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Wikipedia:井戸端/subj/「個人攻撃」という用語

「個人攻撃」という用語について

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ウィキペディア日本語版では、「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎいるように思えます。

まずは、次のリンク先の内容をごらんになってください:

個人攻撃がなぜいけないのかといえば、なによりも、「~~~という主張は間違っている。なぜなら、それを主張している人は×××だからだ」[1]という、論理的には誤った論法だからなのだと思います。むろん、それが人を精神的に傷つけるからという側面もありますが、まずはとにかく、それは論理的に間違っている、ということがポイントです。

相手が理解できない主張を繰り返しているのならば「理解できない主張である」といえばよいのですし、嫌がらせを受けているのならば「嫌がらせを受けている」といえばよいのです。しかし、理解できない主張を繰り返すことや嫌がらせは、個人攻撃とは、別の概念だと思います。

さらに、論理的には誤った論法だとしても、一定の場合には合理的で説得力を持つ根拠となることはありえます。例えば、記事のある記述が学界における通説的な見解と異なっているという場合に、「その記述は疑わしい。なぜなら出典とされている書籍の著者は、異なる専門分野の人であって、別の論点においてだがこの分野における知識の欠如を○○○で批判されている」といった主張には、ある程度の説得力があるでしょう[2]

結局のところ、非難されるべき個人攻撃とは、

  1. まず「~~~という主張は間違っている。なぜなら、それを主張している人は×××だからだ」という論理的には誤った論法であり
  2. かつ、議論の主題に関して合理的・説得的な根拠を提供できず
  3. さらに、それが人を精神的に傷つけたり、萎縮させたりする

という場合ではないかと思います[3]

また、2と3は比較考量にのり、わずかながら説得力はあるがそれが生み出す萎縮効果とはつりあわないとか、たしかに人を傷つける可能性は否定できないがそれが生み出す説得力は絶大であるので許容されるべきである、ということもあるように思います[4]

私は以上のように考えており、ウィキペディア日本語版では「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎいるように思いますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

  1. ^ 「×××」には人種や性別などが入ります。
  2. ^ とくに、「したがって、学界の通説的な見解を先に紹介し、その人物の主張は、「○○は~~と述べる」と補足するに留めるべきだ」とつながるならば。
  3. ^ 概念的には、2と3の要件を満たさずとも「個人攻撃」になりますが、それは非難されるべきことを必ずしも意味せず、たんに論法の分類という衒学的な趣味に貢献する概念に過ぎないでしょう。
  4. ^ 後者の例としては、誰かが虚偽の出典を今まで何度も示してきた場合、ということがありえるでしょう。

--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 01:28 (UTC)--修正:mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC)[返信]

