存じます。
「ガイドラインを適用する際のガイドライン」が必要かもしれません。申し訳ないことに私自身わからなかったのですが、「このような態度は~」以下のご指摘はガイドラインのどこにありますでしょうか(Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいでしょうか)? --Calvero 2006年9月2日 (土) 13:49 (UTC)[返信]
失礼しました、ここでのご提案の第一義は、Wikipedia:企業の不利益になる情報 のようなものを作成すべき、ということでしょうか。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんの「9. 事実の暴露や報道を行う場ではありません。」をよりわかりやすく適切に拡張すべき、という解釈でよろしいでしょうか? --Calvero 2006年9月2日 (土) 14:08 (UTC)[返信]

Calveroさん、 どうもご理解いただきありがとうございます。おっしゃる方向性と、具体案でよいと思います。 (楽天証券に関しては、今のようなタイミングでリンクの正当性>削除以来で内容が閲覧できなくなる、というのも、今のようなタイムングにおいて情報隠蔽の手段として利用できるので、改善すべきだと感じました。) 目立つ箇所で私が一番印象に残っており「ひどい」編集合戦の末、大幅な情報削除の末編集凍結状態になっているのが朝日新聞です。私は一切加担しておりませんが、確かにこの編集のイニシアティブをとったのはまず「反朝日」バイアスの編集者であり、書き込む内容は彼らにとって豊富にあったのでかなり書き加えられたと思います。その後「反反朝日」バイアスの編集者により、編集合戦がはじまりました。この過程で、右翼左翼、プロパガンダという泥仕合になり結局編集凍結になりましたが、結果は、最近のことばのちからキャンペーンにいたるまでの経緯すら記述がないという、企業の不利益になる情報はたしかに書かれていないが、正しい情報が書かれているとは到底いえないという状況になっています。この一連の顛末の過程でまさに、演説場所ではない、事実の暴露を行う場所でないというルールを「悪用」してしまい結果ごらんのようになってしまっています。そのページノートは非常に今回のガイドラインを策定する上で議論の道筋を再びたどることで参考になるし、車輪の再発明を避けるうえでも利用できると考えます。メディアつながりでいうと、TBS>東京放送のページでは、TBSの事件、不祥事として、詳細なリストが内包されています。まさにこのような記述は以前の百科事典ではありえなかったのですが、一般人、読者としては、企業の一般に認知されやすい功績と同時に別の側面、非常に隠蔽されやすい側面を両面フェアに情報提供するという意味でたいへん有意義な記述であると考えます。なかでもTBSビデオ問題というのは別ページとして独立して詳細に扱われていますが、こういうのはそのTV局の報道を知る上でWikipediaから提供されて然るべき情報です。繰り返しますが、このような記述もブリタニカ百科事典ではまず無理でしょう。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんというのは、当然百科事典という体系的メディアをかたちづくるうえで納得できる必須のガイドラインだと思います。そして上のTBSビデオ事件というのは、それに抵触していません。このように体系的に組み入れる可能性がある要素はどんどん組み入れるべきであるし、それが新しいメディアとしての価値を最大限高めることだと思います。このような今までは体系的に網羅できなかった負の側面も、きっちりと百科事典というフォーマットにおいて体系的に扱うべきであり、この価値を生み出す内容を「百科事典でないから」「演説の場所でないから」などというレッテル貼りでつぶすことは容認されるべきでないということ考えます。朝日新聞のノートでおこなわれたような議論の末に今のような状態に陥ることはさけるべきで、そのためには、もうそのような議論もしっかり踏襲した注意深いガイドラインを練るべきで、今後安易な編集保護を行わせない環境を整えるべきだと考えています。

Wikipedia:企業の不利益になる情報Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんの「9. 事実の暴露や報道を行う場ではありません。」も相互リンクして関連性を明確にした上で、おっしゃるように、わかりやすく拡張すべきだと思います。--FXST 2006年9月2日 (土) 15:02 (UTC)[返信]

