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魚津電報電話局

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魚津電報電話局局舎

魚津電報電話局(うおづでんぽうでんわきょく)は、富山県魚津市新宿[1]にあった電気通信省日本電信電話公社及び日本電信電話電報電話局。公社時代は北陸電気通信局富山電気通信部の管轄下にあった。

概要

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魚津電報電話局電話交換室にて視察を行う米沢滋日本電信電話公社副総裁(当時)

魚津電報電話局は、1949年昭和24年)6月1日に電気通信省設置法(昭和23年法律第245号)に基づき官制を改めた際に開設された[2]。発足当時は魚津郵便局局舎の2階にて業務を行っていたが[3]1951年(昭和26年)8月2日に下新川郡魚津町大字大町に魚津電気通信管理所庁舎が完成[4]1952年(昭和27年)11月1日より同庁舎へ一部部署が移転した[4]。その後、1954年(昭和29年)3月25日に電報課も大町の庁舎へ移転した[5]1956年(昭和31年)9月10日の魚津大火では管内通信設備に多くの被害を受けたが、庁舎は類焼を免れている[5][6]1961年(昭和36年)12月15日に魚津市馬出町[注 1]の常徳寺[注 2]と光暁寺の跡地550坪[8]に地上4階、地下1階鉄筋コンクリート造の新庁舎が完成、翌年3月からは電話交換方式も磁石式からクロスバー式自動交換に改められた[5][9]1985年(昭和60年)4月1日の民営化後もしばらく電報電話局の名称が用いられたが[10]1989年平成元年)4月1日より全国的に電話局及び電報電話局は支店、あるいは営業所と改称された[11]

1964年(昭和39年)当時は内部機構として電報課、電話営業課、電話運用課、線路宅内課、機械課及び庶務課を有した[12]

歴史

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魚津電報電話局開設前の事項については、魚津郵便局の項目を参照のこと。

  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 魚津郵便局より電信電話課を分離し、魚津電報電話局を開設する[13][2]
  • 1951年(昭和26年)8月20日 - 大町に魚津電気通信管理所庁舎が完成する[4]
  • 1952年(昭和27年)11月 - 電報課、電話課、施設課及び庶務課を設置する[14]。また、一部部署を魚津電気通信管理所庁舎へ移転する[4]
  • 1953年(昭和28年)10月25日 - 富山 - 魚津間がトーンダイヤル式交換電話となる[15][16]
  • 1954年(昭和29年)3月25日 - 金沢電報局において電報中継機械化を実施し、魚津電報電話局はその加入局となる[17]。また電報課を魚津電気通信管理所に移転する[5]
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月 - 電報課及び電話課を業務課及び電話運用課に改める[14]
    • 5月1日 - 経田郵便局において電話交換業務を廃止し、その業務を魚津電報電話局に移管する[18]
    • 9月10日 - 魚津大火が発生する[5]。管内において電柱169本、ケーブル5,100メートル、硬銅線等5,000メートルを焼失し、罹障加入回線620件、焼失加入者320件の被害があった[5][19]。一方、局舎ならびに市外回線及び電信回線は類焼を免れた[6]
  • 1958年(昭和33年)10月10日 - 魚津郵便局より魚津電報電話局へ電信為替の業務の一部を委託する[20]
  • 1960年(昭和35年)10月 - 総工費1億7千万円を以て新局舎建設工事に着手する[21]
  • 1961年(昭和36年)12月15日 - 魚津市馬出町に地上4階、地下1階鉄筋コンクリート造の新局舎が完成する[5]
  • 1962年(昭和37年)
    • 3月 - 施設課を線路宅内課及び機械課に分課する[14]
    • 3月30日 - 松倉郵便局、西布施郵便局及び片貝谷郵便局[注 3]において電話交換業務を廃止し、その業務を魚津電報電話局に移管する[23]。また、電話交換方式を改め、クロスバー式自動電話となる[9]。また、富山 - 魚津 - 黒部間において自動即時通話を開始する[9]
    • 6月1日 - 入善郵便局において国際電報受付配達業務を廃止し、その業務を魚津電報電話局に移管する[24]
    • 8月1日 - 入善郵便局において国内欧文電報受付配達業務を廃止し、その業務を魚津電報電話局に移管する[25]
  • 1963年(昭和38年)
    • 1月 - 業務課を電報課及び電話営業課に分課する[14]
    • 3月15日 - 時報の提供を開始する[26]
  • 1969年(昭和44年)10月26日 - 松倉郵便局において和文電報配達業務を廃止し、その業務を魚津電報電話局に移管する[27]
  • 1971年(昭和46年)11月26日 - 市内局番が2桁化される[28]
  • 1983年(昭和58年)12月1日 - 片貝郵便局において和文電報配達業務を廃止し、その業務を魚津電報電話局に移管する[29]
  • 1985年(昭和60年)4月1日 - 電電改革により日本電信電話公社は民営化され、日本電信電話株式会社が発足する[30]
  • 1989年(平成元年)4月1日 - 各電話局はその名称を廃止し、支店、あるいは営業所等と改称される[11]

