Chori
chori(ちょり、1984年〈昭和59年〉11月10日 - 2024年〈令和6年〉8月20日[1][2])は、日本の詩人。本名・千明史。戸籍名・菊地明史。京都府出身。
ペンネーム「chori」の由来は、友人へのFAXに書いた「千ヨリ」が「チョリ」に見えたことから。
経歴
[編集]1984年(昭和59年)11月10日、茶道裏千家の千宗之・容子夫妻の第1子(長男)として、京都府に生まれる。京都精華大学卒業。
6歳のころより茶道の稽古を始めるも、茶人を継ぐ道を選ばず、中学生のころより詩人として活動を開始する。
2006年(平成18年)、狂言師茂山童司(現三世茂山千之丞)パフォーマンスユニット「chori/童司」を結成。京都を拠点に公演を重ね、2008年(平成20年)には、ヨーロッパツアー(フランス・パリ、イタリア・フィレンツェ、ローマ、ブレーシャ)を公演。
2014年(平成26年)12月9日、戸籍名「菊地 明史(きくち あきふみ)」として、独立(分家)した[3]。
2024年(令和6年)8月20日、肺炎による急性呼吸不全で死去。39歳没[1][2]。
同年11月20日、べストアルバム『ちょりびゅーと』をリリース予定。
家族・親族
[編集]母は、三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子・千容子(容子内親王)、父は、茶道裏千家第16代家元・千宗室である。
また、妹は、葵祭・第54代斎王代を務めた阪田万紀子(阪田修三の長男で医師の阪田宗弘夫人)[4][5][6]、弟は、茶道裏千家次期家元の千敬史(若宗匠・千宗史)である。
第124代天皇・昭和天皇の大甥、第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王の従甥、第126代天皇・徳仁(今上天皇)と秋篠宮文仁親王および黒田清子(紀宮清子内親王)の再従弟にあたる。父方の祖父に茶道裏千家第15代家元千玄室。また、父方の従弟に伊住公一朗と伊住禮次朗、母方の従姉妹に三笠宮家の彬子女王と瑶子女王、高円宮家の承子女王と千家典子(典子女王)および守谷絢子(絢子女王)らがいる。
系譜
[編集]千明史 (菊地明史) |
父: 千政之(千宗室) |
祖父: 千政興(千玄室) |
曾祖父: 14代千宗室 |
曾祖母: 千嘉代子 | |||
祖母: 千登三子 |
曾祖父: 塚本定治郎[7] | ||
曾祖母: 塚本三鶴[7] | |||
母: 千容子 |
祖父: 崇仁親王(三笠宮) |
曾祖父: 大正天皇 | |
曾祖母: 貞明皇后 | |||
祖母: 百合子 |
曾祖父: 高木正得 | ||
曾祖母: 高木邦子 |
ディスコグラフィー
[編集]2006年4月 | REDEMPTION | 自主版 | アルバム |
2007年2月 | 維新 | 自主版 | シングル |
12月 | 帰り道のはて | 自主版 | アルバム |
2009年6月 | 地図をつくる | 自主版 | アルバム |
2011年5月 | 夏の前日 | 自主版 | シングル |
2012年2月 | 短篇集 | 自主版 | シングル |
8月 | 祝福のおわった夜に | wonderground music | アルバム |
2013年8月 | 鈴木さん/僕たちはなんだか忘れてしまうね | 自主版 | シングル |
2014年2月 | ヒーローの愛し方 | 自主版 | EP |
2016年 | ししょうせつ | 自主版 | アルバム |
なとつみ | 自主版 | アルバム |
脚注
[編集]- ^ a b “詩人のchoriさんが死去 39歳 肺炎による急性呼吸不全で”. ORICON NEWS (2024年8月24日). 2024年10月23日閲覧。
- ^ a b “菊地明史氏急逝のお知らせ”. 裏千家ホームページ 茶の湯に出会う、日本に出会う (2024年8月24日). 2024年9月22日閲覧。
- ^ 【ご報告】苗字がかわりました - ウェイバックマシン(2015年2月23日アーカイブ分)
- ^ “千 万紀子様、第54代斎王代に”. 裏千家ホームページ 宗家だより (2009年4月13日). 2022年12月5日閲覧。
- ^ “千 万紀子様、結納の儀”. 裏千家ホームページ 宗家だより (2017年2月19日). 2022年12月5日閲覧。
- ^ “千 万紀子様、華燭の典”. 裏千家ホームページ 宗家だより (2017年10月7日). 2022年12月5日閲覧。
- ^ a b “塚本家(塚本定右衛門・塚本定一郎の家系図・子孫)”. 閨閥学 (2021年12月29日). 2022年12月5日閲覧。
外部リンク
[編集]chori a.k.a キクチミョンサ(@myeongsa_chori) - X(旧Twitter)
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