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Wikipedia:コメント依頼/児童向け漫画雑誌の記事の信頼性について

利用者:Nuonuonuo会話 / 投稿記録 / 記録さんが編集において典拠とした文献の妥当性についてコメントを依頼します。

これまでの経緯

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利用者:Nuonuonuo会話 / 投稿記録 / 記録さんは斎藤守弘「ワイド特集 世界のおばけ勢ぞろい」『別冊少年キング』1967年9月号、少年画報社。大伴昌司「日本の怪異 大妖怪」『週刊少年マガジン』1968年25号、講談社。を典拠として多くの妖怪の記事に記述を加えました。

利用者:kagefumimaru会話 / 投稿記録 / 記録はこれらを「出典無効」としてリバートしました。以後依頼者の会話ページで議論が行われていますが平行線となっています。

依頼者のコメント

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これらの文献は悪名高い『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』と同種のものと考えられ、古典伝承の典拠としては不適切だと考えます。当該記事の説明にあるように、このような半ば創作の妖怪記事は当時一般的なものでした。

一方でそのような創作自体に特筆性がある場合の典拠として用いる分には問題ないと考えます。--Kagefumimaru会話2019年1月20日 (日) 10:45 (UTC)[返信]

被依頼者コメント

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kagefumimaruさんは『くわしい日本妖怪図鑑』と件の雑誌記事を同程度の信頼性なのではないかとしていますがあの書籍が出版された頃は信頼性に疑問がある妖怪本が出版されていたのは確かですが日本妖怪図鑑と筆者は別です。記事筆者の斎藤守弘や大伴昌司については思うところがないわけではありませんが。私は妖怪記事で疑問点もある旨も書いて編集しました。この手の記述は『東北怪談の旅』を基にしたものなど先例がありますのでコメント依頼で私の名前を冠されたのは不本意です。--Nuonuonuo会話2019年1月20日 (日) 10:47 (UTC)[返信]

コメント

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コメント『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』がでたらめな内容で定評があるからと言って、ほかの著書が同じようにでたらめであると決めつけるのは早計である。被依頼者から依頼者に対して『あれらの記事が「子供受けを狙った半ば著者による個人的創作」だとする根拠を教えてください。』との質問がなされているが、具体的にでたらめだとする箇所・内容の回答はなく、同じような本だから同じように出鱈目であるだろうとしか依頼者は言っていない。内容に問題があり、それを議論するのであれば(一応は出典が示されている以上)おかしい箇所の具体的な箇所を依頼者側が示すべき。被依頼者の言う通り、事例が1つあるなら他の児童向けメディアも信用ならないとするのは早計。

また、依頼者の議論の進め方にも問題がある。一方的に「合意できたと考えてよいか「はい」か「いいえ」だけで回答してください。」などと複数回にわたり被依頼者に申し向けているが、このような2択での回答を迫るやりかたは合意形成の手段としては不適切、被依頼者が「二択を示すようなことは結論を急いでしまっているように見えます。」と抗議するや否や突然のコメント依頼。合意を形成しようとする真摯な態度がなく、コメント依頼の乱用であり、依頼者が不適切。

また、コメント依頼を出しているが、具体的にどの編集が問題であるのか、一切依頼者は述べていない。

被依頼者に問題がないわけではないと思うが、それ以前に依頼者の決めつけ、思い込み、議論をする態度が問題。依頼者には猛省を求め、コメント依頼の取り下げを勧める。--アナキズム研究会会話2019年1月24日 (木) 10:47 (UTC)[返信]

