コンテンツにスキップ

M・カルナーニディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
M・カルナーニディ
மு. கருணாநிதி
タミル・ナードゥ州首相
任期
2006年5月13日 – 2011年5月15日
代理官M・K・スターリン (2009-2011)
前任者J・ジャヤラリター
後任者J・ジャヤラリター
選挙区チェポック選挙区
任期
1996年5月13日 – 2001年5月13日
前任者J・ジャヤラリター
後任者J・ジャヤラリター
選挙区チェポック選挙区
任期
1989年1月27日 – 1991年1月30日
前任者R・ジャーナキ
後任者J・ジャヤラリター
選挙区ハーバー選挙区
任期
1971年3月15日 – 1976年1月31日
前任者中央政府直接統治
後任者中央政府直接統治
選挙区セイダペット選挙区
任期
1969年2月10日 – 1971年1月4日
前任者V・R・ネドゥンチェリヤン (代行)
後任者中央政府直接統治
選挙区セイダペット選挙区
タミル・ナードゥ州議会議員議員
ティルヴァールール選挙区選出
任期
2011年5月15日 – 2018年8月7日
個人情報
生誕 (1924-06-03) 1924年6月3日
イギリス領インド帝国の旗 イギリス領インド帝国マドラス管区サーッキュバライ(現インドの旗 インドナーガパッティナム県
死没 (2018-08-07) 2018年8月7日(94歳没)[1]
インドの旗 インドタミル・ナードゥ州チェンナイ
政党ドラーヴィダ進歩党
協力政党正義党(-1944)→ドラヴィダ人協会
配偶者パドマヴァティ・アマル
ダヤル・アマル
ラジャティ・アマル
親戚カルナーニディ家の項を参照)
子供M・K・ムットM・K・アラギリM・K・スターリンM・K・カニモジら6人
住居インドの旗 インドタミル・ナードゥ州チェンナイゴパラプラン

M・カルナーニディமு. கருணாநிதி : M. Karunanidhi、1924年6月3日 - 2018年8月7日)は、タミル人政治家文学者タミル・ナードゥ州ドラーヴィダ進歩党の創立者たちの一人であり、同党の党首を務めた。また同州の州首相を非連続ながら合計で5期務めた。

人名

[編集]

M・カルナーニディの「M」は「ムットゥヴェール」の公式表記で、父名。したがって非公式にはカルナーニディ・ムットゥヴェール(கருணாநிதி முத்துவேல் : Karunanidhi Muthuvel)となる。

多くの著作や劇作などがあることから、カライニャル(கலைஞர் ; Kalaignar)「学芸の智者」とも呼ばれる。

生涯

[編集]

出自及び学歴

[編集]

インドタミル・ナードゥ州ティルヴァールール県ティルックヴァライにて、1924年6月3日に生まれた[2]

初めは、タミル語映画の脚本家として活動した。歴史劇や神話劇を多く作り、ドラヴィダ人の復権を訴える内容を持たせていた。

政治家としての経歴

[編集]

演説のうまさと機知により、政治家として頭角を現す。

1944年のドラーヴィダ進歩党の創立に中心的な役割を果たした一人である。1957年にクリッタライ選挙区から初出馬し、以来出馬した10回の選挙戦ではすべて当選を果たしている。

インド政府によるヒンディー語の公用語化案に対しタミル語の起源の古さなどを論じ、政府の施策は押し付けであるとして強硬に反対した。

1961年ドラーヴィダ進歩党の経理部長。1962年から野党代表を務め、1967年に党が政権を得ると、州の公共事業担当相となる。1969年にドラーヴィダ進歩党の党首となり、以後継続してその座にある。同年に州首相となる。

1977年にドラーヴィダ進歩党が野党に転落すると、1983年まで再び野党代表の立場となる。しかし1983年スリランカのタミル人独立運動との関わりで辞任、選挙には出馬しなかった。

1989年に党が与党となると、再び州首相に就任したが、1991年に辞職。

1996年から2001年には再び州首相を務めるが、2001年の選挙で党が野党となったため州首相を辞職した。

2001年6月30日には、陸橋工事をめぐる詐欺容疑で逮捕されたが、これに反発する支持者たちによる大規模な暴動に繋がった。本人は健康上の理由で釈放された。この他、反ヒンディー語運動の扇動、鉄道駅名の恣意的な変更、物価高騰の責任、スリランカのタミル人独立運動への関与などの罪状で、多くの投獄経験を持つ。

2006年5月の統一地方選挙でドラーヴィダ進歩党が勝利したことから、同党党首であるカルナーニディは再び州首相に就任し、2011年まで務めた。

ヨシフ・スターリンの崇拝者であり、長男にM・K・スターリンがいる。スターリンを世襲の権力継承者とする反対が強まっている。また、妻が二人いることも、インドの法律に反していることもあり、批判されている。

2018年7月に体調を崩し入院、同年8月7日に94歳で死去[2]

略年表

[編集]
  • 1924年6月3日:インドタミル・ナードゥ州ティルヴァールール県ティルックヴァライにて誕生。
  • 1944年ドラヴィダ人協会の創立に参加。
  • 1957年:クリッタライ選挙区から初出馬、当選。
  • 1961年:ドラーヴィダ進歩党の経理部長(-1969)。
  • 1962年:野党院内代表(-1967)。
  • 1967年:タミル・ナードゥ州の公共事業担当相(-1969)。
  • 1969年:ドラーヴィダ進歩党の党首。タミル・ナードゥ州の首相となり、第一次カルナーニディ内閣を組閣(-1971)。
  • 1971年:第二次カルナーニディ内閣を組閣(-1977)。
  • 1977年:野党院内代表(-1983)。
  • 1983年スリランカのタミル人独立運動との関わりで辞任。
  • 1989年:第三次カルナーニディ内閣を組閣(-1991年)。
  • 1996年:第四次カルナーニディ内閣を組閣(-2001年)。
  • 2001年6月30日:陸橋工事をめぐる詐欺容疑で逮捕。後に健康上の理由で釈放。
  • 2006年5月:第五次カルナーニディ内閣を組閣(-2011年)。
  • 2018年8月7日:94歳で死去。

家庭・親族

[編集]

インドの法律では一夫多妻制が禁止されているが、妻は二人いる。子は四男二女がいる。

なお、カルナーニディの兄弟の孫息子であるダヤーニディ・マーランも政治家として活動している。

映画化

[編集]

映画イルヴァルが、カルナーニディとM・G・ラーマチャンディランとの政争を描いた映画として知られている。

映画「Thalaivii」(2021)はカルナーニディの政敵ラーマチャンディランの政治的後継者J. ジャヤラリタを描いており、その中でカルナーニディーは批判的に描かれている。

出典

[編集]


関連事項

[編集]

外部リンク

[編集]
先代
C・N・アンナードゥライ
タミル・ナードゥ州首相
第3-4代:1969 - 1976
次代
M・G・ラーマチャンディラン
先代
R・ジャーナキ
タミル・ナードゥ州首相
第10代:1989 - 1991
次代
J・ジャヤラリター
先代
J・ジャヤラリター
タミル・ナードゥ州首相
第12代:1996 - 2001
次代
J・ジャヤラリター
先代
J・ジャヤラリター
タミル・ナードゥ州首相
第15代:2006 - 2011
次代
J・ジャヤラリター