企業の不利益になる情報は無名人物のインターネットによる配信ではなく、新聞などの雑誌媒体、放送局による紹介がある場合は、記載すべきだと思います。--経済準学士 2006年9月2日 (土) 14:53 (UTC)[返信]
おっしゃるとおり、事実と確定、認定されるならば他のWikipedia基準と同様に扱われてしかるべきなのですが、告発の場所でない、百科事典であるという「ルールが拡大解釈」されて必ずそのような情報は削除しようとする人が現れて無意味な議論がはじまるのが典型です。かならず現れます。だからこそ私はその拡大解釈、もっといえば結果的に情報隠蔽に悪用されやすいルールのあいまいさをなくして適切なルール、ガイドラインの合意、策定を理性的に行っておくべきで、そのようなループ議論がおこればそのガイドラインを適用すればよいという考えなのです。--FXST 2006年9月2日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
どのようなガイドラインであれ、実際の編集への適用では解釈の違いによる対立は避けられないでしょう。FXSTさんの御意見を読みますと、ガイドラインの変更で対立を解消しようとしているように見えますが、もしそういう目的でしたら余り成果は期待できないと思います。そして結局のところ、編集方針の対立はノートにおける意見交換を通じて解消するしかないでしょう。
ところで、FXSTさんはページ保護を「記事の内容を確定させるもの」であるかのようの言われていますが、保護は編集合戦を一時的に停めるため行うものです。飽くまで(概念としては)一時的措置なので、記事の文面が「中途半端」になるのは当然です。それと、Wikipedia内でのリンクを外部リンクとして(つまり、生のURLで)張っているのも気になりますね。少しでもWikipediaに馴れた方なら内部のリンクには[[...]]を使うものですが。こんな風に。Wikipedia:ウィキペディアのリンクには外部リンクを使わない -- NiKe 2006年9月3日 (日) 02:57 (UTC)[返信]

まず、Wiki文法に習熟していないのはたしかですが、ご意見の最後にそういう技術的な部分での批判でくくるのはおやめいただきたいと思います。結局Nikiさんの文章のなかでは「ガイドラインの変更で対立を解消しようとしているように見えますが、もしそういう目的でしたら余り成果は期待できないと思います。」この箇所のみが唯一今回の提案への言及なのですが、まったく立論されていませんね。私は上にとうとうと合理性、つまり成果が期待できる理由を書いているのですが、それに対する反論であるのならば、きちんと対応する立論するのが筋だと思います。効果りが期待できると立論し、その理由を述べているのに、効果は期待できない、だけでは議論が成り立たないのはお分かりになると思います。--FXST 2006年9月3日 (日) 03:36 (UTC)[返信]

立論も何も、これまで編集合戦を見てきた経験から『より精緻なガイドラインを設ければ対立が解消する』という考え(そうなんですよね?)なら余り効果は期待できないだろう、という意見を述べただけです。別に反論でもなんでもありません。あなたが具体的な変更案を出して来るまでは賛成も反対もできません。そして、意図はどうあれ、出てきた案が良いと思えば賛成します。
ところで、ページ保護に関する私の指摘についてはお分かりいただけたのでしょうか。 -- NiKe 2006年9月3日 (日) 04:27 (UTC)[返信]
私はこれまで編集合戦を見てきた経験により以上のような提案をしているとしか申し上げられませんね。そしてその具体的な合理性をあげて説明しています。それを経験によりそうは思わないというあなたの意見なのであれば、その根拠に具体性がかけていますね、ということです。--FXST 2006年9月3日 (日) 05:24 (UTC)[返信]
Wikipedia:企業の不利益になる情報 /草案でも作ってみたら??別に完全な私案であってもたたき台としては意味あるでしょう。今の情況で作成自体の反対者はいないと思います。Nikeさんの指摘される部分はもっともなことで、いくらガイドラインを整備しても読まない人は役に立たないし無視したら対立の解消につながらず保護送りになります。しかし、ウィキペディアのガイドラインとしてうまく整備できればノートページで議論したときに引用でき有効です。よい案なら賛成してくれるともあるので、草案からメリットデメリットを検証しなおすのもよいと思います。58.87.143.172 2006年9月3日 (日) 06:01 (UTC)[返信]


