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Category‐ノート:かつて存在した企業/Log

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カテゴリ名変更提案

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カテゴリ名を「かつて存在した企業」から「現存しない企業」への変更を提案します。 現在の「かつて存在した企業」カテゴリにサブカテゴリとしてあるカテゴリも同様に

  • 「かつて存在したアメリカ合衆国の企業」 は 「現存しないアメリカ合衆国企業」
  • 「かつて存在したイギリスの企業」 は 「現存しないイギリス企業」
  • 「かつて存在した日本の企業」 は 「現存しない日本企業」
  • 「かつて存在した航空会社」 は 「現存しない航空会社」
  • 「かつて存在したコンピュータ企業」 は 「現存しないコンピュータ企業」
  • 「かつて存在した鉄道事業者」 は 「現存しない鉄道事業者」

への変更を提案いたします。

賛成反対意見お願いします。ひとまず期限としては4月23日と設定します。--Pararinpooh 2007年4月4日 (水) 16:00 (UTC)(追加--Pararinpooh 2007年4月4日 (水) 16:09 (UTC))

意見1

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  • (反対)恐縮ではございますが、ご提案の理由、変更のメリットが分かりかねる現段階では、反対の立場を取らせていただきます。反対の理由としては、
    「合併により社名が消えただけの企業に対しても『現存しない』と言い切ってしまうことに抵抗があるから」
    「『現存しない企業』にはフィクション作品などに登場する架空の企業も含まれてしまうから」
の2点を挙げておきます。--B級へたれ 2007年4月4日 (水) 16:57 (UTC)
  • (コメント)後者の問題は、カテゴリーの説明で、フィクションは含まない旨を明記しておけば問題ないかと。前者は、要推敲。--MZM-MSYK 2007年4月5日 (木) 01:21 (UTC)
  • (保留)改名のメリットがよくわからないので意見保留いたします。提案の理由をご説明いただけませんでしょうか?--bcjp 2007年4月5日 (木) 14:20 (UTC)

(コメント)4月6日2時JST現在の作業量を以下に示します。

  • 提案テンプレートが貼られている分
    • かつて存在した企業 - サブカテゴリ7、ページ21
    • かつて存在したアメリカ合衆国の企業 - サブカテゴリ3、ページ27
    • かつて存在したイギリスの企業 - ページ26
    • かつて存在した日本の企業 - サブカテゴリ19、ページ299、リンク元1
    • かつて存在した航空会社 - ページ26
    • かつて存在したコンピュータ企業 - サブカテゴリ1、ページ2
    • かつて存在した鉄道事業者 - サブカテゴリ2、ページ3、リンク元1
以上、7カテゴリで438ページ
  • 提案テンプレートが貼られていない分(これも当然含まれますよね? >提案者様)
    • かつて存在したアメリカ合衆国のコンピュータ企業 - サブカテゴリ1、ページ21
    • かつて存在した日本の医薬品メーカー - ページ8
    • かつて存在した日本の医薬品卸売企業 - ページ370
    • かつて存在した金融持株会社 - サブカテゴリ4
    • かつて存在した日本の家電量販店 - ページ10
    • かつて存在した日本の銀行 - サブカテゴリ7、ページ104、リンク元1
    • かつて存在した都市銀行 - ページ25
    • かつて存在した日本の公社 - ページ10
    • かつて存在した日本の証券会社 - ページ10
    • かつて存在した日本の信用金庫 - ページ21、リンク元1
    • かつて存在した日本の信用組合 - ページ9、リンク元1
    • かつて存在した日本の鉄道事業者 - サブカテゴリ24、ページ220、リンク元3
    • かつて存在した路面電車事業者 - サブカテゴリ1、ページ56、リンク元1
    • かつて存在した日本の電気通信事業者 - ページ28
    • かつて存在した東京都の企業 - ページ5
    • かつて存在した日本のバス事業者 - ページ45
    • かつて存在した日本の保険会社 - ページ25
    • かつて存在した宮城県の企業 - ページ10
    • かつて存在した路面電車車両 - ページ142、リンク元1
以上、19カテゴリで1164ページ。合計26カテゴリ1602ページ

もちろん、提案者様において作業には責任を持ってくださるのですよね?
それと、これだけの作業量をこなして余りある改名のメリットと、現状の名前であることによる不都合または不適切性について、まず説明を求めます。 --Vantey 2007年4月5日 (木) 17:20 (UTC)--1カテゴリ追加Vantey 2007年4月7日 (土) 10:37 (UTC)


こんにちは。提案者のPararinpooh さんは、少し前に井戸端で提案されていました(Wikipedia:井戸端の過去ログ/2007年3月/下旬#「かつて存在したxxx」という表現について)。表現がなじまないのではということのようです。これを元に議論できるかもしれません。私自身は、まだ意見が固まっていないので、保留です。--Yas 2007年4月5日 (木) 22:10 (UTC)

井戸端の議論を読みましたが、素のままの「かつて」という表現に違和感を感じるというのがご提案の理由でしょうか。Vanteyさんもおっしゃっていますが、まずはPararinpoohさんに依頼理由と現状のデメリットを提示いただきたいと思います。なお、私は改名に反対ではありません。ただし「現存しない」よりも「過去に存在した…」を提案します。--Clapon 2007年4月6日 (金) 02:25 (UTC)

(コメント)井戸端でのご提案を拝見した限り、当方は
> 「かつて存在した企業」=現在-過去のタイムスパンで存在していたことが主題、
> 「消滅企業」=現時点で消えていることが主題
というPeek-pokeさまのご発言とほぼ同意見です。「かつて存在した」企業が、必ずしも「現存しない」とは限りません。
Category:かつて存在した企業のサブカテゴリを見ると、法的には商号が変わっただけで現存しており、実際に事業も継続されている企業の記事が散見されますトミー富士コカ・コーラボトリングなど)。これらの企業記事に対して「現存しない」というカテゴリ名表示をしてしまった場合、虚偽の記載に当たる可能性もあります。
各カテゴリの説明に「商号を変えて現存している場合もある」などと、カテゴリ名そのものを否定するような記述を補足したとしても、企業側の記事に「現存しない」と表示されることに変わりはありません。もし、Botをお使いになるなどして、機械的に「現存しない」への書き換えをなさるのでしたら、反対の立場を取らざるを得ませんし、各記事の企業について一つ一つ調べながら書き換えるには大変な手間がかかります。
なお、各カテゴリ名を「過去に存在した」へ変更なさる場合はどのようなメリットが生じるのか、もしよろしければClaponさまからもご教授いただけましたら幸いに存じます。--B級へたれ 2007年4月6日 (金) 09:57 (UTC)
(コメント)「かつて存在した……」という表現に落ち着いた経緯については、Category‐ノート:日本の企業#倒産した企業についてにおいて2004年11月に話し合われています。そもそもは倒産企業のカテゴリ作成を目的にしていたのが、被合併企業なども同居できるということでこの表現になったようです。
話変わって上記井戸端の過去ログについてコメントしますと、『「かつて存在した企業」は「消滅企業」という言葉がつかえるのではとも思う』とおっしゃっていますが、「かつて存在した企業」が必ずしも「消滅した企業」ではないことは上にもいくつか意見が出ている通りです。補足すれば、『「defunct company」は「消滅企業」という言葉があります』といいますが、合併や改組を経て現に事業を継続しているen:Compaqen:British Aerospaceなども「Defunct…」というカテゴリに入っています。<記事の定義文での使用>に関してはここでは場違いですのであまり触れませんが、わかりやすい定義文をめざして個々に編集で対応すべきことであるというのと、そのような表現の多用をカテゴリ名のせいにするのは筋違い、八つ当たりであるということだけ言っておきます。 --Vantey 2007年4月6日 (金) 11:36 (UTC)

2日ほど離れておりまして、返答が遅くなりまして申し訳ありません。いまさら…な部分もありますが、B級へたれさんからいただいたご質問に回答いたします。簡単にポイントだけになりますがご容赦願います。「過去に存在した」に変更する理由とメリットについてです。まず改名に反対しない理由ですが

  • 「かつて存在した」が日本語として不自然であるというPararinpoohさんが井戸端で述べられていた感想と同感であるため
  • 「現存しない」と言い切ってしまうと、商号が変わった場合に不自然であるため(上のVanteyさんの御意見、意見2でのB級へたれさんの御意見と同じです)

ということから、「現存しない・・・」に変更するのは最適ではないと思い、「過去に存在した」を提案いたしました。メリットについては「かつて存在した」という私が不自然と感じる表現がなくなるという点だけです。カテゴリの本質を変えるものではなく単なる表現上の変更ということです。なお、みなさんが意見2で述べられている意見で私の言いたいことが網羅されていますので、以後はそちらに参加させていただきます。私の提案は改名する場合の選択肢の一つ程度としてください。--Clapon 2007年4月8日 (日) 12:43 (UTC)

提案理由

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■Pararinpoohです。

B級へたれさん、MZM-MSYKさん、bcjpさん、Vanteyさん、 Yasさん、Claponさん、みなさん、コメントありがとうございます。

Yasさん、井戸端の記述を紹介いただきありがとうございました。Vanteyさん、Claponさんもお読みいただきありがとうございます。ただ、この時は提案に至る一つの過程であってそのまま続きではありません。あちらは理屈ではなく当座の感想そのままですので、その点ご容赦いただければと思います。

またVanteyさん、Category‐ノート:日本の企業#倒産した企業についての貴重な情報ありがとうございます。こういう情報が重要ですね。これを知りたかったんですよ。

ということで作られたのですね。

さて、まず、遅れまして申し訳ないですが、提案理由を2点。

提案理由1:一般的でない表現
提案背景ですが、「かつて存在した企業」とは普通はいわないということです。
「かつて」とは昔、以前、たしかにあった、という意味で、あまり明確に時期がわからなかったり、または明確にしないときに使う言葉です。このかつては、一ヶ月前に会社をたたんだものには普通はつかいません。一年前でも使わないと思います。それは近い過去の場合、時期が(暗黙にも)わかっているから「かつて」が適切ではないからです。この意味でClaponさんご提案の「過去に存在した…」は「かつて存在したxx」の主旨をより正確に表す表現だとおもいます。しかしこなれた言い方としては「現存しないxxx」ではないかと思うものです。
提案理由2:2分割のもう一方
Category‐ノート:日本の企業#倒産した企業についてで、汎用的な表現が用いられたことにより、結果的には現在進行形とそうでない部分に大きく2分割するための汎用的なカテゴリ名となり、汎用的であるためにさまざまなところで用いられていることなのだろうなと推測します。
2分割できるようになったのは結果的にだとはおもいますが、2分割ですから相棒を考えてみるのが一つの方策です。「かつて存在したxxx」には相棒がいるはずです。「現存しないxx」は「現存するxx」です。2分割には明快だなと自分では思います。また、汎用的な名前としてもふさわしいと思います。みなさんはいかがでしょうか。
個別疑問点への回答
B級へたれさん、コメントありがとうございます。
「合併により社名が消えただけの企業に対しても『現存しない』と言い切ってしまうことに抵抗があるから」について
その場合、「かつて存在した」と言い切ってしまうことには抵抗ありませんか。その抵抗感は、「カテゴリでラベリングしている企業活動への評価」に対するものではなく、「企業ではなくなったがその後も存続している”なにか”」への評価であろうと思います。たとえばブランド名などが相当するかと思います。これは当該記事に「かつて存在したxxx」をつけようとした時点での個別記事での議論であり、「かつて存在した」と「現存しない」の違いではないと思いますがいかがでしょうか。わたしの理解が不足しているようでしたらもう少し解説いただけるとありがたいです。
「『現存しない企業』にはフィクション作品などに登場する架空の企業も含まれてしまうから」
MZM-MSYKさんご指摘ありがとうございます。「カテゴリの説明」で対応できますね。さらにはWikipediaでは架空のものも等しく取り扱われるようですので、「現存しないxx」と「架空のxx」のカテゴリが「xx」カテゴリのサブカテゴリとして並立していればより明確ですよね。それぞれのカテゴリでの判断になるとは思いますが。
Vanteyさんリストアップありがとうございます。結構ありますね。時間や労力がかかるからやらないというのは本末転倒でよりよい事典にするためには考えてはいけないと思っています。日本版で可能かどうかは知らないのですが米国版ではシステム担当に依頼して一括変換というのがなされるところだとおもいます。手でもできない範囲ではないですよね。ここでの判断が全体を統括にするにはウィキプロジェクトということになるのでしょうか。個別のカテゴリはそれぞれ独立でそれぞれのカテゴリはそれぞれのカテゴリの判断でされているというのがWikipediaの標準ルールのようですので、ここでなされた判断にもとづき、今回提案していないところそれぞれに許可を得てやるのかなといまのところは思っているものです。
Claponさんご提案の「過去に存在した…」ですが、これが「かつて存在したxx」という表現が本当に言いたい内容だと思います。ただし、論理的には正しいと思うのですが、上記に上げた2つの理由から「現存しない企業」だろうなと思うものです。
その他
なお、井戸端で「消滅企業」を紹介していますが、Vanteyさんおっしゃるように「かつて存在したxx」を置き換える用語ではなく思い直しており、ここでは触れていません。
以上です。もし、みなさんがすでに、「かつて存在したxx」が真の意味で最適だと判断されているのであれば、わたしの提案は場を乱してしまったことになります。ただ、貴重なVanteyさんご教示のCategory‐ノート:日本の企業#倒産した企業についてでは当座の落ち着き先のように思えますし、上記のとおり、わたしには「現存しない」が適切に思えます。私自身みなさんの意見を伺いたく、さらにいろいろご議論いただければと思っています。どうぞよろしくお願いします。--Pararinpooh 2007年4月6日 (金) 12:37 (UTC)

