Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさい/意見投票20061209
このページは以下にある意見投票の結果を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。
ここでは、「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」の正式方針化について、意見を募る手段として調査投票を行います。ここで賛成や反対が多数でも、そのまま「ルールすべてを無視しなさい」が正式方針化したり、廃案になったりするわけではありません。ウィキペディアは民主主義ではありません(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか)。
この投票は 2006年12月16日 (土) 00:00 (JTC) を期限とします。統計結果を出すのが目的ではないので、あくまで目安ですが、期間を過ぎたら早めにログ化されます。
今までの議論
[編集]この方針は 2006年11月16日 (木) (UTC) にMicheyさんによって公式化提案がされ(提案されたときの方針案文書)、その後議論を重ねて現在の方針案文書に至っています。
ここでは議論の大まかな流れと、議論の過程で出た主要な見解を整理しましたので、投票の際に参考にしてください。
- 公式化提案
- 簡潔な内容に対する反対意見が出た。特に「荒らし」に利用される可能性が指摘された。
- 記述の具体化
- 議論を踏まえ、記述がより具体的なものに変更された。(基本的に現在の方針案もそれに従っています。)
- 現在の方針案について提出されている主な意見
- 具体化した案は基本的に煩雑でわかりづらい。また解釈を狭めてしまっている。
- 現在の案は反語的に「ルールの遵守」を謳うものになっていないか。
- 「荒らし」に対する規制がまだまだ不十分。
- 方針本来の部分と、解説や解釈の箇所を分離すべき。
参考資料
[編集]- 方針のノート
- 対案例
- 簡潔案と解説 - 英語版文面にあわせて、本文を簡略化し、解説を分離
- Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/ルールにこだわらない - ルールにこだわらないに戻した場合の文案
- 英語版の文書・議論等
- 参考資料として英語版の非公式文書であるWikipedia:Suggestions on how to ignore all rulesのKanbunによる訳。
- 同じく参考として、英語版非公式文書であるWikipedia:Use common senseのKanbunによる訳。
- その他関連文書
- Wikipedia:基本方針とガイドライン
- Wikipedia:荒らし
- Wikipedia:五本の柱
- Wikipedia:常識なんてない
- Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしいのか
- Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか
現在の方針案について、忌憚なく意見をお寄せください。今後の方針案議論の参考にしたいと思います。自分の考えに近いと思われるところに署名を追加してください。できればコメントも付してくださると、大変参考になります。自分の意見が同じ事柄について、ある意見とある意見の中間であると感じられた場合は、複数に署名してもらってもかまいません。
総論の意見でも個別の意見でもその両方でも意見の表明の方法は自由です。
総論
[編集]特に方針全体を見通して意見がありましたら、こちらで自由に表明することができます。
- 現在の文面は荒らしへの対処をしやすくするために、ルール間の矛盾をなるべくなくそうという意図だと思います。他方、解釈は不要だとおっしゃっている方は、荒らしが起こるのは常識や良心の問題で、このルールに解釈を書いておいても起こるものは起こるという考え方だと思います。私は第3の案である「五本の柱(もしくは基本方針)は無視できません」の1行だけを追加するのがいいのではと思っています。ここで、敢えて五本の柱にしたのは、基本方針は文面が初心者説明用であること、「基本方針」自体が特別なルールのように書かれていないことという理由です。この案のメリットは、五本の柱は「百科事典である」「中立的な観点」「GFDL」「行動規範がある」とこの「ルールを無視できる」で、かなり強力で且つ変更することができず且つ少しでも無視できる項目がありません(中立的な観点は少し弱いですが)。よって無視できないルールをつくることで、ルール体系として常識や良心に頼らないよりよい体系になると思います。デメリットは五本の柱が公式な方針になっていないこと(これはこのルールが公式化されるのを待っているからです)、公式化されてもヘルプの位置づけになっていることから根拠とし難いことだと思います。また、ルール体系全体を変更することになるとの反発やその他にも問題点があるかと思いますが、まずは意見を表明したいと思います。--Zz2 2006年12月7日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
