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Wikipedia:コメント依頼/ジョバンニが一晩でやってくれました 20100620

ジョバンニが一晩でやってくれましたさんの翻訳依頼の出し方について、コメントを依頼します。--miya 2010年6月20日 (日) 17:01 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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ジョバンニが一晩でやってくれましたさんは、Wikipedia:翻訳依頼で一度に大量の依頼を行い、自重を求められてきましたが、会話ページで自重を求められても、問題を理解しておられないようなので、見かねてこのコメント依頼を出します。参考リンクを以下にリストしましたが、他にもありましたら、署名付きで追記していただければ幸いです。--miya 2010年6月20日 (日) 17:01 (UTC)[返信]

参考リンク
翻訳依頼
経緯まとめ
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  • 2008年1月 Wikipedia:投稿ブロック依頼/ジョバンニが一晩でやってくれました 無期限ブロック
  • 2009年6月 Wikipedia:投稿ブロック依頼/ジョバンニが一晩でやってくれました 解除 ブロック解除
  • 2009年6月、ジョバンニさんは一度に9件の翻訳依頼を提出し、Wikipedia:翻訳依頼のメンテナンスを行っているチャボさんより、2,3件に絞ってもらえないかと打診[1]
  • 2010年2月、ジョバンニさんは40件を越える翻訳依頼を一度に提出(この時点で他にジョバンニさんによる依頼案件は、別に3つある)[2]。Ks aka 98さんによる絞り込みの打診と差し戻し[3]
  • 40数件から15件に減らして依頼[4]。私が差し戻し。
  • 9件に減らしてジョバンニさんが再依頼[5]。Yghwtrrlさんが差し戻し。
  • 7件に減らしてジョバンニさんが再依頼[6]
  • 2010年5月、チャボさんによる、未翻訳で放置されている項目などのログ整理[7]。ジョバンニさんによる翻訳依頼案件の5件が「Wikipedia:翻訳依頼/古い依頼」に移動(翻訳実績は7-5=2件だった)「古い依頼」ページにおけるジョバンニさんの依頼案件は7件。
  • 2010年6月、ジョバンニさんが一度に10件の依頼を提出[8]
  • 2010年6月21日現在、古い依頼と現行依頼を含めジョバンニさんによる依頼は17件。

ジョバンニさんは「10件程度なら支障ないと思います。(許容範囲では?) 」、「ウィキペディアの編集活動において、合法的制度を有効に利用した事をもって非難される覚えはありません」という主張です[9]

--海獺 2010年6月21日 (月) 15:52 (UTC)[返信]

ジョバンニが一晩でやってくれましたさんのコメント

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コメントの件、翻訳請負人に非礼を働いた事を詫びます。本当に申し訳ございません。

次に、「何故、自身の会話ページにコメントを投下したのか?」説明を致します。自身に非があることなので言い難いのですが、コメントの件でやや感情的な事になってきた様に見えたので、その火を自身の会話ページに持っていった方が良いと判断(少しは良くなると思っていました)しました。私としては、自身に落ち度がある事とはいえ、その結果、本題(依頼数の上限云々)からズレた所に議論を持っていかれるのは良くない事なので、それを避けたいと思って、自身の会話ページにコメントを投下しました。私も思案中は凄く場違いな行為だと思いましたが上記の理由で投下しました。

次に、文章が言い訳っぽく見える。といった指摘について、これは、「こう思っていたけど、それは、間違いでした。」を正確に伝えたかった。自身が正直に語れば、皆さんも少しは落ち着くだろう。と思っての文章です。(本来は、不要な事です。チャボさんのご指摘通り、モーリス・ギヴのノートは短文で済むのですが、「考え」が変わった事を正確にお伝えしないと批判が再燃する。という懸念もあり、ああいった内容の文章になりました。)しかし、チャボさんはこう指摘します。「「過去このような誤解をしていました」という内容を長文で語られ、まるで言い訳のような内容になってしまっています。」「不必要な理論武装は、むしろ周囲の心証を悪くします。」「自分の非を認められている点は評価したいと思うのですが、やはりここでも過去の意見については記述しないほうがよろしかったように思います。」という事で、実際には、上手く行きませんでした。チャボさんのご指摘通り、不適切な対応だったと認めます。不適切な文章は、黒線を引くという修正を施しました。

