1980年のヨーロッパF2選手権
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1980年のヨーロッパF2選手権 | |||
前年: | 1979 | 翌年: | 1981 |
1980年のヨーロッパF2選手権は、全12戦で争われた。トールマンのブライアン・ヘントンがタイトルを獲得[1]。チームメイトのデレック・ワーウィックが2位。マーチ・エンジニアリングから参戦したテオ・ファビがシリーズ3位であった。
カレンダー
[編集]戦 | イベント名 | 開催地 | 日程 | 周回 | レース距離 | 優勝タイム | 平均速度 | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 |
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1 | P&O Ferries/ヨッヘン・リント トロフィー | スラクストン | 4月7日 | 55 | 3.792=208.560 km | 1'04:10.56 | 194.989 km/h | デレック・ワーウィック | ブライアン・ヘントン | ブライアン・ヘントン |
2 | ジム・クラーク Rennen | ホッケンハイムリンク | 4月13日 | 27 | 6.789=183.303 km | 0'54:28.99 | 201.864 km/h | アンドレア・デ・チェザリス | マイク・サックウェル | テオ・ファビ |
3 | Eifelrennen | ニュルブルクリンク | 4月27日 | 9 | 22.835=205.515 km | 1'08:08.51 | 180.959 km/h | リチャード・ダーレスト | マイク・サックウェル | テオ・ファビ |
4 | 第30回 Gran Premio Roma | ヴァレルンガ | 5月11日 | 65 | 3.2=208.0 km | 1'15:56.1 | 164.351 km/h | デレック・ワーウィック | ブライアン・ヘントン | ブライアン・ヘントン |
5 | 第40回ポー・グランプリ | ポー | 5月26日 | 73 | 2.76=201.48 km | 1'34:03.57 | 128.523 km/h | デレック・ワーウィック | ブライアン・ヘントン | リチャード・ダーレスト |
6 | マールボロF2トロフィー | シルバーストン | 6月8日 | 47 | 4.719=221.793 km | 1'03:18.66 | 210.194 km/h | ブライアン・ヘントン | ブライアン・ヘントン | デレック・ワーウィック |
7 | ベルギーグランプリ F2 | ゾルダー | 6月22日 | 50 | 4.262=213,10 km | 1.13:44.61 | 173.385 km/h | テオ・ファビ | ブライアン・ヘントン | ヒューブ・ロテンガッター |
8 | マールボロF2トロフィー | ムジェロ | 7月6日 | 42 | 5.245=220.290 km | 1'15:22.6 | 175.351 km/h | デレック・ワーウィック | デレック・ワーウィック | ブライアン・ヘントン |
9 | European Formula 2 Championship Race | サンドフォールト | 7月20日 | 45 | 4.226=191.34 km | 1'15:23.59 | 152.274 km/h | リチャード・ダーレスト | ブライアン・ヘントン | リチャード・ダーレスト |
10 | 第18回 Gran Premio del Mediterraneo | エンナ | 8月3日 | 45 | 4.95=222.75 km | 1'10:39.79 | 189.136 km/h | ジークフリート・ストール | テオ・ファビ | ジークフリート・ストール |
11 | 第4回 Gran Premio del Adriatico | ミサノ | 8月10日 | 60 | 3.488=209.28 km | 1'12:39.38 | 172.835 km/h | ブライアン・ヘントン | ブライアン・ヘントン | アンドレア・デ・チェザリス |
12 | Preis Baden-Württemberg | ホッケンハイムリンク | 9月9日 | 30 | 6.789=203.67 km | 0'59:41.06 | 204.747 km/h | テオ・ファビ | テオ・ファビ | テオ・ファビ |
ノート
[編集]- 第2戦は当初30周の予定だったが、他車のクラッシュによって外れたタイヤホイールがその後方から来たマルクス・ホッティンガーの頭部に落下。ホッティンガーは頭部に致命傷を負っており、救出のためレースはその時点で中止された。
- 第9戦サンドフォールトのウォームアップ走行で、ハンス=ゲオルグ・ブルガーが左コーナーで時速約200kmでコースから外れてクラッシュし、安全柵のポールが彼の頭に当たり致命傷を負った。EGエリザベス病院に運ばれたあと、すぐにアムステルダムのウィルヘルミナ病院の集中治療室に搬送されたが、頭部損傷が要因で2日後に亡くなった。彼のマシンは前日の予選で小さなクラッシュをしており、壊れたサスペンションとノーズが交換されていたが、致命傷となったコースアウトは修理後初の全力での走行だった。事故現場に最初に駆け付けたのはベッペ・ガビアーニだったが、彼が見たときブルガーのヘルメットは二つに割れてしまっていたと証言している。
非チャンピオンシップ
[編集]追加のフォーミュラ2レースが開催されたが非選手権とされ、チャンピオンシップにはカウントされなかった。
イベント名 | 開催地 | 日付 | 周回数 | レース距離 | 優勝タイム | 平均速度 | 優勝者 |
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グランプリミオ・ディ・モンツァ | モンツァ | 9月7日 | 35 | 3.603 = 203 km | 1'01:03.01 | 199.487 km / h | デレック・ワーウィック |
レース結果
[編集]ドライバーズチャンピオンシップ
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- 太字 - ポールポジション、斜字 - ファステストラップ
- ポイントシステム:レースごとに上位6人に対し9-6-4-3-2-1点が与えられた。ベスト9戦の結果がカウントされる有効ポイント制。
参考文献
[編集]- Phillips, Ian (1980). “Formula 2: Henton and Toleman; undisputed champions”. Autocourse 1980-81. Hazleton Publishing. pp. 220–221. ISBN 0-905138-12-0Phillips, Ian (1980). “Formula 2: Henton and Toleman; undisputed champions”. Autocourse 1980-81. Hazleton Publishing. pp. 220–221. ISBN 0-905138-12-0 Phillips, Ian (1980). “Formula 2: Henton and Toleman; undisputed champions”. Autocourse 1980-81. Hazleton Publishing. pp. 220–221. ISBN 0-905138-12-0
脚注
[編集]- ^ “1980 European F2 Championship” (英語). Motor Sport Magazine (2017年6月12日). 2021年2月1日閲覧。