■B級へたれさんの2回目の書き込みを見落としていました。すみません。「かつて存在したxx」が、現在まで存続する企業に対して使われているということですね。文字通りにとればそうなると思います。「かつて存在した」は「現在ある」とは直接は関係ないですから。「これまで存在した企業」と拡大解釈し、「かつて存在し現在も存在している企業」つまり「かつてより存在している企業」を「かつて存在した企業」にいれると判断できます。しかしこれは、多くの人にとっては意図しない用法ではないでしょうか。トミーを「かつて存在した日本の企業」としたひとは、トミーという企業名はすでにつかわれておらず「かつて存在した日本の企業名」という意味で使用しているということだと思います。その意味では「現存しない企業」を「現存しない企業名」と考えて、「かつて存在した企業」を置き換えても実害はないと思います。法的にはトミーが存続会社ですが、一般的には存続しているのはタカラトミーであってトミーでないとするのは普通の感覚であり、法的な存続会社は記事に書いてあればいいことだとおもいます。また法的存続と実質的な存続は異なることも多いです。どちらもが考慮されていないといけないことだと思います。山一證券は2005年まで法人登記は存続していましたが「かつて存在した日本の証券会社」は2004年の時点で貼られています。商標登録はまだ残っています。商標登録が残っている多くの企業でかつてxxxカテゴリが使用されています。商標は企業ではないですからこれは正しいと思います。また、トミーの「かつて存在した企業」のカテゴリが法的に存続していることを表しながら貼ってるのであればすべての会社に「かつて存在した企業」が貼られてもOKということになってしまうと解釈できてしまいます。「かつて存在した日本の企業」として考えて貼っていると考えるのが普通ではないかとおもいます。つまり「現存しない会社」が虚偽の記載となるのであれば「かつて存在した企業」も虚偽の記載になると思えるということです。たぶんB級へたれさんがいわれていることはそうではないということだと思うのですがご指摘がまだ飲み込めていないので、もう少しご説明いただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。--Pararinpooh 2007年4月6日 (金) 13:23 (UTC)

意見2

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当方も、Pararinpoohさまの2回目の書き込みを見ないまま書き込んでおりました。重ね重ね申し訳ありません。ご提案の理由を丁寧にお書きいただき有難うございました。
Pararinpoohさまにとっては、「かつて存在した」よりも「現存しない」のほうが、しっくりくるのだと分かりました。しかしWikipedia日本語版においては、むしろ「現存しない」という表現のほうが遥かに不適切ではないでしょうか。
と申しますのは、「Wikipedia:基本方針とガイドライン#考慮すべきガイドライン」の中に「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」という文書があり、「現在」「現代では」「今は考えられている」等の語句を避けるようにと決められているからです。
ご質問のありました
>「現存しない会社」が虚偽の記載となるのであれば「かつて存在した企業」も虚偽の記載になると思えるということです。
> (中略)もう少しご説明いただけますでしょうか。
との件ですが、これについては、すでにPararinpoohさまが
> 現在まで存続する企業に対して使われているということですね。文字通りにとればそうなると思います。「かつて存在した」は「現在ある」とは直接は関係ないですから。
と仰っている通りです。
  • 「かつて存在した企業」を文字通りに受け止めれば、「現存しない」とは限りませんが、
  • 現存しない」を文字通りに受け止めれば、現在は存在しないことがハッキリしていますし、「かつて存在していた」とは限りません。
虚偽の記載について、言い方を変えさせていただけば、現存する企業の記事下部に
  • 「かつて存在した」と記載するのと
  • 「現存しない」と記載するのでは
どちらがより事実に近く、どちらがより虚偽に近いか、ということになると思います。
なお、「Category:かつて存在していた企業」と同様に「Category:現存しない企業」を使っていくためには、カテゴリの定義として
現存しない企業名の記事に関するカテゴリであり、現存する企業が含まれる。また、架空の企業は含まれない。
といった、ややこしい文が必要になると存じます。カテゴリ名を文字通り受け取れないものへ変更するくらいなら、最初から文字通り受け取れるカテゴリ名のままにしておいたほうが良いと考えております。
ご指摘のありました
> すべての会社に「かつて存在した企業」が貼られてもOKということになってしまうと解釈できてしまいます。
との件については、ある意味において正しいと存じますが、Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリ付与の指針の例に従って(あるいは、そのような例など知らなくても無意識のうちに)よりよいカテゴリが選ばれる限り、「かつて存在した企業」がむやみに貼られる心配は無いと考えます。--B級へたれ 2007年4月7日 (土) 23:01 (UTC)

意見2へのコメント

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B級へたれさん記述>「Wikipedia:基本方針とガイドライン#考慮すべきガイドライン」の中に「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」という文書があり、「現在」「現代では」「今は考えられている」等の語句を避けるようにと決められているからです。

このカテゴリはわたしは、個人的としては不要なカテゴリなのです。B級へたれさんおっしゃる意味で「かつて存在した」の存在が、限りなく「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」に近いと感じていることもそのひとつです。しかし、現実にそのカテゴリが存在しているものですから提案させていただいています。B級へたれさんおっしゃることを下書き時点では書こうと思っていましたが焦点がぼけるとおもい記述していませんでした。その点ははじめから「かつて存在した」に感じていることであり、「かつて存在した」が問われる内容と考えています。「Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない」の意図は文字として「現」をつかっているかどうかという意味ではないからです。

次に、「かつて存在した」と「現存しない」の置き換えで、こだわられている点が、商号が変更されて現存している企業に対して「かつて存在した」はつけられるのに「現存しない」はつけられないとする点です。この企業は「かつて存在した」のではなく「現在存在している」企業です。とすると「かつて存在した」が貼られていること自体が微妙なものであると考えられます。わたしがB級へたれさんが論じているような内容で「かつて存在した」を捉えているとしたら「かつて存在した」はつけられません。わたしの提案が「かつて存在した」がもともと抱えていた微妙な問題を浮き上がらせただけであって、これも「かつて存在した」自体が抱えていた問題だということです。わたしはこれはまったく意図していませんでした。これ自体「かつて存在した」が抱えている問題だということがわかりました。トミーのような企業には「かつて存在した」ではなく「商号変更し現存する企業」のカテゴリがふさわしいでしょう。現在の「かつて存在した」の使用は誤解を招きます。虚偽表記ということがわたしにはまだよくわからないのですが、虚偽か虚偽でないかというのはそのグレーな運用のためであって、いまの使用方法がおかしいところからきていることだということを理解することが必要なのではないでしょうか。この点は私の提案とはまったく異なる視点であり、つまり、それが、「かつて存在した」という名前で運用されているその運用がもたらした結果だとも思えます。その点に、わたしの案が引きずられていることは本質的なところではありません。

B級へたれさん記述>カテゴリ名を文字通り受け取れないものへ変更するくらいなら、最初から文字通り受け取れるカテゴリ名のままにしておいたほうが良いと考えております。

カテゴリは今後も使われ続けます。現在の使い方を放置するということは、将来にまで誤解を放置し、また決断を先延ばししていることだと思います。

以上--Pararinpooh 2007年4月9日 (月) 01:45 (UTC)(修正--Pararinpooh 2007年4月9日 (月) 03:05 (UTC)

「現存しない」がすぐに古くなる表現だとすると、「かつて存在した」「過去に存在した」も同様であるというご指摘はそのとおりであろうと思います。すぐに古くなる表現は使わないが本来意図するところは、執筆時点の現在閲覧時点の現在に差異があることを意識せよということでしょう。しかし「現存しない」「かつて存在した」は執筆時点から既に過去をさすものであり、執筆時点のかつて閲覧時点のかつては同じものではないでしょうか。そのためすぐに古くなる表現ではないと思います。
pararinpoohさんにお伺いしたいのですが、本提案では「カテゴリ名称の変更」のみを提案なさっているのでしょうか、それとも「カテゴリの運用方法の見直し」も含んでいるのでしょうか。前者であれば、現在このカテゴリに入っている記事を尊重したカテゴリ名にする必要がありますし、後者であればカテゴリの定義を明確にして入れる記事も取捨選択する必要があるでしょう。焦点がぼけてきたように感じますので、方向性を絞りませんか。そのためにまずはどちらを希望されているのか教えてください。--Clapon 2007年4月10日 (火) 04:41 (UTC)
わたしが運用という言葉で表現したかったのは「運用ルール」や「運用指針」を指しているのではなく「そういう形で運用されてきた」ということです。当初にこうしようと決めてやったものを指しているのではなく、そう使われてきたということをいっているに過ぎません。「現状こういう使い方をされているよ」というのを「現状こういう運用がされているよ」と表現するのと同じです。複数の意味でとれる表現で申し訳なかったです。Claponさんのご質問では「カテゴリの運用方法の見直し」といわれていますが、「かつて存在したxx」にトミーのような使い方をすると特に明示的な運用方針があるのであればそのご質問がありえるとおもうのですが、いままでの議論のなかでは、実際の個々の記事でのカテゴリ貼り付けの際に自然に発生してきているように思えます(ちがっていたらご指摘ください)。Claponさん質問の「カテゴリの運用方法の見直し」の「カテゴリ運用方針」とはCategory‐ノート:日本の企業#倒産した企業についてのことでしょうか。「運用方針」としては明示されていないとおもうのですけど。--Pararinpooh 2007年4月10日 (火) 07:31 (UTC)
ありがとうございます。現状は明示されていなく自然発生的な意味合いになっているのはPararinpoohさんのおっしゃるとおりですね。その上で、その自然発生的な運用を「この際、見直す」という目的も含むのか、それとも「その状態を維持したままとして名前だけ見直す」のかどちらをお考えですか?という主旨の確認でした。説明不足ですみません。私はいままでの議論の流れから読み取るに、この際はっきりさせてしまおうという感じを受けました。そうであれば、具体的なカテゴリ名よりもまず定義を明確にした方がよさそうです。--Clapon 2007年4月10日 (火) 08:18 (UTC)

確認

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Pararinpoohです。自分ではみなさんのご意見に答えたつもりでいますが、もし回答がもれているところなどあったら指摘ください。--Pararinpooh 2007年4月18日 (水) 02:55 (UTC)

