黒神直久
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黒神 直久 くろかみ なおひさ | |
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生年月日 | 1907年12月5日 |
出生地 | 山口県都濃郡徳山町(現・周南市) |
没年月日 | 1987年5月11日(79歳没) |
出身校 | 國學院大學神道部 |
所属政党 | 無所属 |
山口県徳山市長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1952年8月31日 - 1961年5月21日 |
黒神 直久(くろかみ なおひさ、1907年〈明治40年〉12月5日[1][2][3][4] - 1987年〈昭和62年〉5月11日[4])は、日本の政治家、神職。山口県徳山市長(3期)、神社本庁総長を歴任した。
経歴
[編集]山口県都濃郡徳山町(現・周南市)の遠石八幡宮宮司の家に生まれる[4]。1930年(昭和5年)3月、國學院大學神道部卒業[3]。1932年(昭和7年)3月、県社祐綏神社社司、1933年(昭和8年)5月、県社児玉神社社司、1938年(昭和13年)2月、県社遠石八幡宮社司などを歴任し、この間、徳山町立実業実践学校講師を務めた[3]。1947年(昭和22年)3月、徳山市復興土地区画整理委員会副委員長、同委員長などを務めた。
1952年(昭和27年)8月24日付で徳山市長の池清が健康上の理由により辞職。同年8月31日に行われた市長選挙に立候補し初当選した[3]。市長在任中は長谷川、池両市長の市政を引継ぎ戦災復興事業を終結させたほか、競艇事業の開催、徳山動物園の建設、市民館建設、工場誘致、民間放送「ラジオ山口」の誘致、向道村の合併などを実現した[3]。
1961年(昭和36年)5月21日、市長を辞職した[5]。
1980年(昭和55年)、神職最高位の浄階となった。
1983年(昭和58年)、神社本庁総長に就任[4]。ほか、徳山商工会議所会頭[4]、山口國學院講師、山口県教育委員、ラジオ山口取締役[1]、徳山森林組合長、(株)三興会長、山口放送取締役[2]を務めた。
1987年(昭和62年)5月11日、肺気腫のため死去した[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第21版 上』人事興信所、1961年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第3、歴代知事編纂会、1983年。
- 中西輝磨『昭和山口県人物誌』マツノ書店、1990年。
- 徳山市史編纂委員会 編『徳山市史年表』徳山市役所、1969年12月25日。