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Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアの編集者が減少している(ような気がする)

ウィキペディアの編集者が減少している(ような気がする)

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昨年11月には英語版ウィキペディアに関して「Wikipediaボランティア編集者、全体的に減少--WSJ報道」(CNET)という報道もありましたが、最近、日本語版ウィキペディアでも執筆者の減少が目立っているように感じます。

具体的には、ここ「井戸端」での編集回数(サブページ含む)が、最近になって非常に減っています。「井戸端は減ったがポータルやプロジェクトは活発」というわけでもなさそうです。記事編集数は横ばいのようですが、活気があるとは言い難い。

別に私は、編集者倍増キャンペーンをやろうとか新規参加者歓迎会を開こうとか、そういうことをしようという気は全く無いです。しかし、このような閉塞状況を打破する知恵をどなたかお持ちでないかな、と思い井戸端に来た次第です。

私としては、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:礼儀を忘れないを意識・徹底すべきかもしれない(前者を公式方針へ格上げ)と思ったりもします。過去に「初心者苛め」とも取れる行動もしてきた身なので、あまり強く言えた義理ではないのですが、初心者を追い出し続けてきた結果が今なのかなと考えてたりしています(勿論、如何ともし難い阿呆は追い出さざるを得ませんが)。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月3日 (土) 23:25 (UTC)[返信]