(コメント)Claponさまから出されたご質問の、本来の意図である
> 自然発生的な運用を「この際、見直す」という目的も含むのか、それとも「その状態を維持したままとして名前だけ見直す」のかどちらをお考えですか?という主旨の確認
に対してもお答えいただけると有難いです。--B級へたれ 2007年4月18日 (水) 15:24 (UTC)
『自然発生的な運用を「この際、見直す」という目的も含むのか、それとも「その状態を維持したままとして名前だけ見直す」のか』というのは2者択一の選択肢ですが、その選択肢の視点は私の視点ではないので、それに対する回答は、『どちらでもありません』です。私の提案は、最初の提案のとおりです。上記2者択一での質問での運用という言葉で表しているものがすべてわかっているかというとそうではありませんね。今回議論として提示されたのはその一部だと思います。なにか運用というものがあるようにみえますがそれは各人が解釈した結果であり全体としては漠然としたものです。運用が定義されていないのですから見直すということはそもそも発生しないのではないでしょうか。その裏返しとして「見直さないでxxする」というのも、運用があるような表現ですからそれでもないのです。そもそもがかなり漠としたざっくりとしたカテゴリですから定義するとしたらこれまでとは異なる新たなカテゴリの創出となるとおもいます。わたしの提案は「かつて存在した」という表現を「現存しない」と表現しましょうというものです。--Pararinpooh 2007年4月19日 (木) 06:49 (UTC)

これまでの議論の中でたくさんの選択肢が出されていますが、最終的なゴールに応じてどの選択肢をとるのかは変わってきます。そこで、Pararinpoohさんが考えられている落としどころを伺いたいと思った次第です。運用という言葉が邪魔をしているようですので具体的なポイントで確認すると、2007年4月9日 (月) 01:45 (UTC)に書かれたコメントの中で、合併などされた企業がカテゴリに入っている点について

その点ははじめから「かつて存在した」に感じていることであり、「かつて存在した」が問われる内容と考えています。
わたしの提案が「かつて存在した」がもともと抱えていた微妙な問題を浮き上がらせただけであって、これも「かつて存在した」自体が抱えていた問題だということがわかりました。

という指摘をなさっています。それに対して

その点に、わたしの案が引きずられていることは本質的なところではありません。

とおっしゃっており、この部分からPararinpoohさんはこれらの問題をこの場で解決するという意図はないという風に読み取れました。そうすると合意点はカテゴリ名だけになります。しかし一方、

(現在のカテゴリ名のままがよいという意見に対して)現在の使い方を放置するということは、将来にまで誤解を放置し、また決断を先延ばししていることだと思います。

という発言をなさっていますが、私にとってこれらの発言は矛盾したものであると感じました。この問題を先延ばしするべきではなく今ここで解決するべきだと読み取れるからです。そうした場合、合意点はカテゴリ名だけでなくカテゴリの定義も含まれるでしょう。このように合意を形成するべき点がぶれていますので、方向を絞って合意点を明確にするために、先の質問をさせていただきました。再び確認させていただきますが、現時点でいかがお考えでしょうか?私の読み誤りの部分もあるでしょうからご指摘いただけると助かります。それに応じて今後議論を進めていくのがよいかと思っています。--Clapon 2007年4月19日 (木) 08:49 (UTC)

Claponさん、ご返事遅くなりすみません。
>B級へたれさん記述>カテゴリ名を文字通り受け取れないものへ変更するくらいなら、最初から文字通り受け取れるカテゴリ名のままにしておいたほうが良いと考えております。
>カテゴリは今後も使われ続けます。現在の使い方を放置するということは、将来にまで誤解を放置し、また決断を先延ばししていることだと思います。
として解釈ください。「カテゴリ名を文字通り受け取れないものへ変更するくらいなら」という「大きな言い回し」に対して「大きな言い回し」とした結果の表現です。
わたしの提案は「現存しないxx」にするかしないかということに対してです。いままであげられた点はどんなカテゴリでも発生している「カテゴリを貼る人がカテゴリ名の文字列をどのように解釈し、記事内容とのつながりと結びつけるか」の違いであり、カテゴリ名がどんなもであっても発生する問題の「ひとつ」であり、ゆらぎであり、それは大きなカテゴリであればゆらぎも大きくなるでしょう。このカテゴリ議論でのメインではないと思いますよ。そのために作られたカテゴリ名ではないですよね。--Pararinpooh 2007年4月20日 (金) 21:17 (UTC)
了解いたしました。回答ありがとうございます。--Clapon 2007年4月23日 (月) 00:57 (UTC)

今回のご提案はあくまでも『「現存しない……」というカテゴリ名にすることの是非』というイエスノー・クエスチョンであって、『「かつて存在した……」に代わるより適切なカテゴリ名を模索する』ことが目的ではないということでよろしいのですね? それともう一点、

>ひとまず期限としては4月23日と設定します

とのことですが、4月23日終了時点で審議未了ないし合意形成不調の場合は、ご提案を一旦取り下げていただけるのでしょうか? 当方、Category:アメリカ合衆国の鉄道事業者(過去)にて「かつて存在した……」というカテゴリ名への改名提案中(3月30日提案)であり、結論の出ないままこちらの審議が長期間滞ると宙ぶらりんになるのです。--Vantey 2007年4月22日 (日) 11:01 (UTC)

私としては合意点が確認できた段階ですので当初あげられていた4月23日(今日ですね)から少し伸ばしたほうがよいのではないかと思います。お気持ちはわかるのですが…。みなさんいかがお考えですか?--Clapon 2007年4月23日 (月) 00:57 (UTC)
4月23日は当初こちらに記したとき私が勝手に指定した当座の日にちですので、「かつて存在した企業」が当座として設定されたのと同じくらい、特に絶対ということはないと思っております。(などと変にこじつけてすみません。)私は延期するなら5月14日くらいがいいのではないかと思っていますが、いかがでしょうか。なお、Vanteyさんのおっしゃる「期限の日が来たので取り下げ」ということは通常ではないと思うのですが。
Vantey さんの「今回のご提案はあくまでも『「現存しない……」というカテゴリ名にすることの是非』というイエスノー・クエスチョンであって、『「かつて存在した……」に代わるより適切なカテゴリ名を模索する』ことが目的ではないということでよろしいのですね? 」については、Vantey さん風に書くと「「かつて存在した……」に代わるより適切なカテゴリ名として提案している「現存しない……」の採用に対するイエスノー・クエスチョンであって『「かつて存在した……」に代わるより適切なカテゴリ名を模索する』ことが目的ではない」となります。--Pararinpooh 2007年4月23日 (月) 02:54 (UTC)
了解しました。向こうの件も急ぐわけではありませんし(ボルチモアみたいに半年単位でもつれて半ば放置というのは嫌だというだけでして)、確かに一応の結論を出さないうちに終了というのもお互い気持ち悪いですからね。--Vantey 2007年4月23日 (月) 15:57 (UTC)
そうこうしているうちにいつの間にかカテゴリが3つほど増えてる(かつて満州国に存在した企業、かつて存在した日本の航空会社、かつて存在したアメリカ合衆国の航空会社)んですが……--Vantey 2007年4月27日 (金) 15:58 (UTC)

仕切りなおし

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争点が「現存しない…」というカテゴリ名に対する是非ということになりましたので、ここで仕切りなおしてみなさんから賛否をいただきたいと思います。下にご意見をよろしくお願いします。--Clapon 2007年4月28日 (土) 07:21 (UTC)

カテゴリ名を「かつて存在した企業」から「現存しない企業」へ変更することについて

  • (反対)商号が変わった企業等が含まれている現在のカテゴリの使用方法を尊重し、「現存しない」に変更することは反対します。商号は現存しませんが企業自体は現存するので。--Clapon 2007年4月28日 (土) 07:21 (UTC)
  • (反対)反対の理由については、繰り返しになりますので控えさせていただきます。--B級へたれ 2007年4月28日 (土) 23:05 (UTC)

反対理由は矛盾

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Claponさん仕切りなおしありがとうございます。お返事が遅くなりましたが、Claponさん、B級へたれさんの反対理由は理由になっていないと思います。以下に、その理由を記述いたします。

Claponさん 2007年4月28日 (土) 07:21 (UTC)の反対理由に対する意見 反論:反対理由は理由になっていないので、現状では無効と考えます


「商号は現存しませんが企業自体は現存する」ものに「かつて存在した企業」のカテゴリが貼られている場合、解釈には2通りあります。

  • 1)「企業自体は現存する」ので「かつて存在した企業」ではない、よって、カテゴリ貼り付け自体がまちがいである。よってこれを理由にした反対に合理性がありません。
  • 2)「かつて存在し」かつ「現在も存在する」と捉える立場。「商号は現存しませんが企業自体は現存する」というClaponさん、B級へたれさんの反対理由は、ここに該当するとおもいます。

2)の観点は矛盾しています。商号が「かつての商号である」ことに対して「かつて存在した企業」を貼っています。「商号は現存しませんが企業自体は現存する」という立場は、商号と企業を明確に区別しています。しかし、これに「かつて存在した企業」というカテゴリを貼り付けているということは「かつて存在した企業」の「企業」という言葉に、商号の意味を込めてつかっているということであり、区別を付けていません。カテゴリの企業という言葉を商号と暗に読み替えています。それにより、カテゴリ貼り付けを正当化しているように思えます。つまり、カテゴリの使用では、「商号と企業を混合して使用している」ことを許容している。ところが、「現存しない企業」への変更提案に対する反対理由としては、「商号と企業を厳格に区別しようとしている」のです。

「商号と企業を混合して使用している」ことを許容している立場であれば、「かつての商号である」ことに対して「かつて存在した企業」が貼り付けられていることと同じくらいに、「現存しない企業」は「現存しない商号」として許容することが自然です。Claponさんの反対理由は矛盾した解釈をしないと解釈できません。そのため合理的な理由ではありません。

「かつて存在した企業」を「現存しない企業」に変更した場合の、1)、2)それぞれの立場からの「商号は現存しませんが企業自体は現存する」記事に対する取り扱いは、

  • 変更後1)そもそもがカテゴリ貼り付けまちがいなので、依然として、まちがい。
  • 変更後2)商号と企業を混同してもいいという立場なので、「かつて存在した企業」を「かつて存在した商号」とよみかえるのと同等で、「現存しない企業」を「現存しない商号」とよみかえて捉える立場。

となります。

つまり、「商号は現存しませんが企業自体は現存する」にフォーカスした反対は理由にならないと思います。

以上の記述--Pararinpooh 2007年5月7日 (月) 09:27 (UTC)