次に、今回の件(コメント)の感想について、これは、仕方のない事かも知れませんが、例えば、私がミスして誰かに注意された後に、私が何か良からぬ事を言ってしまって、不興を買って、この状態になった。なら理解できますが、私がまだ何も答えていない注意の段階で否定的な文章を投下されると少し恐いです。考え過ぎかも知れませんが、小規模ながら「単にお前の事が嫌い」という意思表示の競争みたいな事に水面下(ウィキメール)でなっていませんか?少し心配です。仮に、私が何らかのトラブルが起こしてしまった時は、私が誰かの注意に答えるまで、少しで良いので待ってくれませんか?今回の一件は、少しバッシングっぽく見えました。コメント依頼の誤使用とは言いませんが、ミスは確かにしたけど、まだ、何も発言・対応してない人を叩く場にして欲しくないです。

次に、私からのお願い。おそらく、問題は、終結に近い状態だとは思いますが、今回の件(コメント)は、後日、私が記事を書き直した事を持って完全終結としたいのですが、よろしいでしょうか?後、ラッコさんのコメントの上に「--- -」の線を引いてもよろしいでしょうか?理由は、このまま放置すると話の流れは、確実に今回の件を「どう受け止めるか?」「どう思ったか?」を各人が語り合います。すると、それ以前に投稿されたවෙさんの質問に誰も答えなくて良いという状態に自然となると思います。私に非があることだったとはいえ、これはවෙさんに対して失礼な事になってしまうと思うので、彼に配慮して線を引きたいのです。その線の下で今回の件について色々と語って頂ければと思います。皆さんのご意見をお待ちします。--ジョバンニが一晩でやってくれました 2010年7月3日 (土) 16:47 (UTC)[返信]

    • いかなる理由があっても他者の意見の上に線を引くのはルールで禁じられている「改ざん」に当たります。そのようなことは絶対にやらないようにしてください。また、このコメント依頼を閉じるのは被依頼者であるあなたではありません。上記のようなことを書くから「まだWikipediaに対する理解がない」と判断されるのですよ。--Centaurus 2010年7月4日 (日) 06:40 (UTC)[返信]
      • ジョバンニさんが言っているのは打ち消し線ではなくて、仕切り線の----(出力時に<hr />に変換される)を入れたいということじゃないでしょうか? そんなことをしなくてもවෙさんのコメントが重要なポイントだと考える人がいれば何らかの返信をするでしょうから、個人的には必要ないとは思いますけれども。--sergei 2010年7月4日 (日) 08:24 (UTC)[返信]
Centaurusさんの「他者の意見の上に線を引くのはルールで禁じられている「改ざん」に当たります。」について、私は、例えば、ラッコさんの文章に黒線を引くという行為は一切致しません。ご安心ください。
sergeiさんのおっしゃるとおり、仕切り線です。仕切って分けたいのは、そちらの方が有意義だと思うからです。本来、このコメント依頼には本題(依頼数の上限云々)があり、各人が議論、感想を語っていました。その流れの中で、私のミスが話題になり、貴重な議論が一時中断されている。という現状があります。これに対する適切な対応を取る為、仕切り線を引きたいのです。私が「仕切り線」という言葉を最初から使用していれば、誤解なく話が伝わったと思います。
ご両人とも、ここは、私が書き込むスペースです。私が何か(転記)すると「改ざん」扱いされるかもしれないので、ご両人の対処にお任せします。--ジョバンニが一晩でやってくれました 2010年7月4日 (日) 09:34 (UTC)[返信]

