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1930年FIFAワールドカップ決勝は、1930年FIFAワールドカップ初代王者を決めるサッカートーナメントの試合である。ウルグアイとアルゼンチンは、1928年オリンピックの金メダルの再戦で対戦し、ウルグアイが再試合の末に勝利した。
決勝戦は7月30日、水曜日にウルグアイのモンテビデオにあるエスタディオ・センテナリオで行われた。日曜日以外の日に行われたワールドカップの決勝戦は、1966年FIFAワールドカップの決勝戦が土曜日に行われたため、2回しかない。どちらのチームが試合球を提供するかという点で、この試合に向けて意見の違いがあり、FIFAは、前半はアルゼンチン、後半はウルグアイがボールを提供するという妥協案を提示した。
スタジアムのゲートはキックオフの6時間前、朝の8時に開かれ、正午にはグラウンドは満員となり、公式には93,000人を収容した。 ウルグアイはハーフタイムに2-1のビハインドを跳ね返し、4-2でオリンピック金メダルとワールドカップ優勝に成功した。
ウルグアイ代表監督のアルベルト・スピ―シは当時31歳で、FIFAワールドカップ優勝チームの最年少監督として、現在も記録を保持している。FIFA会長ジュール・リメは、ウルグアイにワールドカップ・トロフィーを贈呈した。ブエノスアイレスでは、暴徒がウルグアイ領事館に投石したという出来事も起こった。
前半12分、パブロ・ドラドが先制したが、その8分後、アルゼンチンのFWカルロス・ペウセルが強烈なシュートでGKエンリケ・バレストレロを破り、同点に追いついた。37分には、大会得点王のギジェルモ・スタビレがゴールを決め、アルゼンチンが2-1とリードして前半を折り返す。ウルグアイは後半12分にペドロ・セアのゴールで同点に追いつき、68分にサントス・イリアルテのゴールで再びリードを奪った。後半44分、エクトル・カストロが4-2とし、ウルグアイがワールドカップ初優勝を飾った。
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