脚註

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注釈

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  1. ^ 魚津市馬出町は1972年(昭和47年)8月1日の区画整理により、本町1丁目あるいは新宿の地名に改められ、以降魚津電報電話局の所在地は新宿の地名を以て称呼されるようになった[7]
  2. ^ 常徳寺は魚津電報電話局が同地に移転することに伴い、大光寺の大愛メリヤス(現・オーアイ工業)の工場の裏側に移転した。
  3. ^ 1979年(昭和54年)4月2日に片貝谷郵便局は片貝郵便局と改称された[22]

出典

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  1. ^ 魚津商工会議所編、『創立30周年記念 魚津商工名鑑』(206頁)、1982年(昭和57年)12月、魚津商工会議所
  2. ^ a b 昭和24年電気通信省告示第72号(『官報』、1949年(昭和24年)10月18日)
  3. ^ 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』(397頁)、1972年(昭和47年)3月、魚津市役所
  4. ^ a b c d 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』(392頁)、1972年(昭和47年)3月、魚津市役所
  5. ^ a b c d e f g 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』(393頁)、1972年(昭和47年)3月、魚津市役所
  6. ^ a b 日本電信電話公社経営調査室編、『電気通信経営月報』第86号(58頁)、1956年(昭和31年)11月、電気通信協会
  7. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編、『角川日本地名大辞典 16 富山県』(157頁及び986頁)、1979年(昭和54年)10月8日、角川書店)
  8. ^ 『魚津大火復興50周年記念誌 魚津大火の記録』(2006年9月9日、魚津市発行)68頁。
  9. ^ a b c 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(596頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  10. ^ 総務庁統計局編、『事業所名鑑索引 昭和63年版』(436頁)、1988年(昭和63年)12月、総務庁統計局
  11. ^ a b 「NTT、地方組織再編を4月1日実施へ――総支社全廃、電話局を「支店」「営業所」に」、『官界通信』第1867号所収(12から13頁)、1989年(平成元年)3月、官界通信社
  12. ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(412頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  13. ^ 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』(391及び397頁)、1972年(昭和47年)3月、魚津市役所
  14. ^ a b c d 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(463頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  15. ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(583頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  16. ^ 「直接富山と通話できる 魚津報話局 通しダイヤル25日ごろ実施」、『北日本新聞』朝刊4面、1953年(昭和28年)10月23日、北日本新聞社
  17. ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(584頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  18. ^ 昭和31年郵政省告示第567号(『官報』、1956年(昭和31年)5月18日)
  19. ^ 本文中の被害実態は『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』の記述に従うものであり、『電気通信経営月報』第86号によると、加入電話513件、構内交換機3件、市内ケーブル3,750メートル、電柱170本を焼失とある(日本電信電話公社経営調査室編、同誌58頁、1956年(昭和31年)11月、電気通信協会)。
  20. ^ 昭和33年郵政省告示第989号(『官報』、1958年(昭和33年)9月23日)
  21. ^ 北日本新聞社調査部編、『北日本年鑑 1961年版』(198頁)、1961年(昭和36年)2月、北日本新聞社
  22. ^ 昭和54年郵政省告示第143号
  23. ^ 昭和37年郵政省告示第325号(『官報』、1962年(昭和37年)4月26日)
  24. ^ 昭和37年郵政省告示第511号(『官報』、1962年(昭和37年)8月6日)
  25. ^ 昭和37年郵政省告示第556号(『官報』、1962年(昭和37年)8月23日)
  26. ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(598頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  27. ^ 昭和44年郵政省告示第789号(『官報』、1969年(昭和44年)10月17日)
  28. ^ 『広報うおづ』昭和47年1月号 No.311、8頁『市外局番はまちがわないように』より。
  29. ^ 昭和58年郵政省告示第911号(『官報』、1983年(昭和58年)11月22日)
  30. ^ 内閣制度百年史編纂委員会編、『内閣制度百年史 上巻』(558から560頁)、1985年(昭和60年)12月、大蔵省印刷局

関連項目

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