コメント

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  • コメント今回のコメント依頼にいたる経緯をつぶさに見てきたわけではありませんが、コメントさせていただきます。自分も音楽ファンであり、音楽分野の執筆者の一人であるのですが、特に古いブラックミュージックと中南米音楽分野の執筆者は極めて少なく、重要な音楽家や楽曲(ミラクルズなどもその一つだと思います)が数多く赤リンクのまま放置されています。そのため、私も例えばラヴァーズ・ロックなどのようにせっかく記事を書いても赤リンクばかり…という事態を歯がゆく思うことが多いのです。ですからジョバンニさんが比較的多くの音楽分野の翻訳依頼を一度に提出するのもやむなし、といいますか、(対話プロセスに問題?があったにせよ)行為自体は非常に正当なものであるように思います。--オクラ煎餅 2010年6月21日 (月) 12:08 (UTC)[返信]
    • 個々の依頼自体は不適切ではなかったとお考えなのですね? それでも、なんどもトラブルになったのです。では、こういったトラブルは、どのようにすれば回避できるか、ジョバンニさんに助言等ありましたらお願いします。たとえば、出す場所、出す方法、頻度など。また一覧記事やポータルにおける執筆依頼で代用はできないものでしょうか。--miya 2010年6月21日 (月) 15:41 (UTC)[返信]
「10件程度なら許容範囲」、「ウィキペディアの編集活動において、合法的制度を有効に利用した事をもって非難されることはおかしい」ジョバンニさんによるこの主張には説得力があります。また、ジョバンニさんは決して「他人の善意に胡坐をかいて」依頼だけをしている利用者ではないという点も見逃せません。最近ですとボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの作品という記事を自ら翻訳なさっています。その際、英語版の冒頭の文章を翻訳していないという点が問題とする指摘が他の利用者からなされていましたが、英語版を見る限り「バンドは197X年にアルバム『○○』を発表し、197X年にはアルバム『○○』を発表した」という種類のディスコグラフィというよりはバイオグラフィ的なものであり、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(またはウェイラーズボブ・マーリー)に記述されるべき(またはもう記述されている)内容に思います。私はジョバンニさんはそうした点を考慮してあえて記述しなかったと善意にとる立場を取りたく思います。
さて、それでもトラブルになってしまうジョバンニさんへの助言といたしましては、そのコミュニティの空気不文律を敏感に察知し、主要メンバーの言うことには出来るだけ逆らわず、「まあまあのんびりやりましょうよ」という空気感を醸し出し、相手を持論で打ち負かすのではなく、「このような見方も出来ると思ってしまったものですから」という下から目線を有効に活用するという、極めてJPOV的に問題がありながらも有効なコミュニケーションをとることをお勧めいたします。--オクラ煎餅 2010年6月22日 (火) 02:05 (UTC) (修正)--オクラ煎餅 2010年6月22日 (火) 03:50 (UTC)[返信]
  • オクラ煎餅さんは音楽分野で活動なさっているのですね? オクラ煎餅さんのコメントを拝見して、同じ音楽分野の編集者なら、ジョバンニさんが多量に翻訳依頼を出してもご理解いただける可能性が高そうに感じました。そこでお伺いしますが、Portal:音楽に翻訳依頼サブページを追加することは可能でしょうか。Portal:音楽/翻訳依頼のようなページがあれば、ジョバンニさんが何件追加してもWikipedia:翻訳依頼には影響しないでしょう。また追加項目が「ジミ・ヘンドリックスの曲」だとか「エリック・クラプトンの曲」だとか「スミスのメンバー」「ブルース・スプリングスティーンのバック演奏を務めるグループ」「ポール・マッカートニーの息子」などでも、音楽分野の執筆者なら「重要性」が十分理解できるかもしれません。音楽分野の執筆者同士であれば多量の翻訳依頼がなされても苦にはなさらないでしょうし、ジョバンニさんもポータルのメンテナンスに協力なさるかもしれません。--miya 2010年6月23日 (水) 15:22 (UTC)[返信]