はい、とりあえず叩き台として作りたいと思います。いきなりつくると、おそらく「百科事典でないから」議論が反射的におこるのは目に見えていたので、その動機、現状分析、背景などの説明責任があると考えてこの提案をまずここでしました。ある程度の人の目に留まって問題点を認識してもらってから作業に入りたいということです。しかし、残念なことにあまり内容をちゃんと読んで議論していただくかたは多くないようです。j8takagiさんのように(ありがとうございます)現状分析についての是非から論じていただくとより建設的なのですが、どうせガイドラインなど役に立たないという意見、それもその理由がまったく書かれていないものばかりで残念ですね。そもそも私の提案を読まれれば明らかなのですが、「ノートでの議論」における安易な現行のガイドラインのあいまいな運用を改善するために提案しているのですが、なぜこの部分を意図的な無意識かスルーして、そういう事もありえるかもしれないみたいな論調になっているのでしょうか? 今までの反論らしきものはたった2つです。

1.編集合戦を観察してきた経験により、当件において詳細なガイドラインがあっても効果がない。

A.それぞれの案件において、いつかどこかで見たような、ループ議論がいちいちゼロから巻き起こっている、その半分以上は、Wikipediaガイドラインの意図的ともいえる誤読、あいまいな運用であり、それをこれはそれには当たらないというような反論が必ずついている。最初に誤読をした人間は、Wikipediaは何でないか?などをほぼ持ち出している。たとえばデータベースでない、演説場所ではないのガイドラインは彼らに「積極的に」悪用されやすいと観察します。このような現状分析により、そもそもその引用されるルールが限られており具体性のないものだから悪用される、この抜け道を別のはっきりした目に見える、「すでにそのような未熟で初期の議論が終わっている」ガイドラインを提供することによって、ループ>中途半端な編集凍結、という事態を改善する、ということです。効果がないと言うのであれば、私の現状分析に異があるのか、それとも現状分析には同意するが、そのあとの論理の道筋がおかしいというのか、この点をはっきりさせるべきである。ただ経験により効果がないというのは、まったく反論になっておらず、ただやみくもに反対したいのだろうと受け止められても仕方ないと思います。

2.せっかくガイドラインを作っても、読まない、無視すれば意味がない。

A.これは1の回答でも提案の本文でもちゃんと読まれれば明らかですが、今ある既存のガイドラインをあいまいに拡大運用して議論の泥沼になっているので、その初期の未熟な段階の議論はちゃんとすましてパッケージ化つまりより具体的なガイドラインを作って提示しましょうということです。むしろ、読んでおり主観的な誤った運用の上にお札として押し付けようとする人たちへの対策であり、読まない、無視する人は、もっと低いレベルで淘汰されるはずで、彼らはこの提案による対策のターゲットではありません。

いずれにせよ、現状では本論においてあまり有用なフィードバックはいただけていないと感じていますが、具体的な草案が目の前にないとある意味「叩きにくい」と感じる方もおられるかもしれないので、それらの人も本質の部分で議論に参加していただくためにあくまで、私案の骨子から提示してみたいと思います。その際に議論が根元までに逆戻りする可能性があるので堂々巡りを避けるために最初の箇条書きを提示させていただいておる、ということです。--FXST 2006年9月3日 (日) 11:20 (UTC)[返信]

j8takagiと申します。脇から失礼します。私はウィキペディアのさまざまな記事をすばらしいと思う反面、朝日新聞などの記事が変な形で停滞しているのをかねがね残念に思ってきました。それだけに、FXSTさんの詳細で論理的な現状分析はすばらしいと思いました。ガイドラインを追加すればこうした現状を良くできるし、そのためにはまずFXSTさんの現状分析を検討する価値があるのでは、というのが私の考えです。逆に、NiKeさんには次の点を聞きたいです。
  • FXSTさんが上で挙げている現状分析を読んで、どのようにお考えでしょうか?(例えば、おおむね適切、誤りが多い、非現実的、そもそも忙しくて読む時間がない、など)
  • NiKeさんのご意見は、ガイドラインを改善しても編集合戦は収まらないということでしょうか?だとしたら、どうすれば編集合戦は収まるのでしょうか?
  • ウィキペディアに詳しくない人間がウィキペディアの方針や管理に意見することについてどのようにお考えでしょうか?詳しくない人間が口を出すべきでない、という考え方でしょうか?
j8takagi 2006年9月3日 (日) 06:06 (UTC)[返信]
あってもよいのではないかと思います。ただ、概要ではなく実例としてのテンプレート的なものであれば、別の件の盾にされないように注意深く作成する必要はあるかと思います。
あとは、過去の企業なのか、直近の問題なのか、解決済みなのか、(世間への)影響はどの程度か、問題点は目立ちやすいのでNPOV的なバランスとしてその企業のよい貢献をどのように記事に取り込むかなどにも言及が必要そうでなかなか大仕事にはなりそうですね M-Falcon ( talk / hist ) 2006年9月3日 (日) 12:25 (UTC)[返信]

