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Wikipedia‐ノート:議論が白熱しても冷静に

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2003年6月

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Wikipedia:プロジェクト関連文書のリスト に提案されている日本語のタイトルにとりあえず移動してみました。Tomos 01:37 2003年6月21日 (UTC)

ノート:議論が白熱しても冷静に 嫌だ以上の署名の無いコメントは、121.1.160.43(会話履歴)氏によるものです。

存在意義について

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このページに存在意義はあるのでしょうか?一般常識で分かるような事や、ネチケットと同じような記述ばかりでwikipediaのルールとして特別にページを設けてまで説明するまでもないと思うのですが--Ikazuchi 2007年10月18日 (木) 09:56 (UTC)[返信]

自分は「更なる推敲と改良を前提として存在意義あり」だと思う。(ある一覧記事削除にこだわる人への、乱暴な言語や過激な表現を可能な限り使わない言語表現による説諭・説得(遅い通信回線の閲覧者への理解の必要性も含めて)を、ある管理者の方に暴言と判断されて投稿ブロックをかけられ、さらにこの措置への苦言をこの文書の内容にそった表現で利用者ページ本編に書き記したところ、人一倍の管理活動に励む管理者の方に(脅迫まがいの文言付きの)投稿ブロックを食らったことがありますので。(当方と当該管理者たちは、どうしても「水と油」なのだろうか)--日の丸手内職者 2008年3月13日 (木) 00:29 (UTC)[返信]

自分も必要だと思います。熱くなるとまわりが見えなくなる人結構いますし。確かに普段はあまり必要なさげですがあるのとないのとでは違う気がします。--Air pocket 2008年3月13日 (木) 04:29 (UTC)[返信]

私もこれを読んで、きちんと議論することの大切さを知り、もう少しで感情的な発言をしそうな自分を押しとどめました。大切なページだと私も思います。--ひでき 2008年5月8日 (木) 06:55 (UTC)[返信]

私はこのページの存在意義は存分にあると考えます。なぜならこのようなページが製作されたのには必ず理由があるはずだからです。まず真っ先に考えるのは、このような事件(つまりは苦い論争)が発生してしまったからその対症療法として、これが設けられたのでは、という理由。こういった理由が裏付けのあるものではありませんが、少なからずこれによって苦い論争に発展しなかった例は数多あるはずです。よって、私はこのページの存在意義は存分にあると考えます。--晩越し 2008年8月17日 (日) 13:53 (UTC)[返信]

私もこのページの存在は価値のある物だと思う.常識でわかるとIkazuchiさんはおっしゃっていますけれど,すべての人が常識があるとは少なくとも私は考えられない.(あったら電車の中で電話しませんよね?)--以上の署名のないコメントは、永遠の20才会話投稿記録)さんが 2008年11月1日 (土) 14:08 (UTC) に投稿したものです。[返信]

このページの存在意義を認めます。ウィキペディアでは「ウィキペディア執筆者の著作権制限了承済み」があるのに、「独自研究はしない」ための「新聞程度の出典(検証可能性)」との整合性がとれていないなあ、と思っていたのですが、このページを読んで穏やかにしようと決めました--寂華 2009年2月15日 (日) 11:41 (UTC)[返信]

私もこれに存在意義はあると思います。なきゃだめでしょ。永遠の20才さんと同様、皆が常識を持ってるとは言い切れないですよ。やはり荒らす人とか、個人攻撃する人とか、削除主義(何ら問題ない時でも)の人とか、ウィキペディアからまだ減ってないですし。私もこのページを見て九州の役とか小田原の役とかちゃんと丁寧に編集するようにしました。--蚯蚓 2009年4月6日 (月) 01:14 (UTC)[返信]

そうかな?ウィキペディアっていうのは、より良い記事を作ることが一番でしょ。しかも、中には軽い注意じゃわかんないような人もいますし。一番いいのは、さっくばらんな口調から丁寧な口調までの中から、一番いいのを選ぶことだと思いますし、時には、その「ざっくばらんな口調」が必要なときだってあります。特に、ウィキペディアなんて現実社会では、「いつも丁寧な口調で注意されなければ反省しません。」状態では明らかに駄目ではないでしょうか。まあ、自分の意見と対立して癇癪起こすのは、ちょっとおかしいですが、そんなことは常識ですから。って、それをわかっていない人もいるかも(笑)。ちょっと遅れましたが、たまたま発見して、意見をいいたかったので、見かけた人は、返事をください。--まうんてん 2011年3月1日 (火) 08:15 (UTC)[返信]

条件付賛成一概に存在意義を認める訳ではありませんが、このページによって様々な議論における一般常識やネチケットの啓発に役立てられているのであれば、一定の存在意義を認めざるを得ないと思います。逆に言えば、啓発に役立てる必要がないことが仮にも立証された上で、民主的に意思決定されるようなことがあれば、存在意義を認める必要はなくなると考えます。--126.76.235.36 2018年7月13日 (金) 02:35 (UTC)[返信]

私論化の提案

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この草案を「私論」へ格下げすることを提案します。理由は、

  1. エチケット的内容であり、自戒や説諭には必要かもしれないが、ガイドラインとして拘束力をもたせる必要があまりない。
  2. Wikipedia:エチケットなど、エチケット系の方針は他にもあって間に合っている。
  3. むやみにガイドラインを増やさず指示の肥大化を避ける
  4. 英語版も「私論」となっている。

--Kurz 2010年2月11日 (木) 11:59 (UTC)[返信]

コメント依頼等により広く告知した上で1週間が経過しましたが、特に意見は出されませんでしたので、合意が得られたものとみなして、私論に格下げします。長期に渡ってガイドライン化を目指した検討がなされることもなく草案のままでしたので、私論化に特に問題はないと思いますが、もしガイドライン化を希望されるのであれば草案に戻した上で提案してください。--Kurz 2010年2月18日 (木) 10:22 (UTC)[返信]