DMG MORI Digital
表示
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒004-0015 札幌市厚別区下野幌テクノパーク1丁目1-14[1] |
設立 | 1980年(昭和55年)10月20日[1] |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 4430001013788 |
代表者 | 代表取締役社長:鈴木祐大[1] |
資本金 | 1億円[1] |
売上高 |
45億3千3百万円 (2023年12月期)[1] |
純利益 |
2224万7000円 (2022年12月31日時点)[2] |
総資産 |
33億8293万6000円 (2022年12月31日時点)[2] |
従業員数 | 227名(2024年4月1日現在)[1] |
主要株主 | DMG森精機株式会社 100%[1] |
関係する人物 |
青木由直(北海道大学名誉教授) 伊福部達(東京大学名誉教授) 服部裕之(創業者) 村田利文(創業者) 若生英雅(創業者) 木村真(創業者) |
外部リンク | https://www.dmgmori-digital.co.jp/ |
DMG MORI Digital株式会社(ディーエムジーモリデジタル、英文社名:DMG MORI Digital CO., LTD.)は、日本のコンピュータ関連企業。本社は北海道札幌市。
概要
[編集]青木由直が設立した北海道マイクロコンピュータ研究会に参加する、北海道大学工学部電子工学科の学生だった服部裕之、村田利文、若生英雅、木村真により、1977年(昭和52年)にソフトハウスとして創業され、1980年(昭和55年)に4人の共同出資でビー・ユー・ジーが設立された[3][4]。社名はコンピューターのプログラムミスを意味するバグから取られ、ミスのないようにと自戒的な意味も込められた[5]。
のちにJR札幌駅前にソフトフロントなどのIT企業が集積したサッポロバレーの企業群の源流の1つとなり[6]、研究会設立者の青木はサッポロバレー発展形成に関する貢献が評価され、情報処理学会フェローの称号を受けている[7]。
技術力の高さは業界でも有名であり、過去にはソニーの8ビットパソコンSMC-70のモニタ並びにBASICインタープリタの開発を受託したり、NTT-TE東京と共同で、ISDNブームの火付け役となったターミナルアダプタ「MN128」シリーズを開発したり、WWWオートパイロットソフト「波乗野郎」を開発したことなどで知られる。ハドソン社とともにIT産業の集積地であるサッポロバレー誕生の基礎となった企業でもある。
2010年ビー・ユー・ジーが研究・開発に協力したMPCが、国際宇宙ステーションの映像伝送能力を飛躍的に進歩させたとして、JAXAと共にNASAからGroup Achievement Award (NASA Group Achievement Award) を授与された。
沿革
[編集]- 1977年(昭和52年) - 個人経営のソフトハウスとしてB.U.Gを創業[3]
- 1980年(昭和55年) - 株式会社ビー・ユー・ジー設立
- 1982年(昭和57年) - SMC-70用モニタ、並びにBASICインタープリタの開発[8]。気象衛星ひまわり気象画像処理装置開発[9]。
- 1988年(昭和63年) - 本社/研究所を「札幌テクノパーク」に新築
- 1993年(平成5年)
- デジタルビデオアクセラレータ「DeskStudio」米国ラディウス社と共同開発
- 関連会社バイスのサテライト事業部が世界初の全編CGによる連続アニメ番組「ビット・ザ・キューピッド」をグループ・タックと共同で制作開始
- 1994年(平成6年) - Macintosh用開発環境「CodeWarrior」日本総代理店業務開始
- 1995年(平成7年)
- NTT-TE東京(後のNTT-ME)と共同でISDNターミナルアダプタ「MN128」シリーズを開発・発売( - 2003年(平成15年))
- アーティスト立花ハジメ氏と、Adobe Illustrator対応プラグインモジュール「SiNYO Beta」を共同開発
- 1996年(平成8年)
- WWWオートパイロットソフト「波乗野郎」を発売。日経優秀製品サービス賞優秀賞受賞( - 2001年(平成13年))
- プレイステーション用タイトル統合開発環境「CodeWarrior for PlayStation」販売開始
- バイスが「CodeWarriorセンター」開設
- 2000年(平成12年) - 衛星通信を利用した気象観測システム「OC-200W」開発
- 2005年(平成17年) - NHK放送技術研究所が開発を進めているスーパーハイビジョンの映像送出システム開発に参画
- 2007年(平成19年) - ハイビジョン信号変換装置開発、スペースシャトル・ディスカバリーに搭載
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年) - JAXAとビー・ユー・ジーの共同チームが、国際宇宙ステーションの映像伝送能力を飛躍的に進歩させたとして、NASAからGroup Achievement Awardを授与される。
- 2013年(平成25年) - 森精機の完全子会社化により4月1日より社名を「株式会社ビー・ユー・ジー」から「ビー・ユー・ジー森精機株式会社」へ変更[11]
- 2015年(平成27年) - 8月1日より社名を「ビー・ユー・ジー森精機株式会社」から「ビー・ユー・ジーDMG森精機株式会社」へ変更
- 2023年(令和5年) - 1月1日付で社名を「DMG MORI Digital株式会社」へ変更[12]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g “会社概要”. DMG MORI Digital株式会社. 2024年12月2日閲覧。
- ^ a b DMG MORI Digital株式会社 第44期決算公告
- ^ a b 吉田晴代「ビー・ユー・ジー : 北海道におけるITベンチャーの軌跡(<特集>ケースに学ぶ北海道企業)」『産研論集』第30巻、札幌大学経営学部附属産業経営研究所、2005年3月、21-46頁、ISSN 09169121、CRID 1050001337553790208。
- ^ 長山宗広「新しい産業集積の形成メカニズム : 浜松地域と札幌地域のソフトウェア集積形成におけるスピンオフ連鎖」第101巻第4号、2009年1月、doi:10.14991/001.20090101-0151。
- ^ 女子高生狂い!服部浩之一気転落 - 財界さっぽろ1997年9月号(財界さっぽろ)180-181頁
- ^ “「サッポロバレー」の先駆け、北海道から撤退 ソフトフロント”. 日本経済新聞 (2014年6月7日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ “フェロー 青木由直君(正会員)”. 情報処理学会. 2024年12月2日閲覧。
- ^ About BUG - History[リンク切れ]
- ^ About BUG - History[リンク切れ]
- ^ 長沢正博 (2023年6月12日). “DMG森精機がソフト開発体制強化へ、札幌の子会社が新棟をオープン”. MONOist. 2024年12月2日閲覧。
- ^ “森精機がBUGを完全子会社化”. 製造現場ドットコム (2013年4月15日). 2024年12月2日閲覧。
- ^ “社名変更のお知らせ”. DMG MORI Digital株式会社 (2023年1月4日). 2024年12月2日閲覧。