GNUなのにコントロールしようとすんなよ--賢者見習い 2006年9月3日 (日) 21:47 (UTC)[返信]

抽象論を並べても議論は噛み合いません。楽天証券の行政指導についての記載の是非とか、ドコモが社内ベンチャー制度で作った子会社の社長にAV女優疑惑がでたのでその子会社を解散について記載の是非とか、パロマの殺人湯沸し器とか、日産栃木リンチ殺人事件とか、三菱自工やトヨタのリコール隠しとか、具体例をあげてはどうか?202.233.244.11 2006年9月4日 (月) 11:48 (UTC)[返信]

202.233.244.11さんには、ご自身で挙げられている楽天証券やドコモの事例は具体論で、朝日新聞の記事内容やそれに対する指摘は抽象論に見えるのでしょうか?(朝日新聞の内容について何が問題かもっと具体的に論じて欲しい、という指摘ならありえるとは思いますが) それはともかくとして、今具体的な議題の第一になっているのは「Wikipedia:企業の不利益になる情報 /草案(またはその類似物)を作るべきか否か」で、もし必要ということであれば、どういう内容にしていくのかが第二の議題になると思います。その第二の議題について、Wikipedia:存命人物の伝記(翻訳中)というドキュメントがあるので、参考になるのではと思います。j8takagi 2006年9月4日 (月) 14:51 (UTC)[返信]


ウィキプロジェクト 企業の不利益になる情報(準備中)
ウィキプロジェクト 新聞社 (準備中)

Wikipedia:ウィキプロジェクトの中で立ち上げました。

Wikipedia:ウィキプロジェクトの社会のカテゴリに階層的に存在し、両方とも企業がルートにあります。

第一義として、そもそもフォーマット議論の拡散を改善するためなので、このウィキプロジェクトが今回の提案にもっとも適切な場所であると判断しました。ぜひご参加、ご協力ください。

新聞社などのメディアと同時に、上で指摘されている、パロマ、トヨタ、電通などの報道機関マスコミではないが公的インパクトが大きい企業の不祥事、ネガティブな側面などをどの程度、Wikipediaにおいて情報共有されるべきなのか、体系的におさめることが可能なのか?問題点はないか?議論の末、ある程度方針が明確になればよいと思います。--FXST 2006年9月5日 (火) 01:24 (UTC)[返信]


紙百科事典原理主義者と「百科事典的」という言い回しについて

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もともと「屁理屈について」という賢者見習い氏による見出しでしたが、以上のように変更いたしました。 --FXST 2006年9月4日 (月) 22:41 (UTC)[返信]

wikipediaに多いガイドラインや法の解釈を捻じ曲げた自己弁護の数々について。 具体的に言うと上記の井戸端にあるクールを装いながらも相手をひたすら罵倒する文章などです。 --賢者見習い 2006年9月3日 (日) 21:47 (UTC)[返信]

あなたの投稿記録を少し拝見しましたが、まず言葉遣いからしてなっていないと思いました。 罵倒する文章と他人を批判するまえに、ご自分の行動をあたらためるべきですね。

>GNUなのにコントロールしようとすんなよ >揚げ足取りと馴れ合いの雑談うざいです。

まったく具体性の欠けたWikipediaにおける議論にふさわしくない意味不明の単なる感情の吐露であり、問題があると思いますよ。 --FXST 2006年9月3日 (日) 23:01 (UTC)[返信]

