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黒田大塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒田大塚古墳

墳丘(右に後円部、左奥に前方部)
所属 三宅古墳群
所在地 奈良県磯城郡田原本町大字黒田字東藪
位置 北緯34度34分5.00秒 東経135度46分34.15秒 / 北緯34.5680556度 東経135.7761528度 / 34.5680556; 135.7761528座標: 北緯34度34分5.00秒 東経135度46分34.15秒 / 北緯34.5680556度 東経135.7761528度 / 34.5680556; 135.7761528
形状 前方後円墳
規模 墳丘長70m
高さ8.2m(後円部)
埋葬施設 (推定)横穴式石室
出土品 管玉・双孔円板・埴輪・木製品
築造時期 6世紀初頭
史跡 奈良県指定史跡「黒田大塚古墳」
地図
黒田大塚 古墳の位置(奈良県内)
黒田大塚 古墳
黒田大塚
古墳
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黒田大塚古墳(くろだおおつかこふん)は、奈良県磯城郡田原本町黒田にある古墳。形状は前方後円墳。三宅古墳群を構成する古墳の1つ。奈良県指定史跡に指定されている。

概要

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奈良盆地中央部、寺川・飛鳥川に挟まれた微高地に築造された古墳である[1]。三宅古墳群では南端に位置し、東側には古道である筋違道(太子道)が通じる[2]。これまでに数次の調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を西南西方向に向ける。墳丘は2段築成[3]。墳丘外表では葺石は認められないが[1]円筒埴輪列(朝顔形・蓋形埴輪含む)が認められる(周濠内から出土)[2]。墳丘の前方部北側には張り出し部が認められる[2]。墳丘周囲には周濠が巡らされており、幅8メートル・深さ0.8メートルを測り[2]、周濠を含めた古墳全長は86メートルにおよぶ[3]。周濠内からは埴輪のほか、鳥形・蓋形(笠形)木製品、碧玉製管玉、滑石製双孔円板が検出されている。埋葬施設は未調査のため明らかでなく(横穴式石室の可能性[1])、副葬品も詳らかでない[2]

築造時期は、古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される[3]。奈良盆地中央部では数少ない後期大型前方後円墳として注目され[3]、一帯の三宅古墳群は中小規模の前方後円墳・円墳方墳から構成されることから、屯倉に関わる古墳群とする説が挙げられている[1]

古墳域は1983年昭和58年)に奈良県指定史跡に指定されている[4]

遺跡歴

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  • 1983年昭和58年)3月15日、奈良県指定史跡に指定[4]
  • 1983年度(昭和58年度)、第1次調査(田原本町教育委員会、1984年に概要報告)。
  • 1984年度(昭和59年度)、第2次調査(田原本町教育委員会、1986年に概要報告)。
  • 1986年度(昭和61年度)、第3次調査(田原本町教育委員会、1987年に概要報告)。
  • 1996年度(平成8年度)、第4次調査(田原本町教育委員会、1997年に概要報告)。
  • 2003年度(平成15年度)、第5・6次調査(田原本町教育委員会、2004年に概要報告)。

墳丘

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右に前方部、左に後円部

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:70メートル
  • 後円部
    • 直径:40メートル
    • 高さ:8.2メートル
  • 前方部
    • 幅:45メートル
    • 高さ:7.7メートル

文化財

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奈良県指定文化財

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  • 史跡
    • 黒田大塚古墳 - 1983年(昭和58年)3月15日指定[4]

脚注

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  1. ^ a b c d 黒田大塚古墳(古墳) 1989.
  2. ^ a b c d e f 黒田大塚古墳(平凡社、刊行後版) 2006.
  3. ^ a b c d #参考文献 史跡説明板より。
  4. ^ a b c 奈良県指定文化財一覧” (PDF). 奈良県ホームページ. 奈良県. 2021年3月7日閲覧。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(奈良県教育委員会、1995年設置)
  • 「黒田大塚古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 978-4582490305 
    • 刊行後版(ジャパンナレッジ収録)、2006年
  • 河上邦彦「大塚古墳 > 黒田大塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 978-4490102604 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

関連項目

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外部リンク

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