鳥飼大橋
概要
[編集]近畿道摂津南ICや国道1号、さらには阪神高速12号守口線が接続し交通の集中地点である。そのためにかねてから交通渋滞が発生しやすく、道路交通情報で「摂津の鳥飼和道(とりかいわどう:橋の摂津市側の町名および交差点名)で○キロメートル」という言葉はよく聞かれた(淀川を自動車が渡ることができる橋は、東隣に鳥飼仁和寺大橋有料道路、西隣に豊里大橋があるが、どちらも鳥飼大橋からは2キロメートルから3キロメートルほど離れているために迂回には不便)。しかし後述する新橋が供用を開始してからは車線が増加したため、この渋滞は幾分緩和されている。
西側(下流側)から、北行道路橋(新橋)、北行道路橋(旧橋)、高速道路橋、南行道路橋(新鳥飼大橋)、モノレール橋と並んでいる。
1954年(昭和29年)に竣工した、橋長550メートルの北行道路橋(旧橋)(ゲルバートラス橋)については老朽化が著しく、2010年(平成22年)2月27日(土)早朝に新橋の車道部分3車線が暫定供用開始された。さらに旧橋の撤去後、新橋の拡幅が行われ、2021年(令和3年)2月に完工し、車道3車線+歩道での全面供用となった[1]。
ゲルバートラス橋
[編集]2010年(平成22年)2月26日まで大阪府道2号大阪中央環状線の一部(北行き一方通行2車線)として使用されていたこの橋は、1954年(昭和29年)11月1日に全国初の有料橋として開通したものである。
当初、大阪中央環状線建設の一環として、1942年(昭和17年)に木造の仮橋の建設が着工された。戦時中のため、建設資材不足にも見舞われたが、1948年(昭和23年)3月に開通した。しかし、木造ゆえに水害などによる破損を繰り返し、また車両の通行による振動も激しく、荷重・速度制限が設定されることになった。
永久橋の設置が待ち望まれていたが、1952年(昭和27年)に道路整備特別措置法(旧法)が施行されたのを受け、同年9月に有料橋として起工され、建設期間2年2ヶ月、工費3億3000万円(当時)をかけ、全長540メートル、全幅7.5メートル、ゲルバートラス型、8基の橋脚と2基の橋台を擁する橋梁が竣工した。
管理は日本道路公団によってなされ(同公団にとって初の有料橋であった)、淀川左岸に料金所が設けられた。建設した大阪府は、国より借り受けた事業費3億3000万円および維持管理費の全額を1970年(昭和45年)までに償還する計画を立てたが、償還前に買い取り、1964年(昭和39年)3月16日に無料開放した。
普通自動車 | 100円 | |
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小型自動車 | 70円 | |
軽自動車 | 30円 | |
特殊自動車 | 250円 | |
乗合 | 定期 | 150円 |
その他 | 250円 | |
原動機付自転車 | 20円 |
開通当初は往復2車線の対面通行であったが、無料開放後の1965年(昭和40年)に上流側に新たな道路橋(南行き一方通行2車線)が完成したため、北行き一方通行となった。
その後の交通量の増大による著しい老朽化の影響から、架け替えの数年前からは荷重(20トン)・速度制限(40キロメートル毎時)が設定されていた。
位置情報
[編集]北緯34度45分30.00秒 東経135度34分22.75秒 / 北緯34.7583333度 東経135.5729861度座標: 北緯34度45分30.00秒 東経135度34分22.75秒 / 北緯34.7583333度 東経135.5729861度
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 大阪府枚方土木事務所
- あの道この道(昭和33年4月2日) - 日本映画新社・朝日ニュース昭和映像ブログ(開通当時の鳥飼大橋を取り上げている)