Sakura (ドラマー)
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Sakura | |
---|---|
出生名 | 櫻澤 泰徳 |
別名 | sakura |
生誕 | 1969年11月20日(55歳) |
出身地 | 日本 東京都 |
ジャンル | ロック |
職業 |
ドラマー ギタリスト 作詞家 作曲家 編曲家 音楽プロデューサー |
担当楽器 |
ドラム ギター |
共同作業者 |
L'Arc〜en〜Ciel 1992年 - 1997年 ZIGZO 1999年 - 2002年 2012年 - 現在 SONS OF ALL PUSSYS 2002年 - 2006年 Lion Heads 2006年 - 2007年 Rayflower 2009年 - 現在 BY-SEX 2011年 THE MADCAP LAUGHS 2012年 - 現在 gibkiy gibkiy gibkiy 2016年 - 現在 |
公式サイト | sakurazawayasunori.jp |
Sakura(サクラ、本名:櫻澤 泰徳(さくらざわ やすのり)、1969年11月20日 - )は、日本のドラマー、ギタリスト、音楽プロデューサー。ZIGZO、Rayflower、THE MADCAP LAUGHS、gibkiy gibkiy gibkiyのドラマー。元L'Arc〜en〜Ciel、SONS OF ALL PUSSYSのドラマー。元Lion Headsのギタリスト。L'Arc〜en〜Ciel在籍時から時折本名を名乗っており、現在は本名名義でライブイベントを行うこともある。
来歴
[編集]- 1969年11月20日、東京都練馬区桜台に、三兄姉の末っ子として生まれる。
- 1992年12月30日、セッション・ドラマーとして様々なバンドに参加していた中、L'Arc〜en〜Cielのドラマーであったperoが脱退する。翌1993年1月16日にセッションを経てバンドに正式加入する。
- 1997年2月24日、覚醒剤取締法違反(覚醒剤所持)の現行犯で逮捕される。この逮捕に伴い、L'Arc〜en〜Cielは当面活動中止となった。同年5月、懲役2年・執行猶予3年の判決が言い渡され、同年11月4日にL'Arc〜en〜Cielからsakuraが脱退することが発表された。なお、発表された脱退理由は「音楽性の違いのため」とされていた。
- 1999年、元MALICE MIZERのTETSU(高野哲)(Vo)、元BY-SEXUALのRYO(Gt)とDEN(Ba)と共にロックバンド、ZIGZO(読み:ジグゾ)を結成。ドラマーとして完全復帰を果たす。アルバム3作、シングル7作をリリースし、数々のライブ・イベント活動を行うが、2002年3月16日に赤坂BLITZでのライブをもって解散。ただ、解散から9年経った2011年11月20日に、自身の誕生日ライブ「暗黒秋櫻」にてZIGZO再結成を発表している。2012年3月17日、赤坂BLITZにてライブ「THE 2nd SCENE ZIGZO」開催し、本格的な活動を再開した。
- 2002年、L'Arc〜en〜CielのギタリストであるkenとファッションモデルのEinと共に新たなロックバンド、SONS OF ALL PUSSYSを結成する。同年8月9日の札幌KRAPS HALLでのライブを皮切りに活動を開始し、これまでにミニアルバム3作、シングル1作をリリースしている。ただし、2006年に開催されたライブイベント「天嘉-伍-」に出演して以降、現在まで活動は行われていない。
- 2002年頃から、SONS OF ALL PUSSYSと並行して、Sakura-Die-Nerima名義でロックバンド、Lion Headsを始動する。なお、sakuraはこのバンドではギタリストとしても活動している。2006年8月23日には、1stアルバム『白、黒、青、赤。』がリリースされている。
- 2009年、SOPHIAの都啓一らと共にロックバンド、Rayflowerを結成。
- 2011年8月17日、元BY-SEXUALのメンバーRYÖとDENと共にロックバンド、BY-SEXを再始動し、アルバム『ago』をリリース。
- 2012年5月25日、高田馬場CLUB PHASEにて行われたライブ「暗黒秋櫻~番外編~」で、aie(deadman、the studs)、清(INSIDE ME、ZIGGYサポート)と共にロックバンド、THE MADCAP LAUGHSを結成することを発表。
- 2013年9月27日、富樫春生率いるジャズ・ファンクグループ、梵鉾!/Bom'Bocoのライブに参加。以後のライブにも定期的に参加している。