お返事遅れてすみません。まず前提として「カテゴリの定義の見直しは行わない」という前提を踏まえての発言であることをご了承ください。今のカテゴリに入っているものを尊重し、その上で違和感のないカテゴリ名という視点で考えると「現存しない」は不適切ではないかということです。
あまりうまい説明が思い浮かばないのですが、まず「企業」というものが何を指すのかという定義が非常に曖昧であり、またカテゴリに入っている記事も様々という現状があります。企業=「商号」と考える場合もあれば、企業=「企業体としてのイメージ・まとまり」と捉える人もいるでしょう。先に例の上がったトミー日本国有鉄道、などは「現存しない」と言い切ることに私は抵抗があります。確かに商号としては現存しませんが、企業体としては存続していると考えるからです。ここまでは前回の繰り返しとなりました。
さてご指摘の内容ですが、商号と企業の混同を許容したからといって、現存しない商号を「現存しない企業」と置き換えるのは正しくありません。なぜなら商号は企業の属性のひとつですが、それがなくなったからといって企業自体がなくなったとはいえないという考え方もできるからです。もし商号=企業であり、カテゴリに入っている記事が商号単位でのみ作成されていれば、「現存しない商号」というカテゴリは正しいのだと思います。しかしそのような定義が共有されていない現状では、カテゴリ名を「現存しない商号」と置き換えることはできません。--Clapon 2007年5月14日 (月) 09:35 (UTC)
その1)pararinpoohはカテゴリ名を「現存しない商号」と置き換えることを提案していません。
その2)(こちらが本論)「かつてxxxだった」とは、「以前はxxxだった」という意味です。通常は特に期日が指定されていない限り、その文章が書かれた時点ととらえるのが普通です。しかし、Wikipediaは常にアップデートされている事典であり、その時点とは現在読者が読んでいる時点であると考える以外ありません。(論理的には執筆時点だがほとんど「読んでいる時点」と≒(ニアリーイコール)です。)個別記事での使用であれば「いつから見てのかつてか」が個別に指定可能ですが、カテゴリでの使用では複数記事の集合を一括定義することとなり、個別の執筆時点などが考慮される余地はありませんから、現在読んでいる時点ということでしか捉えようがありません。現在の時点からみたかつてであるため、「かつてxxxした」とは「現在xxxでない」と同義であるのです。
その結果、Wikipediaのカテゴリでの「かつて存在した」の使用は「現在存在していない」=「現存しない」と同義です。さらに加えて、理屈の上では同義ですが、「かつて存在した企業」でも「現在存在していない企業」でもなく「現存しない企業」という表現が適切です。
Claponさんの「先に例の上がったトミーや日本国有鉄道、などは「現存しない」と言い切ることに私は抵抗があります。確かに商号としては現存しませんが、企業体としては存続していると考えるからです。」についてですが、上で説明したとおり、この「かつて存在した」は「現存しない」と同義です。もし、カテゴリを「かつて存在した」から「現存しない」に書き換えて抵抗があるというのであれば、「かつて存在した」というカテゴリが付与された時点から抵抗がなければ論理的ではありません。
Claponさんの「企業=「商号」と考える場合もあれば、企業=「企業体としてのイメージ・まとまり」と捉える人もいるでしょう。」はそのとおりです。どのように考えているのかはわかりませんが、「現存しない」に抵抗があるのであれば、「かつて存在した」にも抵抗があるはずです。その反対に「かつて存在した」が容認できるのであれば「現存しない」は容認できるはずです。つまり、トミーや日本国有鉄道の問題は、今回、問題にされるべきものではありません。
以上--Pararinpooh 2007年5月14日 (月) 13:53 (UTC)

言葉の意味の分析

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これまでの話をざっと一読させて戴きました。よく理解できない部分もあり、従って、このようなことを書くのは、話し合いを攪乱させることになるのかも知れませんが、「メインの話の流れ」とは別に、側面からの考察としてお許し下さい。

「かつて存在した」と「現存しない」という形容修飾または限定形容の意味は何かということが重要なのではないかと思います。この二つの限定形容は、同じ意味ではないからです。次のような表現の例を考えてください:

  • 国鉄(日本国有鉄道)はかつて存在した、が、現在は存在していない(現存していない)。
  • 日銀(日本銀行)はかつて存在した、し、現在も存在している(現存している)。

「かつて存在した」というのは、過去のいずれかの時点または時間スパンで存在していた、という意味です。一方、「現存する・現存しない」とは、(幅のあるスパン的な)現在において、存在する・存在していない、という意味です。これは、言葉として異なる意味を持っています。「かつて存在した」という限定形容は、現在はどうか、ということを規定しない表現です。一方、「現存しない」というのは、現在存在していない、という意味で、過去に存在したのか、存在しなかったのかは、ある意味強く限定する一方で、曖昧さも持っています。

「現存しない」は、「かつて存在したが、現存しない」という風に、暗黙で「過去における存在」を含む表現とも言えます。ただ、意味に曖昧さがあります。「現存する」と云った場合は、当然「過去にも存在した・かつて存在した」ということが条件になり含意されていると思います。しかし、「現存しない」だと、「現在存在しない」「過去にも存在しなかった」という二つの時間スパンでの存在の否定とも解釈可能です(「現存しない」は、「存在が途切れ、現在は残っていない・消えた」というようなニュアンスの言葉なので、当然過去には存在したが、現在は存在しないのだ、という強い意味になるように思えるのですが、そこで揺らぎがあるように思えます)。

  • 「かつて存在した」は、過去に存在していたということで、現在の存在については規定していない。
  • 「現存しない」は、現在存在していないということで、過去には存在したという含意があるが、ここはあやふやさがある。

「現存しない」は「存在しない」ということに意味の中心があり、「かつて存在した」は、「存在した」ということに意味の中心がある。現在存在する企業、つまり「現存する企業」はすべて、「かつて存在した企業」である。この「かつて」は時間的に不定的であるため、このように言える。「現存しない企業」は「かつて存在した企業」かも知れないし、「かつて存在したことのない企業」かも知れない。「現存しない」は、「現在、存続していない」の意味とも考えられるが、これは非常に強く、「存在の断絶」を意味する。「6千万年前、地球上には恐竜が存在していたが、現存していない」。

「現存しない企業」だと、その企業は跡形もなく消え去り、何も残っていないという強い意味の印象を持っていると思います。しかし、或る程度の規模になると、企業は倒産したとしても、名前を変えて、再びその中心部や周辺部が再生したり、別の企業の一部となって残っているというのが通常です。「国鉄は現存しない」というよりも、「かつて国鉄があり、その後継としてJRがある」というのが実際のところです。(更に、曖昧さを考えると、企業創設の計画だけがあって、過去に存在しなかったし、現在も当然存在しない企業が、現存しない企業にもなります)。

「現存しない企業」は、定義を明瞭にしなければならないということが出てきます。「江戸時代から300年続いた老舗」というのは、企業形態が何度も変化しているはずで、法的な位置付けも変化しているので、何度も「現存しない商店」を中継して、現在の企業になったということになりますが、それは何か不自然ではないかと思います。また企業の合併や吸収や、色々なことが起こっていると、「現存しない」よりも「かつて存在した」の方が、「その後継は、この企業となる」というのが自然です。商号が変化した場合もそうです。多数の企業が、商号をカタカナ名に変えているのですが、商号を変えると「現存しない企業」になるというのは何か不自然です。かといって、「現存しない商号(の企業)」とかも不自然です。「かつて存在した」は、「弱い意味での現存しない」を含み、もっと弾力性のある内容の規定となります。つまり、「現存しない」だと、定義を決め直さなければならなくなり、恐らく使いにくくなると思います。長い文章ですが。--Maris stella 2007年5月14日 (月) 13:03 (UTC)

Maris stellaさん、こんにちは。
「かつて存在したオゾンホール」や「かつて存在した植物」であればその通りかもしれません。「かつて存在した風潮」でもいいかもしれません。しかし、ここでは、「かつて存在した企業」という表現の話です。(それ以外のカテゴリ名にも改名提案していますがこの亜種です。)企業です。企業の存続に関する形容表現です。その点に限定してコメントいただけるとありがたいと思います。
Claponさんのコメントに対して記述しましたとおり、Wikipediaのカテゴリでの「かつて存在した企業」と「現存しない企業」は同義と捉えるのが妥当と思います。また、「かつて存在した企業」という表現は一般的ではありません。そのため、「かつて存在した企業」ではなく「現存しない企業」が日本語として適切であり、改名を提案しているしだいです。
以上--Pararinpooh 2007年5月14日 (月) 14:04 (UTC)
Maris stellaさんの最後のパラグラフに対してひとこと。
名前を変えて存続してきた企業に対するコメントですが、これに関してはMaris stellaさんの要定義の提案に絡めて以下のパラグラフに記します。
「「現存しない企業」は、定義を明瞭にしなければならないということが出てきます。」について
名前を変えつつ存続してきた企業で「かつて存在した企業」がつけられている記事であれば、別の記事で、現存している企業の記事があるはずです。一方、名前を変えつつ存続してきた企業が一つの記事でまとまっていれば、「かつて存在した企業」はつけられていないでしょう。つまり、企業がどのように変遷してきたかではなく、記事のあり方でこのカテゴリがつけられるかどうかが決定されるはずです。結局、名前を変えつつ存続してきた企業で「かつて存在した企業」がつけられている記事であれば、別の記事で、現存している企業の記事があるため、その記事を「現存しない企業」カテゴリと貼り変えても、実質は問題がないということです。私は、これを推奨しているわけではなく、「かつて存在した企業」以上に適切な「現存しない企業」に移行しても、従来抱えていた問題はそのまま移行するだけで問題が新たに起こるわけではないということを言いたいだけです。--Pararinpooh 2007年5月14日 (月) 14:26 (UTC)
Maris stellaさんのご説明がわかりやすく感服しております。私がうまく説明できなかった部分についても言及いただいており、自分の中の疑問点が明確になりました。
Pararinpoohさんと同じく、私も「かつて存在した企業」という日本語はあまりふさわしくないと思っていますが、「かつて存在した」と「現存しない」はニュアンスが微妙に異なり、厳密に同義ではないと思っています。それはMaris stellaさんのコメントにあるように、『「現存しない」は「存在しない」ということに意味の中心があり、「かつて存在した」は、「存在した」ということに意味の中心がある』からです。このようにカテゴリの意味合いを変えることで、「存在しない」とはどういうことかという定義が必要になるでしょう。商号がない時点で現存しないとするというのはPararinpoohさんの意見であり、まだ共有されたわけではないように思います。
「過去に存在した」ことに重点を置けば、企業体として存在したことを証明できればそれでよく、現在がどのような形になっていたかは問われません。しかし「存在しない」ことに重点を置けば、現在がどのような形なのかに影響されるでしょう。たとえば解散した会社なら存在しないとしてよいが、合併した会社なら存在しないとはいえないという意見を持つ私のようなものもおり、議論が必要になるように思います。しかし、定義についての議論は行わないということでしたので、定義の見直しが必要な「現存しない」への名称変更に反対した次第です。
日本語としてこなれていないという理由であれば「過去に存在した」に変えるのが一番だと思います。「現存しない」に変えるにはそれ以上のメリットがあるということでしょうか。--Clapon 2007年5月16日 (水) 01:13 (UTC)
Maris stellaさんの指摘は、すでにB級へたれさんとのやり取りのなかで触れられています。またMaris stellaさんの指摘は字句の解釈であり、全体的な観点ではありません。企業についての部分も字句解釈をベースとした「かつて存在し現在も存在する企業」という解釈をベースにされていますが、記事のありようによって変化するWikipediaのカテゴリづけとの観点としてまでは踏み込まれていません。『「かつて存在した」は、「弱い意味での現存しない」を含み、もっと弾力性のある内容の規定となります。つまり、「現存しない」だと、定義を決め直さなければならなくなり、恐らく使いにくくなると思います。』とは全体の定義ではなく、言葉の解釈です。Wikipediaでの使用では同義であり(前述)定義に変更はありません。
「かつて存在し現在も存在する企業」という概念は理屈ではあっても一般的な日本語表現ではありません。一般には矛盾した表現と捉えられるでしょう。ある企業を「この企業はかつて存在した企業」とだけ紹介すれば、「その企業は現在は企業活動をしていない」という情報を提供していることになるのです。この理解が大切です。これはすでにClaponさんへの返答で記しています。何度も同じことを申し上げています。そしてWikipediaでのカテゴリは「かつて存在した企業」とだけ紹介するということをやっているのです。言葉の構成要素の定義だけを抜き出す議論は道を誤っています。カテゴリというラベル的な短い表現だけにこれは重要なことです。
このようなことが今後生じないようにするためにもきちんと使われている用語をカテゴリ名とすることが重要だと思います。繰り返し申し上げていますがこれが私の提案する主旨です。
なんども繰り返しますが、「かつて存在した」と「現存しない」の比較ではなく「かつて存在した企業」と「現存しない企業」かということです。会社活動をやめた企業は「かつて存在した企業」とはいいません「現存しない企業」というのが一般的です。「かつて存在した企業」とは「現存しない企業」という表現を知らないこなれていない表現です。日本語としてこなれた言い方は「過去に存在した企業」ではなく「現存しない企業」です。
当初のCategory‐ノート:日本の企業#倒産した企業についてで、「倒産企業」や「合併して消滅した銀行」として、現在企業活動していない記事を分類するために用いられたものです。ここで「合併して消滅した銀行」とはもしかしたら「法的な企業としては存続しているかもしれない銀行」かもしれませんが、会社の名前がなくなったという意味レベルで使用していると考えるのが妥当と思われます。そのため、商号変更して存続している会社の旧来の会社名の記事に貼られていてもまあ問題ないわけです。あくまで記事であって現在の会社に貼っているわけではないのです。しかしそこで当座のものとして採用された「かつて存在した企業」という表現が、通常は使われていない表現であるがゆえに解釈に広がりが出、その解釈を元に、いろいろな解釈がでて、今回、その一部があらわになっているということだと思います。そして、Claponさん、B級へたれさんは、変更前にはゆるい適用であったのに(つまり現状容認)変更後にのみそれを厳格に適用しようとしていると私には思えます。
みなさん全体的な部分に触れられていないのはなぜでしょうか。社名を変更して現存する企業の過去の社名を記事名としたものに対する影響度のご意見だけですね。もっとさまざまなご意見が出ると当初予測していましたが、全体的な観点で見ると、問題点は当初より一部(一つ)にしぼられているわけで、つまり、全体的な影響度はカテゴリが貼られている記事のなかの一部の記事であり、またご意見がないということはそれにこだわる方もそう多くないのだなと考えております。
以上--Pararinpooh 2007年5月16日 (水) 05:02 (UTC)
「Wikipediaでの使用では同義であり(前述)定義に変更はありません。」とのことですが、「かつて存在した企業」と「現存しない企業」が同義であるかという点について意見が分かれているのです。そのひとつの判断材料として「かつて存在した」と「現存しない」の意味の違いを上げています。私は同義ではないと思っているし、Pararinpoohさんは同義だと思っているということです。
次に、『ある企業を「この企業はかつて存在した企業」とだけ紹介すれば、「その企業は現在は企業活動をしていない」という情報を提供していることになるのです。この理解が大切です。』とのことですが、「その企業は現在まったく企業活動していない」や「その企業は姿を変えて企業活動を行っている」といった解釈も可能です。「かつて存在した企業」はそのような包容力を持ったカテゴリであり、「現存しない企業」はそうではないということです。その包容力の必要性については今回の議論の対象ではないと認識しています。しかしこのままでは平行線なので、単にカテゴリ名を変更するか否かという議論から外れて、カテゴリの定義の見直しも必要かもしれません。「現存しない企業」に変更した場合、「その企業は現在まったく企業活動していない」以外の記事はこのカテゴリからあふれるという認識なので、定義の見直しが必要ということです。
『Claponさん、B級へたれさんは、変更前にはゆるい適用であったのに(つまり現状容認)変更後にのみそれを厳格に適用しようとしていると私には思えます。』『みなさん全体的な部分に触れられていないのはなぜでしょうか。』以降の文章については、申し訳ありませんが意味が汲み取れませんでした。--Clapon 2007年5月16日 (水) 05:48 (UTC)