コメントコメントを募集しているのは利用者の行為ではなく文献の妥当性についてです、紛らわしくて申し訳ありません。つきましてはお手数ですがアナキズム研究会さんにはNuonuonuoさんの投稿記録から該当する編集を参照して、そこから判断される当該文献の妥当性についてコメントを頂けますようお願いします。
依頼者の見解を述べますと、例えばダイダラボッチの「全長3000メートル」[1]、中国の九尾の狐の「一万もの赤子を食い殺した金毛の狐」[2]等どれも見当違いとしか思えないものばかりです。しかしながらこれらが信頼できる他の資料に「存在しない」ということを証明することは極めて困難です。そのため逆に依頼者は被依頼者に「当該雑誌記事が古典伝承について信頼できる情報を載せているという根拠を説明してください」と説明を求めましたが、無視されました。仕方がないので「つまり当該雑誌記事は古典伝承について信頼できる情報を載せているものではないという点で合意できたと考えてよいですか」と問いましたが、これも無視されました。『「はい」か「いいえ」だけで回答してください』というのは無視されないための方策です。『日本妖怪図鑑』の同時代の児童向け妖怪記事が一般に信頼できないことは京極夏彦によって述べられています。そのうえで該当2資料が例外的に信頼できると主張するのでしたら、それなりの根拠が必要だと思います。--Kagefumimaru会話2019年1月24日 (木) 12:10 (UTC)[返信]
返信 取り急ぎ、本依頼は「利用者の行為についてのコメント依頼」に提出されている。懲罰目的の不当コメント依頼であることは明らか。被依頼者の出典に問題があるとしても、貴殿の議論に接する態度が問題だと認識。コメント依頼をクローズし、記事のノートなりで再度真摯に議論に臨むことをお勧めする。--アナキズム研究会会話2019年1月24日 (木) 12:25 (UTC)[返信]
返信 Wikipedia:コメント依頼には「利用者の行為についてコメントを求めたい場合」の他に「あるいは、利用者の行為が広範囲に及んでいる場合」とありますので問題ないと考えます。文献の妥当性について被依頼者からはどうしても回答が得られないためコメント依頼は必要と考えます。他にコメント依頼をするのに適切な場所がありましたら教えてください。--Kagefumimaru会話2019年1月24日 (木) 12:34 (UTC)[返信]
返信 「どうしても回答が得られない」というが、依頼者と被依頼者の議論は3時間にも満たず、その半分は依頼者側からの不合理な2者択一の強要である。本来であれば記事の出典に問題があればノート等で議論、それでもなお、一向に改善がない、被依頼者の行為に問題があるなって初めてコメント依頼を検討するべき。満足に議論もせずに、コメント依頼の乱用である。まずは原点に立ち返って記事のノートにおいて議論をすべき。依頼者の行為ではなく、文献の妥当性であれば、まずは個人に対するコメント依頼以外の方法を取るべき。--アナキズム研究会会話2019年1月24日 (木) 13:08 (UTC)[返信]
返信 では文献の妥当性についてコメントを募集するにはどのような方法を取るべきですか--Kagefumimaru会話2019年1月24日 (木) 13:11 (UTC)[返信]
コメントとりあえず「その他のコメント依頼」にコメント依頼の場所を変更、当ページを「児童向け漫画雑誌の記事の信頼性について」に改名しました。--Kagefumimaru会話2019年1月24日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
  • (インデント戻す)Kagefumimaruさんのおっしゃる、古典伝承だとする信頼できる情報の根拠やそれがないことを無視してるとするコメントは正確ではありません。2019年1月20日 (日) 09:26 (UTC)の私のコメントで姥ヶ火と蓑火については原典が挙げられていることを書いています。2019年1月20日 (日) 06:16 (UTC)のコメントでは「あの記事自体に出典はありません」と書きました。ダイダラボッチや九尾の狐のように言い切るような形だったのは正しくなかったかもしれないので疑問があるとしたりそういったものが唱えられたことがあるような言い回しにしたいと思います。
雑誌の対象者ですが、児童というと小学生を想定する言葉だと思うんですが少年だともう少し幅広くて、出典に使った少年マガジンついては当時「右手に(朝日)ジャーナル、左手に(少年)マガジン」と呼ばれたように読者層からして一概にも子供向けだとも言えません。京極夏彦氏から当時の児童向け妖怪本に疑義が呈されたと言っても1人の考えなのか、かといって複数人から疑義が呈されても既にコメントしているように『東北怪談の旅』のように一般向けの妖怪本でも疑問を持たれながらもウィキペディア上では出典に使われているわけです。1960-1970年代以外の文献なら信頼できるのでしょうか。
昔の児童向けでは内容に疑問があるとされるそうですが、Category:フィクションの妖怪Category:妖怪絵巻の妖怪にある妖怪は明治以前から伝わっているものでも、絵巻の中だけ、創作だと言われる場合もあります。明治以前から伝わっているなら存在自体創作でもよくて昭和以降の創作ならいけないのでしょうか。やがしゃどくろ畑怨霊妖怪万年竹田がらしのように昭和以降の創作だと言われる妖怪の記事があります。
Kagefumimaruさんはペナンガランで私が加筆した部分を同記事の伝承と違うとして差し戻していますが、別冊少年キングの出典は対象者のことがあるとしても他の出典はまた違うためそちらまで消したり、 がしゃどくろについては昭和になってからの創作だと言われているため昭和に発表された説を消すのもどうなんでしょうか。--Nuonuonuo会話2019年1月24日 (木) 17:15 (UTC)[返信]
