高橋長七郎
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高橋 長七郎(たかはし ちょうしちろう、1875年(明治8年)3月16日[1] - 1944年(昭和19年)8月1日[2])は、明治から昭和初期の実業家、政治家。宮城県本吉郡志津川町長、衆議院議員。
来歴
[編集]水沢県本吉郡、のちの宮城県本吉郡本吉村(志津川町[3][4]を経て現南三陸町)で製糸業・高橋長十郎、さき の二男として生まれる[3][5][6]。慶應義塾を卒業し[2][3][4][5]、兄長平が死去したため家業を継承し旭製糸社長となった[3][5][6]。
志津川町長、同町会議員、本吉郡会議員、同議長、宮城県会議員、宮城県産業調査会委員、本吉郡養蚕同業組合副長、同郡農会議員などを務めた[2][3][4][6]。町長在任中は植林事業を推進した[6]。
1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙で宮城県第6区から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員に1期在任[2][4]。三陸沿岸の鉄道敷設を主張した[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』衆議院事務局、1940年。
- 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 竹内理三ほか編『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。