1)現在会社名などを変更して活動している会社でこのカテゴリが付与されているものは、すべてWikipedia内に現在の企業記事が別に存在しているはずです。記事に付与されたカテゴリですからこれを「現存しない企業」に変更しても、カテゴリの効力はこの記事の範囲です。この記事を超えて、現存する別の企業名をもつ記事には影響がありません。つまり現在の企業には影響していないということです。たとえ「その企業は現在まったく企業活動していない」と認識されても「その企業」とは「この記事名の企業」で、その影響範囲は「この記事名の企業活動」という範囲に限定されているのです。この記事に限定されているということまで含めて考えれば「この記事の企業は現在企業活動していない」とい認識されるのが正しい理解だと思います。

このひとつの例として「かつて存在した企業」が付与されている旧名称の記事と(「かつて存在した企業」が付与されていない)現名称の記事の統合を考えて見ましょう。通常は現在の名称の記事に統合されることになります。その際、「かつて存在した企業」は引き継がれるでしょうか?引き継がれません。「かつて存在した企業」が付与されている旧名称の記事での「かつて存在した企業」カテゴリは、その旧社名の記事内でのみ有効だということがわかります。繰り返しますが、現在Wikipediaで「名前を変えて現在も存在している企業」の「その旧企業名の記事」に対して使われている「かつて存在した企業」カテゴリはその記事だけが有効範囲で、「現在活動中の企業の記事」には影響しません。(これが先に記事のあり様で変わってしまうと記述したことの一つの例でもあります。)

2)「その企業は姿を変えて企業活動を行っている」ような企業を「旧企業は現存せず、新たに姿を変えて企業活動を行っている」と形容してもなんら問題ありません。「かつて存在した企業」ではOKで「現存しない企業」ではNGというものではありません。また1)の通り、Wikipediaでは旧企業記事だけに限定的であることを加味すればより一層問題はありません。ここで重要なのはClaponさんは「現存しない企業」の「企業」という意味を「現在存続している企業」にまで広げて考えているからだと思います。反対の例を考えて見ましょう。「かつて存在した企業」は『「かつて存在した」だけじゃなく現在も存在しているじゃないか、それについては記述しないのか』と「かつて存在した企業」に対して疑問を持ちませんか?「企業」という意味を「現在存続している企業」にまで広げて考えれば、「かつて存在した企業」のカテゴリ付けに対しても同様の疑問が出ると思うのですが。疑問を持って眺めるなら「かつて存在した企業」も「現存しない企業」も問題はあるのです。片方だけの提示はおかしいなあと申し上げているのです。

ということで『「現存しない企業」に変更した場合、「その企業は現在まったく企業活動していない」以外の記事はこのカテゴリからあふれる』とのご認識はたぶん誤解ではないかなあと思っています。

以上--Pararinpooh 2007年5月16日 (水) 07:00 (UTC)

ご参考までに
ゲーム会社一覧合併吸収により、現存しない会社では、ここで話題になっている、タカラとトミーは「合併吸収により、現存しない会社」として紹介されています。現存しない会社とは区別されていますが、どういう経緯で現存しないかはともかく「現存しない会社」という取り扱いです。--Pararinpooh 2007年5月16日 (水) 07:12 (UTC)
同じ主張を、言い方だけ変えて繰り返し述べることは本意ではないのですが……。現在のカテゴリの在り方に問題があるからといって、より問題を大きくするような変更が許されるとは思いません。--B級へたれ 2007年5月24日 (木) 11:14 (UTC)
主張されている内容に反論しているのですから、それに対してのさらなる反論がなければ当初の主張は否定されたままです。『より問題を大きくするような変更』ではないと申し上げているのです。--Pararinpooh 2007年5月25日 (金) 17:20 (UTC)

変更にはいります

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最後のコメントから1週間たちましたが、その後、特に反論をいただいておりません。延長した期限もすぎていますので変更にはいりたいと思います。記事数が多いことから多少時間がかかると思いますが。--Pararinpooh 2007年5月24日 (木) 06:04 (UTC)

現在、Pararinpoohさまのご提案に対する賛否は「賛成0/反対2」です。にもかかわらず、噛み合わない議論で反論が途絶えたからといって、それを理由に変更を強行されるのでしょうか。--B級へたれ 2007年5月24日 (木) 11:14 (UTC)
強行ではありません。反対意見に対して論理的な矛盾があると反論をおこなっております。また、反対票を投じればいいという形式的なことではいけません。理由ある反対でなければなりません。Claponさん、B級へたれさんの反対は理由になっていないのですから反対票ではないと申し上げているのです。それに対する反論がB級へたれさんからはなされていません。議論に参加されないということは「ClaponさんおよびB級へたれさんの反対意見」の理由の矛盾点を指摘して無効であると表明したわたしの意見への反論がなされていないということです。意見がなければ議論を放棄しているのとおなじです。反論がなければ同意していることとみなされます。
繰り返しますが、今回、単に投票の票だけを見た形式的な部分での議論は建設的ではありません。Claponさんとのやり取りで議論が進展しているにもかかわらず、そのことを現時点でもち出されること自体が議論に参画していないことの表明です。過去の議論の蒸し返しをされていることとおなじことです。これは建設的な論議の進め方ではありません。
建設的なやり方をしなければ、それは単に理由のない引き伸ばしです。今回は現状維持か修正かという二者択一であり、「引き伸ばし」は現状維持に味方するやりかたです。一言の反論もしていないにもかかわらず『強行』という表現をすることは、反対に『議論の進展の阻害』を『強行』していることになりませんか。
また、期限を4月23日との設定を一度延長し、わたしは5月14日を提案していました。それも時間が過ぎています。単なる引き伸ばしはまったく意味がありません。反論をきちんとおこなってください。B級へたれさんの今回のご発言は、形式的なことだけを見た建設的でない単なる感想です。反論になっていません。これでは、議論のしようもなく、結論にいたることができないではありませんか。
1週間以上反論がないのですから、結論をつけてまとめるのが言い出した者の義務だと思っております。B級へたれさんご自身、Wikipediaでの他の場所で活動しておられながら、こちらへの書き込みは反対意見以降の議論にはまったく参画されていないのです。今回の「強行」発言は、おかしな振る舞いに見えます。
--Pararinpooh 2007年5月24日 (木) 19:35 (UTC)(--Pararinpooh 2007年5月24日 (木) 19:59 (UTC)


恐れ入りますが、上記のご発言に強い憤りを感じております。

> わたしは5月14日を提案していました。それも時間が過ぎています。

とのことですが、4月28日にClaponさまが

> 仕切りなおしてみなさんから賛否をいただきたいと思います。

と提案しておられます。本来であれば、賛否表明期間を確保してもなお、5月14日までには一応の結論が出ていたはずです。ところがPararinpoohさまは、

> ===反対理由は矛盾===

として議論の引き伸ばしを図られました[1]。そこで書かれた内容は

> 「現存しない会社」が虚偽の記載となるのであれば「かつて存在した企業」も虚偽の記載になると思える (2007年4月6日)

といった既出のご意見と似たようなご趣旨のものです。それでもClaponさまは辛抱強く反論や論点整理をしてくださり、Maris stellaさまからは井戸端や本ノートでの議論を踏まえた分かりやすいご意見を頂きましたが、Pararinpoohさまはこれらを全て、これまでと似たような理屈で退けておられます。

> Claponさんとのやり取りで議論が進展している

とのことですが、お互いの立場に変化があったわけでもなく、Pararinpoohさまのご提案に進展があったわけでもありません。それでもなお、Pararinpoohさまに対する既出の反論と同様の反論を、当方からも繰り返すことをお望みなのでしょうか。すでに70キロバイトを超え、ただでさえ読みにくくなった本議論を、どこまで肥大化させればお気が済むのでしょうか。

> 建設的なやり方をしなければ、それは単に理由のない引き伸ばしです。

とのことですが、5月14日という目安を無視なさり、「建設的なやり方を否定して理由のない引き伸ばしを」行ったのはPararinpoohさまご自身です。当方は、既出の意見と似たような意見を繰り返さないよう努めております。

ついでに申し上げますと、

> 提案者様において作業には責任を持ってくださるのですよね?