私の参加しだした3年前に比較して減っているようないないような。まあご新規さん取り込み、と言う観点で考えてみますと。私ごときがうっかりアカウントを作成してしまったのは、えー、WP内だったか外だったかで見かけた、「アカウントを作るとウォッチリストを使えますよ~便利ですよ~」という甘言であったと記憶しています(笑)。ホイホイついてきちゃいました。よかったのでしょうか。今でも疑問です。
でまあ、1.そもそも参加しようとしない 2.参加しても嫌気が差してすぐやめる と分けてみた場合、1.に関してはJAWPの記事が成長してきた証拠でしょう。私も新規立項する時は、この期に及んでもこの記事が無いとは。これは自分が書かねば永久に無いかもしれない、と言う、よくわからない使命感でしたし。充分に育った百科事典であれば、編集回数が減少していくのは自然ではないのでしょうか。まあ日本民族の誇りにかけて、ENに追いつきたい、と言うのはないでもないかもですけどね(笑)。
2.に関しまして話を移しますと、まあ、私も正直執筆意欲は往時ほどではありません。何故か。何を書いても削除される。すぐに要出典を貼られる。独自研究と言われる。特筆性の無い記事だと言われる。百科事典的ではないのであなたの記述は不要ですと言われる。まあ、まだJAWPのなんたるかがわかっていない訳で、わかった瞬間、こんなはずじゃなかったと絶望するわけです(個人的には現在、より自分に向いたコミュニティを探しております)。ガイドラインや5本の柱は隅々まで熟読し的確に運用するためには数年を要するでしょう。骨子となる部分・・・徹頭徹尾出典を明記する、執筆者の解釈は一文たりとも入れない、百科事典に見合わない記事は不要です、お引き取りください・・・などの点をwelcomeで徹底的に強調する。もしくは、これはお考え方次第ですが、各種ガイドラインを熟読するまで参加しないでくださいと明記する。スクリプトによる各種ガイドライン熟知テスト。70点未満の方は参加をご遠慮ください(あくまで基本的な項目のみにとどめるべきでしょう)。その点、Wikipedia:児童・生徒の方々へは傑作であると思います。簡潔明瞭にまとまっており、大人用として編集し直した物をどデカいフォントで「必ずお読み下さい」と誘導するのは非常に面白そうです。なんだかんだで、参加時の敷居は若干高まりますが、定着率は増すのではないでしょうか。後でツッコむよりは先に言って置いた方がよいでしょう、とまあこういうコトです。
続きまして、「指摘をやんわりと、相手を立てつつ」であります。非常に礼を尽くした、人柄さえも伝わってくる素晴らしいものをお見かけ事もあると同時に、言ってる事は正しいが身も蓋もねえよ!という物も散見されることは事実です。ですが、これを既存の参加者に周知徹底させるのは難しいでしょうね。「そんな暇なことやってられるか!」と言うご意見もごもっともですし。まあしかしながら、JAWPは1割の熟達者と9割の未熟者で回っているのではないか、と考えた場合、その1割の中の、それも現在ツッコミ役に回ってらっしゃる方々・・・何十人か何百人か・・・の中での合意形成は不可能では無さそうです。不可能ではないと言うだけで、非常に困難ですが。あれ、おかしいな。なんか長くなっちゃいました。長文失礼。--Hman 2010年4月4日 (日) 00:41 (UTC)[返信]
  • 個人的にゃ「ref的な物が付いていないこと」を独自研究と短絡して、出典を求めるとか出典がありそうか検証するという手間を惜しんで、というか「分別とその方面に理解のある者には簡単に判断が付くために許容されうる記述」までもを、自身の無知・無理解を理由としていきなり記述除去に走る(んでもって中立的ではなく特筆性も疑わしい記述にref的な物があると平気で放置する)輩が、Wikipedia:ウィキペディアに参加するを見て、知識を無上のものとして善意を持って百科辞典編纂に参加すべくユーザー登録を済ませた利用者に食い付いて追い散らしているように思いますねえ(毒)。
    まあ「余程な記述」をいきなりやらかしている場合には手厳しく注意することも必要だし、ウィキペディアの欠くことのできない要素である中立性を無視して主張・宣伝に走る行為には警告と平行しての記述除去も已む無しだとは思うんだけど、「ref的な物が無いことを独自研究と短絡」した挙句に拙速な記述除去を繰り返すような利用者は、その程度如何では「コミュニティを消耗させる利用者」なんじゃないかなあ。
    個人的にゃ「ref的な物が無いのを独自研究と短絡した挙句に記事に配慮せず記述除去する」ような利用者には、利用者:Dr jimmy会話 / 投稿記録さんの独自研究の除去と残った記述の再構成の取捨選択や匙加減・文章再構築の姿勢を見習ってほしいと思います。とはいえ目に余るような「拙速短絡記述除去」な利用者の会話ページを見ると(あからさまな捨てアカウントを除けば)漏れなく他の利用者からの注意が並んでいながら件の利用者からは自己弁護やWP:5WP:POLどころかWP:NPOVWP:NORWP:Vをすっ飛ばして要出典だけを絶対視する主張が繰り返されてるだけなんで、まあ…ナニなのかなあ…とか(漏電中)。
    いずれにせよ、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:礼儀を忘れないの再認識と尊重を図ることに賛成です…なによりウィキペディアが目指すところは中立的で信頼される百科事典であり、それは「まだまだ様々な分野とそれに関わる多くの人々からの研鑽を必要とする」ように思いますので。--夜飛/ 2010年4月4日 (日) 01:44 (UTC)[返信]
    • いやいや、全く同感であります。ですが要出典問題を語るに当たっては、厳格に適用すればサブカル系、特にアニメ、マンガ、ゲーム系のものは事実上壊滅する、という現実問題を無視することはできません。まあ別にそっち系はJAWPから徹底的に排除するというスタンスでもいいと思います。排除されたらされたで、有志がいつか、別の、それ用の、コミュニティを作るのでしょうから。ダブルスタンダードは話をややこしくします。それによってJAWPが廃れる事があっても、現在がバブルなだけで、本来の姿に戻るだけだ、と見る事もできるでしょう。JAWPはこの世の全ての情報を網羅できるプロジェクトではないのですから。それとも逆にJAWPの方針を改訂するのか。現状維持でごまかし続けるのか。どうするのがよいのでしょうね。礼儀に関しては本当に取り扱いが難しいですね。私個人に向けられた無礼であれば苦笑しながらあーもうしょーがねーなとスルーするだけですが、他人に向けられたそれを目にすると、時折やるせない気持ちになります。--Hman 2010年4月4日 (日) 03:36 (UTC)[返信]
      • 「サブカルチャー系記事は酷いもん」的な側面があるのにはおおむね同意です。特に「作品を見ればそう感じる」というもはやクオリアに立ったかのような記述には。まあ、実際には「サブカルチャー系記事で作品に対する愛好心や批判や揶揄を自分のブログに書くよーな気持ちで書き込み」する(独自研究)のが拙いんであって、それは自身の論説に利する出典を持ってきて書き綴るのも同じ根を持つ中立的でない問題でもあり、もはや要出典に収斂されない部分かと。要出典は、WP:NORやWP:NPOV上で拙い記述を除去するのに便利に使われているナタではありますが、小生が言いたいのは「ナタを振り回してナマハゲのまねをしているお子様(そのナタが届く範囲で記事を壊す)」な問題であり、それはダブルスタンダードとかではなく「モノホンのナタを使ってナマハゲのまねは止めるべき」ということです(漏電中)。拙いケースでは有志が集まって「どれが妥当でどれを外すべきか」とか理知的な話し合いをしている中にナタ振りかざして突入かますかのような利用者までいますからねえ(嘆息)。--夜飛/ 2010年4月4日 (日) 04:08 (UTC)[返信]
        • ええ、結局は運用なんですよね。下でニッタユカさんも紹介されている、アンサイクロペディアの要出典記事にしても、まあこれはハデに脚色された例ではありますが、実際問題、こんな記事を書いては読めたものにならない。書く方も書く方で苦痛極まるのが実際ですし。「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」には出典は不要である、この解釈をどこまで適用するかが、やれ削除主義だ要出典厨だ包摂主義だの境目なのでしょうか?また、Yatobiさん的には、上記リンク先に記述されている「自分の気に入らない記事や記述を、最も確実にwikipediaから取り除ける手段である」が実際的を射ちゃっているのが嘆息の種なのでしょうね。私は要出典を貼ったことは何度かありますが、もちろん削除が前提ではありません。まあこの、Wikipedia:検証可能性にあります「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」、ここに改善の余地があるのかもしれませんね。しかしながら、人気の有る記事では議論も可能ですが、閑散としている記事では議論も不可能、私も先日裏技の項目でコメント依頼を出させて頂いたのですが、コメントにいらっしゃる事の少ないこと、少ないこと。おっと、思いっきり横道に逸れていたい話が、WPの活気の低下と言う本題に戻ってしまいました。という訳で、私如きが井戸端で騒ぐのも、枯れ木も山の賑わいと言うことでご容赦を。--Hman 2010年4月4日 (日) 04:30 (UTC)[返信]
        • コメント 反発を受けそうですが、個人的にはサブカルはイジメた方が良いと思います。WCJ2009の資料を見ても、日本のサブカルは強すぎます。迫害を受ける被害者ではなく、強者です。せめて5割くらいになるように、ルールで縛って白い目で見続ける・監視する必要があると思います。--長島左近 2010年4月4日 (日) 06:47 (UTC)[返信]
          • コメント ポップカルチャーの記事・編集者・閲覧者の割合が多いという統計を読んで、メインカルチャーの記事を充実させようとするのではなく、ポップカルチャーを迫害することでバランスを取ろうと考える発想がまず不思議だなあと思いました。こうした発想の方々が「ルールで縛って白い目で見続ける・監視する」目的で無闇に無意味に無駄なルールを量産した結果が、数は多かれど質の面では育たない日本語版の現状を作った根源なのかなあと読んでいて少し思いました。--Giftlists 2010年4月4日 (日) 07:04 (UTC)[返信]
          • 具体的にどの様な規制が必要とお考えですか?とお伺いしたい所でしたが、このセクションで論じるには些か脱線に過ぎ、不適切な気もします。よって、必要なら後日、セクションを改めてお聞かせ頂きたく思います。--Hman 2010年4月4日 (日) 07:11 (UTC)[返信]
          • コメント サブカル記事への閲覧者を減らす方策として、内部の検索結果やおまかせ表示からの除外、検索よけのタグの貼付や、内部・外部リンクからサブカル記事へのリクエストに対し404を返し2-3秒後に学術的な記事へランダムに飛ばす実装が考えられます。これらを公式な方針として、導入を提案してみてはいかがでしょうか??--4行DA 2010年4月4日 (日) 12:04 (UTC)[返信]
  • 最近、顕著な例がありまして、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:礼儀を忘れないを意に介さない利用者(以下A様)の行動のせいで有益な利用者を失うかもしれないという現場に遭遇しました。今回は幸いにも傷つけられた利用者は戻ってきてくれましたが、このようなA様の行動を看過していると、有益あるいは有益になるであろう利用者を失う確率は低くないと考えています。A様は頑なな傾向にありますので、私のような未熟で不器用な人間にとって、A様との(礼儀をわきまえていないことを自覚していただくための)対話は困難でした。彼らの存在に当問題解決の困難さを感じます。個人的には、そのような対話の繰り返しによっても執筆意欲は減衰していくんだなと感じています。私もどんどん執筆量が減っています。。。乱筆乱文にて。--663h 2010年4月4日 (日) 01:52 (UTC)[返信]
  • GoogleBookができて福音になるかと思ったのですが、結局ほとんど著作権規制されちゃいましたし、googlerとしてはつらいところであります。CINIIももっと無償開放してくれればいいのにせこいんだから(有料公開かんにんやぁ)...。紀要公開も大学が片寄ってるんでもっとオープンにならんかなあ。結局はソースへのアクセス容易度がすべてな気がします。なにか無料のオープンソースないですかね、CINII,google以外で。--大和屋敷 2010年4月4日 (日) 02:17 (UTC)[返信]