  • miyaさんへの回答
  • Portal:音楽に翻訳依頼サブページを追加することは可能でしょうか>Portal:音楽にはすでに加筆依頼と執筆依頼がありますが、それらもすでに肥大化しておりこれ以上新しい依頼ページを作成しても上手く機能しないのではないでしょうか。
  • Portal:音楽/翻訳依頼のようなページがあれば、ジョバンニさんが何件追加してもWikipedia:翻訳依頼には影響しないでしょう>確かにそうでしょうがそれでは「Wikipedia:翻訳依頼の平穏」のためにすでにオーバーフロー気味のPortal:音楽に負担をたらい回しにするようで、何か根本的解決からは逆に遠ざかっているような気がしてしまいますね。
  • また追加項目が(中略)「重要性」が十分理解できるかもしれません>私もそれら全てに重要性を見出すわけではありませんが、例えばジミ・ヘンドリックスの曲「パープル・ヘイズ」の記事は12もの言語版に存在します。そういった意味ではWikipedia:多数の言語版にあるが日本語版にない記事あたりにいつか翻訳されることを願って転記しておいてもいいかもしれません。--オクラ煎餅 2010年6月23日 (水) 16:59 (UTC)[返信]
  • コメント「翻訳がされていく状況を見ながら、優先順位を決めて、依頼を小出しにしていきます」のような返答があれば、問題はないかと思います。私から見る限り、何度も指摘されているのに、何故一度に10件出し、強行に通そうとするだろうという疑問があります。また「周囲とうまくやっていこうという気持ち」と「ルールに書いてないんだからこれは認められるべきだ」と言う主張の大きなギャップを感じます。「Wikipedia:投稿ブロック依頼/ジョバンニが一晩でやってくれました 解除」での多くの方の期待に答えていただきたいと思います。--海獺 2010年6月22日 (火) 05:04 (UTC)[返信]
  • コメント (これは話し合いをした当事者からのコメントです。中立性については割り引いてお考えください)海獺さんが話し合いのなかで少しエキサイトしているように思いましたので、ジョバンニさんのノートページで「協力してくれませんか?」という形でのコメントを試みました。(自分の依頼以外の)翻訳依頼のメンテナンスなど、何らかの積極的な協力をしてくれれば、「ルールは確かに曖昧だし、海獺さんはとりあえず協力する意思はあるという点を評価して、この場は収めてほしい。ジョバンニさんは、次からは注意されたことをよく考えた上で編集に参加してください」というような、双方歩み寄る流れに誘導しようと思っていたのですが、結局のところ帰ってきたのは斜め上の発言でした。ジョバンニさんは「ルールに抵触する可能性のある項目」以外はなにひとつ協力してくれませんでしたし、協力するつもりも毛頭ないように(少なくとも僕には)思われます。--チャボ 2010年6月22日 (火) 13:34 (UTC)[返信]
  • 確かに大量の依頼についてルール的に上限があるわけではなく、依頼ページの使い方に対して参加者間で考え方が異なっている状態では「大量の依頼の何が問題なのか」が明確ではないようにも思えます。例えるなら、1000円の買い物を全部一円玉で支払おうとしてお店の人に迷惑がられる、みたいな(実際は二十枚を越えたら拒否できますけど)。「ルールにないから」というのはルールがある前提の言葉ですが、ルールなんてなくても問題が起こらない状態が望ましいのではないでしょうか。このままでは将来的に同根の問題がまた出てきそうな懸念があります。ただ、この件だけをいうなら依頼の出し方についてよりも、翻訳依頼の仕組みの方を検討する方が建設的になるのではないかと思います(結果としてそういう仕組みは無理ということになるかもしれませんが)。 By 健ちゃん 2010年6月22日 (火) 13:52 (UTC)[返信]
  • コメント 私も翻訳依頼ではお世話になっているのですが、(古い依頼を抜きにして)同時に依頼するのは、だいたい2~3件です。もちろん、翻訳して欲しい記事は山ほどあります。が、しかし、その時々で本当に欲しいと思える記事数は、せいぜいそれ位だからです。他の依頼者の方々には、それぞれにまた考えがあるでしょうが、それでも数を絞り込んでいます。そして、それを3ヶ月間という期限の中で、皆必死にアピールしているのです。