- 2015年3月9日、「Drummerに音楽的にもパーソナリティにもスポットライトを」という趣旨の元、自身主催のドラマーを集めたライブイベント「Busker Noir」(読み:バスカー・ノワール)を開催する。以後も定期的にこのイベントを開催している。なお、このイベントでは、sakuraが作曲した<複数台のドラムセットだけで成立する楽曲>を中心に、毎回テーマに沿った楽曲をドラマーならではの発想でアレンジしていくものになっている。
- 2016年2月21日、kazuma(ex.Merry Go Round)、aie(THE MADCAP LAUGHS)、kazu(the god and death stars)と共にロックバンド、gibkiy gibkiy gibkiyを結成。なお、2014年にはkazumaとaieが結成したユニット、highfashionparalyzeとSakuraを合わせ、highfashionparalyze+Sakura名義で国内ツアーを開催していたことがあり、これがバンドの前身となっている。
- 2019年11月20日、50歳の誕生日を記念し、ライブイベント「Sakura 50th Birthday Anniversary "暗黒秋櫻" ~全櫻澤公演 2019~」を開催[1]。これが計10回目のバースデイイベントとなっており、これ以降も毎年誕生日に"暗黒秋櫻"と題したライブイベントを開催している。
バンド遍歴
[編集]- the HAREM Q
- DIE-KÜSSE
- L'Arc〜en〜Ciel(1992年 - 1997年)
- D'ARK〜EN〜CIEL (1996年)
- ZIGZO(1999年 - 2002年、2012年 - 現在)
- SONS OF ALL PUSSYS(2002年 - 2006年)
- Lion Heads(2006年 - 2007年)
- CIRCUIT9(2008年 - 2013年)
- Rayflower(2009年 - 現在)
- BY-SEX(2011年)
- THE MADCAP LAUGHS(2012年 - 現在)
- 梵鉾!/Bom'Boco(2013年 - 現在)
- gibkiy gibkiy gibkiy(2016年 - 現在)
ライブサポート・レコーディング参加
[編集](※)L'Arc〜en〜Ciel、ZIGZO、SONS OF ALL PUSSYS、Lion Heads、Rayflower、THE MADCAP LAUGHS、梵鉾!/Bom'Boco、gibkiy gibkiy gibkiyとして開催した公演の他、自身が主催したイベント「Busker Noir」を除く
- 1991年
- 8月6日、ロックバンド、the HAREM Qにドラマーとして参加し、アルバム『opium』をリリース。翌1992年にオムニバスアルバム『EMERGENCY EXPRESS'1992~surging the next crisis~』収録曲の「LOVE WITH ASPERITY」に参加。
- 1993年
- 2月24日、ロックバンド、DIE-KÜSSEにドラマーとして参加し、オムニバスアルバム『BRAINTRASH』収録曲の「Lunar Maria」に参加。
- 1998年
- 10月25日、ロックバンド、FAMEの2ndアルバム『FAME -StAnd by my Soul-』にパーカッションで参加。
- 2002年から2006年まで
- 2004年から2005年まで
- 2004年から2008年まで
- ロックバンド、シドのプロデューサーを務める。
- 2005年
- 音楽ユニット、day after tomorrowのテレビ出演時のサポートドラムとして参加。
- 3月13日、YUKIYA(ex. D≒SIRE、JILS)のソロライブにサポートドラムとして参加。
- 3月16日、TETSU69の楽曲「REVERSE」のレコーディングにドラム監修として参加。
- 5月25日、HAKUEI(ex. PENICILLIN)のシークレットバンド、海賊のライブで臨時でサポートドラムとして参加。
- 2007年
- 2008年
- kaoru主催のライブにて音楽ユニット、karasuとしてライブに参加。以後のライブにも定期的に参加している。2009年のライブでは種子田健が参加し3ピースとなった。
- 8月27日、ロックバンド、176BIZの2ndアルバム『Hello』のレコーディングにプロデューサーとして参加。
- 12月24日、ロックバンド、MELLOのミニアルバム『MELLO』収録曲の「彩撃のヴェクトル」のレコーディングに参加。
- 2009年から2012年まで
- ロックバンド、DEAD ENDのMORRIEのソロプロジェクト、Creature Creatureの音源制作に参加。なお、Sakuraは2012年まで、ライブにもサポートドラムとして参加している。
- ロックバンド、CIRCUIT9のサウンドプロデューサーを務める。
- 2009年