コメントが信頼性に絞られたようなのでコメントします。2つの問題が同時並行しているようです。
①、児童雑誌の妖怪記事が、その記事が紹介する妖怪を説明するためにふさわしいか、という問題。
②、昭和40年代の児童雑誌文化における妖怪の創造性という問題。
①については、ふさわしくないでしょう。現代の民俗学や歴史学をはじめとする人文社会科学的な妖怪研究において、②で挙げた問題を論じるとき以外で、ある妖怪を説明するために児童雑誌の妖怪記事が用いられることは、ほぼありません。この事実は、消極的にですが、児童雑誌の妖怪記事を文献として利用することの学術的な不適切さ(追記:少なくとも、文献の信頼性が確立されていないこと)を示していると思います。これはほかの分野でも同じで、歴史や地理や自然科学などで、昭和40年代の児童雑誌記事を信頼できる文献として利用するのは、ちょっと考えられません(②と並行する主題を除く)。妖怪研究の専門家が引用しないジャンルの文献をあえて使おうとするならば、そのジャンルが学術的な信頼に足るものだということを証明する必要があるでしょうし、今回の場合、それはかなり難しいと思います。
②についても、(すでに記事があるものは仕方ありませんが)戦後における妖怪の創造性という主題に関して、児童雑誌の記事は一次資料であり、それを直接引用することが適切であるとは言えません。引用するならば、まずは児童雑誌の記事を論じている二次資料を利用してからでも遅くはありません。
--toroia会話2019年1月24日 (木) 19:11 (UTC)[返信]
ウィキペディアは研究の場ではないので学術研究が例になるのかわかりませんが、特定の情報源の利用についてならインターネットサイトの出典ばかりの記事がウィキペディアにはありますが、学術研究の場でそればかりというのはあまりないんじゃないでしょうか。日本語版ではその状態ながら良質な記事にもなっている場合もあり、情報源の利用のあり方が学術研究と違うことを問題にすると本件に留まらない話になります。雑誌記事をただ単に引用したこともありまが、疑問点があることも書いているので「これが正しいんだ」と全てを決めつけてはいません。--Nuonuonuo会話2019年1月26日 (土) 13:22 (UTC)[返信]
「本件に留まらない話」にしないようにするため、話題を「前近代的な日本文化」あるいは「民俗文化」というジャンルに限定しても同じことでしょう。反論されたいのならば、「民俗文化」あるいは「前近代的な日本文化」のジャンルで、昭和40年代の児童雑誌記事の信頼性が確立されていることを示していただく必要があります。もっとも簡単な判断法は、信頼できる文献によって、児童雑誌記事が信頼できる資料として利用されているか否かですが、知る限りでは「否」です。--toroia会話2019年1月27日 (日) 11:50 (UTC)[返信]
ウィキペディアの記事の典拠とする文献の信頼性が学術研究におけるそれよりも信頼性が劣っていて良いなどということは全く認められません。どのような書き方をしようと信頼出来ない文献に基づいてウィキペディアの記事を記述してはいけません。--Kagefumimaru会話2019年1月28日 (月) 17:31 (UTC)[返信]
漫画雑誌の話は異論がありますが話が広がりそうにはないのでもう構いませんが、Kagefumimaruさんは学術研究とそれ以外の文献の信頼性は同列のように書かれていますが、出典の優劣はあるはずです。週刊誌を出典に用いることは禁止されていませんが一般紙よりはケースバイケースに判断されているはずです。ペナンガランについてはと学会の出版物と山口敏太郎執筆のネットサイトの情報は今まで話されてきたこととは別なはずです。--Nuonuonuo会話2019年1月30日 (水) 18:31 (UTC)[返信]
私の発言をよく読んでください、私は「ウィキペディアの記事の典拠とすべき文献」と「学術研究が典拠とすべき文献」は満たすべき信頼性の基準において違いはないと言っているのです。それから「構わない」というのはどういうことでしょうか、当該文献がウィキペディアの記事の出典にふさわしくないという判断に同意するということですか。--Kagefumimaru会話2019年1月30日 (水) 18:42 (UTC)[返信]
このコメント依頼はアナキズム研究会さんが指摘したように通常とは異なる状況で開始されたもので私としては不本意です。形態は変わったにせよ、それまでの経緯が置き去りにされていまっていることや、判断のわかれる学術研究に話が広がったり、参加者は返答がない話題もあるためこれでは議論が発展しません、これは結論ありきではなくそろそろ終了した方がいいと思います。私が編集した記述で漫画雑誌を出典とした部分の復帰は今はしませんが、ペナンガランの件について漫画雑誌以外の出典は本依頼の対象外なのではないかと。--Nuonuonuo会話2019年2月3日 (日) 17:43 (UTC)[返信]
質問に回答してください。Nuonuonuoさんは当該文献がウィキペディアの記事の出典にふさわしくないという判断に同意するのですか、しないのですか。明確な回答が得られない場合「もう構いませんが」という発言が当該文献がウィキペディアの記事の出典にふさわしくないという判断に同意する、少なくとも反対しないという意見表明とします。--Kagefumimaru会話2019年2月3日 (日) 17:51 (UTC)[返信]