そのような中で、被依頼者による10件の依頼は、「迷惑」以外の何でもなく、またそれを「常識の範囲内」と捉えているのが理解に苦しみます。そもそも、「複数の依頼を提示して、どれか一つでも訳されれば良いと思っています。」という発言からして、優先順位が本当に高いのか疑わしいです。
依頼数の制限を設けることは簡単です。しかし、今まで無くても良かった所に、この様な事で、わざわざルールを作るのも馬鹿馬鹿しいです。--Ashtray 2010年6月22日 (火) 15:38 (UTC)[返信]
  • コメント 翻訳者は、興味のある記事を翻訳するわけでしょう?そして、たまたまその記事を訳したいと思った人が現れれば翻訳される。10件程度追加されたからといって、他の推薦された記事が翻訳されにくくなってしまうなら、それは同程度にしか魅力が無かったか、単に運が悪かっただけのことだと思います。不特定多数が入れ替わり参加するウィキペディアで、たった10件翻訳依頼されただけで翻訳依頼が機能不全になるなら、一個人を悪役にして、「矯正」を望むこと意外にすべきことがあると思います。--වෙ 2010年6月22日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
    • コメント10件ならまだ機能不全にはなりません。ですが、同じ事を4、5人がやれば対応はかなり難しくなります。翻訳依頼が極端に少ない時期なら、むしろやや多めに依頼するべきだと思うのですが、その辺りは各依頼者の常識に従って判断してもらっています。僕としては、翻訳や管理に適した依頼数はおのずと4-5件に絞られるはずなので、あえてルールとして提示する必要もないと思っていました。何より実際に10件の依頼を出す人なんて数えるほどしかいませんでしたし、多すぎるとの指摘を受けても繰り返し依頼するのは唯一ジョバンニさんだけでした。ジョバンニさん一人を規制するためのルールを作るよりも、ジョバンニさんにみずから自重してもらったほうがお互いのためにいいと思っていたのですが、その結果はジョバンニさんのノートページにある通りでした。--チャボ 2010年6月23日 (水) 11:47 (UTC)[返信]
  • コメント 依頼というのは人に何かをしてもらうのをお願いすることです。今回のチャボさんの呼びかけに対するジョバンニさんの対応は、人に何かをお願いする態度ではないと感じました。誰もがボランティアとして参加しているウィキペディアにおいて、依頼に対応する側の人から申し出があったなら、やり方を改めることを真摯に検討するべきでしょう。ルールで禁止されていなければ何をしても構わないという態度はいただけません。明文化されたルールがなければ従えないということなら、Wikipedia:礼儀を忘れないという公式な方針があります。人にものを頼むなら、対応してくれる人に対して相応の礼儀を尽くして下さい。--sergei 2010年6月23日 (水) 10:07 (UTC)[返信]
  • コメント 私には10件程度翻訳依頼を出すことが悪いことだとは思えません。ただ、残念ながら優秀な翻訳者の何人かが嫌がっているようですし、声の大きい利用者がしつこいくらい苦情を言いにきている現状をジョバンニさんは理解したほうがよいと思います。こんなページをつくられ複数の利用者から悪口を言われることは、けして愉快ではないはずです。こんなことでストレスを溜めるよりは、たとえ納得できなくても相手が嫌がっていることを察して引いた方が、ここでは楽しめるんじゃないかなと思います。遊びで強情になりすぎても、よいことはあまりないと思います。--JungleCrow 2010年6月23日 (水) 15:36 (UTC)[返信]
  • コメント 閲覧のみの利用者ですのでIPで失礼します。単純に「みっともない話しだなあ」という印象です。例えば電車の中で脚全開で座っていたりしてたしなめられると、どこにそんな法律がある、とか、まだ空いてるからいいだろう、とか反応する向きのような。また被依頼者さんに同情的な方の論調が揃って、ほらほらこわいおじちゃんがおこるから止めときましょうね、なんて言っている子連れの母親みたいなのもいやな感じです。洋楽ファンというのは皆そういうものなのかなどとはまさか思いませんが、せめて車内ではウォークマンのボリュームは控えめに願いたいです。--211.125.219.245 2010年6月24日 (木) 03:18 (UTC)[返信]