- 6月17日、GACKTの32ndシングル「Faraway 〜星に願いを〜」の表題曲のレコーディングに参加。
- 6月24日、GACKTの33rdシングル「LOST ANGELS」収録曲の「No Reason」のレコーディングに参加。
- 2013年
- 5月14・15日、DEAD ENDのベーシスト、"CRAZY" COOL-JOEと神戸チキンジョージのオーナーMasaru、sakuraの3人で企画したライブイベント「"CRAZY" Rock Night in Kobe」に出演。
- 2018年
- 8月3日、セッションライブイベント「Session 神奈川・横浜 THE CLUB SENSATION」に参加。
- 9月8日・9日、Moi dix MoisのManaが主催する「Deep Sancutuary Ⅵ~MALICE MIZER 25th Anniversary Special~」に参加。
- 2019年
- 1月13日、浅葱主催のライブイベント「Re-birth vol.9 〜原発が爆発した日を忘れない〜」に出演。
- 2020年
- 3月12日、イベント「Re-birth vol.9 〜原発が爆発した日を忘れない〜」に出演。
- 10月24日 - 31日、DEAD ENDのベーシスト、"CRAZY" COOL-JOE主催のライブイベント「"CRAZY" Rock Night Vol.4」に出演。
- 2021年
- 12月11日・12日、ONE MUSIC & Busker Noir主催のライブイベント「EXCITE Drum!!」に出演。
- 2022年
- 1月29日、MASAKI主催のライブイベント「MASAKI NIGHT 106~ヤマケンサンバナイト~」にゲスト出演。
- 5月7日、ライブイベント「ROCK TILL DAWN VOL.99 ARTIST NIGHT!」にサポートドラムとして参加。
- 6月10日 - 18日、DEAD ENDのベーシスト、"CRAZY" COOL-JOE主催のライブイベント「"CRAZY" Rock Night Vol.5」に出演[2]。
- 7月2日、MASAKI主催のライブイベント「MASAKI NIGHT 113~スペシャルナイト2022~」にゲスト出演。
- 12月22日・23日、MUCCが開催したライブ「MUCC TOUR 2022「新世界」〜Beginning of the 25th Anniversary〜」にゲスト出演。
- 2023年
- 12月28日、MUCCが開催したライブ「MUCC 25th Anniversary TOUR Grand Final Bring the End to「Timeless」&「WORLD」」にゲスト出演。
- 2024年
作品
[編集]バンド・ユニット
[編集]L'Arc〜en〜Ciel
[編集]→詳細は「L'Arc〜en〜Cielのディスコグラフィ」を参照
ZIGZO
[編集]→詳細は「ZIGZO § ディスコグラフィ」を参照
SONS OF ALL PUSSYS
[編集]→詳細は「SONS OF ALL PUSSYS § 作品」を参照
Lion Heads
[編集]→詳細は「Lion Heads § 作品」を参照
Rayflower
[編集]→詳細は「Rayflower § 作品」を参照
BY-SEX
[編集]発売日 | タイトル | 規格 | 品番 | |
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アルバム | 2011年8月17日 | ago | CD | RDSR-70000 |
THE MADCAP LAUGHS
[編集]発売日 | タイトル | 規格 | 品番 | |
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アルバム | 2014年6月18日 | THE MIDNIGHT LOVE | CD | TMCL-001 |
gibkiy gibkiy gibkiy
[編集]アルバム
[編集]発売日 | タイトル | 規格 | 品番 | |
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1st | 2016年2月24日 | 不条理種劇 | CD | PMGG-001 |
2nd | 2017年8月9日 | In incontinence | PMGG-004 | |
ライブアルバム | 2018年6月12日 (ライブ会場限定商品) |
LIVE AT CAM HALL | PMGG-005 |
シングル
[編集]発売日 | タイトル | 規格 | 品番 | |
---|---|---|---|---|
1st | 2016年9月11日 (ライブ会場限定商品) |
I LOVE YOU | CD | PMGG-002 |
2nd | 2018年10月31日 (ライブ会場限定商品) |
