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mimi (歌手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
mimi
出生名 宮本 典子
生誕 (1951-12-30) 1951年12月30日
出身地 日本の旗 日本東京都銀座
ジャンル
職業 歌手
担当楽器
活動期間 1973年 -
共同作業者

mimi(ミミ、1951年12月30日[1] - )は日本の女性シンガー。東京都銀座出身。以前は本名である宮本典子の名で活躍していた。

人物・来歴

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高校時代にソウルミュージックディスコに興味を持ち、独学でボーカルレッスンを始める。R&Bが日本で主流になるずっと以前、東京赤坂にあったディスコ″MUGEN″でダンサーとして働いていた際に、同会場でライブを行ったティナ・ターナーのパフォーマンスに魅了され、ソウル・シンガーを目指すことを決意する[2]

1973年に結成されたバンド ″スリー・チアーズ&コングラッチュレーション″ にメインボーカリストとして加入する。バンドの他のメンバーには、ボーカルにグッチ裕三、ドラムにはウガンダ・トラらが在籍していた。グラハム・セントラル・ステーションルーファス (バンド)英語版などのコピーを中心に、日本人による日本唯一のファンク・バンドとして多くのファンを得た。

やがてmimiはMUGENを離れ、一時は大手メーカーとの契約の話が持ち上がるが、自身が目指す方向性とメーカーの思惑とが合致せず、契約の話は白紙となる[2]

1977年、日本ジャズ界を代表するベース奏者鈴木勲にスカウトされ、バンド ″ソウル・ファミリー″ に参加する。同年に田園コロシアムのジャズ・フェスティバルに出場しデビューを果たす。

1978年、鈴木勲とのコラボレーション・アルバム『PUSH』でユピテルからデビューし、後にトリオへ移籍する。

1980年3月に行われた第9回東京音楽祭でシングル「ラスト・トレイン」を歌唱し、外国審査員団賞を受賞する[2]

1990年に単身渡米し、日本で知り合ったグロリア・ジョーンズ英語版の元を訪れた後、活動の拠点をアメリカ合衆国西海岸に移す[2]。グラハム・セントラル・ステーション、ザ・ブラザーズ・ジョンソン英語版サイド・エフェクト (バンド)英語版エディ・マーフィーのバンド ″サイケデリック・ソウル″ など数々のバンドに参加し、念願であったソウル・シンガーになる夢を叶えた[3]

1999年に再びソロ名義でアルバム『Joy Love Happiness』、2001年に『mimi』を発表。その後もコンスタントにアルバムを発表し続ける。

2013年2月20日に宮本典子名義のファースト・ミニアルバム『PUSH』が初めてCD化され[4]、2022年8月12日にはLPレコードとCDが再発売された[5]

現在はロサンゼルス在住[6]。全米ツアーや日本でのライブ公演に参加するなどの活動を続けている[7]

ディスコグラフィー

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宮本典子名義

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シングル

  • 「ひとつ年上 (クリスタル・ファンタジー)/I'm just a little ordinary girl」
  • 「エピローグ/朝やけの告白 ~Take Me into your Life」
  • 「ラスト・トレイン/炎の頃」
  • 「北回帰線/積木の箱」
  • 「ニュー・ロマンス/愛は24Hours」
  • 「シルバー・レイン/AFTER YOU’VE GONE」
  • 「マイルド・コネクション/ターキッシュ・コーヒー」
  • 「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング/マニアック」
  • 「シルバー・レイン/フィール・ライク・メイキン・ラヴ」
  • 「ファイナル・レイン/よろめいてヒロイン」
  • 「プッシュ/やりかけの人生」
  • 「ONNA/真夜中のジプシー」
  • 「UMI (SUDDENLY LAST SUMMER)/ANOTHER LOVER」

アルバム

  • 『PUSH』
  • 『VIVID』
  • 『Rush』
  • 『NORIKO』

mimi名義

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シングル

  • 「Joy Love Happiness」
  • 「So Deep」
  • 「Here We Go」
  • 「I DON'T KNOW WHY」
  • 「Time After Time」

アルバム

  • 『Joy Love Happiness』
  • 『New Romance』
  • 『mimi』
  • 『Elements』
  • 『ATTITUDE』

脚注

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出典

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