私信うざい。本来あるべき自由な進化の形を持つwikipediaに戻せ。 いまの日本語版wikipediaはGNUの精神に背いている。プロテクトをかけるな。コントロールするな。--60.46.58.179

いろいろと誤解があるようなので、みなさん、一度、Wikipediaの方針をお読みください。それから、FXSTさん、プレビューをもう少し使ってみましょう。あなたの連続書き込みはちょっと度し難いものがあります。--ゆきち 2006年9月4日 (月) 01:24 (UTC)[返信]

連続書き込みに関しては善処したいと考えます。ご指摘ありがとうございます。あとたしなめる文面において私のハンドル名があることにより、みなさんという言及に私も含まれている文面に受け取ることも可能ですが、万が一そうであるのならば、具体的にどのWikipediaの方針なのでしょうか?ご教授願います。GNUやら「本来あるべき自由な進化の形」という独善的な言及については私もWikiのガイドラインを読めという姿勢には同意いたします。--FXST 2006年9月4日 (月) 01:48 (UTC)[返信]

Wikipedia:基本方針とガイドラインなどから始めてはいかがでしょうか。--ゆきち 2006年9月4日 (月) 02:24 (UTC)[返信]

ということは、私に向けているという理解でよいと思うのですが、あなたは度々そのような「百科事典として有益ですか?」であるとか、ガイドラインを盾にあいまいな批判ぽいことを行われていることを目にするわけですが、具体的な言及は一切されませんよね?実は、最近の私の一連の提案はそのような姿勢をとり続ける人に疑問を呈する要素もあるのですが、別項の、情報量を削る=体系化する、という等式ではない、そのことについてご意見を伺いたいというコメントに対しても具体的な領分なので見解を伺えないということでよろしいでしょうか?Wikipediaのガイドラインはお札でもないし、自分は何かを知っているというポーズをみせて相手を煙にまく道具として用いられるべきではありませんね。--FXST 2006年9月4日 (月) 04:32 (UTC)[返信]

一連の流れと深く関連する、つまり私が、大元のガイドラインを盾に、また「百科事典ではない」という「個人的感触」のみの主観による情報量削減、内容削除の風潮に危惧を抱いていることについて、そのゆきちさんにむけた真意を問いただす質問文をこちらにも転載させていただきます。こちらはトレースしておられるようなんので、「ガイドラインを読め」(読んでおります、だから提案しているのです)なんていうことではない、誠意ある回答、見解をぜひここでお聞かせください。

問題は多いにあると思いますよ。客観性、中立性のためにはそのような検閲の力学は有用ですが、危ないのは、今回のゆきちさんのコメントで明確に現れているように、「個人的にはもっと情報量を減らしたい」というような、おおよそ百科事典の情報集積という存在理由と逆のよくわからない、個人的な欲求を満たす道具として乱用されるケースがあるからです。「Wikipediaは「バベルの図書館」を作る作業ではありません。」この文章によってなにをおっしゃりたいのか、具体的に説明していただけますか?バベルの塔がカオスであるという意味合いから、体系的でないということを言いたいのかもしれませんが、私は体系的であるならば、という条件付で、できるだけ情報を集めたほうがいいと申し上げているので、反論にはあたりません。さらに個人的にはもう少し数を減らす方向へ動いてほしいということですが、この個人的欲求の源をきちんと説明していただかないと議論のしようがありません。情報量が増えることとその情報が体系的であるかどうかということは別問題なのですよ。できればこのあたりをどのように理解されておられるのか見解をお伺いしたいです。--FXST 2006年9月4日 (月) 04:55 (UTC)[返信]

--FXST 2006年9月4日 (月) 04:55 (UTC)[返信]