鬼 | PMGG-006 | |
2nd Remaster | 2023年7月19日 (ライブ会場限定商品) |
鬼 remasterd by ミヤ (MUCC) | PMGG-011 | |
3rd | 2019年4月10日 (ライブ会場限定商品) |
強いられた無から孔から穴へ、マッチポンプの兎は屍 | PMGG-008 | |
4th | 2019年12月20日 (ライブ会場限定商品) |
そして其れは半神半人、顔が墜ちて「c」では無くなりました。 | PMGG-009 | |
5th | 2023年6月6日 (ライブ会場先行発売商品) |
反吐 | PMGG-010 | |
6th | 2023年9月14日 (ライブ会場先行発売商品) |
生き血 | PMGG-012 | |
7th | 2023年12月6日 (ライブ会場先行発売商品) |
虫唾 | PMGG-013 | |
8th | 2024年7月10日 (ライブ会場限定商品) |
半死半生 | PMGG-014 | |
9th | 2024年7月20日 (ライブ会場限定商品) |
PMGG-015 |
映像作品
[編集]発売日 | タイトル | 規格 | 品番 | |
---|---|---|---|---|
1st | 2016年7月1日 (ライブ会場先行販売商品) |
不完全変態種 | DVD | PMGD-001 |
書籍
[編集]種別 | 発売日 | タイトル | 発行 |
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単行本 | 2002年5月18日 | SAKURAのDRUMSWORKS QUICK REFERENCE | シンコー・ミュージック |
2002年5月31日 | 櫻澤の本気 | 音楽専科社 |
人物
[編集]- 東京都練馬区出身。三兄姉の末っ子で[4]、兄とは7つ年齢が離れている[4]。父親は、呉服や宝石などを扱う他県にも支社を持つ企業の経営者で、厳格な人物だったという[4][5][6]。子供の頃を振り返り、sakuraは「子供の頃から受験とかそういうのを考えて、知らないうちに線路を引いてたんだよね。中学受験で大学のことまで考えちゃってさ[5]」「"アレ、ちょっと待て!これ、やりてぇことか?"って思いもありつつ勉強してたなぁ。家庭教師つけられて…贅沢だけどねぇ[5]」「俺も最終的には大学を卒業して、親族会社の一員になる人生を歩まされるんだろうなぁと思うとすっごい憂鬱だった[6]」と述懐している。なお、sakuraは中学・高校は、京華中学高等学校に進学している。
- 初めて触った楽器は、兄の持っていたフォーク・ギターだった[8]。その後ジョン・テイラー(デュラン・デュラン)に憧れて人から借りたベースを弾き始め[6][8]、最終的にドラムで遊ぶようになったという[8]。そして、「ドラムを叩きたい」という思いから、高校ではブラスバンド部に入ったという[9]。ちなみに、ドラムを始めたきっかけは「数ある楽器の中で、自分にとってドラムが一番簡単そうに見えたから」だったといい[6]、「やっていく中で奥深さがあることが分かった」と語っている[6]。
- 高校在学中に、友人のいるバンドがライブをやることになり、その頃からアマチュアバンドの手伝いを始めたという[10]。ただ、この当時は「バンドって結構チャラチャラしてるイメージがあった[10]」といい、「出来もしないのに出来てるふりをするのがすごいイヤだった[10]」「"出来ないから、皆で頑張ろう!"なんて、ふざけんな!って思ってた[10]」と語っている。そのため、1年間は一人でドラムを練習する時間に費やしたといい[10][11]、「パーマネントでどっかのバンドに属するって形は一切取らなかった[11]」と述懐している。なお、sakuraは当時を振り返り「進学校ということもあり二学期にもなると、大学受験を控えた三年生は、毎週水曜日だけの登校だった。将来はプロドラマーになろうとしていたから、受験勉強に勤しむ同級生を尻目に、スティックを握りしめほぼ毎日登校していた[12]」と述べている。また、高校生の頃は、髪を金髪に染めたり部活に行かなくなる時期もあったというが[9]、sakuraは「ちゃんと(ヤンキーを)やってる人に比べれば全然中途半端だった[9]」「学校自体、中途半端だから。ファッション・ヤンキーな奴が多かった[9]」と述懐している。ちなみに、自身にとっての初めてのライブは高校3年生の頃で、オリジナル曲を演奏する平均年齢が30代のバンドだったという[11]。
