コンテンツにスキップ

黒神直久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒神 直久
くろかみ なおひさ
生年月日 1907年12月5日
出生地 山口県都濃郡徳山町(現・周南市
没年月日 (1987-05-11) 1987年5月11日(79歳没)
出身校 國學院大學神道部
所属政党 無所属

山口県徳山市
当選回数 3回
在任期間 1952年8月31日 - 1961年5月21日
テンプレートを表示

黒神 直久(くろかみ なおひさ、1907年明治40年〉12月5日[1][2][3][4] - 1987年昭和62年〉5月11日[4])は、日本政治家神職山口県徳山市長(3期)、神社本庁総長を歴任した。

経歴

[編集]

山口県都濃郡徳山町(現・周南市)の遠石八幡宮宮司の家に生まれる[4]。1930年(昭和5年)3月、國學院大學神道部卒業[3]。1932年(昭和7年)3月、県社祐綏神社社司、1933年(昭和8年)5月、県社児玉神社社司、1938年(昭和13年)2月、県社遠石八幡宮社司などを歴任し、この間、徳山町立実業実践学校講師を務めた[3]。1947年(昭和22年)3月、徳山市復興土地区画整理委員会副委員長、同委員長などを務めた。

1952年(昭和27年)8月24日付で徳山市長の池清が健康上の理由により辞職。同年8月31日に行われた市長選挙に立候補し初当選した[3]。市長在任中は長谷川両市長の市政を引継ぎ戦災復興事業を終結させたほか、競艇事業の開催、徳山動物園の建設、市民館建設、工場誘致、民間放送「ラジオ山口」の誘致、向道村の合併などを実現した[3]

1961年(昭和36年)5月21日、市長を辞職した[5]

1980年(昭和55年)、神職最高位の浄階となった。

1983年(昭和58年)、神社本庁総長に就任[4]。ほか、徳山商工会議所会頭[4]、山口國學院講師、山口県教育委員、ラジオ山口取締役[1]、徳山森林組合長、(株)三興会長、山口放送取締役[2]を務めた。

1987年(昭和62年)5月11日、肺気腫のため死去した[4]

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 人事興信所 編『人事興信録 第21版 上』人事興信所、1961年。 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。 
  • 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第3、歴代知事編纂会、1983年。 
  • 中西輝磨『昭和山口県人物誌』マツノ書店、1990年。 
  • 徳山市史編纂委員会 編『徳山市史年表』徳山市役所、1969年12月25日。 

関連項目

[編集]