WikipediaGNUの精神に背くようになっているのですか? 仮にもしそうだとすると、それこそ懸念すべき事項です。しっかりと吟味せずに下手に投稿ブロックを加えることや削除することなどを繰り返すと、それだけでWikipediaを利用したがる人が減ったり、Wikipediaが嫌いになってしまっては、折角のWikipediaの価値が損なわれる恐れがありますね。このままだと、Wikipediaの優位性が崩れて他のWikiや百科事典サイトを築き上げようとすることになってしまう恐れがありますね。Googleの検索技術とWikipediaWeb2.0全般の技術との融合がうまく実現されれば、こういったジレンマの解消されるんでしょうか。今のWikipedia日本語版には様々な問題が眠っている気がしてなりません。それを解決するためには、かなりの苦労と技術力が必要ですが。折角ここまで多くの人によって苦労して築き揚げられた「生きている」百科事典がGoogleの言う「情報は淘汰される」ように、淘汰されてしまったらたまったものじゃないですから。今後、Wikipediaをどのように進化させるべきか、いずれ考えないといけない時期がやってくるでしょう。hsz 2006年9月4日 (月) 16:35 (UTC)[返信]

むちゃくちゃな誤解があるのですが、WikipediaはGNUのプロジェクトではありませんし、別にWeb 2.0を目指したサイトではありません。--ゆきち 2006年9月4日 (月) 16:46 (UTC)[返信]

FXSTさんへ。「この個人的欲求の源」とのことですが、百科事典には、必ず内容を吟味し、無駄なものを減らすフェーズが入ります。今のWikipediaには、それがないのが問題だと思っているからです。今の状態が、既にsysopの管理できる範囲を大きく超えているのもその理由のひとつです。逆に、ひたすらに数を増やす方が有益であるという考えも「この個人的欲求」に過ぎませんね。森羅万象を受け入れる百科事典は、存在しえません。あと、一部の人に、「記事の質を維持すること」よりも「ユーザーの機嫌を損ねないこと」を優先する考えがあることが、理解できません。「ユーザー」は万能ではありません。Wikipediaが嫌いなユーザーがいてもいいはずです。それから、ジンボ・ウェールズが質の維持への方向転換をはかっているのをご存じでしょうか。BIO()を禁止する宣言をしたのもご存じでしょうか。何が今のWikipediaに取って必要なのか、良く周囲を見てお考えくださることを節に願います。--ゆきち 2006年9月4日 (月) 17:06 (UTC)[返信]

ゆきちさん、このことはあなたをはじめ、その他の情報量削減=善と信奉している方々としっかり話し合う必要があると感じます。


ウィキペディアは紙製の百科事典ではありません

ウィキペディアは紙製ではありません。ゆえに、ウィキペディアは、サイズの制限がなく、リンクを含むことができ、よりタイムリーであります。つまり、紙面用の文章の長さやスタイルがウィキペディアでは必ずしも適切というわけではありません。ただし一つの記事があまりに多くの事柄を含みすぎるような場合や、一つの記事の中で解説した方が望ましい事柄が複数の記事でばらばらに説明されている場合には、Wikipedia:記事の分割と統合を参考に適切に整理する事も検討してください。もちろん、「紙製の百科事典ではない」ということは、百科事典の定義から逸脱して好き勝手に編集してよいという意味ではありません。


Wikipedia is not a paper encyclopedia

Wikipedia is not a paper encyclopedia. This means that there is no practical limit to the number of topics we can cover other than verifiability and the other points presented on this page.

There is a kind of feasible limit for individual article sizes that depends on page download size for our dial-up readers and readability considerations for everybody (see Wikipedia:Article size). After a point, splitting an article into separate articles and leaving adequate summaries is a natural part of growth for a topic (see Wikipedia:Summary style). Some topics are covered by print encyclopedias only in short, static articles, and since Wikipedia requires no paper we can give more thorough treatments, include many more relevant links, be more timely, etc.

This also means you don't have to redirect one topic to a partially equivalent topic that is of more common usage. A "See also" section stating that further information on the topic is available on the page of a closely related topic may be preferable.