- 大学進学を決めるタイミングで、sakuraは両親に「音楽やりたい[11]」と打ち明け、音響に関する専門学校(PA・レコーディングエンジニア科)に進むことにしている[6][13]。sakuraは2023年に受けたインタビューの中で、専門学校時代を振り返り「音楽制作に関係した外的な知識を得たかもしれない[6]」「同期の中にはKORGのお偉いさんになっちゃった子もいるし、照明オペレーターとしてそれなりのポジションになった子もいるし。コンサート制作会社のそれなりのポジションになった子もいたな。同期でプレイヤーになったのは俺くらいかもしれない[6]」と述懐している。なお、sakura曰く、専門学校に進むことに対し両親から反対があったが、兄が陰で「末っ子には自分の好きな道を歩ませたい[6]」と説得してくれていたことをのちに知ったという[6][13]。
- L'Arc〜en〜Cielに加入する以前は、セッションドラマーとして、Speak easy、the HAREM Q、DIE-KÜSSE、Smell of the Bananaなど、様々なバンドのライヴに参加したり、バンドのローディーをしていた。なお、様々な現場に顔を出していたことからミュージシャンと知り合う機会が多くあったようで、RIKIJI(Oblivion Dust)とは共にローディーをしていた頃に出会ったという[12]。また、キャバレーなどで箱バンドとして活動していたこともあった[14]。このように、sakuraはL'Arc〜en〜Cielに入るまで、1つのバンドだけに関わるような音楽活動をしたことがなかったという。
- sakuraはDEAD ENDのドラマー、湊雅史のローディーを務めていたことがある。sakura曰く、初めてDEAD ENDの現場に行ったのは、1989年に発表された4thアルバム『ZERO』のプリプロが行われていたスタジオだったという[12]。その後、アルバムを引っ提げたツアーにも帯同している[12]。なお、sakuraはDEAD ENDについて「4人は櫻澤にとって、特別な存在、多大な影響を受けた方々、憧れ続ける対象、尊敬している人達…。DEAD ENDなくして、今の櫻澤は存在していなかっただろうと思う[12]」と語っている。
- なお、DEAD ENDのローディーを務めることになったのは、当時sakuraがとあるインディーズメタルバンドで手伝いをしていた頃に、そのバンドの女性スタッフから、DEAD ENDのマネージャーを紹介してもらったことがきっかけだったという[12]。余談だが、DEAD ENDのマネージャーはのちにDIE IN CRIESのマネージャーを務めることになる[12]。そしてそのマネージャーは、DIE IN CRIESと同じ事務所に所属していたL'Arc〜en〜Cielでリーダ兼ベーシストを務めるtetsuyaに、sakuraの連絡先を教えたという[12]。こういった経緯があり、L'Arc〜en〜Cielの初代ドラマー、peroが抜けた後にtetsuyaからsakuraにセッションのオファーが来ることになった[12]。
- ちなみに、tetsuya(L'Arc〜en〜Ciel)がアマチュア時代にアルバイトしていたレコード店に、DEAD ENDのメンバーが出入りしていたことから、sakuraとtetsuyaは直接知り合ってはいないものの同じ空間に居合わせていたことがあった。
- 湊雅史のローディーを務めていたことから、sakura曰く、様々な音源制作の場に居合わせていたという。この当時にsakuraは、泉谷しげる with LOSERで湊がドラムを叩く現場や[6]、忌野清志郎と湊がレコーディングをしている山中湖のスタジオにも居たという[6]。
- sakuraは1993年1月にL'Arc〜en〜Cielに入ることになるが、加入を決めた経緯について「今までは、いろいろなバンドをかけもちしたりして楽しんでいたんで、一つのバンドでやっていくというのは気持ちの切り替えも必要だったし。今までやってきたこととは音楽的にも全然違うから、セッションで合わせた時も、確かにギャップのようなものは感じたんですよ。でも、年齢的にもたいして変わらないし、聴いて来た音楽のルーツにもそう違いはないんじゃないかと。そこから枝分かれしたものが重なって、また面白いものが出来るんじゃないかとも思ったし。その上で"ぜひとも、一緒にやりたい"とふんぎりがつきましたね[15]」と当時語っている。また、2006年のtetsuyaとの対談では「お決まりの曲を、お決まりのようにしか出来ない人たちだろうって思ってたのね。でも、(初めて音を出した)その時に、普通に音を出しても、曲になりそうな断片的なフレーズとかセッションが出来てて、すごい感銘を受けた[16]」「すごい興味あったし。むしろ"入れろ、入れろ"って言った覚えもある(笑)[16]」と加入当時を述懐している。
- hydeは最初のsakuraとのセッションを振り返り「上手いなぁ、と思いました。変わったドラムを叩く人だな、と。ヘンなことをしてるんだけど(笑)。キッチリした上でやっているという感じの人ですね[15]」と述懐している。また、kenは「僕は、会ったその日からベラベラと話してて(笑)…話しやすい人だと思いました[15]」と当時を振り返っている。