  • コメント「ご自由にお食べ下さい」みたいな感じで職場の休憩所に置かれているお菓子コーナー、社員の有志がお菓子を寄付することで成り立っていて、たいていの人は休憩中に2~3個を食べるだけ。中には好物の場合には、少し多めに食べることも、まあ許容範囲。しかし、いくらなんでも昼御飯代わりにむしゃむしゃ一箱以上食べ始めたら、さすがに周囲の人にたしなめられたが、本人は「ご自由にって書いてるじゃない」と言い返したために騒ぎが大きくなった、という状況ですね。被依頼者は、まずはそういう(ちょっと恥ずかしい)状況に自分が置かれている、ということを自覚して頂ければと思います。現実の世界では、こういうことをする人が増えてしまうと、わざわざ「一人3個まで」と明記しなくてはいけなくなったり、あるいはお菓子コーナー自体が無くなってしまう、ということになりかねませんが、なるべくなら、回避したいものです。--どんどん 2010年6月24日 (木) 15:16 (UTC)[返信]
  • コメントウィキペディアは公衆の場であって、職場の寄り合いとは違うと思います。背の低い人が飛行機の手荷物を頭上のキャビネットに入れるとき、日本人は靴を脱いで椅子の上に立つかもしれませんが、ヨーロッパ人のように人前で靴を脱ぐことを好まない民族は、靴を履いたまま椅子の上に立つことを選択するでしょう。多様な民族が乗る飛行機でその個別の判断を非難しても仕方がないし、なんで駄目なのか論理的に納得できない人に、俺とあいつが不快だからやめろと言ってもそれは無意味です。一方が同意していないときに、論理的な説明を作るのではなくただ迷惑だと声を上げても、不快感をまき散らす以上の効果は期待できないでしょう。説得力のある説明を組み立てることがただちに「ジョバンニさん一人を規制するためのルールを作る」ことになるとは思いませんし、ルールを作るというプロセスは、説得力のある説明を組み立てるための(ただ迷惑だと主張するよりははるかに)良い方法だと思います。--වෙ 2010年6月25日 (金) 01:23 (UTC)[返信]
    • いくら細かくルールを作ったとしても、どんな文章でも最終的には個人の文面の解釈によってしまうならば、なるべくルールを増やす方向で考えない方が良いと思います。どうしてだめなのか論理的に納得出来ない人のために、どんどんルールが増えてきたことで、現在は多くのルールがウィキペディアに存在します。それらも多くのルールも突き詰めればWikipedia:ルールすべてを無視しなさいへの解釈の違いになり、今までに多くの無益な論争を生んできた印象があります。これらの議論は話し合われていた問題そのものよりも、いつのまにかWikipedia:ルールすべてを無視しなさいの解釈についての議論に夢中になってしまう傾向もあるようです。それでもあくまでも方針に拠らないと納得できないという人がいるとしたら、今回のような限定的な場所でのルールを作成するよりも、非公式ながら基本原理の優先順位の二番目に位置している「Wikipedia:礼儀を忘れない」によって、複数の他の利用者からの指摘があった場合には、一歩引いて考えなおしていただくことが、共同作業であるウィキペディアでの行動理念に適っているのではないかと思います。マナーとルールのバランスは難しいものですが、ルールの制定がこの問題を回避する近道だと考えるならば、ジョバンニさんのような解釈をする方がもっと増えてからでも遅くはないと思います。--海獺 2010年6月25日 (金) 04:01 (UTC)[返信]
  • コメント Wikipedia:翻訳依頼で他の分野はどうなっているのか調べてみました。ポータルのある分野では、どれも Portal:○○/翻訳依頼 Portal:○○○/執筆依頼 も参照と明記されていて、ほとんどの依頼はポータルでなされて、そこからはみ出る、または特に重要な項目のみ、Wikipedia:翻訳依頼で依頼されているようでした。