失礼なのですが、お話の前提に疑問を感じます。落ち着いたほうがイイと思うのです。まず、「執筆者の減少」という現象が定量的に確認されたのは英語版であって日本語版ではありません。今のところ、研究成果を発表したFelipe Ortegaという方が、「利用者減少」という結論をどのように導き出したのか分かりませんし、その結論の妥当さも検討されていない段階であると認識しています。また、私個人の疑問をいえば、英語版と日本語版では(つとに知られた通り)ユーザ構成(匿名/アカウントの比率)が大きく異なります。この点、「減少」という結論を左右する可能性はが無いのだろうかとすぐに思いました(そういうことにどなたも考えが及ばないのでしょうか?)。

ともあれ、話の前提はいささか不確かであるように思います。「利用者減少」があろうが無かろうが、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:礼儀を忘れないが大事だという点は、共同作業を前提としている限り何時でも変わりません。同時に「勿論、如何ともし難い阿呆は追い出さざるを得ません」というのも同じく。いずれも今さら特に何も新しくないことです(あらためて確認されるのはよいとは思いますが)。「古参ユーザ(が古参だからというだけで)けしからん」という類の、最近良くみる馬鹿らしいヒステリーなど、言うにも及ばず。そのような段階で、衆目を引きやすいスキャンダラスな「利用者減少」というヘッドラインに振り回されても何か有益な議論が出来るとは理解できませんでした。--ikedat76 2010年4月4日 (日) 03:08 (UTC)[返信]

■ ikedat76氏へ。
私の説明不足で誤解をさせてしまったようで申し訳ないです。私の「日本語版編集者減っているのでは?」という考えは「最近、井戸端に人が居ない気がする」という点からの推測であり、CNET及びそれの親記事は「英語版ではこうらしいが、最近は日本語版も…」というのに話を持っていくために出しただけであってjawpの状況を導き出すために引用したわけではありません。「記事を見て、人が減ったのだと知った」のではなく「人が減ったように感じていたら、『減っている』という記事があった」ということです。
Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:礼儀を忘れないを出したのは、どうもベテランによるルーキー苛めが増えているのではないか?という懸念があるためです。やる気がある人にはやらせてあげればいいのであって、やる気が空回りして間違った人が居ても、注意して正しこそすれ(慇懃無礼に)罵倒して追い出すのはどうなんだろう、とか。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月4日 (日) 22:33 (UTC)[返信]
別に私は誤解していないと思います。日本語版の編集者が減っているという見解には根拠がないし、英語版での「減少」という見解にも疑問の余地がある。その上で、不確かな前提からいくら議論をしても、大した意味はない。そのように申し上げています。誤解しているのは、失礼ながら、このサブページで発言されているみなさんではないでしょうか。私はそう思います。--ikedat76 2010年4月9日 (金) 05:10 (UTC)[返信]
Ikedat76さんのおっしゃることもごもっともかもしれません。それならそれで、ラッキースター・キッドさんにおかれましては、後日「新規参入者へのハードルを下げるべきか否か」を骨子とした、新たな議案を提出なされてはいかがでしょうか?仕切り直しと言うことで。--Hman 2010年4月9日 (金) 05:53 (UTC)[返信]
◆みなさんと括られているので、私も含まれているのかもしれませんので一応書いておきます。私は、ある程度記事成長が期待できる最低限の編集者が各分野にいるなら、それ以上の編集者数の増減にはさほど関心がなかったりします。横ばいでなく、減少であろうとも、です。ですので、トータルでどうこう、前年比でどうこうには実際のところ興味がありません。期待される記事成長度に対して編集者が不足していると思う分野(過疎分野)において、全体数で減少に向かっているとする見解(その正否については正直どうでもいいです)およびその原因分析のような情報から、過疎分野での編集者充実に向けた何かを見出せる可能性があるのなら、意味はあると思っているだけです。--NISYAN 2010年4月9日 (金) 14:50 (UTC)[返信]
  • コメント馴れ合いに気づくと冷めてしまう。例えばある古参利用者にはWikipediaに記事があるのだが、その実績は確認できないにも関わらず自著が複数あるだけで削除依頼を免れています。日々特筆性なしとバンバン削除されているのと比べるとなんという特別扱いでしょう。こういう馴れ合いをしているから信頼性も堕ちてまともな執筆者は去っていくのでしょう。とにかく声を出すことが大切だと思います。--60.254.225.127 2010年4月4日 (日) 05:52 (UTC)[返信]
    • ■ 60.254.225.127氏へ。
      すみません。基本的に、私はIPアドレスによる意見投稿を信用していないのです。別に初心者苛めとかそういうのではないのですが、井戸端にいきなり現れる「単発」ユーザは、ブロックされた荒らしの生まれ変わりであることが多いからです(特にイーモバはFXST系でもある)。実際は、「如何ともし難い阿呆」は声が大きいせいで目立っているだけで、真っ当な「単発」も多いことは解っているのですが。私のようにこう直接は言わなくても、そういう風に思っている人は多いのではないかと。
      そういう意味では、初心者を排斥しがちになる原因の一つは、何度も生まれ変わるしつこい荒らしのせいでもありそうな気がします。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月4日 (日) 22:33 (UTC)[返信]

コメント 1) WCJ2009の資料を見ると、一時と比べると編集者は減少しているみたいですね。Wikipedia運営団体、「ボランティア編集者激減」の報道に反論によると、「Wikimedia Foundationは、同財団の統計では、ボランティア編集者の数は2年半前をピークに減少したが、その後は安定していると主張している」という事らしいです。

2) 編集者の減少の原因として、携帯電話の軽視は考えられませんか?Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案#携帯電話ブラウザを見ると、ウィキペディア日本語版は携帯電話から投稿できない?。iPhoneやiPadなどスマートフォン隆盛の流れに乗れていない印象があります。--長島左近 2010年4月4日 (日) 06:23 (UTC)[返信]

あくまでボランティアですから、労働を課されている訳ではなく、編集者の気分によって編集するかどうかが決まります。編集をしていて気分のいいときは編集を続けますが、機嫌を損ねることがあったらそれが手を引く理由になります。不適切な編集をしたときに指導されたことで、編集する気が失せる人もいるでしょう。ノートでの議論、コメント依頼、自分の書いた記事の削除依頼、何度となく繰り返される差し戻し。やる気が削がれる理由はいろいろあります。自分が編集している分野に携わっている他者との相性はかなり重要だと思います。携わる人が他に誰もいない時は管理者さんが出てきたりしますね。まとめると、「いろいろ考えずに編集できてるときは楽しい。逆もまたしかり」ということで。ニュース記事にもあるように、主な参加者が書けそうな(書こうとする意欲の起こる)記事がある程度書き尽くされてるというのもあると思います。打開策は、削除と差し戻しに懸命になりすぎないことでしょうか。--草薙 2010年4月4日 (日) 11:25 (UTC)[返信]