同意です。そういえば、記事に関わる上で求められる知識や情報を整理する能力に欠けると考えられる人物に、「あなたは能力が足りないので記事に関わらないでほしい(かなり要約)」と幾つかの該当人物が行った編集内容を例に挙げ申し上げた際に、その相手が「人格攻撃」だと主張して発奮されちゃったことが…(類似例+1)。一歩間違うと「個人攻撃だ」と主張することは「対話拒否」の言い換え語なんじゃないかと感じることがあります。というか、他者からの指摘が理解できなかったから「根拠の無い中傷」だとみなしているんじゃなかろーか?とも(良くない方向に漏電中)。その一方で、自分の考えをまとめて表現できない方が、記事が非NPOVないし独自研究だと主張して手を入れたがっている際に、「では具体的に何処がそうなのか」や「何処をどうするつもりなのか」と幾ら問い質しても要領を得ない回答しか帰ってこない(結果、当人の主観で気に入らない記述が除去されたり主張レベルの雑記が放り込まれたりする)なんてのも…似たような気分に襲われることが。妥当性も無いのに個人攻撃だとみなすことはWP:POINT案件の一種かもしれませんね。--夜飛/ 2008年10月5日 (日) 03:23 (UTC)[返信]
コメント、ありがとうございます。「人格攻撃」もまたやっかいな言葉ですね。
コメントを受けて考えましたが、やはり、根拠があるのかどうか、というのが重要な点ではないかと思います。ある人に対する評価に根拠があり、またその評価が主題に関する主張・意見・要請の根拠となるという、いわば二段階の根拠によって最終的に説得力を生み出すならば、(それによって人が傷つけられたり、萎縮したりという効果と比較考量した上で)人に対する批判ないしは人に対する否定的評価の表明も許される、と考えるべきではないかと思います。そうでなくては、投稿ブロック依頼など提出しようがありません。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC)[返信]
Wikipediaでの個人攻撃であれば。 個人的には、関係あるのは記事であって、それを書いた人物ではありませんという一文を強く意識しています。たとえば夜飛さんの「あなたは能力が足りないので記事に関わらないで欲しい」というのは「あなたの投稿した記事の内容を見る限り、もう少し予備知識を持って欲しい」と言い換える事もできます。 すると「投稿内容の何が問題か」というのが必然になります。 相手が確信犯(犯という文字は、何かアレですが)であれば説明したほうがモアベターでしょう。 そう意識すると「書いた人」なんていう意識が薄れていきます。 私もやはり「根拠」というのは重要なことであると思います。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年10月6日 (月) 15:52 (UTC)[返信]
でも複数の記事にまたがった問題を取り上げるとどうしても人依存になるのではないだろうか。「打たれ弱い人」が多すぎな気もしないでもない。打たれ強いやつも相当人数いて、その幾人かは荒らしと化しているので、それはそれで困り者なのですが。--Goki 2008年10月8日 (水) 05:46 (UTC)[返信]
あ、思い出しました。昔、他人(未成年者)に相当きついコメントをしておきながら、自分に対する批判については個人攻撃だの何だのといっていたユーザがいましたっけ…。--Goki 2008年10月8日 (水) 05:49 (UTC)[返信]
"Personal attack"を人格攻撃とか人間性への攻撃と日本語でいえば誤解しないものを「個人攻撃」と訳したので誤解する人が大勢いるだけだと考えます。日本語版固有のミスリードだと考えます。--あら金 2008年10月8日 (水) 11:15 (UTC)[返信]
個人攻撃に関連してですが、まずは「礼儀を忘れない」ということが重要であると思います。「あなたは…」というのは投稿者に対する批評にしか見えませんし、攻撃的な印象を相手に与えてしまうでしょうから、具体的な投稿内容を明確に示して「この部分の記述に問題があるのではありませんか」と述べた方が、前向きな対話が図れるし、無用のトラブルを避けられるのではありませんかね。--Folivora 2008年10月9日 (木) 14:54 (UTC)[返信]
Folivoraさんのおっしゃる「投稿内容」とは、ノートなどへの投稿、例えば礼儀を失したノートへの投稿なども含むのでしょうか?
また、私の議題提出は、「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎているように思うというものであって、いわば「個人攻撃」という用語を安易に使うことによるトラブルを避けようという趣旨を含んでいるつもりですが、その点についてはどうお考えになるか、お聞かせ願えれば幸いです。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月9日 (木) 15:43 (UTC)[返信]
私が投稿内容と申し上げたのは「記事」そのもののことですよ。我々はよい記事を作るという共通の目的を持っている訳ですからね。そのうえで記事の内容についてどのような記述が適切かをノートで議論していく訳ですが、やはりそこは「行動についての公式な方針」にある通り「礼儀を忘れない」ということが重要であると、私はそのように思う訳です。なのでノートに礼儀を失した投稿があれば、それが「個人攻撃」かどうかはさておき、無用のトラブルの原因になるので好ましく無いし、「あなたは…」といった投稿者に対する批評は行わず、記事に書いた内容について問題点を指摘してより望ましいと思われる対案を示すことが適切なのではないかと思う訳です。先ずは、そこからスタートしないと、相手は記事への編集でなく、自分の人格が否定されたと受け取ってしまっている訳ですから、「個人攻撃」という言葉を使わなくても結局はトラブルになってしまうのではないかと、そのような趣旨で申し上げている次第です。--Folivora 2008年10月12日 (日) 02:37 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。ご意見の中で私が少し理解できていないところがありますが(納得できないとか、反対だという意味ではありません)、参考にさせていただきます。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月13日 (月) 11:37 (UTC)[返信]