- この方針は、なるべく単純なものがよいと思います。その点では現状は過剰あるいは不要な部分があり、例えば、管理者向けの節などはここで述べるべきものではないように感じます。また、項目と内容の整合がいまひとつな感じもします。しかし、逆に一文だけでは、方針の重要性が理解されないと考えます。解釈を別ページにする意味はよくわかりません。--みっち 2006年12月8日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
- 「ルールに則った編集は、ルールを無視した編集よりも優先される」というのが暗黙の前提になっていると思います。間違った編集が「百科事典である・中立的な観点・GFDL」に違反しているか、正しい編集が「必要な情報を維持できている」場合に適用されると明言して良いんじゃないでしょうか。GFDLなど最低限のルールは優先しなくてはなりませんし、初心者の間違った書き込みはルールに則った書式で書き直されるべきです。要するに「好きに書いて良いけど、直されてもごねるなよ」です。--NA sounds 2006年12月9日 (土) 04:50 (UTC)[返信]
- すみません。一つ理解していませんでした。例えば「GFDL違反の投稿を即時消去する」事は「ルールにこだわらない」に違反するのではないか?と思って優先順位を考えたんですが...本来のIARはパラドックス故に「違反できない」ルールだったんですね。今の直訳ならパラドックスになっているので優先順位は要りませんね...--NA sounds 2006年12月10日 (日) 07:49 (UTC)[返信]
- 勢い付いたので、IARについて思うところを(苦笑)。
- まず、どういう訳語を当てはめるかはともかく、IARというような言葉を使った方針があるとします。この場合、どんな内容が本文にあったとしても、また方針名自体で「無視しなさい」よりは「こだわらない」に変えるなどすれば、多少マシかもしれない、とかいうことはあるかもしれませんが、それでも荒らしを促進することにはなるでしょう。荒らしを正当化することをおそれるなら、方針をなくしてしまえばよいのです。「編集は大胆に」「荒らしはよくない」といった内容がいくつかまとまっているだけであれば、それらは別の方針として既にまとめられ、あるいはこれから適切にまとめられれは十分でしょう。つまり、現時点で列挙されるような解釈は、このIARには必ずしも必要ではなく、列挙されるような解釈のみでIARの方針が存在しているのであれば、IARの方針は不要であると考えます。このような意味で、今の方針案、というか、今の方針案の方向性には同意しがたいです。
- では、それでもなおIARには存在理由があるのかどうか。当初は「編集は大胆に」というような意図で書かれたルールが、その意図を超えて「ルールは破られるためにある」など別の解釈を生むようになりました。英語版では起草者が廃止を検討してもなお存続しています(ですよね?)。つまり、この反語的で多義的なルールによって、われわれはこれまで気付かなかった何かに気付き、新しい方針やガイドラインを生み出したり、編集したりすることが促されるのです。IARは、われわれが既に気付いた解釈を保持し、現在の規則への適合を促すのではなく、われわれがまだ気付いていないが将来生まれるべき有益なルールや方針のために必要であると考えます。
- Kanbunさんは、このページの準備の時に、こう書いています。
- 上の投票案は私の利用者ページの下書き箇所にありますが、自由に編集してくださって結構です。みなさんが聞いてみたいと思うことなどあれば、付け加えてくださればと思いますし、不適切と思われる部分は編集していただけるとうれしいです。(2006年12月5日 (火) )
- ウィキペディアは、記事もルールも、常に完成していない準備段階にあるものです。IARは、「自由に編集してくださって結構です」という但し書きのようなものだと思うのです。われわれは、「自由に編集」していいからといって、ここに何かの歌の歌詞を書き込んだりはしません。荒らしを正当化することは、避けられる範囲で避けるとしても、過剰におそれる必要はないと思います。それよりも、よりよい百科事典になるための将来の可能性に期待することを優先させたいと思います。
- というわけで、シンプルな方針を置き、正式化するに1票。方針の歴史についてはあってもいいと思います。ただ、逆に言えば、IAR的な方針名と最初の一文があれば、「将来の可能性」に期待できるはずなので、現行案に強烈に反対するわけではない。