コメント - 記事を書くことで満足な人も居れば、庭を綺麗にして満足な人も居るんですけどねー・・・やっぱり雑草取りが好きな自分は異端かなあ・・・。まあ、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:礼儀を忘れないについては気を付けてはおりますが。--Ba-tai 2010年4月4日 (日) 11:45 (UTC)[返信]

  • こんなテストに大いに引っかかるウィキ職人も多数いらっしゃる様ですが、余暇を楽しむいち手段として、ライトに活動されている方が大多数と見ていいのではないでしょうかね。楽しみつつ世の中に貢献できるなら、こんな素晴らしいことはありません。--Hman 2010年4月4日 (日) 13:44 (UTC)追記。どうでもいいですが、やってみたら-85点でした。--Hman 2010年4月4日 (日) 13:48 (UTC)[返信]

いわゆるZachte統計というのがあります。(既にご存知だったらすみません。)ウィキメディアプロジェクトの成長に関して言語間比較や時系列変化を追うのに便利なものですが、月に5回以上編集があったアカウントの数と、10回以上編集があったアカウントの数なども見ることができます。日本語版のピークは2007年10月から2008年1月ごろで、その頃と今年の2月を比べると100回以上編集するアカウントは17%程度、5回以上編集するアカウントは22%程度減っているようですね。アカウント、IPを区別しない総編集回数も掲載されていますが、そちらも24%ぐらい減っています。3月は数字が出ていないのでわかりませんが、2月は少ないようです。ただ、昨年の2月と比べると今年の2月はまだいい方みたいです。(5回以上編集した人の数同100回以上編集回数

月々の変化が大きいのですが、グラフで見てみると、ここ2年ぐらいは穏やかに縮小していることが伺えます。[1][2][3](2月に非常に激しく落ち込むというパターンも見て取れます。)

ラッキースター・キッドさんが述べていらっしゃる感触とは違うものかも知れませんが、ご参考まで。。 Tomos 2010年4月4日 (日) 16:13 (UTC)[返信]

■ Tomos氏、ありがとうございます。私は、最近の井戸端の活気の無さから、もっと激しく人が減っているかと考えていましたが、減っていることは確かですが思っていたほどではありませんでした。編集回数に関しては特に減少傾向もなさそうですし(変動が大きすぎて、きちんとグラフを描いてみないことにはよく分らないですね)。
単純に、井戸端のような場所で意見を交換しながら百科事典を作っていくような旧来のコミュニティが終わっただけで、人が居なくなっているわけではないのかな、という気もしてきました。考えがまとまらずすみません。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月4日 (日) 22:33 (UTC)[返信]