まず、以上のようなWikipediaは何でないか?というガイドラインがあるのですが、当然お読みになっていますよね? 「ゆえに、ウィキペディアは、サイズの制限がなく、リンクを含むことができ、よりタイムリーであります。つまり、紙面用の文章の長さやスタイルがウィキペディアでは必ずしも適切というわけではありません。ただし一つの記事があまりに多くの事柄を含みすぎるような場合や、一つの記事の中で解説した方が望ましい事柄が複数の記事でばらばらに説明されている場合には、Wikipedia:記事の分割と統合を参考に適切に整理する事も検討してください。」これはとりもなおさず、サイズの制限がない=サイズは増長するということであり、あなたの信奉している、頑なに頭のなかにイメージとしてある百科事典、他の利用者へ押し付けようとしているイメージとしての百科事典の文章の長さ、スタイルを凌駕しますよと、ということが一番最初に書かれているのです。リンクを含むことができる、一つの記事が長くなれば分割しろということは、上のことを踏まえて、情報量が増えるのは当然なので、それを整理し、分割し、構造化し、体系化しろ、ということです。どこにも情報量を削れなどという方向性はありません。あなたは無駄なもの無駄なものといいますが、雑草とりのようなガイドラインが頭に刷り込まれているのではないですか?あれの元は英語版なのですが、現在大幅な改定が進んでいるのはご存知でしょうか?あなたは質は量の削減によって実現されるとお考えですか?繰り返しますが、量を削る=体系化すると勘違いされているのではないでしょうか?よろしいでしょうか?「簡潔にまとめる」部分はあくまで百科事典の一部の要素、つまり最初の概要の部分によって実現されれば、それでよいのです、以下、詳細は、しっかり構造化され体系化されていれば、たとえ専門書と同じ分量になっていても、あくまで1ページの分量が限定されており、詳細へ掘り下げるリンクにより体系的に構造化されておればそれでいいのです。「今の状態が、既にsysopの管理できる範囲を大きく超えているのもその理由のひとつです。」これ、いったい何ですか?今の情報量が管理者の範囲を超えているということをおっしゃりたいのですか?日本語版は英語版に比較して、項目の量、記事の量、いずれも大きく「水をあけられている」わけですが、これは、管理者が管理しやすいので、むしろ良いことだとでも思われているのでしょうか?情報量の少なさは百科事典にとって善ですか?あなたはすぐに「森羅万象を受け入れる百科事典は、存在しえません。」「バベルの図書館ではない」というあいまいでよくわからない言及をされるのですが、そんな言及をもってWikipediaの情報を削るということは正当化されえませんよ。百科事典とWikipediaの関係についていまいちど冷静に考え直されることを推奨します。上にあげたWikipediaは紙の百科事典ではない、ということをよく読んで、それがどういう意味なのかよく考えてみてください。既存の百科事典とWikipediaは違うのですよ。骨組みとしては、それを継承しながらも、情報量その他、インターネットのダイナミズムによって新たな性格が+されています。それこそが上の方がおっしゃるGoogle、Web2.0的なものです。誤解があり、勘違いしておられるのはあなただと思います。--FXST 2006年9月4日 (月) 21:27 (UTC)[返信]

存命中の人物の伝記、は現在翻訳中で、当然原文も調査できますが、

   * Wikipedia:検証可能性
   * Wikipedia:中立的な観点
   * Wikipedia:独自の調査

ということが書かれていますね。この方針も含めて、ウェールズ氏が禁止する声明を出したのですか?そうだとすればよくわかりませんが、知っていることがおありならば、ぜひ正確に、ご自分の信念を単に補強する道具としてではなく、お伝えいただくことを希望いたします。とにかく、上の方針、該当ページで見ても明らかですが、どこにも情報量を削れ、なんてありませんね。私はあなたのコメントの仕方、方針を見ていて、百科事典の質の高さはまるで、情報を削りとることによって担保される、というまったく合理的でなく、正当化されない個人的信念、誤解に基づいていると考えています。 --FXST 2006年9月4日 (月) 21:47 (UTC)[返信]

例えば、紙の百科事典は、「全○巻」という区切りがありますが、それは、なぜでしょうか。また、どのようにして決めることが出来るでしょうか。それを考えれば、自ずと「なぜ削るのか」ということがわかるはずです。ただし、これは「個人的な考え」と先に断っているはずです。それを議論の対象とするのは、単なるいちゃもんに過ぎないでしょう。--ゆきち 2006年9月4日 (月) 22:02 (UTC)[返信]