- なお、より多くの解釈を併記することや、悪用されることへの対処に触れることが必要なら、別文書として置くこともいいかもしれません。しかし、注釈はいずれにしても煩雑になってしまいますし、新しい解釈は自由に書き加えられる方が望ましいと考えます。したがって、別文書は正式な方針やガイドラインとせず、非公式の文書に留めるのがよいと思います。
- 方針名は、日本語では命令形は強すぎると思うので「こだわらない」に一票かなー。下のの分類には書き込みにくいので、ここでまとめて述べさせてもらいました。--Ks aka 98 2006年12月9日 (土) 16:48 (UTC)[返信]
- 基本的にはこの文書には賛成です. というのも、現在のウィキペディア日本語版の中にはプロジェクトローカルなものなど、様々な「ルール」が存在する様ですが、そういうものをいちいち主張されたら作業し難くなるばかりですから. ただ、個人的には初期の版(例えば2004年12月22日20:13の版)の方が好きですね^-^; ※この他4ヶ所にコメントしています(1|2|3|4). a perfect fool 2006年12月10日 (日) 12:40 (UTC)[返信]
- あまり考えがまとまっていませんし、先行議論をちゃんとおっていませんが、少しだけ意見を。論点のひとつになっている「荒らし」についてですが、それはIARがあろうとなかろうと、荒らすひとは荒らすんじゃないでしょうか。IARが荒らしの論理的根拠を与えるとの懸念もありますが、IARがなくても、荒らしをする人はなんやかやと屁理屈をこねて自分の立場を強弁するでしょう(そんな例は今まで無数にあるはず)。真性の荒らしというのは、論理的良心的呼びかけに応じない、ルールを守る気が全くないことがその定義みたいなものでしょうから。IARは、既存のルールは最上のものではない、ルールを使って善意の参加者を虐げてはいけない、ルールにのっとっているからといって反ウィキペディア的、反百科事典的行為を行ってはいけない、といったルールの不完全性に関するリマークなのでしょう。そのような観点に立つのであれば「ルールにとらわれない」または「ルールにこだわらない」あたりが適切な名称で、定義文は「もし、ウィキペディアの改善や維持をしようとするときにいまあるルールが邪魔になるのなら、ルールに束縛される必要はありません」くらいでいいのではないでしょうか。ただし、WP:V、WP:NPOVをはじめとする5本(4本?)の柱や、WP:BLOCKなどに関してはルールを厳格に適用し、ルールに不備があれば合意によってそれを改正すべきで、合意に基づかずにルールを著しく逸脱する事があってはならない旨明言する必要があると思います。--Pugnari 2006年12月10日 (日) 12:50 (UTC)[返信]
- 「意見」ということなので、敢えて記させて戴きましたが、「思い上がり」とのことですので、お詫び致しますと共に文章を撤回削除させて戴きます。意見にはコメントを付けないでくださいとのことですが、その言葉のなかでも意見を述べておられるようです。とまれ不適切な文章であったと反省します。申し訳ありませんでした。--Maris stella 2006年12月13日 (水) 06:38 (UTC)[返信]
- 私もMaris stellaさんと同様に公式化に否定的です。私の読解力が足らないせいか、正直、この方針の意義がいまいちよく分からないのです。初心者保護の観点であればWikipedia:五本の柱に記載されている内容で十分だと思いますし、現状のルールが質の向上を妨げる可能性があるなら、ルールの方を改善すべき、なんていうことも当たり前のことだと思いますし、もしルールに疑問を感じる人がいればWikipedia:井戸端で提起するでしょう。井戸端にもそのような主旨のことを書かれていますし。英語版にあるから、という理由ならば本末転倒なような気もします。どのような場面でこの方針が引き合いに出されるべきなのかいまいち想像できないのです。「引き合いに出されるべき性質のルールではない。これは理念である。」というご意見もあるでしょうが、だとするとやはり個人満足の域をでないような気がします。むしろ、理念であるなら五本の柱など基本方針のページにその主旨の文言を付け加えればいいように思います。--Redpepper 2006年12月11日 (月) 15:19 (UTC)[返信]
この場で誰かの意見に反論をするのは差し控えください。また必要以上に攻撃的な発言はお慎みください。--Kanbun 2006年12月13日 (水) 15:00 (UTC)[返信]
スタイル
[編集]方針案のスタイルについて。
- 現在のスタイルを基本的に支持
- 基本的に賛成です。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
- ただ、解釈ばかりというのも変です。--みっち 2006年12月8日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
