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40口径安式15cm砲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四十口径安式十五糎砲
種類 艦砲
原開発国 イギリスの旗 イギリス
運用史
配備先  大日本帝国海軍
関連戦争・紛争 日清戦争/日露戦争/第一次世界大戦/第二次世界大戦
開発史
製造業者 アームストロング社
諸元
全長 6.09m
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四十口径安式十五糎砲(40こうけいアンしき15せんちほう、 40口径安式15cm砲 ) は、大日本帝国海軍の装備した艦砲である。戦艦副砲巡洋艦主砲または副砲として使用された[1]

“安”は アームストロング社を表している。

概要

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元々はアームストロング社が開発した艦砲を輸入したものであり、当初は四十口径安式十五糎砲または安式十五糎砲と言った。その後海軍における砲熕の呼称法を統一する必要から 四十口径安式十五拇速射砲として制式化された。1908年(明治41年)には四十口径安式一号 (二号、三号)六吋砲と改称し[1][2][注釈 1]、さらに1917年(大正6年)に四十口径安式十五糎砲と改称された[2][注釈 2]。この時に一号〜三号までの区別がなくなり、この名称が太平洋戦争終戦まで使用されることとなる。

日清戦争ではその威力を存分に発揮し黄海海戦などで清国海軍を撃破するのに活躍した。この戦訓により日清戦争後の海軍力整備でもこの砲の導入は優先順位が高く日露戦争連合艦隊旗艦を務めた戦艦「三笠」以下、多くの艦艇に搭載される事になった[2]。昭和期には旧式砲となっていた。しかし太平洋戦争では特設巡洋艦の主砲や離島防衛などに多く使用された。

この砲を最初に採用したのは防護巡洋艦秋津洲」である[1][注釈 3]

形式

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単装砲架

搭載艦船

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脚注

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注釈

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  1. ^ 海軍内令兵 第5号
  2. ^ 海軍内兵令 第17号
  3. ^ 秋津洲は途中で設計変更が行われたため就役が遅れて1894年(明治27年)となり、日本艦艇で本砲を搭載して最初に竣工したのはアームストロング社で建造された防護巡洋艦「吉野」となる。

出典

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関連項目

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