現状は同時代の一般書や専門書ではない出版物を出典として昔から伝承のあるような妖怪記事での記述の復帰、加筆はしないということです。このコメントに反するようなことを私がしたと感じればそのときに指摘なさってください。Kagefumimaruさんはこの案件を会話ページで話しているときから、はいかいいえで答えてほしいなど選択肢を示されていますが簡潔な返事はいいことでしょうけど回答の幅を制限されているようでそれだけでは伝えきれません。あとはこの依頼が改名される前の出来事のこともありますが、既にコメントしているようにペナンガランの記事でこの案件と別の出典を含む編集まで差し戻されていることを解決したいです。--Nuonuonuo会話2019年2月9日 (土) 05:17 (UTC)[返信]
ペナンガランのあなたの編集においてあなたが少年キング以外で典拠としているのは佐藤有文『世界妖怪図鑑』であり、これは同著者の『日本妖怪図鑑』と同様に信頼できる文献して認められるものではありません。またあなた自身が「ペナンガランの件について漫画雑誌以外の出典は本依頼の対象外なのではないかと」と述べているようにこのコメント依頼とは関係のないことなのでここでその議論をしないでください。あなたが何をどう編集するのかなどということも関係がありません。ここでは上掲2文献の妥当性以外のことは議題にしていません。あなたは当該2文献がウィキペディアの記事の出典として妥当ではないという判断に同意するのですか、「はい」か「いいえ」のみで回答してください。どちらでもないなどということはありえません。--Kagefumimaru会話2019年2月9日 (土) 07:34 (UTC)[返信]
(補足)「はい」と「いいえ」の意味がご理解いただけるのか心配なので補足します。当該文献を典拠としてウィキペディアの記事を編集することは全く許されないとお考えなら「はい」とお答えください。少しでも正当性があるとお考えであれば「いいえ」とお答えください。これによって意思疎通の手がかりを得ることが出来ますのでご協力をお願いします。--Kagefumimaru会話2019年2月9日 (土) 10:44 (UTC)[返信]
世界妖怪図鑑を挙げてペナンガランの記事を加筆することはしませんが単に過去にそういった名前で紹介されたことがあるとするだけです。この依頼とは別件だともう少し早めにお返事を頂ければペナンガランのノートにでも移行することができました。この話をここでしないということならばここで誰かの意見を仰がなくてもその部分だけ戻すことにします。
Kagefumimaruさんの方法は今まで話されてきたことで明確な回答がないと感じるならその人なりの解釈をしてもいいということになっていまいます。この依頼が改名される前のことについてアナキズム研究会さんには返しても私には何もないわけです。先に選択肢を提示して答えを制限されることに沿うことは必ずしもできないです。現状は昭和1960-70年代の非一般、非専門ではない出版物を直接の情報源にはしません。--Nuonuonuo会話2019年2月17日 (日) 05:02 (UTC)[返信]
繰り返しますがここで議題にしているのは上掲2文献の妥当性についてです、あなたが何を情報源にするかなどということは何の関係もありません。あなたは当該文献がウィキペディアの記事の出典として妥当であると考えるのか否か、これに答えてください。答えられないのであれば何故答えられないのかを説明してください。--Kagefumimaru会話2019年2月17日 (日) 09:51 (UTC)[返信]
私の先のコメントに対する返答がない部分があるためです。繰り返しになりますがコメント依頼が改名される前のやりとりについてここでは私には何もありません。そしてKagefumimaruさんが意味合いを示した上でも「はい」「いいえ」の選択肢に沿うことはできません。それだけで当てはまらないこともあります。何もかもそれにしか当てはまらないこともないでしょう。このままでは今後大体同じことの繰り返しになるかもしれません。--Nuonuonuo会話2019年2月28日 (木) 19:15 (UTC)[返信]
「コメント依頼が改名される前のやりとり」とは何なのか、なぜそれによって当該文献の妥当性について回答できなくなるのか説明してください。また「はい」か「いいえ」に当てはまらないものとは何なのか具体的に説明してください。--Kagefumimaru会話2019年2月28日 (木) 22:28 (UTC)[返信]
  • 児童向け漫画雑誌が原則としてガイドラインWP:RSが推奨する水準とはかけ離れていることは議論するまでも無いでしょう。また、特例として認めるべき書籍あるいは状況が存在する可能性はあるかもしれませんが、それについて立証する責任は特例を認めてもらいたい側(この場合はNuonuonuoさん)が果たすべきことです。Nuonuonuoさんはこの編集斎藤守弘の発言を引いてらっしゃいますが、ちょっと信用しろっていうほうが無理じゃないですか、この方のキャリア。(「明らかに嘘、捏造である記事を検証もしないまま書きまくり、オカルト・ブームに大きな影響を与えた。」という独自研究を無視したとしてもです)--おいしい豚肉会話2019年2月7日 (木) 10:53 (UTC)[返信]
筆者がどういう人物かは頭にはありましたが「としている」と書いた程度では筆者の事情がわからないのでその辺も言及すべきだったと思いますが、この考えと違うのコメントは既に出ていますのでこれは再び強く主張するものではない、としておきます。--Nuonuonuo会話2019年2月9日 (土) 05:17 (UTC)[返信]