    今回、ジョバンニさんの大量依頼が問題になったのも、一つには、音楽分野以外の人には「重要性」があまり感じられない項目までずらずらとWikipedia:翻訳依頼に並べられたことが要因の一つになっていると思われました。
    上でオクラ煎餅さんに「Portal:音楽/翻訳依頼」新設についてご意見を伺ったところ「これ以上新しい依頼ページを作成しても上手く機能しないのでは」とのことなので、ジョバンニさんには、今後は原則として、すでにあるPortal:音楽/執筆依頼をご活用になるようお勧めします。特に重要な項目、つまり他の人が見ても重要性がすぐ分かるような項目はPortal:音楽/執筆依頼/重要記事で依頼することもできます。「執筆依頼」という名前ですが、英語版へのリンクを併記する形なので、翻訳依頼の代用となりえます。また、英語版からの翻訳よりも日本語版の執筆者が書きおろした方が良い記事となる場合もあります。音楽ポータルなら、項目に関する詳しい説明など無くても、重要性はすぐ了解していただけるものと思われます。もちろん、依頼するばかりでなくPortal:音楽のメンテナンスにご協力なさるなら、ポータル参加者からも歓迎されるでしょう。--miya 2010年6月26日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
      • コメント海獺さんがなにをおっしゃりたいのか理解できません。「どんな文章でも最終的には個人の文面の解釈によってしまう」とは、今回の場合どのようなルールとどんな文書がどのように解釈されてしまうと考えているのでしょうか?Wikipedia:秀逸な記事の選考では三つまでと書かれており、これを無視する人は、単に気づかなかった場合だけでしょう。
      • 私はルールを作るというプロセスが、説得力のある説明を組み立てるための(ただ迷惑だと主張するよりははるかに)良い方法だと言っています。翻訳依頼の制限を設定することにはメリットもデメリットも想定されるでしょう。制限を設けるとすれば、制限すべきだと考える人と制限があってはいけないという立場から意見が表明されるはずです。検索機能やインデックスなどを導入せずに、無制限にページが拡大していけば機能不全に陥るでしょう、例えば制限設定のメリットはこのような機能不全を回避することです。しかし、ある分野に興味ある者が、10個の同程度に翻訳されるべき記事を見つけたとして、翻訳依頼を一人三つに制限したとして、残る7つのうちの一つなら翻訳したいと思う者が翻訳依頼を閲覧しても、翻訳されるべきと依頼された記事に出会わないでしょう。翻訳してほしい記事と翻訳したいと思う人間が出会う確率はそれほど大きくありませんから、これはデメリットです。現実にどちらかの問題が生じたら制限をつけるか機能を拡大するかをコミュニティは選択するでしょう。今後も、日本語版と英語版をはじめとする翻訳元との格差が広がっていけば、より多数の翻訳依頼が提出されるでしょうし、また、日本語版の記事が充実するに従って、より瑣末な記事が翻訳依頼されるようになるでしょう。まだ問題が起こってもいないのに、ルールを作ったり、機能を拡大するのもナンセンスですが、かといって同じ段階で自分ルールを押し付けるのも同程度にナンセンスだと思います。他人がやらないことをやるということは、発展に必要なことです。翻訳依頼の目的は、翻訳されるべき記事と、翻訳したい人を結びつけることこそが最大の目標だと理解していれば、いくつまでと制限することは(ルールを作るにしても、一個人に一個人の感覚を押し付けるにしても)慎重にしなければならないことは明らかです。そこで、建設的な議論を提起するのではなく、ただ「迷惑である」と主張することは無駄であるというよりむしろ有害だとさえ思います。--වෙ 2010年7月1日 (木) 05:21 (UTC)[返信]