- L'Arc〜en〜Cielの楽曲の中で、sakuraに作曲クレジットがついているものは少ないが、アレンジの面でkenとともに中心的な役割を担っていた。tetsuyaは2006年に、sakuraとの楽曲制作を振り返り「sakuraとやってね、思ったのは曲をアレンジする上で、すごくいろいろ勉強になりましたね。アレンジではそこまで考えてなかったとこまで、sakuraは考えてたから。既に[17]」と述懐している。なお、L'Arc〜en〜Cielの3rdアルバム『heavenly』に収録された楽曲「静かな海で」は、作曲クレジットが"L'Arc〜en〜Ciel"となっているが、原案はsakuraが手掛けている[18]。
- 1997年にL'Arc〜en〜Cielを脱退したが、今でもバンドメンバーと親交があり、ライブで度々共演している。ちなみに、自身と入れ替わるかたちでL'Arc〜en〜Cielのメンバーとなったyukihiroとは、kenとsakuraが2002年に結成したロックバンド、SONS OF ALL PUSSYSが主宰したライブイベント「BUBBLE FESTiVAL」で共演したことがある。
- hyde - 2003年に開催されたHYDEのソロ名義でのライブツアー「2004 FIRST TOUR 666」にドラマーとしてゲスト参加し、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「I'm so happy」を披露。他にも、2018年に行われたHYDE主宰のライブイベント「HALLOWEEN PARTY 2018」に出演し、「Entichers」を披露している。
- ken - 2002年にkenとファッションモデルのEinと共に、ロックバンド、SONS OF ALL PUSSYSを結成し活動。2016年・2017年に行われたKen主宰のライブイベント「PARTY ZOO 〜Ken Entwines Naughty stars〜」及び「PARTY ZOO 2017」に出演している。2024年には、DEZERT主催のライヴイベント「SUMMER PARTY ZOO 2024」に2人が出演し、セッションを行っている。
- tetsuya - 2005年にTETSU69がリリースした楽曲「REVERSE」のレコーディングに参加。2006年には音楽雑誌『R&R NEWSMAKER』(2006年10月号)で対談している他、2019年に行われたライブイベント「中村佳嗣生誕五十年記念祭」に2人揃って出演し、「Dune」を含めた3曲のセッションを披露。2024年には、tetsuyaが結成したL'Arc〜en〜Cielのコピーバンド、Like〜an〜Angelのライヴにサプライズゲストとして参加しており、「Blame」と「I'm so happy」を演奏している。
- 現在は、2016年に結成したロックバンド、gibkiy gibkiy gibkiyとしての活動を中心に、自身主催のドラマーを集めたライブイベント「Busker Noir」を定期的に行っている。なお、sakuraはこのイベントでは、自身が書き貯めた"ドラム楽曲"を披露している[19]。2016年11月20日に行われた「Busker Noir」では、村上“PONTA”秀一[19]、仙波清彦[19]、五十嵐公太[19]、永井利光[19]、風間弘行[19]、KAZI[19]、楓[19]、篤人[19]といったドラマーを招聘しており、集大成的な内容でライブが行われた[19]。
- 2002年頃からは、バンドの音源制作の場でプロデューサーも担当するようになっている。sakura曰く、始めた当初はドラムのチューニングをメインとしたサウンドメイキングを担当していたという[6]。なお、ロックバンドのMUCCは、この当時からsakuraのプロデュースを受けていた。
- 近年では、ドラムレッスンも精力的に開催している。講師を始めたのは、前記のイベント「Busker Noir」を東京都内で開催するうちに、「関西エリアでも開催したい[6]」と思うようになったことが発端であった[6]。予算の兼ね合いもあり、関西でのイベント実施が難しいと考えていた中で、音楽スタジオを運営するBASS ON TOPグループの役員を務めていた友人から「sakuraくん、うちのスタジオでドラムセミナーやってよ[6]」と依頼が来たという[6]。「系列店でBusker Noirが開催できるかもしれない[6]」と考えたsakuraは、「依頼されているドラムセミナー引き受けるよ。どうせなら、そのセミナーを皮切りに御社の大阪のスタジオで定期的なドラムレッスンやらせてもらえないか[6]」と提案し、定期的にドラムレッスンを催すようになった[6]。sakuraはレッスンを行うことについて「ドラムセミナーは、小説や漫画に例えると1話完結の読み切り作品みたいなモノで、限られた時間で不特定多数を対象にしたものだから、教えたいことが制限されてしまう。それに対して、定期的なレッスンは特定数を対象とした連載作品みたいなものだから、回数は重ねることになるけど、受講生のニーズに合わせて教えたいことを伝えることが出来る[6]」と述べている。