とのVanteyさまのご質問に対し、PararinpoohさまはYesともNoともお答えにならず

> リストアップありがとうございます。結構ありますね。時間や労力がかかるからやらないというのは本末転倒でよりよい事典にするためには考えてはいけないと思っています。日本版で可能かどうかは知らないのですが米国版ではシステム担当に依頼して一括変換というのがなされるところだとおもいます。手でもできない範囲ではないですよね。ここでの判断が全体を統括にするにはウィキプロジェクトということになるのでしょうか。個別のカテゴリはそれぞれ独立でそれぞれのカテゴリはそれぞれのカテゴリの判断でされているというのがWikipediaの標準ルールのようですので、ここでなされた判断にもとづき、今回提案していないところそれぞれに許可を得てやるのかなといまのところは思っているものです。

と、はぐらかしておられます。Claponさまの

> 本提案では「カテゴリ名称の変更」のみを提案なさっているのでしょうか、それとも「カテゴリの運用方法の見直し」も含んでいるのでしょうか。

とのご質問に対しても、PararinpoohさまはYesともNoともお答えにならず

> なにか運用というものがあるようにみえますがそれは各人が解釈した結果であり全体としては漠然としたものです。運用が定義されていないのですから見直すということはそもそも発生しないのではないでしょうか。その裏返しとして「見直さないでxxする」というのも、運用があるような表現ですからそれでもないのです。

と、禅問答のようなお答えです。このような議論をいくら続けても、全員が納得するような結論は出せないと考えておりましたし、議論が平行線を辿ったら投票で結論を出すのも仕方ないとも考えておりました。少なくとも、お互いに似たような意見を言いつづけることに意味があるとは思えません。

Claponさまや当方が反対票を投じた後、Pararinpoohさまは議論を引き伸ばし、Claponさまからの反論をことごとく否定なさいました。そのうえで今回

> Claponさん、B級へたれさんの反対は理由になっていないのですから反対票ではない

とまで仰ったのは「私を納得させない限り、私の思うとおりにさせてもらうぞ」という意思表明であると受け止めざるを得ず、とても残念に思います。--B級へたれ 2007年5月25日 (金) 09:04 (UTC)


■ B級へたれさん の 2007年5月25日 (金) 09:04 (UTC) のコメントへのお返事
まずは、B級へたれさんのお考えの表明ありがとうございます。お考えは表明されてこそ通じるので、その点感謝申し上げます。
<「同じ意見を繰り返さないように務めている」とのことについて>
ご自身の意見を保持されるのでしたら、否定した私の見方に対して論理的に否定しなければ、その意見は否定されたままとなるのが議論というものです。さまざまな表現を使ってお互いの見解を評価、批判し、論理的に説得してください。Claponさんには、幾度もチャレンジしていただきました。ありがとうございます。その際、わたし自身も、当然幾度もなんというべきか表現を考え、自身の論について表現を変えて説得をしようと試みています。その過程で、私の論が破綻するのであれば当初の私の提案は否定されても仕方がないなと思わざるをえません。普通は指摘される以前に考えているさなかに自分で気づくでしょう。また不幸にして自分で気づかずとも他者から論の矛盾を指摘されるはずです。そういったことで議論のステップが一段落終了するわけです。
ところが、現在のところ、反対理由には矛盾があるのです。4月28日に反対票を入れられたB級へたれさんですが「反対の理由については、繰り返しになりますので控えさせていただきます。」とのことで、ご意見としていただいたものは4月7日までで、その後の議論の進展には参加されていません。当初のB級へたれさんの記述は当初の議論のたたき台をご用意いただいたという私には非常にありがたい役割と思っていますが、現在ではB級へたれさんのそのときの感想の表明となっていると思います。当初B級へたれさんから提示いただいた、『法的には商号が変わっただけで現存しており、実際に事業も継続されている企業の記事』というものが議論の軸となっているので、その点でも重要なご指摘だったと考えています。しかし、この点を反対の意見として用いるのは矛盾があるのはご指摘したとおりです。その際いろいろな見方ができたのはClaponさんが果敢に議論に多面的にチャレンジいただいたおかげです。
単にご自身の意見を表明することだけでは十分ではありません。相手があるのですから議論が必要です。もし私のいっていることに不合理があるのであればその旨指摘してください。反論に対しての反論をおこなわないのであれば、それは消極的な同意と受けとられます。
本来でしたら、このノートでの議論は、矛盾が指摘されるようなものではない合理的な主張同士が互いに、比較考量してどちらがよいかそれとも他案かそれとも折衷案かなどなど勘案されるということになるべきと思っています。しかしながら、今回いただいている反対理由にはその理由自体に矛盾があるのです。その点を何度も指摘申し上げているのです。こちらかあちらかという土俵にのる以前のことであり、その意味で反対理由にならないと申し上げています。これに対する合理的な反論をいただいていないのですから、B級へたれさんの反対は現時点では根拠がないと判断しております。


<その他のご意見について>
今回B級へたれさんからいただいたご意見は、上記の矛盾を説明し反対意見のよりどころを確固たるものとすると内容のものではありません。新たな反論の提示でもありません。わたしの指摘する矛盾に対する反論ではないので、ご意見ではなく、ご感想として承ります。わたしの振る舞いに至らない点があるかとおもいますが、それは議論の進展とは別物ですのでご容赦いただければ幸いです。ただし、いただいた記述内容はわたしの見るところとは異なるものがあるので、いただいたご感想に関して、私の視点からのコメントを以下に申し上げます。
> > 建設的なやり方をしなければ、それは単に理由のない引き伸ばしです。
> とのことですが、5月14日という目安を無視なさり、「建設的なやり方を否定して理由のない引き伸ばしを」行ったのはPararinpoohさまご自身です。当方は、既出の意見と似たような意見を繰り返さないよう努めております。
および
> > ===反対理由は矛盾===
> として議論の引き伸ばしを図られました[1]。そこで書かれた内容は
『反対理由は矛盾』として私が記述したのは5月7日です。5月14日の一週間前におこなっており、かつ、合理的な理由を提示しています。5月14日にはさらにMaris stellaさんとClaponさんから ご意見が追加され、継続していました。これを『Pararinpoohが仕掛けた「引き伸ばし」』のような印象として表現されるのは正しくありません。また、理由に矛盾のある反対意見を無効と意見したことは、『投票という建設的なやり方』自体を否定しているわけではありません。


> > 「現存しない会社」が虚偽の記載となるのであれば「かつて存在した企業」も虚偽の記載になると思える (2007年4月6日)
> > といった既出のご意見と似たようなご趣旨のものです。それでもClaponさまは辛抱強く反論や論点整理をしてくださり、Maris stellaさまからは井戸端や本ノートでの議論を踏まえた分かりやすいご意見を頂きましたが、Pararinpoohさまはこれらを全て、これまでと似たような理屈で退けておられます。
逆の立場から申しますと、わたしの立場は首尾一貫しているということをおっしゃっていただいているわけです。Claponさんは辛抱強くお付き合いいただいていると思っています。ご意見を否定しておいてなんですが、感謝しております。


> > > Claponさんとのやり取りで議論が進展している
> とのことですが、お互いの立場に変化があったわけでもなく、Pararinpoohさまのご提案に進展があったわけでもありません。それでもなお、 Pararinpoohさまに対する既出の反論と同様の反論を、当方からも繰り返すことをお望みなのでしょうか。すでに70キロバイトを超え、ただでさえ読みにくくなった本議論を、どこまで肥大化させればお気が済むのでしょうか。
私の提案に進展がないというのではなく、修正する必要がこれまでのところないのです。また、当初からの意見が議論を重ねても変化していないということはそれだけ耐性があるということを立証していると思います。これは進展だと考えています。Claponさんの反論に対していくら考えても、私の側には、その反論の矛盾が見えるので提示申し上げているのです。もしそうではない、Pararinpoohの論がおかしいというのであれば、その旨説得してください。その努力がなければ議論に参画していないのと同じです。70キロバイトうんぬんですが、特にコメントするだけの意味が見えません。


> ついでに申し上げますと、
> > 提案者様において作業には責任を持ってくださるのですよね?
> とのVanteyさまのご質問に対し、PararinpoohさまはYesともNoともお答えにならず
> (中略)
> と、はぐらかしておられます。Claponさまの
> (後略)


Vanteyさん、Claponさんに対する私の説明に対して、それぞれの当事者が疑問があるのであればそう記述いただけていると思います。現在のところB級へたれさんが表現するようなことはお二人からはいただいていません。Claponさんとは運用に関してはその後のやり取りの中で話がかみ合っているので運用に関する私の意図はClaponさんには通じていると思っています。その点でわたしの表現は禅問答ではありません。YesやNoで応えるだけが正しい答えではないのです。Vanteyさんともその後やりとりがありましたが、特にB級へたれさんが指摘するような点でのご意見はいただいておりません。
> Claponさまや当方が反対票を投じた後、Pararinpoohさまは議論を引き伸ばし、Claponさまからの反論をことごとく否定なさいました。
引き伸ばしは上記したとおり事実ではありません。Claponさんの反論を否定したのは結果的には事実です。Claponさんのご意見は正しくないということを申し上げました。それを否定というのであればそうです。しかしその場合の「否定」が批判を受けるのであれば「議論ということ自体を否定する」ことになります。わたしの意見も「否定」していただいて結構なのですから。おかしい点があれば指摘するための場所です。それが議論であり、Wikipediaでのノートの役割のひとつです。否定されたということは論が正しくないということなのです。反対票の立脚する理由が否定できるのですから反対が無効だと申し上げているのです。私の意見こそが正しくないということであれば反論をいただきたいのです。論理的な建設的な反論があってこその議論です。わたしが否定できたのもClaponさんがさまざまな視点から議論を挑んでいただけているからです。Claponさんの意見がいただけなければそれに対する否定もできませんでした。Claponさんには非常に感謝しております。


> そのうえで今回
> > Claponさん、B級へたれさんの反対は理由になっていないのですから反対票ではない

> とまで仰ったのは「私を納得させない限り、私の思うとおりにさせてもらうぞ」という意思表明であると受け止めざるを得ず、とても残念に思います。
お二人の反対理由をわたしが否定したことに対して、反論していただいたのはClaponさんです。B級へたれさんは議論に参画されていません。記述しなければ伝わるものも伝わりません。「私を納得させてください」とは思っていますが、「私の思うとおりにさせてもらうぞ」とはけして思っていません。
最後に、B級へたれさんの振る舞いは、当初は非常に有意義なご意見をいただけたとと思っておりますが、今回いただいた内容は「議論を傍観された後にPararinpoohの振る舞いに関して一方的な感想を述べる」というものと私は受け取りました。わたしのことを一方的とおもわれているのが記述のベースにあると思いますので一方的表現についてはそうなるかもしれないと思いあまり気にしておりません。ただし、どこが一方的かについては上記に記述したとおり私の見解を記述しました。そして中心となる議論についてはコメントいただけてないので、依然として、明確な理由のない反対とさせていただきます。
以上--Pararinpooh 2007年5月25日 (金) 17:17 (UTC)
反対理由には矛盾がある、理由がない、根拠がないと仰いますが、Pararinpoohさま御一人が「かつて存在した」と「現存しない」を同義とみなした上で「同様に許容しないとおかしい」と繰り返し述べておられるだけです。一方でClaponさまもMaris stellaさまも、「かつて存在した」と「現存しない」ではニュアンスが異なることを述べておられ、議論は平行線を辿ったままです。
> 私のいっていることに不合理があるのであればその旨指摘してください
> 記述しなければ伝わるものも伝わりません
> 「私を納得させてください」とは思っています
とのことですが、Maris stellaさまの丁寧なご説明にも納得していただけないのであれば、当方から同じことを申し上げても、ご納得いただけるとは到底思えません。ただ1点のみ申し上げますと、反対意見を反対意見としてすらお認めにならないのは極めて不合理で独善的かと存じます。--B級へたれ 2007年5月26日 (土) 01:43 (UTC)