コメント 今回の件とは少し違う話なんだけれども、児童向けでも、巻末の解説では割と本職(民俗学者とか)が書いていることがあるので、一律に出典見て決めつけるのは止めて欲しいなあ、とちょっとコメントしておきます。--EULE会話2019年2月27日 (水) 15:48 (UTC)[返信]

繰り返しになりますが「また、特例として認めるべき書籍あるいは状況が存在する可能性はあるかもしれませんが、それについて立証する責任は特例を認めてもらいたい側が果たすべき」で良いのではないですか。--おいしい豚肉会話2019年3月12日 (火) 18:40 (UTC)[返信]

コメント 妥協案として、被依頼者さんはWP:RS#特別な主張には特別な証拠が求められるを先ずお読み頂き、その分野全体観点で信頼性が低い(と、他者に指摘されている部分に自分以外の誰かも一緒に賛成してくれるような有効な反証ができていない)点についてはお認めになられた上で、公式三大方針WP:V#NRを援用し『○○図鑑によれば~と記述されている』という書き方がウィキペディアでは推奨されていることをご理解頂きたいと思います。そして依頼者さんはmeta:削除主義meta:包摂主義をご覧頂き、「信頼性劣れば記載許されざる、故に即刻排除すべし!」という発想自体がウィキメディアプロジェクト全体観点で(プロジェクト開始から20年近くを経て、未だに)賛否あるものであり、その主張そのものが「ウィキペディアの目的を(逆に)阻害する事例も有り得ること」をご理解頂ければ、と思いました。◆社会一般全体からすれば限られた少人数の「同じ目的に向かっている同志」なのですから、少人数の内部で主義主張の異なる相手に対しお互いに「人間の排除」を行おうとするのは果てしない個人間闘争、衰退への第一歩です。人間的や主義主張観点を除いて、言い方は悪いですが『相手の主張や行動の中から自分にとって有益な部分を見出し、逆に自分の行動の中で相手の意図に沿えるように妥協しても構わない部分を探す』という2点を重視し(WP:CONACHIEVE)、お互いに歩み寄れる部分を『常に』把握しようとする努力こそを厭わないようにすれば、と思います。--Nami-ja [会話 履歴] 2019年3月15日 (金) 01:58 (UTC)[返信]