- もし正式化するのならば、という条件付きです。簡潔案ではどうもいろいろな意味に解釈されてしまいそうで。--Redpepper 2006年12月11日 (月) 15:26 (UTC)[返信]
- 方針文書自体は簡潔にし、解釈や解説は別文書として用意されるのがよい
- こちらでもよいと思っています。--Kanbun 2006年12月6日 (水) 10:42 (UTC)[返信]
- 別文書にでもしないと、雑然として余計にわかり難くなります. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 12:40 (UTC)[返信]
- 解釈は不要。簡潔なものに戻すべき
- その他スタイルについて意見があればこちらで
- 解題(方針の精神の説明)は必要だが、間違った解釈の例などは不要であると思います。--Pugnari 2006年12月10日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
現在の方針案の内容
[編集]方針文書の内容について。
- ここに挙げられている解釈は基本的に妥当だと思う
- 妥当だとは思いますが、少ないような気もしています。--Zz2 2006年12月7日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
- 私は逆にもっと単純化してほしいと思います。--みっち 2006年12月8日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
- 妥当ですが、具体的な内容に踏み込みすぎだと思います。--Pugnari 2006年12月10日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
- 今の方針案はいくつかの解釈が間違っている
- 序文の「もしも、ウィキペディアの改善や維持をしようとするとき…ルールを無視してください。」も解釈の一つだと思います。IARは自己言及のパラドックスなので、IAR自体には順守も違反もできず、ルールとしては意味をなしません。だからこそ「なぜこんなルールがあるのか」について「様々な解釈がある」と言う説明に繋がるのだと思うのです。序文では「このルールはパラドックスである」と述べるべきじゃないでしょうか。--NA sounds 2006年12月10日 (日) 07:49 (UTC)[返信]
- 現在の文書内容はこの方針の意味を誤解していると思う
- 今の方針案はわかりづらい
「荒らし」について
[編集]この方針が「荒らし」行為の根拠となる可能性が指摘されています。
- 今の方針案でも十分「荒らし」の理由となりうると思う
- 今の方針案であれば、深刻な「荒らし」の原因にはならないと思う
- 「荒らし」という意味ではあまり心配していません。むしろ、自己のPOV編集を正当化するための理論の補完材料にされることが心配です(それを「荒らし」と言っていいのかどうか分からないので)。簡潔案ではそのために如何様にも解釈できてしまいそうな気がします。--Redpepper 2006年12月11日 (月) 15:37 (UTC)[返信]
- 「荒らし」の原因となるかどうかはそれほど重要とは思わない
- 方針上で言及する必要は感じますが、そのためにわざわざ節を設けるほどではないと思います。--みっち 2006年12月8日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
- ↑でも述べましたが、IARがあろうとなかろうと荒らす人は荒らすでしょう。--Pugnari 2006年12月10日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
方針名について
[編集]現在の方針名についても疑問が表明されています。
- 現在の方針名はわかりやすいと思う
- 現在の方針名は必ずしもよいものとはいえないが、妥当である
- 個人的には名詞「ルール」の後に助詞がこないのは気持ち悪いです。また、ルールが何を指しているのか分かり辛く、「方針」なのか「フォーマット」なのか「コミュニティの総意」なのかそれら全部なのかが不明です。それがよいとする意見もあるかと思います。私は上記の総論の意見から(自分で鑑みると)「全ての方針は無視しなさい」(基本原則は含まない)かと今は思っております。--Zz2 2006年12月7日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
- 個人的には、「すべてのルールを忘れてみる」、「ルールを度外視する」もありだと思っています。--みっち 2006年12月8日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
「ルールは無視できます」とか。「まぁ、好きに書いてください」が好みかな。--NA sounds 2006年12月9日 (土) 04:50 (UTC)[返信]