■ B級へたれさん、ひきつづきコメントありがとうございます。いただいた点について以下に述べます。
> 反対理由には矛盾がある、理由がない、根拠がないと仰いますが、Pararinpoohさま御一人が「かつて存在した」と「現存しない」を同義とみなした上で「同様に許容しないとおかしい」と繰り返し述べておられるだけです。一方でClaponさまもMaris stellaさまも、「かつて存在した」と「現存しない」ではニュアンスが異なることを述べておられ、議論は平行線を辿ったままです。
Maris stellaさんが、「「かつて存在した」と「現存しない」ではニュアンスが異なることを述べておられ、」についてはそのとおりです。また、その点についてはB級へたれさんのこの点の最初のご指摘が2007年4月6日 (金) 09:57 (UTC)にあり、Pararinpooh(つまり私)は 2007年4月6日 (金) 13:23 (UTC)の時点でそのニュアンスについて記しています。私はこの時にこのカテゴリがこのようなことにも使われているのを知り意外でした。その時点では「多くの人にとっては意図しない用法」としてのみ記してその上で、「「現存しない企業」を「現存しない企業名」と考えて、「かつて存在した企業」を置き換えても実害はないと思います。」と自身の感想を述べているにすぎないのですが、その後、Claponさんとのやり取りをおこなう中で、『Wikipediaにおけるカテゴリ名としての役割では同義である』と考えられるといたったものです。(2007年5月14日 (月) 13:53や2007年5月16日 (水) 07:00 (UTC)のPararinpoohのコメント)
Maris stellaさんは「「かつて存在した」と「現存しない」ではニュアンスが異なることを述べて」いることと、国鉄を例として会社名を変えて存続している例について紹介していただきました。それはその通りだと思います。しかし、このニュアンスの違いは、まず、「かつて存在した」と「現存しない」の違いを説明いただき、その後、国鉄とJRの例をだされて企業の説明をされています。
しかし、ここでは、「かつて存在した企業」と「現存しない企業」であることのニュアンスの違いについては明確ではなく、先ほどの「かつて存在した」と「現存しない」であることのニュアンスの解説に基づき
> 「現存しない企業」だと、その企業は跡形もなく消え去り、何も残っていないという強い意味の印象を持っていると思います。(Maris stellaさん 2007年5月14日 (月) 13:03 (UTC))
と述べられているだけです。Maris stellaさんは国鉄を「かつて国鉄があり、その後継としてJRがある」と形容する文章を掲示されていますが、これを「国鉄は現存せず、その後継としてJRがある」としても同意です。
さらに、Wikipediaのカテゴリ名でありWikipediaの記事では現存する企業について他の記事が存在する場合に「かつて存在した企業」が貼られているという実際の使用形態については考慮されていません。現在の問題の対象範囲は『カテゴリ名として「かつて存在した企業」を「現存しない企業」に変えた場合』、『「かつて存在した企業」がすでに今つけられている「商号を変えて現存する企業」に問題があるかないか』であり、『「商号を変えて現存する企業」の取り扱いの定義を作成』しているのではないのですから。
カテゴリ名としてみたときに、そのニュアンスの違いは(2007年5月14日 (月) 13:53や2007年5月16日 (水) 07:00 (UTC)のPararinpoohのコメント)で指摘させていただいたとおり、カテゴリ名を文章として解釈するときの違いです。ある特定の文章を書けばニュアンスが違い、別の文章を書けばまたニュアンスが変わります。そして「かつて存在した」と「現存しない」を入れ替えてもそのニュアンスは変わりません。
Claponさんも、別の表現でニュアンスの違いを説明されました。しかし、やはり、カテゴリ名として見る限り、「かつて存在した」と「現存しない」を入れ替えてもそのニュアンスは変わらないのです。それをニュアンスが違うというかいわないかは違うと見ていいたいか違わないと見ていいたいかの違いくらいでしかありません。
> とのことですが、Maris stellaさまの丁寧なご説明にも納得していただけないのであれば、当方から同じことを申し上げても、ご納得いただけるとは到底思えません。ただ1点のみ申し上げますと、反対意見を反対意見としてすらお認めにならないのは極めて不合理で独善的かと存じます。(B級へたれさん 2007年5月26日 (土) 01:43 (UTC))
Maris stellaさんのご説明について納得できない理由はすでに、Maris stellaさんの記述の後に記しており、B級へたれさんに確認いただきたく上記にもう一度コメントいたしました。Maris stellaさんの意見を単に否定したのではなく、Maris stellaさんにひきつづきご説明いただけることを希望していました。
「反対意見を反対意見としてすらお認めにならない」との点ですが、私はいずれのご意見対してもその理由を提示して申し上げているのです。反対意見の反対理由が理由でないことを指摘しているのです。わたしの反論におかしなことがあれば指摘してくださいと申し上げているのは、反論いただけないのであれば、「反対意見を反対意見としてすらお認めにならない」のが議論というものです。反論いただけないのであれば、理由なく感想をいわれているように見えると申し上げているのです。私はWikipediaのこのノートに反論を書き込めないようにしていません。反論を記述いただけます。反論がいただけないのに、「反対意見を反対意見としてすらお認めにならないのは極めて不合理で独善的かと存じます。」との表現はおかしいなと感じます。
ご当人たちから反論をいただけなかったために、この「変更にはいります」の見出しをつけました。B級へたれさんも「変更にはいります」の見出しがついて議論に復帰されました。この見出し以前に対話を繰り返すのが本望です。結論について不満をいただく以前に、議論での対話に参加いただけなければ、ただ「反対」とだけ唱えていることになってしまいます。--Pararinpooh 2007年5月27日 (日) 22:27 (UTC)
既出の反対意見を、反論の反論の反論の(中略)反論が無かったからといって、意見そのものが無かったことにするお立場には変わりが無いのですね。ご自身の行為を「対話」とお呼びになっておられますが、相手が根負けするまで反論(といっても、単なる自説の繰り返し)を続けるだけのご行為を「対話」とは呼べないと存じます。
もし仮に、Pararinpoohさまの仰る議論のあり方が正しいのであれば、予めウィキブレークを予定しておられたClaponさまのご意見など、最初から存在しないものとして扱われることが決まっていたに等しいことになりはしないでしょうか。結局、本当の意味で「対話」を拒否なさっておられるのは、既出の意見を意見としてすらお認めにならないPararinpoohさまご自身であると思わざるを得ませんし、本議論を単なる「自説を押し通すための儀式」としか考えておられないようにも思われます。
いずれにしても、このままの形で議論を続けても論争が解決できる見込みは薄いと考えます。また5月7日時点で、Wikipedia:論争の解決によって解決できる範疇を超えてしまったように思うのですが、Pararinpoohさまはいかが思われますでしょうか。--B級へたれ 2007年5月28日 (月) 19:28 (UTC)

■ (インデント戻し)B級へたれさん、コメントありがとうございます。以下にいただいた点についてコメントいたします。

> 既出の反対意見を、反論の反論の反論の(中略)反論が無かったからといって、意見そのものが無かったことにするお立場には変わりが無いのですね。

意見そのものがないなどといっていません。意見は理由がないのだから裏付けのある理由をもっていないだから感想のレベルの意見だと申し上げているのです。

>ご自身の行為を「対話」とお呼びになっておられますが、相手が根負けするまで反論(といっても、単なる自説の繰り返し)を続けるだけのご行為を「対話」とは呼べないと存じます。

「相手が根負けするまで反論」ではありません、そのとき提示いただいたご意見に対して反論させていただいているのであって、当初の表現をごり押ししていることなどありません。常にいただいた内容について吟味し、考えさせられ、その上で、現在のところ、「かつては例外である」ということについて、具体的な例を挙げて、「かつて存在した」も「現存しない」もWikipediaのカテゴリ名としては同意であると申し上げているのです。これを「相手が根負けするまで反論」という表現にすること自体が、議論ではなく「論争」にもっていこうとする方向です。わたしはこのやりとりは無益だと思います。

> もし仮に、Pararinpoohさまの仰る議論のあり方が正しいのであれば、予めウィキブレークを予定しておられたClaponさまのご意見など、最初から存在しないものとして扱われることが決まっていたに等しいことになりはしないでしょうか。結局、本当の意味で「対話」を拒否なさっておられるのは、既出の意見を意見としてすらお認めにならない Pararinpoohさまご自身であると思わざるを得ませんし、本議論を単なる「自説を押し通すための儀式」としか考えておられないようにも思われます。

Claponさんが5月22日から30日までウィキブレークにはいっていたのは、実は私が5月24日に「変更に入ります」と書いた後に、ClaponさんどうしているだろうとClaponさんのページを見て知りました。その際、それなら「変更に入ります」を一旦待ちますと記入しようかと考えました。しかしよく考えてみると、Claponさんが2007年5月16日 (水) 05:48 (UTC)に記述された時点では、また、わたしが、Claponさんの2007年5月16日 (水) 05:48 (UTC)に返事として記述したPararinpooh 2007年5月16日 (水) 07:00 (UTC)やPararinpooh 2007年5月16日 (水) 07:12 (UTC)の記述時点ではそのようなお話はなかったかと思います。また、Claponさんがこの議論が重要とお考えになるのであれば、その旨こちらのノートに一筆いれられたはずです。つまりClaponさんが5月22日から30日までウィキブレークにはいるということをご自身のノートに記述されたときに、こちらの議論の進展について「待ってほしい」ということであればなんらかのコメントをいれられる時間があったはずです。しかしそれをされていないということです。ウィキブレークとはWikipediaに参加できない表明でもありますが、その期間参加しないという表明でもあります。自身が関与したいにはそれなりの記述が必要だと思います。すべての場所で議論を置いたまま単にウィキブレークにはいる状況を考えてください。そう考え、わたしの記述はそのままにしています。


> いずれにしても、このままの形で議論を続けても論争が解決できる見込みは薄いと考えます。また5月7日時点で、Wikipedia:論争の解決によって解決できる範疇を超えてしまったように思うのですが、Pararinpoohさまはいかが思われますでしょうか。--B級へたれ 2007年5月28日 (月) 19:28 (UTC)

Wikipedia:論争の解決で、ステップ2: 論争の相手と話し合うでの重要な中心分は「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください、」です。B級へたれさんは、当初の議論で降りてしまいその後、「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください、」というところに入っていません。そのまま、議論をせずにいるのであればわかりますが、この時点におよんで、Claponさんとおこなった議論についてのPararinpoohの振る舞いに関して、B級へたれさんは『Pararinpoohが一方的な論争をおこなっているイメージでとることができるさまざまな表現』で評価だけをおこなっています。Claponさんに議論を任せたような形で最後の評価だけご自身でおこなっている。これは「最大限の努力と長い期間をかけて、議論を尽くしてください、」というWikipedia:論争の解決について、B級へたれさんご自身がおこなっていないということです。

>このままの形で議論を続けても論争が解決できる見込みは薄いと考えます。

B級へたれさんは、議論を避けて来たのですから、この文章がB級へたれさんから発せられること自体がおかしいと考えます。


以上--Pararinpooh 2007年5月29日 (火) 00:26 (UTC)(追記--Pararinpooh 2007年5月29日 (火) 00:54 (UTC)

■ (最後の一点についてのお返事がもれていました)

>Wikipedia:論争の解決によって解決できる範疇を超えてしまったように思う

Claponさん主導で投票がおこなわれましたが、これはWikipedia:論争の解決の手順を踏まえたステップ3の投票ではないでしょう。論議はだしつくされましたかとの確認と合意がなされて後の投票ではないからです。Wikipedia:論争の解決で、ステップ2: 論争の相手と話し合うを飛び越えたステップ3の位置づけではない投票であり、消してWikipedia:論争の解決の手順どおりに事を運んだわけではないと思います。今回の投票行為をWikipedia:論争の解決のステップ3であると位置づけること自体、Wikipedia:論争の解決の主旨をご理解されていないと思います。形式的なWikipedia:論争の解決の適用であり、誤ったWikipedia:論争の解決の見方です。

以上--Pararinpooh 2007年5月29日 (火) 00:33 (UTC)

終了提案

[編集]

User:Pararinpooh さん、この話はこれで終了としましょう。

わたしも改名に現時点では「反対」ですから、十分な時間を費やして話を行った結果、3対1となって、改名はしないという「ラフコンセンサス」が成立しました。

終了の理由は、Pararinpooh 氏には、相手に分かるように簡潔に明瞭に、要点を記して意見を述べるという配慮が明確に欠如していることから、話し合いが成立しなくなった、ということでも出てきます。話し合いを行おうと云う基本的な姿勢がありません。従って、「独り言」に終始するだけで、何も話は進展していません。答えは出ているので、終了です。

他者は、それぞれに都合を持った人間で、Pararinpooh 氏にどこまでも付き合う義務はないのだということを理解してください。主張の趣意を汲み取ろうと、二人の方が努力されたのは事実で、他方、Pararinpooh 氏は「提案」している人である以上、相手に可能な限り理解し易く、分かりやすい説明を行う義務があります。ここでの言葉には、そのような配慮が欠けているとしか言えません。ウィキペディアの基本原則は、話し合いである以上、Pararinpooh 氏の態度は、原則に反することです。

そうであれば、提案は失敗したのであり、提案は終了となります。以上です。--Maris stella 2007年5月29日 (火) 02:04 (UTC)

