齋藤求
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齋藤 求(さいとう もとむ、1907年〈明治40年〉10月20日[1] - 2003年〈平成15年〉12月24日)は、日本の画家。
略歴
[編集]- 1907年(明治40年) - 鶴岡町高畑(現・山形県鶴岡市山王町)に生まれる
- 1924年(大正13年) - 白甕社 創立
- 山形県立鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業
- 1927年(昭和2年) - 二科展入選
- 1931年(昭和6年) - 第1回独立協会展入選
- 1932年(昭和7年) - 東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵本科卒業
- 1951年(昭和26年) - 山形県立鶴岡南高等学校美術教師、山形大学美術講師
- 1968年(昭和43年) - 美術教師を辞めて東京都に移住する
- 2003年(平成15年)12月24日 - 盲腸ガンのため自宅で死去。享年96
受賞歴
[編集]- 1935年(昭和10年) - 中央美術展中央美術賞
- 1940年(昭和15年) - 日本水彩画会賞
- 1941年(昭和16年) - 独立美術協会賞
- 1991年(平成3年) - 独立美術協会特別功労賞
- 1994年(平成6年) - 鶴岡市文化功績賞
作品
[編集]- 『丘陵』
- 『海浜』
- 『菜の花の咲く頃』
- 『裸婦』
- 『竜飛岬』
- 『丘の家』
- 『チューリップ畑』
- 『月山残雪』
- 『鳥海春近し』
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 庄内の美術家たちアーカイブス - 鶴岡アートフォーラム