- レコーディングでは微妙な周波数の違い、音の広がりにまでこだわる。L'Arc〜en〜Cielに在籍していた頃は、レコーディングセットのチューニングを曲ごとに激しく変えたり、マイクのセッティングなどもとことんまでこだわっていた。
趣味・嗜好
[編集]- L'Arc〜en〜Cielの他のメンバーと同様に、学生時代はDEAD ENDやポリス[6]、日本国内外のHR/HM、デュラン・デュラン[6]やスパンダーバレエ[6]といった1970年代から1980年代に隆盛を迎えたニュー・ウェイヴ/ニューロマンティックを聴いていた。
- 高校生の頃は、いわゆるジャパメタを好んで聴いており、44MAGNUM[20]やMARINO[20]、X-RAY[20]、BLIZARD[20]などのバンドを愛聴していた。
- 他には、兄の影響でビートルズ[21]やクイーン[6]、箱バンドでセッションドラマーとして活動していた経緯もあり[14]ジャズも好んで聴いていた。sakuraは1994年に受けた音楽誌のインタビューの中で、好きな音楽について「挙げたらキリがないですよ。70年代のハード・ロックも聴くし、ひと昔前のジャズ、今ならブルー・ノート・レーベルから出てるヤツとか…。昔のアルバムは、ミュージシャンがどこにいて、どんな表情で演奏しているのかも、聴いているだけで伝わってくるじゃないですか。そういうところがいいんですよ[22]」と述べている。
- 母親がホラー映画好きだったことから、子供の頃は一緒に映画を観ることが多かったという[23]。その影響からか、sakuraは幼少期に「世界の七不思議」や「ノストラダムスの大予言」「バミューダ・トライアングル」といったオカルトに関連した本や作品を読み漁っていた[23]。また、プロレスが好きで、かつてプロレス雑誌を毎週読んでいたという。
- L'Arc〜en〜Cielに在籍していたころには、花をモチーフとしたペイントを顔から上半身にかけて描いて登場することが多かった。刺青を入れずペイントを描いていた理由について、sakuraは「(刺青は)痛いし、あとで黒じゃなくなるのが嫌だから」と述べている。
- 人前で歌うのが苦手らしく、ボーカルを担当することは少ない。ただし、L'Arc〜en〜Cielのライブでは「予感」「I'm so happy」といった楽曲でコーラスを担当していた。また、ken(L'Arc〜en〜Ciel)と2002年に結成したロックバンド、SONS OF ALL PUSSYSでは、3rdミニアルバム『high』に収録された楽曲「S.O.A.P. 100%」でラップを披露している。
- 黒を好み、インテリアやカーテン、衣服、ドラム・スティックに至るまで黒色のものを愛用している。髪の色も一貫して黒だが、ZIGZOのラストライブのときには銀色に染めていた。
- ドラムの演奏中に喫煙することがある。喫煙している様子は、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「Blurry Eyes」のミュージック・ビデオで確認できる。なお、sakuraは2011年頃にはガラム・メンソールとセブンスターを愛煙していた。2017年時点では、電子タバコを吸っているところも確認されている。
- ちなみに、L'Arc〜en〜Cielで共に活動していたkenもタバコを演奏中に吸うことがあるが、kenが喫煙しているのを確認できるのはsakuraがバンドを脱退した後からである。そのため、「kenはsakura脱退をきっかけに、演奏しながら喫煙し始めた」と言われているが、真偽のほどは定かでない。
機材
[編集]- 2011年現在、2005年に製作したPearlのカスタム・モデルを愛用。内面にカーボンクロスを貼り付けた6プライ・メイプル。22"×22"BD、10"×8"TT、12"×8"TT、14"×12"TT、16"×12"TT。BDのレッグを外し、バスドラムアンカーを付けている。ラックを導入しているが、スタンド類はストレートで統一。TOSHI NAGAIモデルのスネアドラムもお気に入りであるらしい。
- 2012年のZIGZO再結成公演では、海外発注したというPearlのアクリル製キットを使用。24"×16"BD、14"×8"TT、16"×16"FT、18"×16"FT。タムとライドシンバルを、バスドラムに取り付けたホルダーからセッティングしている。
- シンバルスタンドはフラット・ベース・タイプを愛用。
