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Wikipedia:井戸端/subj/「Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす」は正式なガイドラインなのか?

「Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす」は正式なガイドラインなのか?

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前々から疑問におもっていたのですが、ちょうど前項で話題になりましたので提起いたします。この項目は2004年1月28日(水)09:50に Kozawaさんによって起筆されたものであり[1]、2006年3月15日(水)21:56にHermeneusさんにより突然「guidline」テンプレートが導入され[2]そのまま何とはなしに発展してきたという経緯のようですが。Wikipedia創成期はガイドライン作成がかなり促成的(おおざっぱ)であったという事情はなんとなく知っているのですが、どうもこの指針そのものが日本オリジンのようで英語版にもないような気がしているのですけれども(探した限りでは見つけられなかった--わたくしの語学力では!--)。経緯をご存知の方おられましたら情報提供をお願いしたいです。よろしくお願いいたします。--大和屋敷 2010年4月15日 (木) 07:50 (UTC)[返信]

英語版で多重投稿がまずい理由が書いているのは en:Help:Show preview あたりでしょうね。そちらにもある通り、履歴が見やすいとチェックするとき助かります。--Su-no-G 2010年4月15日 (木) 08:15 (UTC)[返信]
コメント 井戸端よりも、Wikipedia‐ノート:同じ記事への連続投稿を減らすあたりで質問・提起されるべき問題だと思われますので、そちらをご利用ください。--青子守歌会話/履歴 2010年4月15日 (木) 09:08 (UTC)[返信]
Su-no-Gさまありがとう御座います。多言語リンク作成しました。--大和屋敷 2010年4月15日 (木) 10:08 (UTC)青子守歌さま、内容の改善提案等ではなく純粋な情報蒐集ですのでなるべく「広い場所」でお願いたいのでよろしくお願いいたします。英語版の最初の履歴はbotがメタウィキからコピーしてきたこの版[3]なのですが、作成日時が(22:45, 24 November 2005)、そしてbotが元だと主張するメタウィキの最初の版[4]で作成日時が(09:22, 17 November 2005)でHelp:Show previewからコピーしてきたと主張しており、履歴上の循環証明になってしまっています(履歴の断絶)。なお日本語版は2004年1月28日(水)09:50版が最古[5]でして、英語版の断絶した履歴の基点より古い状態にあります。--大和屋敷 2010年4月15日 (木) 10:08 (UTC)[返信]
え、言語間リンク張ったんですか。空間が対応していないんですが、大丈夫でしょうか? --Su-no-G 2010年4月15日 (木) 13:35 (UTC)[返信]
◆英語版由来でなければ「正式なガイドライン」にできない、ということはないと思いますが…。
とりあえず履歴としては、[WikiEN-l]のTue Feb 10 08:26:29 UTC 2004[6]や、Sat Feb 21 10:36:05 UTC 2004[7]の後、Wikipedia:Show preview[8] の初版「03:54, 27 February 2004 Angela」[9]が出来たようです。その後、01:52, 25 November 2005 Uncle G[10]でHelp:Show previewとの重複が削られ、 07:08, 2 June 2006 Gareth Aus[11]でリダイレクトになりました。両文書の関係やリダイレクト化についての議論の場所は、すぐには見つかりませんでした。--Ks aka 98 2010年4月15日 (木) 14:05 (UTC)[返信]
(Su-no-Gさま)問題ありますかね(ワカラン・・・)オランダ語版ほか数カ国語版も英語版と空間対応していないようです。(Ks aka 98さま)助かりますです<(_ _)> En版の最初期にくらべても日本語版のほうが先行している可能性あるんですね。すばらしい--大和屋敷 2010年4月15日 (木) 15:33 (UTC)[返信]
コメント 最近、Wikipedia‐ノート:同じ記事への連続投稿を減らす#考慮すべきガイドラインからはずすことについてにて議論され、考慮すべきガイドラインを維持すると合意がなされたようですから、別に設立状況とかは今は関係ないのかな、とは思います。--iwaim 2010年4月15日 (木) 16:39 (UTC)[返信]
(iwaimさん)ありがとうございます。ガイドライン創設の発端がWikipedia草創期に特有な'神話的'なものによるものであっても(合意ではなく)、つねに利用者によって議論提起され活性化され、追認されていく過程によって有効に機能している(経験主義的見地)、という認識で宜しいのでしょうかネ。(対象ノートでWas a beeさんが問題提起したこの視点[12]についてはまだ回収されていないようでした)。--大和屋敷 2010年4月15日 (木) 17:44 (UTC)[返信]