brats on B
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brats on B | |
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別名 | 今週の山田太郎 |
出身地 | 日本 |
ジャンル | ポップ・ロック |
活動期間 | 1990年 - 1999年 |
レーベル | ポリスター |
事務所 | 吉本興業 |
共同作業者 |
森俊之 笹路正徳 |
メンバー |
小森将信(ボーカル) 前原幸雄(ドラムス) 谷島周一(ベース) 花輪直弥(ギター) |
旧メンバー | 林謙一(ギター) |
brats on B(ブラッツ・オン・ビー)は、日本の4人組ポップロックバンド。旧表記は「BRATS/B」。[注釈 1]略称は「ブラッツ」。 1990年結成、1999年に活動休止。吉本興業のアーティスト部門に所属していた。
来歴
[編集]- 1990年
- 前身バンドとなる「今週の山田太郎」を京都で結成。京阪神を中心に活動を始める。
- 1992年
- ロックバンドの育成・輩出を目的とした吉本興業によるオーディション「2丁目 DR.プロジェクト バンドオーディション」に合格。以降、ライブハウスの他に月に2回から3回のペースで「2丁目ワチャチャライブ」に出演するようになる。[1]
- BSヤングバトル審査員特別賞受賞。[1]
- 1994年
- バンド名を「ブラッツ・オン・ビー」と改め、10月にポリスターよりシングル『時を少し』でメジャーデビュー。
- 1995年
- 7月に阪神・淡路大震災からの復興を願って制作された2ndシングル『この花が咲いたら』をリリース。9月に1stアルバム『“B”』をリリース。
- 1996年
- 1月、3rdシングル『王様』をリリース後、ギター担当の林謙一が脱退。3月に花輪直弥が加入し、バンド名のアルファベット表記をそれまでの「BRATS/B」から「brats on B」へと変更する。[注釈 2]
- 6月、第6回NHK新人歌謡コンテストに出場。ミニアルバム『太陽がのぼる頃には』をリリース。
- 12月、4thシングル『ほたる』をリリース。カップリング曲「るらら」がNHKみんなのうたに採用され、翌1997年1月まで放送された。[2]
- 1997年
- 7月、5thシングル『ちっちゃな頃ついてきた月』、10月、2ndアルバム『Harf Camera』をリリース。前原がパーソナリティを務めるFM OSAKA「Jay-Land SHUFFLE」月曜日に小森がゲスト出演し『Harf Camera』の収録曲の紹介と解説を行う。
- 1998年
- 3月、6thシングル『ヒマワリ』、6月に7thシングル『世界を変えて』、8月に8thシングル『旅の途中』を相次いでリリース。
- 1999年
- 1月、9thシングル『アポロ』をリリース。2月に3rdアルバム『ゆらふわ』、8月にミニアルバムとしては2枚目となる『手紙』をリリース。
- 9月、京都ミューズホールでのライブをもって活動休止。
メンバー
[編集]- 谷島周一(やじま しゅういち)
- ベース担当。影響を受けたアーティストに、スティーリー・ダン[4]、ジャコ・パストリアスを挙げている。[5]
旧メンバー
[編集]- 林謙一(はやし けんいち)
- ギター担当。1996年脱退。シングル『王様』まで在籍。ミニアルバム『太陽がのぼる頃には』では、作曲のみ参加。[注釈 3]
エピソード
[編集]- 活動休止後も、1stアルバム『“B”』収録の「あの時 あのままで」が、ラジオ大阪「ラジオよしもと むっちゃ元気!」のエンディングテーマとして最終回まで長く使われていた。
- 『“B”』の初回プレス盤は歌詞カードの一部に誤植があり、本来なら「MASANOBU KOMORI & KENICHI HAYASHI」となる箇所が「MASENOBU KOMORI & KENICHI HAYASHI」となっている。
- 2011年、2ndシングル『この花が咲いたら』が女性シンガー恵莉花により『この花が咲いたら 〜いのちの種〜』としてリメイク、発売された。[9]
ディスコグラフィ
[編集]すでに廃盤になっているCDもあるが、一部の楽曲は2022年8月現在iTunes storeにて販売されているほか、Apple Music、Spotify、LINE MUSICといった音楽配信サービスで聴くことができる。
シングル
[編集]- 京都の祇園祭の情景が歌われている。
『この花が咲いたら』(1995年7月26日発売)
- 阪神・淡路大震災からの復興を願い作られた。
『王様』(1996年1月25日発売)※アルバム未収録
『ほたる』(1996年12月9日発売)
『ちっちゃな頃ついてきた月』(1997年7月25日発売)
『ヒマワリ』(1998年3月1日発売)
『世界を変えて』(1998年6月1日発売)
『旅の途中』(1998年8月1日発売)