  • コメント 違う方向を。JAWPの成長/成熟という話をしているかたがいらっしゃったので、その点を中心に統計的な情報ではなく実体験的な情報をベースに。
    気が向いたときに「Wikipedia:画像提供依頼」の保守(依頼ページと対象ページの間での整合性を取るための保守)を行ったりしていますが、「三枚下ろし」(動画があるとベストかもと思いますが、動画って貼れましたっけ?)とか、「上腕三頭筋」(というか筋肉記事は須く)とか、「花火」(打ち上げ以外の花火)とか、読者視点であるといいだろうなと思う画像が結構足りません。 ぜひ三枚に下ろせる人からの投稿が望まれるところです(私には無理です)。
    一つの記事から多数の同ジャンル記事への内部リンクを貼るという機会が時々あったりします。ドラマーの記事へのリンクを貼ろうとしても、日本における業界標準誌の表紙を飾るドラマーの記事がないこともそこそこあり、追悼特集が組まれるような水準の著名人でも出典の明記が貼られていることや寂しい限りの記事ということも少なくありません。
    ある記事からリンクしようと料理記事をいろいろ見たことがありますが、包丁を扱う際の食材を押さえる「猫の手」という表現を説明した記事は(ネコ包丁切る (調理)などに)なさそうでした。「豆腐ステーキ」を説明した記事は「ステーキ」にありますが、「豆腐#調理法」にももっと詳しい形で欲しいと思います。
    ある記事からリンクしようとファッション系記事をいろいろ見たことがありますが、言葉だけよりも画像付きのが判りやすいだろうと思いますし(ある例ない例)、歴史的なところなどを含めて説明が充分とはいえないものもありますし(123の後半部分)、ノート状況を見るに整備できていないのかもと思うものもあります(1)。
    医療分野ではICD-10というものがあり、第5章をen版から定訳が判る極少数のものだけを翻訳してあります。はじめは1章から順にすべて訳そうかと思いましたが、定訳が判らないものがかなり多くて50件程度進んだところで諦め、興味分野だけに限定して翻訳しました。en版では「en:Template:Infobox_Disease」にICD-10やICD-9やMeSHのコードを記す欄があり、そこからコード一覧記事への内部リンクが設けてありますので、コード一覧記事も隣接症候群への案内役として機能しますが、日本語版はそのようなところまで整備できていません。他にもある記事からリンクしようとした医療記事が、作成当時はなかったということもありました(これはそこそこ前のことですが)。
    特定分野においては成長しているように思います。しかし、そうでない分野もかなりあると思います。上に挙げたような分野の大半は私の主活動分野ではないので、分野を横断するようなリンクを貼ろうとして、辿り着いた記事に対して読者視点で「足りない」と思っても、詳しくない分野においてはなかなか加筆が躊躇われる記事ばかりですし、記事自体がないこともそこそこあるように思います。執筆者全体というよりは、執筆者が不足している分野で活動いただける執筆者(画像提供者とかを含みます)がもっと増えてほしいと思っています。そして、そういう分野の記事における執筆者不足の原因は、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいWikipedia:礼儀を忘れないのようなこと以外にもありそうな気がしています。--NISYAN 2010年4月4日 (日) 22:27 (UTC)[返信]
「詳しくない分野においてはなかなか加筆が躊躇われる記事ばかり」←これは他の人についてもあてはまるのでは。要するに、NISYANさんが加筆を躊躇われている記事は、他の人にとっても概ねそうである。それに、ポータルや加筆依頼などを見ない方にとっては、自分が調べてみた項目さえ満足できる程度に書かれていればいいですので、調べない項目が充実していなくても気にはならないと思います。ですから、加筆以前に、「その記事はどれだけの人が検索しているのか」も重要だと思います。それとは別に、仕事が忙しい、別の趣味ができたと言った理由も考えられます。この2つの理由に関しては対策の立てようがないと思われます。--草薙 2010年4月5日 (月) 01:20 (UTC)[返信]
≪これは他の人についてもあてはまるのでは≫について。私のコメントを若干補完すると、例えばファッション分野の記事で言えば「ファッションに疎い私にとって、詳しくない分野であるファッション記事においてはなかなか加筆が躊躇われる記事ばかり」という意味合いの文章であり、ファッションに詳しくない参加者にとっては≪他の人についてもあてはまる≫のだろうと思います。しかしさすがに、「JAWP参加者は全員ファッションに疎い」というわけでもないと私は思っています。果たしてファッション記事に充実していないものがそこそこある原因は「JAWP参加者は全員ファッションに疎い(ので、見ても加筆しない)」「ファッション記事に興味がない(ので、そもそも見ない)」「現状のファッション記事に満足している(ので、見ても加筆しようとしない)」「ファッション記事に関わる人は皆、新規参加者苛めを受けるなどの理由で執筆から離れていく(ので、執筆する人がいなくなる)」などなどの内、果たしてどういう理由なのでしょうか?って話です。ファッション分野を例にしましたが、他の過疎分野についても同様の話です。--NISYAN 2010年4月5日 (月) 17:40 (UTC)[返信]
上に書いた意見ですべての場合を説明できるとは考えていません。それは書いておきますとして、私がその後に書いた「自分が調べる項目さえ十分書かれていればいい」、「(各種依頼などを見ない限り)調べない項目が充実していなくても気にはならない」、「その記事はどれだけの人から検索されているのか」を勘案すればおおよその検討はつきます。全員がその記事について疎かったら立項すらされませんので、それは無いと思います。ただ、あまり検索されないから、参加しようとする人が少ないのかなと思います。流行りの情報が欲しかったら、雑誌や他のサイトの方が適切ですし。ファッションについて詳しい人はあまり調べようとしない気がします。そして、そのもともと少ない検索者の中でも、ファッションについて詳しく、編集者として参加しようとする方が少ない(少しはいるからある程度は加筆される)。ファッションに疎い人がそれを調べるために検索する場合は、もともと詳しい知識を持ち合わせていないからそもそも参加できない。そんなところかなと。そんな中でも少数の項目を重点的に加筆される人がひとりいると、それらの項目については充実します。数学のような専門的知識、文献が必要な分野ですと、もともと参加している方からの風当たりが厳しい場合もあるようです。--草薙 2010年4月8日 (木) 01:23 (UTC)[返信]
ご説明ありがとうございます。充実していないから検索者が少なく、検索者が少ないから編集者となる人も少ない、編集者が少ないから充実しない、つまりは正のスパイラルに入っていないという話なのかなと思います(すべてを説明できるわけでなく、一つの可能性として)。≪そんな中でも少数の項目を重点的に加筆される人がひとりいると、それらの項目については充実します≫というあたりで、過疎分野でそれぞれ、そういう人が現れると嬉しいと思うところです。--NISYAN 2010年4月9日 (金) 14:50 (UTC)[返信]
何故書かないのでしょう。超ライトユーザーである私にあてはめてみますと。私の知識で新規立項が可能なものはまだまだいくらでもあります。ですが、行いません。何故か。スタブ未満。特筆性が無い。独自研究だ。この様に苦言を呈される事が目に見えているからです。この辺りに徹底提起に人事を尽くそうとすれば、準備に少なくとも数か月を要しますし、それでもまだ苦言を呈される可能性を否定できません。利用者ページで「現在執筆中のページ」などを紹介されている方を時々お見かけしますが、まったく頭の下がる思いです。しかしながら、新規立項ごとに何週間も何ヶ月もかけて、完璧に近いものを投稿することが、編集者の義務なのでしょうか。
苦言を呈された私自身が不愉快になると言うことも理由の一つとして否定しませんが、JAWPでそれは許されていないのですから仕方がないです。現に苦言を呈される方が多数いらっしゃる以上、それを尊重せぬ訳にはいかないでしょう。「Wikipedia:編集方針#完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください。」の精神をより尊重する風潮ができれば、新規立項も増えるのではないでしょうか。私としては(もちろん余りに余りな例外は除き)、初稿は不完全で全く構いません。項目がある、それ自体に意義があります。新規立項にはもの凄いエネルギーを必要としますが、不完全なものでもそれが存在すれば、加筆修正は比較的気軽に行えるからです。また、初稿ではてんでアレな記事を多くの人の手によって育てていけるのが「wiki」の良さなのではないかと思っております。これは「活気」にも繋がりますね。削除主義者の方とは真っ向から対立する考えですが。「初心者をいじめない」と同時に「新規立項された不完全な記事をいじめない」事もガイドラインに盛り込む事も、検討されるべきではないのでしょうか。どの時点においてもWPは不完全なものなのですから。・・・・と言った感じで進めていった時に問題となってくるのは、活気が出ると同時に、本当の本当にどうしようもない記事を排除しようと考えた時に、現状よりも格段に面倒になる点なのでしょうね。--Hman 2010年4月5日 (月) 01:58 (UTC)[返信]
コメント 「新規立項ごとに何週間も何ヶ月もかけて、完璧に近いものを投稿することが、編集者の義務なのでしょうか」の件ですが、義務だと思います。
マニアックな項目は加筆修正が行われにくく、嘘や間違いを事実としてウィキペディアが規定し、それが長期にわたって残る可能性があります。またウィキペディアをもとに、書籍や雑誌を書いてしまう慌て者も居ます。
ウィキペディアは社会に対して、それなりに影響力を持っています。調べて書くことを期待されています。あやふやな理解で、尤もらしい記事を書くのは危険です。--長島左近 2010年4月5日 (月) 05:15 (UTC)[返信]
はい。と言った長島左近さんの様なスタンスをもたれる方が、少なくとも発言の多い、一定レベル以上に熟達したJAWPdianの中では大きな勢力を占めていると言うことは、存じ上げております。というか、最近強く存じ上げました(お暇でしたら私の会話ページをご覧ください)。しかしそれが義務であるとする風潮を継続するのであれば、気軽な編集は行いにくくなるでしょう。単にハードルの上げ下げの問題なのでしょうけどね。JAWPの影響力については私も存じ上げておりますが、実情に比べて影響力を持ちすぎなんじゃねえ?と危惧しております。先日某新聞の記事で「JAWPでも・・・・・とされている」などとまるで事実の様に書かれており、びっくりして苦情のメールを送ったくらいです。実情に詳しくない一般の方が、過度にWPを信用してしまいかねません。
