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高田信頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高田 信頼
生誕 天文19年(1550年
死没 天正16年3月15日1588年4月10日
別名 小次郎
主君 武田勝頼滝川一益北条氏直
氏族 高田氏
父母 父:高田繁頼、母:安中重繁の娘
小幡憲重の娘
直政
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高田 信頼(たかだ のぶより)は、戦国時代武将上野国甘楽郡国衆。高田城(現・群馬県富岡市妙義町下高田)城主。

生涯

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武田家臣で高田城主・高田繁頼の嫡男。諱のうち「信」の字は武田氏による偏諱と考えられている[1]。父が元亀4年(1573年)4月に先年の三方ヶ原の戦いで受けた戦傷が元で死去し[2]、翌月に主君・武田勝頼から家督相続を認められた[3]。勝頼は家督相続後に度々三河・遠江方面に出兵したが、信頼もこれに応じて各地を転戦した。その戦功を評されて天正2年(1574年)7月には上野国野辺内永安寺150貫文を宛がわれている[3]

天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると滝川一益、次いで北条氏直に属した。後北条氏配下時代の具体的な動向は伝わっていない。同16年(1588年)に死去。享年39。法名は正伝[3]

脚注

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  1. ^ 平山優『戦国大名と国衆』KADOKAWA、2018年、226-232頁。 
  2. ^ 黒田基樹「高田繁頼」『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年。 
  3. ^ a b c 黒田基樹「高田信頼」『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年。 

参考文献

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