黄万里
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黄 万里 | |
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生誕 |
1911年8月20日 清 江蘇省川沙庁(現・上海市浦東新区) |
死没 |
2001年8月27日(90歳没) 中華人民共和国 北京市清華園 |
国籍 | 中華人民共和国 |
民族 | 漢族 |
出身校 |
唐山交通大学(現西南交通大学) コーネル大学 イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 |
職業 | 水文学・河川工学者 |
配偶者 | 丁玉雋 |
親戚 |
黄炎培(父) 王糾思(母) |
黄 万里 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 黃萬里 |
簡体字: | 黄万里 |
拼音: | Huáng Wànlǐ |
英語名: | Huang Wanli |
黄 万里(こう ばんり、1911年8月20日-2001年8月27日)は、中国の水文学・河川工学者。清華大学水利系教授。
来歴・人物
[編集]- 1911年8月20日、上海市で生まれた[1]。
- 1924年、無錫実業学校入学。
- 1927年、唐山交通大学(現・西南交通大学)に入学、1932年卒業[1]。
- 1933年、杭江鉄道エンジニア見習い。
- 1935年、米国コーネル大学修士課程修了。1937年、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校工学博士課程修了。
- 1945年、中華民国水利部の視察エンジニア。
- 1947年-1949年4月、甘粛省水利局局長・総エンジニア、黄河水利委員会委員を歴任。
- 1949年9月、瀋陽市の東北水利総局で顧問を務めた。
- 1950年6月、唐山交通大学講師就任[1]。
- 1953年1月、清華大学講師就任[1]。
- 文化大革命において紅衛兵の打倒対象とされ、迫害を受けた。1969年、江西鄱陽湖付近へ下放された。
- 1980年2月26日、清華大学の共産党委員会による名誉回復[2]
- 1998年、清華大学教授就任。
- 2001年8月27日、90歳で北京市の清華園にて死去。
主張
[編集]黄河治水のため三門峡ダムを建設にする計画反対し、1957年に毛沢東から『人民日報』で名指し批判されるところとなり[3]、22年間強制労働に従事させられた[2]。
また三峡ダムの建設にも反対して「10年持たないだろう。」と警告し[2]、三峡ダムがもたらす、以下の12種類の壊滅的な結果を予測した。この内、11までは現実となった。
- より低い長江の主な堤防の崩壊。
- 航海の妨害。
- 住民の移住問題。
- 土壌汚染問題。
- 水質悪化。
- 発電不足。
- 気象異常。
- 地震の頻発。(※三峡ダムは断層の上に建設されている)
- 住血吸虫症の蔓延。
- 生態系の悪化。
- 上流の深刻な洪水。
- 最終的には三峡ダムを爆破せざるをえない日が来る。
著書
[編集]- 『洪流估算』
- 『工程水文学』
家族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d “交大故事:黄万里:万里中华真脊梁” ( ) (2015年1月13日). 2019年1月13日閲覧。
- ^ a b c 譚璐美 (2017年7月3日). “著名な水利学者の遺言「ダムは10年もたない」”. ニューズウィーク. 2019年1月13日閲覧。
- ^ フランクディケーター 著、中川治子 訳『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』草思社、2011年、65頁。ISBN 978-4-7942-1840-7。OCLC 1183082785 。