鬼童丸
鬼童丸、鬼同丸(きどうまる)は、鎌倉時代の説話集『古今著聞集』などに登場する鬼。
概要
[編集]『古今著聞集』には以下のように記述されている。酒呑童子討伐で知られる武将・源頼光が弟・源頼信の家へ行ったとき、厠に鬼童丸が捕えられていた。頼光は、無用心だから鎖でしっかり縛っておくようにと頼信に言い、その晩は頼信の家に泊まった。鬼童丸は縛めの鎖をたやすく引きちぎり、頼光を怨んで彼の寝床を覗いて様子を窺った。頼光はこれに気づき、従者たちに「明日は鞍馬に参詣する」と言った。そこで鬼童丸は鞍馬に先回りし、市原野で放し飼いの1頭の牛を殺して体内に隠れ、頼光を待ち受けた。しかし頼光はこれをも見抜き、頼光の命を受けた渡辺綱が弓矢で牛を射抜いた。牛の中から鬼童丸が現れて頼光に斬りかかってきたが、頼光が一刀のもとに鬼童丸を斬り捨てたという[1]。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』には「鬼童」と題し、鬼童丸が雪の中で牛の皮をかぶり、市原野で頼光を待ち受ける姿が描かれている[2]。
鬼童丸の話はこの『古今著聞集』がよく知られているものの、ほかにも武者絵本類や伝承などで様々に伝えられている。京都府福知山市雲原の口碑では、鬼童丸は酒呑童子の子として以下のように伝承されている。源頼光が酒呑童子を討ち取った後、酒呑童子に捕われていた女子供たちは故郷へと帰されたが、その中の1人の女は精神に異常を来たしており、故郷へ帰ることができず、雲原で酒呑童子の子供を産んだ。その子供は産まれながらにして歯が生えそろっており、7、8歳の頃には石を投げてシカやイノシシを仕留めて食べていた。やがてこの子供が成長して鬼童丸となり、父の仇として頼光たちを狙うようになったのだという[3]。
また軍記物語『前太平記』などによる別説では、酒呑童子が捨て童子であったという説と同様、もとは鬼童丸も比叡山の稚児であり、悪行が災いして比叡山を追われたため、山中の洞穴に移り住んで盗賊となったともいう[2][4]。
曲亭馬琴による『四天王剿盗異録』では鬼童丸が山中の洞窟で、『今昔物語集』などにある盗賊・袴垂に会って術比べをする場面がある。これを描いた作品に、歌川国芳による『鬼童丸』や月岡芳年の『袴垂保輔鬼童丸術競図』などの浮世絵がある[5][6]。
脚注
[編集]- ^ 西尾光一・小林保治校中『古今著聞集』 上、新潮社〈新潮日本古典集成〉、1983年、409-413頁。ISBN 978-4-10-620359-6。
- ^ a b 高田衛監修 著、稲田篤信、田中直日 編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』国書刊行会、1992年、219頁。ISBN 978-4-336-03386-4。
- ^ 若尾五雄 著「鬼伝説の研究」、谷川健一 編『日本民俗文化資料集成』 第8巻、三一書房、1988年、111頁。ISBN 978-4-380-88527-3。
- ^ 山屋賢一. “市原野鬼童丸”. すてきなおまつり特設資料庫. 2008年12月14日閲覧。
- ^ 悳俊彦編 悳俊彦・岩切友里子・須永朝彦執筆『国芳妖怪百景』国書刊行会、1999年、94頁。ISBN 978-4-336-04139-5。
- ^ 悳俊彦編『芳年妖怪百景』国書刊行会、2001年、80頁。ISBN 978-4-336-04202-6。