- 以前の「ルールにこだわらない」のほうがよい
- あるいは、「ルールにとらわれない」「ルールに束縛されない」--Pugnari 2006年12月10日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
- 何か別の方針名を検討すべき
- 「ルール」というのが、何か曖昧というか... 例えば、より日本語的に「規則」とするなど、はっきりさせた方が良い様な気もします. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 12:40 (UTC)[返信]
公式化すべきか
[編集]この方針を公式化すべきかどうか。
- 現在の内容ならば公式化しても問題ない
- どのような形でも公式化すべきだと思います。--Zz2 2006年12月7日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
- もっとよい形はあるでしょうが、不適切とも思わないので。--みっち 2006年12月8日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
- 現在の内容では不適切だが、この方針自体は公式化されるべき
- 不適切とは思いませんが、急いで公式化する必要は感じません。ゆっくり議論して、その末に公式化を目指す方向でよいと思います。--spirituelle 2006年12月10日 (日) 11:54 (UTC)[返信]
- 現在の内容では不適切な理由(?)は別の箇所で書いた通りですが、せっかく和訳されたのですから離陸させない理由は無いと思います. というより、日本語版がここまで肥大化する以前に「草案」という文言は取り外されても知れません. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 12:40 (UTC)[返信]
- このルールは精神の宣言であって、実効力があるとは思えないので、逆に変に実効力を伴わない形に簡略化して正式化するのがよいと思います。--Pugnari 2006年12月10日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
- この方針を公式化する必要はない。廃案にすべき
- 総論に書いたとおりです。Wikipedia:五本の柱に文言追加等で十分だと考えます。--Redpepper 2006年12月11日 (月) 15:29 (UTC)[返信]
その他コメント
[編集]特にノートでの議論を見ての感想などありましたら、こちらで表明してください。
- 「総論」の節に書いたような問題意識から、個人的な受け止めですが方針案の下書きをローカルに準備しました。内容に自信もありませんし、草案を直接書き換えるのはためらいがあるので、自分の利用者ページにサブページを作って、そこに書き出そうかとも思いますが、このような文書をサブページ上に書いても大丈夫でしょうか。もしGFDL上の問題など差し障りがあった場合、いらぬご迷惑をおかけすることを恐れています。--みっち 2006年12月8日 (金) 07:43 (UTC)[返信]
- 利用者:みっち/下書きに書き出してみました。こんなイメージということで。--みっち 2006年12月12日 (火) 06:14 (UTC)[返信]
- 私案ですが、
- ウィキペディアの目的は、信頼されるフリーな百科事典を――それも、質も量も史上最大の百科事典を創り上げることです。ウィキペディアのさまざまなルールは、この目的のためにのみ存在する手段です。逆にルールがあるためにこの目的を達成するのが難しくなるのであれば、そのようなルールは無視して構いません。ウィキペディアのためにルールがあるのであって、ルールのためにウィキペディアがあるのではないのです。
- ※リストが崩れてしまうので、直接DLタグを入れさせて頂きましたm(_ _)m. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 12:50 (UTC)[返信]
- どこまでがこのノートの説明で、どこからが個々のコメントなのか判り難かったので、簡単にながら境界線を入れさせて頂きました. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 12:40 (UTC)[返信]
- 一応謹慎中ということなのですが、みっちさんに触発されて私案を作ってみました。こちら。全く換骨奪胎したオリジナルな文書になっていますが……。みっちさんの案も見てみたいです。--Kanbun 2006年12月11日 (月) 21:54 (UTC)[返信]
意見投票に協力していただき、誠にありがとうございます。--Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:15 (UTC)[返信]
上の意見投票は保存されたものです。編集しないでください。