  • コメント再度被依頼者に関するコメントを書きます。この差分でジョバンニさんは、他の利用者が依頼に応えて翻訳してくださった記事のカテゴリについて「間違いではないでしょうか?」と意見をしています。このカテゴリは、言語間リンクで参照できる、英語版の「Rock and Roll Hall of Fame inductees」というカテゴリが付いていることを尊重した上で、依頼を請け負った方の作業の一つであると解釈できます。日本語版の記事に、あるカテゴリを含めるかどうかは、翻訳の能力があるかどうかとは直接関係ないでしょうし、気がついたジョバンニさんが編集で対応できるものでしょう。結果的に翻訳を請け負った方が、ジョバンニさんと対話することなくご自身でカテゴリを除去しています[10]。この件から、このコメント依頼における「翻訳依頼の出し方」に関するジョバンニさんの問題点は、何かのルールを制定することで解決するものではないと再認識しました。基本的な共同作業と他の利用者に対する礼儀の意識が、著しく欠けていると思われます。--海獺 2010年7月2日 (金) 14:55 (UTC)[返信]
  • コメント海獺さんと同じく翻訳してくださった方に向けてのこのコメントについて:「ありがとうございます」と書いてあっても、そのあとにノートに書くべきことを場違いにずらずらと書いてしまって、感謝しているようにちっとも見えません。ここは協同作業のページです。過不足なくお礼が言えるるようになるまで、Wikipedia:翻訳依頼で新しい依頼をなさらないよう、強くお勧めします。翻訳を依頼したい案件がたくさんあるなら、サブページ利用者:ジョバンニが一晩でやってくれました/翻訳依頼を作ってストックしておかれてはいかがでしょう。これならば、他の人との軋轢は(たぶん)生まれません。そのうえで特に重要と思う案件については、理由やお礼を書く必要のないPortal:音楽/執筆依頼少しずつ(=執筆されたものを除去するついでに、除去数を超えない範囲で)追加なさればよいでしょう。--miya 2010年7月2日 (金) 22:08 (UTC)[返信]
微妙に当事者となってしまったのでコメントします。誤りについてご指摘を頂くことは大変有難い(できれば直接修正して頂いた方がもっと嬉しい)ですが、場所がちょっと。。。モチベーションを落としそうになるので、被依頼者さんは悪意がないのは理解できるのですが、もう少し配慮していただければなと思いました。 --JungleCrow 2010年7月3日 (土) 02:54 (UTC)[返信]
  • コメント 翻訳依頼におけるコメントの件について、被依頼者はなぜかご自身のノートページに意見を投下されましたが、これも、少なくとも僕には、不適切な場所での不適切な意見表明にしか見えません。「コメントの用途を誤解していました。すいませんでした」の一言をノート:モーリス・ギブか翻訳依頼のコメントに書けば済む問題なのに、「過去このような誤解をしていました」という内容を長文で語られ、まるで言い訳のような内容になってしまっています。被依頼者は、誰かから訊かれる前に自分の理論や判断理由を述べることが多々ありますが、このような行いはやめてください。意見を述べるのは、述べるように求められた場合のみにしてください。不必要な理論武装は、むしろ周囲の心証を悪くします。ノート:モーリス・ギブでもご意見を書かれており、自分の非を認められている点は評価したいと思うのですが、やはりここでも過去の意見については記述しないほうがよろしかったように思います。--チャボ 2010年7月3日 (土) 13:03 (UTC)[返信]

まとめ

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依頼者より
最終コメント以来、1か月以上たちました。コメントが途絶えたので(ジョバンニさんが翻訳依頼への追加を控えておられるからかもしれませんが、それはそれで、一つの解決方法でもあります)、とりあえず、翻訳依頼をめぐる軋轢を終息させるという、このコメント依頼提出者の意図は達成されたと考え、このコメント依頼を閉じさせていただきます。
(コメントしてくださった皆様へ)ご協力ありがとうございました。
(ジョバンニさんへ)文字だけのやりとりで他の人たちとのコミュニケーションを進めて行くのは誰にとっても簡単なことではないでしょう。今後、なにかでトラブルとなった場合、いったん手を休め(先は長いので、慌てる必要はありません)、他の人たちのおっしゃることをよく読み、何がどう問題とされているのか、できるだけ理解するよう努力してください。必要なのは、言い訳よりも理解だと思います。ジョバンニさんの今後のご健闘をお祈りします。--miya 2010年8月11日 (水) 14:17 (UTC)[返信]