鳥海修
とりのうみ おさむ 鳥海 修 | |
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生誕 |
1955年3月13日(69歳)[1][2] 日本 山形県遊佐町 |
出身校 | 多摩美術大学 |
職業 | 書体設計士 |
受賞 |
佐藤敬之輔賞(2002年) |
鳥海 修(とりのうみ おさむ、1955年3月13日 - )は、日本の書体設計士。字游工房設立者の1人で、第2代代表取締役。文字塾塾長。京都精華大学特任教授、武蔵野美術大学非常勤講師[3]。
略歴
[編集]山形県遊佐町出身[4][5]。物心ついた時から自動車が好きで、工業高校3年の時にカーデザイナーになりたいと思い立ち、美術大学受験を決める[6]。1975年、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学[7]。在学中、文字デザインのゼミを担当していた篠原榮太による引率で[8]、毎日新聞社東京本社でフォント製作課を見学[8][9][7]。活字の元になる原字のレタリングを目の当たりにする[8][9][7]。帰り際に案内役を務めた小塚昌彦が発した「日本人にとって文字は水であり、米である」との言葉に郷里の風景を重ね、書体制作の道に進むことを志す[8][9][7]。
1979年写研入社[4]。埼玉工場(和光市)にあった文字部原字課に配属され、書体づくりの基本を学ぶ。当時、写研のデザイン部門には30人ほどのデザイナーがいた。一つの書体を作るに当たって、仮名担当が1人、欧文担当が1 - 2人、その他非漢字の担当が2 - 3人、5700字くらいある漢字を5 - 6人で分担するチームを編成する。ほとんどのベーシックな書体では原字課の課長・橋本和夫が仮名を担当した[10]。鳥海は、通勤バスで一緒になる橋本について書道を始め、筆の動きを把握するように努めた[9]。入社10年目の頃、本蘭明朝のファミリー展開が完了したこと(1985年)などから、写研はもう本文書体を作らないと聞き、退社を考えるようになる。
1989年9月に字游工房を鈴木勉・片田啓一と3人で設立[11]。「自分たちの手で基本書体を作りたい、そして自分たちの書体を持ちたい」というのが字游工房設立以来の夢であったという。翌年大日本スクリーン製造(当時)のヒラギノシリーズ制作を受託。ヒラギノ明朝体で初めて仮名を担当した。1996年、自社ブランド游書体ライブラリー最初の書体として游明朝体の制作に着手。1998年5月に鈴木が病気で死去した後は字游工房の代表取締役を引き継ぐ。社長職は、2019年3月に字游工房がモリサワの傘下に入った後、同月末をもって退任した[12]。
基本書体を中心に100を超えるともいう数多くの書体開発に携わる[9]一方で、字游工房社外での講演・教育・指導にも取り組む。京都精華大学特任教授(2007年から)、武蔵野美術大学非常勤講師として教壇に立つほか、2012年から明朝体の仮名フォントを1年間かけてつくる私塾「文字塾」を主宰し塾長として指導に当たる。その後、安曇野市に移住し2022年から私塾「松本文字塾」をスタートさせる[13]。
受賞歴
[編集]- 第1回 佐藤敬之輔賞(2002年)[7]
- グッドデザイン賞(2005年)[14]
- 東京TDC タイプデザイン賞(2008年)[15]
- 第65回 日本エッセイスト・クラブ賞(2017年)[16]
- 第58回 吉川英治文化賞(2024年)[4]
展覧会
[編集]主な制作書体
[編集]- ヒラギノ明朝 - 仮名を担当[18]。
- 游築五号仮名
- 游明朝体 - 仮名を担当。
- 游明朝体五号かな
- 游ゴシック体 - 仮名とディレクションを担当。
- 秀英明朝 - 「秀英体 平成の大改刻」
- 凸版文久体
- 書籍組版の会社・キャップスのオリジナル仮名書体
- 朝靄 - 詩人・谷川俊太郎の詩のために制作された仮名書体。この書体を見た谷川から鳥海に宛てて「私たちの文字」という詩がおくられた[9][20][21]。
著書
[編集]- 『文字を作る仕事』晶文社、2016年。ISBN 978-4-7949-6928-6。 - 2017年第65回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作[22]。游明朝体Rと文麗仮名で組まれている[3]。
- (永岡綾 取材・文)鳥海修、高岡昌生、美篶堂『本をつくる : 書体設計、活版印刷、手製本 : 職人が手でつくる谷川俊太郎詩集』河出書房新社、2019年。ISBN 978-4-309-25627-6。
- 『明朝体の教室 日本で150年の歴史を持つ明朝体はどのようにデザインされているのか』Book&Design、2024年。ISBN 978-4909718105。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『ddd 鳥海修「もじのうみ:水のような、空気のような活字」展覧会解説動画』(YouTube)公益財団法人DNP文化振興財団、2022年1月27日 。2024年3月7日閲覧。
- ^ a b “水のような空気のような、書体設計士・鳥海修さんの文字。”. Casa BRUTUS. マガジンハウス (2022年2月16日). 2024年3月7日閲覧。
- ^ 鳥海修 [@torino036] (2012年3月13日). "みなさま。高いところから失礼します。この度は、多方面から誕生日のお祝いの言葉を頂戴し、ありがとうございます。". X(旧Twitter)より2024年3月7日閲覧。
- ^ a b c 嶌陽子 (2020年4月25日). “文字をデザインする書体設計士・鳥海修さんに聞く、「文字をつくる」奥深い世界”. 天然生活. 扶桑社. 2024年3月7日閲覧。
- ^ a b c "【早出し】鳥海さん、吉川英治文化賞 遊佐出身、書体設計士". 山形新聞. 5 March 2024. 2024年3月6日閲覧。
- ^ 鳥海修 [@torino036] (2012年11月4日). "40年ぶりくらいに食べた故郷の遊佐町にある「ちどり」の中華そば。あご出汁であっさりで本当に旨いのだ。". X(旧Twitter)より2024年3月6日閲覧。
- ^ 文字を作る仕事 (2016), pp. 33–34.