まあ私のこれまでの論は「なにがなんでもJAWPを活性化させる」論を、まずは大胆にぶちまけただけであります。しかしながら、もし長島左近さんの論に代表される現状維持スタイルで活性化させようとした場合、なかなか現実的な案が思いつかないのもまた、事実なのであります。もちろん、活気など現状維持でいい。むしろサブカルを排除して更に少数精鋭になった方がいい。そういう考え方も大いにあるでしょうし、否定する気は全くありません。まあ井戸端で論をぶちまける分には自由と言うことで、私のバカな話も、笑って流して頂けましたらな、と思います。--Hman 2010年4月5日 (月) 05:44 (UTC)[返信]
コメント 会話ページを拝見させていただきました。なるほど、Hmanさんはご苦労されているのですね。お疲れ様です。
活性化というお気持ちは分かりますし、色々とお考えのようです。
しかしあえて申し上げるなら、失礼ながらもう少しご自身の活動を工夫されたら良いのではと思います。例えば新規項目を立てる前に、誰かに下書きを見せて意見を聞いてみたら、無用の混乱は避けられるのではないでしょうか。
Hmanさんの問題は、コミュニティ全体の問題というよりは、Hmanさんがご自身で解決出来る問題だと思います。ウィキストレスが溜まると思いますが、そこは何とか乗り越えて頂けるようにお願いします。--長島左近 2010年4月5日 (月) 10:13 (UTC)[返信]
コメント 「新規立項ごとに何週間も何ヶ月もかけて、完璧に近いものを投稿することが、編集者の義務なのでしょうか」の件ですが、私は義務ではないと思っています。日本語版では蔑まれたり否定されがちなのは同感ですが。初稿はスタブで、そこから時間をかけてちまちまちまちまと一人で成長させていく手法も、複数の執筆者で出典を持ち寄って形にしていく手法も、私はあっていいと思いますしWikipediaのシステムはそうしたものを否定していないとも思っています(育てる気のないスタブだけ大量生産というパターンは別ですが)。私も過去に一度発売前のゲームソフト初稿スタブを書いたことがありますが、そこから発売までの半年間に大勢の加筆が積み重なって一つの記事としてできあがっていく流れは、参加していてとても楽しかったです。個人個人は小さな手間でちまちま大勢で加筆するというスタイルは兎角嫌われがちですが、記事として完成するとそれなりに達成感がありますし、参加者の裾野を広げる意味でも初心者さんの最初の一歩としても記事の充実をはかる意味でもWikipediaの活性化の意味でも、「初稿にがっつり書くのが義務」として切捨ててしまうのは惜しいのではないかなあと思います。--Giftlists 2010年4月5日 (月) 15:43 (UTC)[返信]
コメント 「新規立項ごとに何週間も何ヶ月もかけて、完璧に近いものを投稿することが、編集者の義務なのでしょうか」について。私は上で「ICD-10の5章の翻訳」を挙げていることからも判るように、必ずしもそうとは考えていません。とくにICD-10のケースでは、ICD-10の1章まるまるを翻訳できる人はそうそういないだろうと思っていますので(隣接症候群一通りの定訳が判っていないと変な翻訳になってしまう、という意味です)、そういうタイプの記事(主に一覧記事)においては共同作業でしか完成に至ることはできなそうだと思っています。とはいえ、新規投稿の段階で、その記事をどのような記事に成長させたいと考えているかは、初稿で示してほしいかなと思います。私が最近投稿した新規立項記事にも{{節stub}}が入っていますが、少なくともその節にどのようなことを書いてほしいかは、他の節を見れば判るように示しているつもりです。--NISYAN 2010年4月5日 (月) 17:40 (UTC)[返信]
■ 「新規立項ごとに~」の件に関しては、あまり初版から完全を求めるのもウィキペディアらしくないし、そもそもwikiに馴染まないでしょう。初版からの完全を求めたければ余所でやればよいのだし。
また、極一部ですが「初版からそれなりの記事を書く人」が「あまり出来は良くない初版を書いた人」を責めているのを見かけます。その人は「記事を書く人が一番偉い」とでも思っているようで、私は呆れていますが(一番偉いのは「閲覧者」)。初版完璧主義は、個々人で勝手に思っている分には構わないと思いますが、押しつけは新規ユーザが寄り付かない原因になりますよ。
新規参加者減少のデータはTomos氏が示して下さったし、個人的には、もうウィキペディアもある種の少子高齢化社会になったのだろうと思いました。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月5日 (月) 22:27 (UTC)[返信]
  • 長島左近さん。私ごとき泡沫編集者にわざわざ時間を割いて頂いた上に貴重なアドバイスを頂き、恐れ入ります。編集の方は実質ほぼブレイク中でして、ヒマを見て過去ログを読んでみたり、論争を追いかけてみたりで、現在においてはJAWPでの風潮、暗黙の了解の類を理解することに努めております次第です(私如きが井戸端に参加しておりますのもその一環、という意味もあります)。執筆を再開することになるのか、立ち去る事になるのか、結論を出せる様になるのはまだまだ先でしょうね。--Hman 2010年4月6日 (火) 00:09 (UTC)[返信]
  • Giftlistsさん、NISIYANさん。私が如き泡沫ユーザーでも良く(一方的に)お目にかかる方々がその様な寛容なお考えをもたれている事を、立場上嬉しく思ってしまうことを隠すことはできません。私は何分皆様より編集回数自体が少ないのでその経験は数えるほどですが、自身が初稿を投稿した、あるいは大規模な加筆を行った部分が育っていくのをニマニマ眺める(笑)につけ、新たな執筆意欲が湧いてくる事は確かにあります。JAWPの百科事典作りの精神からは若干逸脱するのかもしれませんが、大多数の編集者にとってはやはり「趣味」でしょうからね。「ICD-10の5章の翻訳」につきましては、まったくごもっともで、かみ砕けば「俺はここまでやった。誰か協力してくれ!」と言うことなのでしょうね。一人でやっていては、何四半期かかるか確かにわかりません。専門的な翻訳ができるほど英語に堪能ではない私ですが、日本語としての質を保ちつつの翻訳は難しい面もあるのでしょうね。やはりお二方から見ても、現在のJAWPの新規立項に対する姿勢は、「ハードルが高い」勢力が強いと見えるのでしょうか。
  • ラッキースター・キッドさん。「一番偉いのは閲覧者」。おもしろいですね。確かに指針やガイドラインの多くは、閲覧者に対してよりよい記事を提供するためにあります。編集者はサービス業ですか(笑)。少子高齢化と言うのも面白い言い回しですね。しかしながらハードルを下げた場合、長島左近さんの懸念も全くごもっともな事で、例えば{{Stub}}に「あまりアテにしないでください」意味をより強力に持たせるなりで、閲覧者(特にあまりインターネットに慣れていらっしゃらない方)に誤解を与えない様に配慮する、などの処置が必要かもしれません。--Hman 2010年4月6日 (火) 00:09 (UTC)[返信]
以上、可読性に配慮して纏めさせて頂いた失礼をお許し頂きたく思います(まとめない方がマシだった、と感じられましたら是非とも会話ページでご指南ください。極力善処させて頂きます)。--Hman 2010年4月6日 (火) 00:09 (UTC)[返信]
僕も初版から完璧な記事であるべきとは思わないですが、それはその記事が成長していくという期待が持てる時に限ると考えています。その項目が著名ではない場合は、編集者も少なく不完全な記事が存在し続けることなるからです。おそらく、それを防ぐための仕組みが「特筆性」なのだと思うのですが、あまり機能していないように思えます。実際にWikipedia:特筆性を読んでみると、「信頼できる情報源から言及されている」ことで特筆性を満たすというような記述があります。ならば、初版や発展途上の記事においても、情報源を明らかにする努力は必要であると思います。--有足魚 2010年4月6日 (火) 15:54 (UTC)[返信]
多少うがった言い方になりますが、人気の有る記事であれば、苦情を呈される前に加筆が入るのかもしれませんね。現に私のマイナーな駄記事が放置されているのを見るにつけ、いたずらにハードルを下げることにも危険を感じてしまう。これもまた事実です。しかしながら「努力目標」であるのか「義務」であるのか。これに関しては、今後いたずらに(時として不毛な)議論が発生しないように、いずれJAWP内で明確な指針ができるのであれば、その方がいいと思っております。とかく初心者は・・・当たり前ですが・・・迷い勝ちですので。--Hman 2010年4月8日 (木) 02:28 (UTC)[返信]
まだリンクがないようでしたので、ウォールストリートの記事に対する財団ブログでのコメントです。数字の取り方が良く分からない、みたいなコメントがされています。
投稿者の減少という点については、蓄積型のプロジェクトですから、充実するにつれて少しづつですが、誰もが簡単に投稿できる部分は減っていきますから、その部分で敷居が高くなる、という事あるのかなと思います。例えば画像の追加ですが、昔は検索すればFlickrなどにいくらでも利用可能ないい画像が発見できました。しかし今は逆に、検索してみると、利用可能な画像はすでにコモンズにアップされていて記事の中に組み込まれている、つまり先を越されてる、という状況が増えてきた、と感じます。井戸端が落ち着いてる点については、基本的な部分である程度の共通認識が出来つつある為ではないかな、と思います。〇〇は是か非か?みたいな論争的なテーマは、聞かないでもどんな答えが返ってくるか大体分かるよ、みたいな感じになって落ち着きつつあるんじゃないかな、と思います。--Was a bee 2010年4月6日 (火) 12:47 (UTC)[返信]
たしかに人口が多い(=利用者も相対的に多い?)地域にある記事は比較的充実していると思いますが、人口が少ない地域にある記事は未だ充実していないと思いますよ。役場の写真がない記事があったりしますし。--多摩に暇人 2010年4月6日 (火) 12:59 (UTC)[返信]
海外の地理や人名なんかも、まだまだ少ないですね。書きにくいところや、縁の遠い所がやはりまだまだ残ってます。--Was a bee 2010年4月6日 (火) 13:59 (UTC)[返信]
■ >Was a bee氏
「「基本的な部分である程度の共通認識が出来つつある」から井戸端が静か」というご意見、確かにそれはあり得るなと思いました。しかし、これは行き過ぎるとムラ社会化してしまう危険性がありますね。
ウィキペディアには、何も知らない人から見れば怪奇としか思えない風習もあるかと思いますが(私はもう長く居すぎているので自己判断できません)、それらの風習に馴染んでいない方々を蹴り出さないよう、相互に監視(大袈裟過ぎるか)して注意すべきだと思いました。とはいえ、何度優しく指摘してもルールを全く理解しようとしなかった、かのアスキー西氏へのような方に延々と付き合うのを強制するのもどうかと思いますが。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年4月8日 (木) 22:35 (UTC)[返信]