念の為、投票を行います。User:Clapon 氏の意志は明らかです。User:B級へたれ さんも投票してください。また、できれば集計して、結論を出してください。議論に関係している人が、 User:Vantey 氏、User:Yas 氏、User:Bcjp 氏、User:MZM-MSYK 氏を合わせても、8名なので、日本時間6月2日23時59分59秒をリミットとしましょう(リミットについて異論がある場合は、わたしの以下の署名時間より最長で一週間にしましょう。異論なき場合は、先の日時)。

B級へたれさんに、賛否表明の連絡をお願い致します。--Maris stella 2007年5月29日 (火) 02:04 (UTC)

追記)なお、意見は、コメント欄に記してください。(Pararinpooh さんのコメントは、コメント欄に移動させて戴きました)。--Maris stella 2007年5月29日 (火) 02:33 (UTC)

投票

[編集]
  • 終了に賛成
  1. 賛成:--Clapon (代理表明 par Maris stella (Clapon 2007年5月31日 (木) 01:22 (UTC) 本人確認)
  2. 賛成:--Maris stella 2007年5月29日 (火) 02:04 (UTC)
  3. 賛成:--Yas 2007年5月29日 (火) 15:27 (UTC)
  4. 賛成:B級へたれ 2007年5月29日 (火) 18:26 (UTC)
  5. 賛成: --Vantey 2007年5月30日 (水) 11:03 (UTC)
  6. 賛成:--MZM 2007年6月2日 (土) 01:30 (UTC)
  • 終了に反対
  1. 反対:User:Pararinpooh Maris stella さんの記述もこれが2度目であり、Maris stella さんにもさらなるご意見をうかがっていましたが、2度目の記述で、結論をつけるということは適切だとは思えません。--Pararinpooh 2007年5月29日 (火) 02:25 (UTC)
  • その他
  1. (棄権等):

投票結果 : 賛成6 対 反対1 で、この改名提案は終了と決まりました。

(この投票結果を編集しないでください。2007年6月2日 (土) 16:13 (UTC))

  • コメント
Maris stella さん、ご意見ありがとうございます。
>他者は、それぞれに都合を持った人間で、Pararinpooh 氏にどこまでも付き合う義務はないのだということを理解してください。主張の趣意を汲み取ろうと、二人の方が努力されたのは事実で、他方、Pararinpooh 氏は「提案」している人である以上、相手に可能な限り理解し易く、分かりやすい説明を行う義務があります。ここでの言葉には、そのような配慮が欠けているとしか言えません。ウィキペディアの基本原則は、話し合いである以上、Pararinpooh 氏の態度は、原則に反することです。
わたしも、都合を持った人間です。2度目の記述で『他者は、それぞれに都合を持った人間で、Pararinpooh 氏にどこまでも付き合う義務はないのだということを理解してください。』という記述をされるのは適切な議論とは思えません。Maris stella さんとは今回が初めてで対話となるからです。もちろんわたしの記述に異論があればその旨記述いただく必要があります。Maris stella さんに向けた記述に対してのお答えがいただけていないのに、一足飛びに終了をもちだすことこそ、適切ではないとおもいます。人すべてが同質であれば議論は必要ないのですが、そうではないからです。どうしても方法論の話になってしまいますが、これは、一時に終了に持ち込もうとするやり方であって、正しいやり方とは思えません。そのため、以下の投票には『終了に反対』に投票いたします。--Pararinpooh 2007年5月29日 (火) 02:25 (UTC) / (コメント欄を作るのを忘れていました。コメント欄に移動させて戴きます。--Maris stella 2007年5月29日 (火) 02:33 (UTC)

こんにちは。およそ2ヶ月前からの議論、始めは注目していましたが、話が長引き、付いていけなくなりました。当初の提案理由に対して今更ながらコメントしますと、理由の1「"かつて存在した企業"という日本語が一般的でない」という点に関しては、語感・ニュアンスの問題であり、明確な根拠はありませんが個人的にはそれほど違和感は感じない・問題視していないという立場です。理由の2「2分割には明快」に関しては、私がよく理解していないのかもしれませんが、重要な観点とは思えませんでした。いずれも主観的な意見であり、議論するべき内容が無いと思って、特に言明しませんでした。Pararinpooh さんに対してこちらの考えを納得させるつもりもありません。

Pararinpooh さんにとって、ご自分の提案に対して意味のある反論が無い(自分を納得させるに至らない)という状況であることは理解しますが、同時に、Pararinpooh さんの提案に賛成する人が現れていない(第三者を説得できていない)状況であることもご理解ください。ある程度の時間をかけた段階になっていますので、一旦終了(変更しない)というのが妥当であると考えます。Pararinpooh さんに配慮が欠けているとかごり押しであるとは私は思いませんし、論理的に、誠実に議論を進めようとしていただいたと考えています。ですが、(今回は)賛同者を獲得することができなかったという結果を受け入れていただきたいと思います。議論を終了することとなっても、「議論を経て現状が優れているという結論に達した」わけではないので、状況が変われば(変更すべきという人が増えれば)再度の提案・検討もありうると思います。--Yas 2007年5月29日 (火) 15:27 (UTC)

私も途中から半ばついて行けなくなっていた一人です。意見を頭の中で整理しているうちに議論が荒れてきて、入り込める雰囲気でなくなりました。ヘタレだ俺… 反論や終了提案で音頭をとって下さった Maris stella さんや B級へたれ さんに感謝します。
どうも Pararinpooh さんは、「消滅した……」が無二の"best"な解である―と頭から信じ込み、他のすべての案や意見に対して不寛容になっておられるように見受けられます。「かつて存在……」が必ずしも最適な日本語ないし良い日本語ではないという見解が存在すること、それでもみんな実運用上は現状で問題なく(あるいは妥協して)使っていること、他の議論参加者はおおむね提案と現状を比較し問題点も勘案の上で"better"な(別の言葉で言えば"worseでない")選択をして意見しているとみられること、等は全体を見渡した私の印象ですが、それらに対し Pararinpooh さんはこのような態度をとっておられます。
  • 提案理由をご提案の時点から示さずに、補強と異論が出てから後出しじゃんけんの形で理由説明をしていること。
  • 2007年4月23日 (月) 02:54 (UTC) の私宛てのご返答でも「「かつて存在した……」に代わるより適切なカテゴリ名として提案している「現存しない……」の採用」などと他人の発言に勝手に自分の価値判断を加えて言い直していること。(私はその時は手続きのことを尋ねただけで、価値判断や両者の優劣について言及していませんし、そのような含意を込めたつもりもありません)
  • 「カテゴリの意味が変わってしまう」という反対に対して、#反対理由は矛盾節では「自説によっても現行の収録範囲が適用し得る」という技術論による相手の揚げ足取りに終始し、「自説のカテゴリ名がよりふさわしい」ことを粘り強く説得する姿勢もそのための新たな材料も示していないこと。(現状を変えるわけですから、他人(議論相手だけでなく、すべての閲覧者のことです)を納得させるべく説得材料を提示する責任は提案者側にあります。)
  • 同節からは特に、反対意見を"論破"することに重点を置き始め、"合意を形成"する気がなくなったこと。意見が貰えなくなると釣りタイトルの見出し名(#変更にはいります)による恫喝まがいの手で議論に誘い出していること。
これらを考えると、ここは議論がまともな議論として成り立たなくなったということで、終了とするのが妥当だと思います。なお私は提案そのものに対する賛否は示しません。議論できる状況ではなくなったことが終了票の理由だからです。 --Vantey 2007年5月30日 (水) 11:03 (UTC) 推敲--Vantey 2007年5月30日 (水) 14:53 (UTC)
一方的にウィキブレイクに入り議論に参加できずにすみませんでした。Pararinpoohさん、B級へたれさん、Maris stellaさん、そのほかの皆様、議論を進めていただきありがとうございます。終了提案には賛成です。今回の議論においては、Pararinpoohさん、Claponともに自説の主張に終始しており、合意を形成する議論ではなく論理的にどちらが正しいかというディベート的なものになっていると感じていました。これはどちらかが悪いということではなくお互いの議論の進め方に対してです。なんとか合意を形成する方向に議論を進めたかったのですが、ブレイク予定の期日が来てしまい、結果として放置する形になりましたことをお詫びいたします。明確にブレイクを宣言しなかった理由ですが、その時点で議論が膠着しておりこれ以上自説を繰り返すことは建設的ではなく、私が参加しない間に議論が違う方向に進むのではないかという他者依存的な期待を込めたものでありました。その結果、期待したとおりに皆様からの意見がつく状況になり、参加くださった皆様に感謝しております。--Clapon 2007年5月31日 (木) 01:22 (UTC)

ご連絡ありがとうございました。私は初めの頃にちょっと参加しただけで、その後は完全に離れていたのですが、とりあえずこれまでの議論を拝見し、投票させていただきました。

  1. まず、「かつて存在した」という言い回しは、私も不自然さを感じており、より良い言葉があれば、それに変えるのはやぶさかではありません。
  2. 現在のカテゴリは、「今現在、名実共に存在する企業」と「そうでない企業」の2分割方式で、曖昧な部分を残しています。
  3. Pararinpooh氏の提案の「現存しない企業」は、前述の曖昧さを明確化し、企業カテゴリを再編することと不可分と考えます(最低限、3分割くらい)。1000件以上の記事を個々に検討・変更するのは、かなり大変ですが、それはそれで良いかと思います。
  4. しかし、Pararinpooh氏はあくまで、「かつて存在した企業」を「現存しない企業」に機械的に変えるだけで、それ以上の意図はない様子。
  5. 結論として、現状の変更提案にはメリットを感じられず、積極的に賛成する理由がありませんでした。
  6. また皆さんの意見も、絶対に現状の「かつて存在した企業」のままでなければいけない、というものではないので、賛否投票は無しが宜しいでしょう。

以上の理由から、ここは一旦議論を打ち切るのが宜しいかと存じます(なお、今回のような場合は、「議論参加者が提案者を納得させる」のではなく、やはり「提案者が参加者を説得する」のがスジでしょうね) --MZM 2007年6月2日 (土) 01:30 (UTC)


集計と投票結果確定について

[編集]

こんにちは。あと5時間ほどで、予定していた投票のリミットが近づいてきました。集計と投票結果確定については、User:B級へたれさんにお願いしていたのですが、あまり深く議論に関わっている者は相応しくないとのご意見でした。かと云って、議論に何の関係もない人が、集計とか確定作業とかを行うのも、誰かに依頼するいうようなことでないと人がいません。

という訳で、僭越ですが、わたしが集計と投票結果の確定を宣言させて戴きたく思います。純粋に投票結果に従って行うので、誰が行っても同じと思いますが、誰かがするだろうで放置になる可能性もあるので、手を挙げさせて戴きます。

また、すでにログが130キロバイト近くなっており、この投票結果の確定後、これまでの全議論は、移動によって「過去ログ」として、このノートには、過去ログへのリンクを作成することにしたく思います。これは通常行われている手順です。どなたかが、新しい提案等を提起されて、過去の発言を、過去ログより転記等で使用したい場合は、御自分の発言はそのまま転記すれば問題ありません。他の人の発言も含んでいる場合は、GFDLなどの文章の「転記・コピー&ペイストの手順」に従って、必要な情報を要約欄に記して転記願います。なお、「過去ログ」は原則として編集しないということも確認願います。移動・過去ログ化などは、わたしの作業用アカウントである「User:Star of Sea」で行いますので、予めにご了承願います。--Maris stella 2007年6月2日 (土) 10:16 (UTC)

  • 新しい提案が将来ある可能性について:Pararinpooh 氏あるいは他のどなたかが、再度、改名提案等を行うことを、この投票では別に禁じているのではありません。ただ、新しい提案がある場合は、ここで議論された内容は、前提となるのだということを前もってご了解願いたく思います(「過去ログ」になったものは、過去の話で関係ないとはなりません。過去ログにするのは、ブラウザの性能から、技術的問題が起こり、編集も閲覧も困難になるため行う操作で、実際には、過去ログの議論も、同じ趣旨の提案などの場合は、有効性を持っているということです)。--Maris stella 2007年6月2日 (土) 10:16 (UTC)

(報告)投票期間は終了し、結果は上の通りとなりました。--Maris stella 2007年6月2日 (土) 16:13 (UTC)