- ^ a b c d e 鳥海修(インタビュアー:内田咲希)「鳥海修インタビュー「文字をつくる、生活をつくる」」『stone』、日本デザインセンター、2023年7月10日 。2024年3月7日閲覧。
- ^ a b c d 鳥海修『デジタル時代だからこそ、進化するタイポグラフィ』(インタビュー)、日本印刷技術協会、2010年7月1日 。2024年3月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g 笹川ねこ (2021年1月24日). “書体設計士・鳥海修さん 谷川俊太郎の詩を組む書体から、Mac搭載フォントまで。歴史と現代をつなぐ「文字作り」”. 好書好日. 朝日新聞社. 2024年3月6日閲覧。
- ^ 雪朱里著『文字をつくる9人の書体デザイナー』誠文堂新光社、2010年、14ページ
- ^ a b 鳥海修『書体設計士 鳥海修さん特別インタビュー 〜字游工房の歩みと書体へのこだわり〜』(インタビュアー:モリサワ note編集部)、モリサワ、2021年1月5日 。2024年3月7日閲覧。
- ^ 『モリサワ 有限会社字游工房の株式取得によるグループ会社化を発表』(プレスリリース)モリサワ、2019年3月26日 。2024年3月6日閲覧。
- ^ “松本文字塾が「ああかなそうかなこうかなどうかな」展 16人がフォント発表”. 松本経済新聞 (2023年6月6日). 2024年3月7日閲覧。
- ^ a b 鳥海修『文字食レポート:鳥海修さん(字游工房)インタビュー』(インタビュアー:正木香子)、2012年9月8日 。2024年3月7日閲覧。
- ^ “2008 タイプデザイン賞 字游工房・代表 鳥海修”. TOKYO TDC. 東京タイプディレクターズクラブ. 2024年3月7日閲覧。
- ^ "エッセイスト賞に鳥海修さんら決定". 日本経済新聞. 31 May 2017. 2024年3月6日閲覧。
- ^ “鳥海修「もじのうみ:水のような、空気のような活字」”. JDN (2022年1月6日). 2024年3月7日閲覧。
- ^ 鳥海修『【連載】書体デザイナーが生み出す、究極の「ふつう」 vol.1 水のような、空気のような書体』(インタビュアー:TD編集部 平舩)、2018年5月18日 。2024年3月7日閲覧。
- ^ “カケル vol.6 書体設計士・鳥海 修さん”. 森岡書店総合硏究所. 森岡書店 (2019年4月12日). 2024年3月7日閲覧。
- ^ 本をつくる (2019).
- ^ “「水のような、空気のような書体を作りたい」 書体設計士・鳥海修さんの話を成安造形大学で聞く”. ほとんど0円大学. ホトゼロ (2022年8月9日). 2024年3月7日閲覧。
- ^ 日本エッセイスト・クラブ賞
- ^ 鳥海修 [@torino036] (2016年12月7日). "ご存知『重版出来』の作者の松田奈緒子さんと、編集の山内菜緒子さんが取材に来ました。". X(旧Twitter)より2024年3月7日閲覧。
- ^ 松田奈緒子『重版出来!』 10巻、小学館、2017年。ISBN 978-4-09-189657-5。
外部リンク
[編集]- 字游工房
- 文字塾
- 鳥海修 (@torino036) - X(旧Twitter)