私の価値観は、「無=0点、独自研究=30点、間違いの含まれた記事=70点、個人攻撃=-50点」です。これが浸透すれば、Wikipediaは盛り上がると思います。--ニッタユカ 2010年4月11日 (日) 03:44 (UTC)[返信]

私も過去、数ページの立ち上げをしましたが、特筆性やら宣伝のテンプレートを、毎日貼り付けて回っているのを生きがいにしているような人に当たってしまって、しばらく論議もしてみましたが、酷い論理で、ほとほと疲れましたね。これは既存の記事やページを破壊する方に回ったほうが楽しいだろうなと思いましたよ。実際、既存のページをごっそり削除してしまうような荒らしもあるようですが、あまりにも厳しくすると、そんなに気に食わないなら全部消してしまえと、該当の項目を全部けしてしまうような輩もいるようで、まあ気持ちは判ります。テンプレを張って回っている人は、モグラ叩きでもやっているつもりなんでしょうが、杓子上記に解釈せずに、校正に残しておくのに相応しいデーターなのか、その辺を考えて欲しいですね。とかく日本社会ではマスコミも民衆も、事なかれ主義で叩いて回るのが善行とされている感じなので、日本らしいといえばそれまでですが・・・・--メルビル 2010年4月16日 (金) 02:01 (UTC)[返信]
だからといって、Wikipedia:ソウル市知識共有プロジェクトのようにWPにアップしたら抽選で賞品をやってまで編集者を増やそうと言うことまではしないほうがよいでしょう。後始末(校正、一部に市の政策宣伝が含まれていたため削除)が大変でした。編集者の増加にはつながっていません。「WP劣等生大韓民国、ネチズンとソウル市が(WP韓国語版を)充実させます」などと韓国優越主義とも取れるようなソウル市による宣伝も含まれていました。--hyolee2/H.L.LEE 2010年4月17日 (土) 01:03 (UTC)[返信]
初版は完璧に近いものでなければならないとお考えの人に対する意見として、鉛筆の初版を挙げておきます。立ち上げる記事のジャンルによっては、「特筆性」だの「宣伝」だの言われますので、立てる前にその辺も考慮した方が良いとは思います(概念や法則、物質そのもの以外で、商業が絡む項目は特に)。--草薙 2010年4月17日 (土) 06:39 (UTC)[返信]
いやあ、これは、現在でしたら半日で複数のテンプレートが貼られてそうですね。SDもあり得るかも。いやまあさすがにコトが鉛筆ですので、そんなことをしている暇があれば加筆を試みる人が大多数と思いますが・・・・・・。ざっと履歴を漁ってみましたが、どんどん記事が成長していく様子を見るにつけ、編集に関わった皆様も、充実した時を過ごされたであろうと想像できます。私もこれが楽しくてJAWPに関わり始めたのですが・・・。しかし当時と今とでは状況が違います。社会におけるJAWPの影響力の強さ、これがもう桁違いでして、更にコミュニティが肥大してくれば当然、厳密なガイドラインによって行動を律していかねばプロジェクトは崩壊しますし、初版完璧論者の方々のご意見も逐一ごもっともだと思う次第なのであります。私の様な、享楽、趣味を動機として参加している者は、そろそろ、崇高な目的をもってプロジェクトを進行させようとしている方々に、襷を渡す時期なのかもしれないな、と、ちょっと感傷的になってみました。--Hman 2010年4月17日 (土) 07:50 (UTC)[返信]
鉛筆の件をみても、wikiは皆で作る百科事典・・・という点でも、新しい記事は少し成長するまで半年程度の猶予期間が欲しいですね。暫くしても誰も加筆せず完成度の低いままのページは、そりゃ特筆性なりなんなりで削除の対象に成って当然かと思いますが。--メルビル 2010年4月17日 (土) 11:54 (UTC)[返信]