やや論点がズレるのでNami-ja さんの会話ページでお尋ねしようかとも考えたのですが、現在wikibrake中という事なのでこちらで申し上げます。
「公式三大方針WP:V#NRを援用し『○○図鑑によれば~と記述されている』という書き方がウィキペディアでは推奨されていることをご理解頂きたいと思います。」ということですので当該部分を引用しますが……
ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。例えば「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」としてください。
そもそもおかしくないですか、この文章。一利用者が「重要だと思う」という根拠だけで、帰属化させさえすればソースがタブロイドだろうが児童向けの冊子だろうが記事に書き込めるって。これ本質的に「独自研究」となんら変わらないと思います。
この箇所は英語版のen:Wikipedia:Verifiabilityの過去の版を翻訳して、2006年4月19日 04:31(UTC)に追加されたもののようですが、英語版の方ではこれよりも先に、2006年2月5日 00:38(UTC)の時点で除去されて、現在でも除去されたままなんですね。現在の英語版では"Questionable sources should only be used as sources for material on themselves, "となっています。
現状の日本語版の方針が「こうなっている」ということについては尊重はしますが、将来的にも守り続けるべき金科玉条の類であるとは全く思えません。--おいしい豚肉会話2019年3月28日 (木) 12:29 (UTC)[返信]
「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば」であり、「一利用者が「重要だと思う」という根拠だけで」ではありませんことにご留意いただければ、独自研究となんら変わらないわけではないという部分に多少の理解ができるものかと思いました。--Caserio会話2019年3月29日 (金) 08:47 (UTC)[返信]
申し訳ありません。おっしゃっていることが分からなかったので、お手数ですが噛み砕いてお話しいただけないでしょうか。--おいしい豚肉会話2019年3月29日 (金) 17:57 (UTC)[返信]
重要で残す値打ちがある情報かどうか?という命題は、一利用者の思う/思わないといった領域で検証されるものではありません。他のwikipedia参加者によって、その情報が重要で残す値打ちがないと合意されるとき、帰属化したところで記事に書き込めるわけではありません。--Caserio会話2019年4月1日 (月) 02:00 (UTC)[返信]
ああなるほど、一利用者の「一」の部分についての異議だったのですね。ありがとうございました。ではこう言い換えさせてください。「素人集団でしかない(少なくともそう扱わざるを得ない)wikipediaの利用者たちが、主観で重要性を認めれば、信頼のおけない情報源しか出典がなくとも記事に反映できてしまうのはおかしいのではないでしょうか?」--おいしい豚肉会話2019年4月3日 (水) 19:22 (UTC)[返信]
おっしゃるとおり、「wikipediaの利用者たちが、主観で重要性を認めれば、信頼のおけない情報源しか出典がなくとも記事に反映できてしまう」ことは、おかしいです。ですから「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば」と記載されていて、「wikipediaの利用者たちが、主観で重要性を認めれば」とは記載されていないのです。その情報が重要で残す値打ちがあるかどうかを決定する手段について「主観、主観」とうるせーですが、そもそもWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに記載されてるとおり主観で記事が書けるわけじゃあありませんから、懸念されている事態=主観によって情報を重要だと判断する輩による帰属化させた独自研究の書き込み、というものは方針上きちんと排除できていると読みとれます。--Caserio会話2019年4月9日 (火) 02:02 (UTC)[返信]
信頼性という言葉が、情報の「真偽」に対するものなのか、情報の「特筆性」に対するものなのかを注意深く読まないといけないと思います。そこで言っている信頼性とは、情報の「特筆性」に対するもので、真偽に対してはどんなマイナーな情報源であっても「〜によれば」と帰属化すれば、Wikipedia:中立的な観点上、掲載可能です。何が値打ちのある情報か(特筆すべきか)は、それらの情報を包括的にまとめたような別の二次資料が決めます。つまり、あるニュースがあったとして、そのニュースをどれだけ掲載する値打ちがあるかは、そのニュースに対し、有意な言及を行っている別の二次資料に根拠が求められます。そのような二次資料に対する二次資料のようなものがあった時、「その情報が重要で残す値打ちがあるもの」となります。利用者が決めるのではありません(一部これを濫用して利用者が決めているケースがありますが、あれは合意形成の悪用です)。「値打ちがないと合意されるとき」とは「特筆性を立証する二次資料を示せかったとき」という意味です。特筆性を立証する二次資料に関しては信頼できる二次情報源、すなわち、メジャーな情報源でなければならない。タブロイド紙が駄目だと言っているのは、情報の真偽に疑いがあるのではなく、特筆性の観点からマイナーな情報源は信頼できない=掲載する値打ちがない、ということです。--Eg in-app会話2019年6月13日 (木) 06:45 (UTC)[返信]