『アポロ』(1999年1月20日発売)
ミニアルバム
[編集]『太陽がのぼる頃には』(1996年6月26日発売)
『手紙』(1999年8月1日発売)
アルバム
[編集]『“B”』(1995年9月25日発売)
『Harf Camera』(1997年10月8日発売)
『ゆらふわ』(1999年2月24日発売)
タイアップ一覧
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
年[注釈 4] | 曲名 | タイアップ |
---|---|---|
BRATS/B | ||
1994年 | 時を少し | 読売テレビ・日本テレビ系「TVじゃん!!」枠内『目玉とメガネ』エンディングテーマ |
1995年 | この花が咲いたら | テレビ朝日系『ステーションEYE』エンディングテーマ |
あの時 あのままで | ラジオ大阪『ラジオよしもと むっちゃ元気!』エンディングテーマ | |
1996年 | 王様 | 読売テレビ・日本テレビ系「TVじゃん!!」枠内『目玉とメガネ』エンディングテーマ |
brats on B | ||
1996年 | るらら | NHK『みんなのうた』12月〜1月放送曲 |
1998年 | 世界を変えて | TBS系『まぶだち2』エンディングテーマ |
日音制作 音楽情報番組『P.S.〜Pop Shake〜』エンディングテーマ |
出演
[編集]ラジオ
[編集]- Kiss-FM KOBE「MIDNIGHT Kiss」木曜パーソナリティ(小森)(1995年)
- FM OSAKA「Jay-Land SHUFFLE」16:00~19:00 月曜パーソナリティ(前原)(1995年-1997年)
- CBCラジオ「brats on BEAT~小森将信の今夜は王様」土曜24:00~24:30(小森)(1996年)
- α-STATION「ダイヤルB」土曜22:00~24:00(小森)(1997年7月~9月)
テレビ
[編集]- NHK総合 土曜特集「第6回NHK新人歌謡コンテスト」(1996年6月22日放送)[10]
関連項目
[編集]- 森園勝敏 ‐デビューシングル『時を少し』の楽曲アレンジを担当。
- 難波弘之 ‐1stアルバム『“B”』で、サポートミュージシャンとしてオルガン・キーボードを担当。
- 森俊之 ‐1996年-1997年の楽曲をプロデュース。3rdアルバム『ゆらふわ』では、サポートミュージシャンとして参加している。
- 笹路正徳 ‐シングル『世界を変えて』以降の作品をプロデュース。[11]
- 大子町立 旧 初原小学校(茨城県久慈郡大子町)‐『“B”』の撮影地。[12]
- 小森将信-バンド解散後上京。ウクレレを学ぶべくドリフターズ高木ブーに弟子入り。数年間運転手をつとめる。その間ウクレレを教えてもらったのは大体30分(本人談)。現在はウクレレボーカルこもりまさのブ(ブは師匠の高木ブーから受け継いだ一文字)としてイヌスターヅ で活躍している。
脚注
[編集]- ^ 歌詞カード内の作曲・編曲クレジットにおいては、「Brats/B」の表記も存在する。
- ^ ただし、林在籍時の音源のうち1994年発売の『時を少し』はCDジャケットに「brats on B」と表記されている。
- ^ 「幸せに続くさよなら」「さっきまでは」
- ^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載
出典
[編集]- ^ a b マンスリーよしもと編集部(著)『2丁目ワチャチャBOOK ─ ぼくらがヨシモトの新兵器だ!!』 p.173(データハウス、1993年)
- ^ NHK みんなのうた - るらら - ブラッツ・オン・ビー(BRATS/B)
- ^ マンスリーよしもと編集部(著)『2丁目ワチャチャBOOK─ぼくらがヨシモトの新兵器だ!!』 p.127(データハウス、1993年)
- ^ a b c マンスリーよしもと編集部(著)『2丁目ワチャチャBOOK─ぼくらがヨシモトの新兵器だ!!』 p.128(データハウス、1993年)
- ^ a b Guitar Days!:bratsの音楽的起原(ルーツ)(1998.1.7)- ギター花輪直弥による、brats時代の記事
- ^ ギタリスト花輪直弥のホームページ:profile
- ^ ギタリスト&着付師、花輪直弥の音日和:経歴
- ^ 成城着付教室 LeinaniきものStyle
- ^ NEW MAXI SINGLE『この花が咲いたら 〜いのちの種〜』RELEASE決定! - 恵莉花 - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
- ^ NHKアーカイブス番組表検索結果(キーワード:新人歌謡コンテスト)
- ^ Sasaji Works(ALL)
- ^ 大子町フィルムコミッション 木造校舎 初原小学校(※動画の自動再生あり。音量に注意。)