コメント英語版ウィキペディアの様に、日本語版ウィキペディアの 執筆者の減少がしており、その閉塞状況を打破するというのであれば、記事(Wikipediaボランティア編集者、全体的に減少--WSJ報道)にある減少理由が参考になるでしょう。記事では減少理由として「多くのテーマがすでに記述されてしまっている」ことと「様々なテーマにおける議論が負担になっている」ことが挙げられています。 まずは「様々なテーマにおける議論が負担になっている」件についてですが、これは議論が起きる可能性を減らすのが良いでしょう。ウィキペディアで記事を執筆する上で起きる議論は、大雑把に分けると以下の様になるかと思います。

  1. 誰かが作成した記事が、独立したページとして存在するべきか否か。
  2. 誰かが執筆した信頼できる情報源に基づいた記述が、そのページに必要か否か。
  3. 誰かが執筆した信頼できる情報源に基づいた記述が、その情報源の的確な要約であるか否か。
  4. 誰かが執筆した情報源に基づいた記述について、その情報源が信頼できる情報源か否か。
  5. 誰かが執筆した情報源が不明な記述について、その記述が必要であるか否か。

1.に関してはいわゆる「特筆性」の問題ですが、ページが存在すべきと考える人が客観的な根拠(対象とは無関係な信頼できる二次情報源から有意な言及)を示せる場合は良いですがそうでは無い場合も多いです。また、そのような場合に分野ごとの特筆性のガイドラインが定まっていればいいですが、現状では未整備なものが多く、そのページ毎に(将来作られるであろう分野ごとの特筆性のガイドラインを想定して)特筆性を検討しなければならず、議論が発生するのもいたしかたない所があります。 2.に関しては「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」での「6.あらゆる細部に至るまですべて包括する詳細な解説」の問題ですが、何をもって「細部ではない解説」と判断するかは「過剰な内容の整理」の「運用基準の制定」のように基準を設けられればいいのですが、現状ではページ毎に合意するしかない状態であり、議論が発生するのもいたしかたない所があります。 3.に関しては、ウィキペディアにおいて最も創造的な作業に関することであり、また執筆者がその個性を発揮する部分であるため、議論が発生するのもいたしかたない所があります。 4.に関しては、例えば「信頼できる情報源」の「大衆文化やフィクション」にあるとおり、何が信頼できる情報源であるかは記述する分野によって異なる場合もあり、その範囲をどうするかに関して、議論が発生するのもいたしかたない所があります。

そうなると「5.誰かが執筆した情報源が不明な記述について、その記述が必要であるか否か」に関して対策を考えるのが一番効率的でしょう。そもそもこの場合の議論では「情報源が在ることを証明できないまま、記述を残すべきと主張する執筆者」と「情報源が無いことを証明できないまま、記述を除去すべきと主張する執筆者」の論戦となり、どちらも客観的な根拠の無いまま主観を主張するばかりで水掛け論が続くため、大変疲弊する議論となります。そのため、この議論を減らすことができれば、議論が負担になっている人にとって多大な利益があるでしょう。

この場合、議論を減らすには「情報源が在ることを証明できないまま、記述を残すべきと主張する執筆者」と「情報源が無いことを証明できないまま、記述を除去すべきと主張する執筆者」のどちらかが有利になるようにすれば良いでしょう。まず「情報源が在ることを証明できないまま、記述を残すべきと主張する執筆者」を有利する場合は「情報源が不明な記述でも除去してはいけない」というようにするのが良いでしょう。しかしこれをすると「独自研究」である記載があった場合でも編集が行えなくなってしまい、ウィキペディアの方針と著しく矛盾してしまいます。そのため「情報源が無いことを証明できないまま、記述を除去すべきと主張する執筆者」を有利になるようにするのが良いでしょう。

「情報源が無いことを証明できないまま、記述を除去すべきと主張する執筆者」を有利にするのは「情報源が不明な記述は除去しなければいけない」とすることが考えられます。しかしこれをすると、将来出典がつくかもしれないk書き換え書き掛けの記述が削除されてしまい「編集方針」の「完璧でなくてもよいのです。編集を楽しんでください」という方針に反することになります。そのため「情報源が不明な記述は除去されても文句は言えない」とすれば良いでしょう。もっともこれは「検証可能性」の「情報源が明らかでない内容は、異議を述べて取り除くことができます」にあるとおり、ウィキペディアの基本的な方針です。

もちろん、現在の各記事では情報源が不明な記述は多いため、「情報源が不明な記述は除去されても文句は言えない」とすると、内容が大きく除去されてしまうページが多発するかもしれません。しかしながら幸いにも、減少理由のもうひとつは「多くのテーマがすでに記述されてしまっている」ことであり、同時にこの問題が解決するため、一石二鳥です。

ぜひ「情報源が不明な記述は除去されても文句は言えない」という風潮を広めましょう。220.218.55.58 2010年4月24日 (土) 23:51 (UTC) 一部修正220.218.55.58 2010年4月24日 (土) 23:58 (UTC)[返信]

コメント今年に入って編集に参加した立場からコメントしますと、やはり新規参加者へのベテランからの不当な扱いに問題があると思います。犯罪性もなく、著作権違反でもなく、プライバシーを侵しているのでも無い編集を速攻で差し戻し、会話ではヘルプをよんで出直して来い(本人自身が手順を守れと複数から批判されている)、ノートでは主観的理由だけ上げ、それに疑問を呈すると再三再四、不誠実な対応をし、最後にはまったく最初と全く違う理由を挙げるなど相手を散々疲れさすベテランにも遭遇しました。まあ、本人は熱心な編集者なので悪気はないと今は思っています。 その他は問題のある編集内容があり、例えば総理夫人の項目などは、「賢妻」と書かれていると訂正され、ある夫人などは「女郎屋出身」とか、「無学」とか故人とはいえプライバシーを全く配慮していない記事に遭遇すると、事典自体の信頼性に疑問が生じ、それに参加する意欲が失われます。中立の立場で節度ある対応と編集を続けないと、良質の編集者が減り、ある特定の思想をもった編集者しか残らない可能性もあると個人的には思います。精力的に総理夫人をけなすIP編集者の一人は北京のIPでした。--Kumasun2 2010年5月7日 (金) 00:05 (UTC)[返信]

ネット弁慶が、投稿を差し戻したり、ブロックしたり、論破を目的として論争を吹っかける事が多いです。ウィキペディアを論破ゲームと勘違いしてるんでしょうか。他の編集者に対して優位に立ちたいだけ、あるいは、無意味に意識が高くウィキペディア参加の敷居を上げたいだけの利用者が目立ちます。意識高い系で、自身の感情に尤もらしい論理を後付けして行動する人間はウィキペディアの発展を阻害し有害です。--124.18.174.213 2013年12月7日 (土) 09:11 (UTC)[返信]