- L'Arc〜en〜Ciel時代、「flower」のミュージック・ビデオで確認できるキャノンタムはビル・ブルーフォードからの影響。
- L'Arc〜en〜CielからZIGZO時代にかけ、26インチのバスドラムを愛用していた。当時はドラムシェルが全てメイプルで、ワンバスの代わりに多種多数のタム、シンバルが組まれていた。特にインディーズ時代と、ヘブンリーツアーファイナルでは、後任のyukihiroにも匹敵するほどの多点セットを組み込んでいた。
- シグネチャースティックはメイプル素材。sakuraデザインのトライバル風文様が描かれている。現在のスティックはヒッコリー素材。スティックの素材について「メイプルの音は繊細で好きだけど潔く折れる。ヒッコリーは折れても何とか形は残る」といった言及をしたことがある。
- Pearlのスネアドラムデザインバリエーション「Colors Infinity Snare Drums Collection」に、自身のデザインを提供。Pearlの企画で全150種のデザインで人気投票を行い、自身のデザインが1位となった[24]。自らがデザインしたスネアを、ドラムレッスンで生徒が持っていたのを見て、「自分が持っていなかったら買ってくれたキッズ達をガッカリさせることになる」と言って自らもPearlから取り寄せ、Instagramにアップした。Masters Maple Completeの6プライ14"5.5"で、フープ等の色はPearlの忖度で黒色で届いた。2017年12月、Rayflowerの新潟公演のライブで使用した。[要出典]
- 自身初のシグネチャースネアドラムが2020年11月20日にPearlから発売された[25]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ "Sakuraこと櫻澤泰徳がドラムを叩き続ける50歳記念「暗黒秋櫻」". ナタリー. 22 April 2019. 2025年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月11日閲覧。
- ^ ""CRAZY"COOL-JOE主催イベント<"CRAZY" Rock Night Vol.5>、東京と神戸で2022年6月に4DAYS開催". BARKS. 18 December 2021. 2023年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月5日閲覧。
- ^ ""CRAZY"COOL-JOE、還暦イベント<60TH ANNIBERSARY>を2024年2月開催". BARKS. 11 November 2023. 2023年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月30日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y "櫻澤 泰徳 Sakuraさんへインタビュー!【ヒーロー不在の時代】". BAND Knowledge. 29 September 2023. 2025年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月11日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h i j "Sakura、8名の著名ドラマーと主催ドラムイベント開催「集大成的なもの」". BARKS. 19 October 2016. 2025年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月11日閲覧。
- ^ a b c d "【トークセッション】Sakura × LEVIN × shuji、「リズムを歌うことがドラムを演奏する楽しさ」(2/7)". BARKS. 1 April 2021. 2025年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月11日閲覧。
- ^ 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.173、シンコー・ミュージック、1996年
- ^ 『ロッキンf』、p.34、立東社、1994年8月号
- ^ a b 『L'Arc〜en〜Ciel is』、p.167、シンコー・ミュージック、1996年
- ^ “【“Pearl Snare Drums “Colors Infinity 選挙 2017″】結果報告”. パール楽器製造株式会社|NEWS & EVENTS (2017年7月18日). 2021年2月5日閲覧。
- ^ “Sakura [櫻澤泰徳、初のシグネチャースネアを11月リリース]”. BARKS (2020年9月30日). 2021年2月5日閲覧。