>「個人的な考え」と先に断っているはずです。それを議論の対象とするのは、単なるいちゃもんに過ぎないでしょう。

ということですが、あなたが、その個人的信念に基づき、現実にWikipediaにおける投稿を削除しているので、いちゃもんではなく、問題提起、議論になるのは当然だと考えます。あなたの個人的信念を実在化しているWikipediaにその信念を反映させている以上、あなたの個人的問題ではなく、Wikipediaの秩序の問題として議論されます。

>例えば、紙の百科事典は、「全○巻」という区切りがありますが、それは、なぜでしょうか。また、どのようにして決めることが出来るでしょうか。それを考えれば、自ずと「なぜ削るのか」ということがわかるはずです。

上のコメントは、あなたの誤った行動原理、個人的信念を暴露したものだと思います。

紙の百科事典の制約のことを例にだして、ガイドラインの最初にもある「Wikpediaは紙の百科事典ではない」ことを「一切無視して」、Wikipediaにおいて情報を削ることを正当化しておられる、あなたの個人的信念つまり「Wikipediaは紙の百科事典と同じボリュームであるべき」というような、明らかにガイドラインに「違反する」信念をもって、「自ずから削ることは正しいとわかるだろう」なんて言われても、納得する人は誰もおりませんよ。

ゆきちさんは、大量に記事を削除するときに、今例示した誤ったWikipediaのガイドラインに違反している行動原理に基づいておられます。このあたりどうお考えですか?私はあなたに限らず、同じような、「紙百科事典原理主義者」がWikipediaにいっぱいいると思いますし、このあたり非常に憂慮します。 この「紙百科事典原理主義者」というのは、本当に私が問題提起したいテーマをひとことで表しており、この項目においての議論の本質はまさにそこであると強調すべきだと思い、見出しをそのように変更いたしました。

ゆきちさんに簡潔に質問させていただきます。

1.Wikipediaのすべての記事のボリュームは、ブリタニカ百科事典のような既存の紙の百科事典の記事のボリュームと同等であるべき、もしくは大幅に凌駕すべきでないとお考えなのですか?
2.もし1の答えがYesであるのならば、「Wikipediaは紙製の百科事典ではない」という公式ガイドラインの目立つ最初に見つかるようなガイドラインに違反しているとは思いませんか?いったいこの部分をどのように解釈しておられますか?
3.>今の状態が、既にsysopの管理できる範囲を大きく超えているのもその理由のひとつです。

という、Wikipediaの基本方針からみて矮小な、到底正当化できない、個人的な労働量の問題を優先されているのではないですか?


管理の仕事量、ユーザーの記事の吟味、これらの「バックオフィス、管理方法」と「Wikiepdia百科事典の記事内容の方針」とは明確に分離して議論されるべきだと思います。

百科事典という体系的なフォーマットを継承しながらも、分量=ボリューム、スタイルは既存の紙製の百科事典にはとらわれない、ということを明記した方針であると、私は考えており、このような付加価値は歓迎されることで、抑制することではないと考えています。--FXST 2006年9月4日 (月) 23:03 (UTC)[返信]

以上のウィキペディアは(既存の百科事典の体系的手法やフォーマットを継承しながら)紙の百科事典ではない、というもっとも重要な、ウィキペディアの新しい付加価値の認識ができていないのは、そもそも排除臭の強い、何でないか?という訳文にあると考えています。この語法による、誤読の弊害はいたるところで議論されていますが、具体的に手を動かす人がいないので、以下の提案をしています。この項目の議論の続きは以下のリンクへ収斂したいのでぜひお願いいたします。

Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは何でないか

  1. 17 そもそもWikipediaは何でないか?という語法が誤解されやすいので改善したい
  2. 18 ウィキペディアは何でないかの翻訳をブラッシュアップします

というところで現在改善案を策定しています。ご参加ください。--FXST 2006年9月7日 (木) 02:10 (UTC)[返信]

リンク先に以下の会話は移動しました。--FXST 2006年9月8日 (金) 06:37 (UTC)[返信]