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高田蒔

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高田 蒔(たかた まき、1892年明治25年〉12月30日 - 1978年昭和53年〉3月4日)は、日本生化学者、内科学者、内科医医学博士東邦大学名誉教授、アメリカ国際アカデミー名誉会員。雅号は日庵主人。

略歴

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新潟県新潟市学校町通(現 新潟市中央区学校町通)の新潟県直税署職員・高田善一郎の四男として出生[1][注 1][注 2]

1910年明治43年)3月に新潟中学校を卒業、1911年(明治44年)9月に仙台医学専門学校[注 3]医学科に入学、1913年大正2年)8月に東京府北豊島郡巣鴨町巣鴨(現 東京都豊島区巣鴨)の溝口伯爵家家扶・高田政敏の養子になった[5][注 4]

1915年(大正4年)9月に東北帝国大学医学専門部医学科を優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された[5]

1915年(大正4年)9月に東北帝国大学医科大学医化学教室医化学講座(担任:井上嘉都治教授)副手に就任、1916年(大正5年)3月に助手に就任[5]

1921年(大正10年)11月から1923年(大正12年)11月までドイツベルリン大学に留学[8]生化学内科学レントゲン学を専攻、ドイツ、フランスイタリアスイススウェーデンデンマークノルウェーアメリカを視察[9]

1923年(大正12年)12月に東北帝国大学理学部生物学教室講師に就任、生化学を担当[9]

1924年(大正13年)1月に東北帝国大学を退職[10]、2月に東京・小石川病院副院長に就任、1927年昭和2年)5月に小石川病院を退職、6月に神戸バイエル薬品顧問に就任[9]1934年(昭和9年)から兵庫県立神戸病院内科客員を兼任[11]

1937年(昭和12年)6月から12月までドイツ、フランス、イギリス、イタリア、スイス、チェコスロヴァキアオランダベルギーオーストリアハンガリーユーゴスラヴィアフィリピンを視察[12]

1944年(昭和19年)4月に兵庫県立医学専門学校講師に就任、航空医学を担当[8]

1946年(昭和21年)に帝国女子医学薬学専門学校[注 5]医学科医化学教室第3代教授に就任[13]1950年(昭和25年)4月に東邦大学医学部医化学教室教授に就任、1958年(昭和33年)3月に東邦大学を定年退職[1]

1978年(昭和53年)3月4日午後9時20分に東京都大田区大森西東邦大学医学部付属大森病院老衰のため死去、85歳没。告別式は同区池上厳定院で執り行われた[14]

研究・業績

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  • 人体に正や負の電位を負荷するとどのような影響があるかを調べた時に発見した血清のある法則を基に、1940年昭和15年)に負電位負荷による電位治療器の「イオノスタート(タカタスタート、現 タカダイオン)」を開発した[17][注 6]

表彰

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家族・親戚

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著作物

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著書

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  • 『日獨會話 伯林生活』南江堂書店、1927年。
  • 『腦脊髓液診斷學』南山堂書店、1927年。
  • 『日獨醫學論文辭典』南江堂、1939年。
  • 『科學と倫理』科学書院、1943年。
  • 『結核の化學療法』吐鳳堂、1950年。

論文

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脚注

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注釈

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  1. ^ 高田氏は戦国時代には越前国戦国大名朝倉氏の家臣であったが、朝倉氏の滅亡後に越後国新発田藩の家臣になった[2]
  2. ^ 高田蒔の母・つるは高田善一郎の従妹であり[3]、先祖(つるの曽祖父の曽祖父の曽祖父)は越後国新発田藩の初代藩主・溝口秀勝の弟・溝口伝三郎である[4]
  3. ^ 1912年明治45年)4月に東北帝国大学医学専門部になった。
  4. ^ 高田政敏は幼い時に両親を亡くしたため高田家宗家に引き取られ[6]、3歳近く年下の高田善一郎と同居して兄弟同様に育った[7]
  5. ^ 1950年昭和25年)4月に東邦大学になった。
  6. ^ 電位治療器の「タカダイオン」が薬機法で認められている効果は、「頭痛肩こり不眠症及び慢性便秘緩解」のみである[18]

出典

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参考文献

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  • 『高田氏小志』高田貞弥[編]、高田家、1938年。
  • 「高田蒔」『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』364頁、泉孝英[編]、医学書院、2012年。
  • 「高田蒔」『医科学大事典 30』262頁、武見太郎・ほか[編]、講談社、1983年。
  • 「高田蒔」『現代日本人名事典』400-401頁、平凡社[編]、平凡社、1955年。
  • 「高田蒔」『第二十版 人事興信錄 下』「た」80頁、人事興信所[編]、人事興信所、1959年。
  • 「高田蒔氏」『朝日𣂺聞』1978年3月6日付朝刊、23面、朝日新聞社、1978年。
  • 「高田蒔氏」『新潟日報』1978年3月7日付夕刊、3面、新潟日報社、1978年。
  • 「高田反応の思い出」『検査と技術』第3巻第10号、44-45頁、高田蒔[著]、医学書院、1975年。

外部リンク

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