コメント 今までコメントせず静観しておりました。要するに出典として提示された書籍そのものについての信頼性についてのお話になるでしょうけれど、これまでのコメントを見る限りでは、Wikipedia:信頼できる情報源#独立した二次資料とは?に照らし合わせると信頼性が低い、ということになるんじゃないかと。Wikipedia:検証可能性だけで判断するなら、その出版物を使用しての記事執筆は可能、ということになりますけれど、しかし記事の品質を高めるために使用できるかとなると、さすがにそれは厳しい。また出版された時期が非常に古く、その時期よりもさらに研究が進んでいる近代の資料を基に執筆するのが妥当ではないかとも思われます(この考えは、歴史教科書が時代と共にその内容が変わったこと、これは研究が進んで当時の教科書に記載されていることが間違いであったことが解ったため、なんてことがあるためです)。それに被依頼者も、その出典だけにこだわる必要はないんじゃないかと。そもそも出典は多いほうがいいですし、異なる出典で同一の記載があれば、その情報の信ぴょう性が高くなる、ということも言えますから。このあたりも方針とガイドラインに記載されていることです。--静葉会話2019年4月26日 (金) 04:43 (UTC)[返信]

コメント これは特定の権威を持つものによる創作という疑似科学によく似た範疇だと思います。--Takagu会話2019年5月15日 (水) 07:16 (UTC)[返信]

コメント 複数の方に対してまとめてコメントします。1つ目、既に似たようなことは書きましたが私が出典に使った雑誌内容が信頼性に問題があるのは最初からわかった上で使用しました。そういう場合はみな、○○によると~、などと書くことになるのは知っていましましたしそうするものでしょう。2つ目、「コメント依頼が改名される前のやりとり」はアナキズム研究会さんもおっしゃっているように、私が先方の会話ページにコメントを書いてから短時間で私に対してコメント依頼を出されたことです。タイトルは不適当だったことに私に対してではなくアナキズム研究会さんのみに返答していることや、提起するのは井戸端やウィキプロジェクトやPortalのノートでもよかったのではないでしょうか。他の方もおっしゃられていますがコメント依頼するのではなく他に選択肢があるわけです。--Nuonuonuo会話2019年5月15日 (水) 21:51 (UTC)[返信]

コメント あくまで個人的な意見ですが、存命人物のゴシップや書籍の丸写しでない限り、出典を明記して書くことに問題ないとは思います。ただ編集を強行するとノート:吉田松陰と似た事態になるかもしれません。--ペン打ゴン会話2019年5月23日 (木) 15:11 (UTC)[返信]

コメント 出典無効ではないと思います。Wikipedia:中立的な観点をご覧の通り、マイナーな観点も「〜によれば」と帰属化して明記すれば掲載可能です。出典無効であるかではなく、特筆性の問題だと思います。つまり、そのマイナーな観点を取り上げている別の二次資料があれば掲載可能です。--Eg in-app会話2019年6月13日 (木) 06:13 (UTC)[返信]

コメント 妖怪の存在は民間伝承やあるいは都市伝説の中に存在するものでその実態は存在しないものですから、民間伝承について記述した出典や都市伝説を研究した出典だけが出典として有効なものだと思います。二次創作と言っていいようなこの出典を用いて妖怪の編集をすることはできません。--ゴロンゴ会話2019年6月14日 (金) 09:58 (UTC)[返信]

まとめ

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