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高橋稲荷神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋稲荷神社

拝殿
所在地 熊本県熊本市西区上代九丁目6-20
位置 北緯32度46分58.8秒 東経130度39分30.9秒 / 北緯32.783000度 東経130.658583度 / 32.783000; 130.658583座標: 北緯32度46分58.8秒 東経130度39分30.9秒 / 北緯32.783000度 東経130.658583度 / 32.783000; 130.658583
主祭神 宇迦之御魂神
社格無格社別表神社
創建 明応5年(1496年
本殿の様式 神明造
別名 高橋稲荷神社
札所等 日本稲荷五社
熊本県三大神社
例祭 11月8日
地図
高橋 稲荷神社の位置(熊本県内)
高橋 稲荷神社
高橋
稲荷神社
地図
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高橋稲荷神社(たかはしいいなりじんじゃ)は、熊本県熊本市西区にある神社である。登記上の宗教法人名称は高の異体字である(はしごだか)を使用した橋稲荷神社。

日本稲荷五社[1][2]や、阿蘇神社出水神社とともに熊本県三大神社[1]の一つと称している。また、日本四大稲荷[3]九州三稲荷[4][5][6]の一つに挙げられることもある。

2月初午の初午大祭には、多くの人が参詣する。

祭神

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宇迦之御魂神を祀る。

歴史

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神門

明応5年(1496年)、隈本城の初代城主鹿子木親員が支城として稲荷山山頂に上代城を築いた際、城内鎮守のため京都伏見稲荷神社から稲荷大明神勧請したのに始まる。天文10年(1541年)上代城落城の際に稲荷神社も焼失した。

江戸時代に入り、熊本藩細川氏菩提寺である海蔵寺首座義本氏が夢で稲荷神社再興の啓示を受け、寛文元年(1661年)、現在地である稲荷山中腹に社殿を再建し遷座した。以降、熊本藩主細川氏の崇敬を受けた。

明治維新の際に高橋稲荷神社に改称した。戦後は神社本庁に参加し、昭和41年(1966年)7月1日にその別表神社とされた。

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ a b 高橋稲荷神社. 高橋稲荷神社 (案内板). 高橋稲荷神社.
  2. ^ 他は伏見稲荷大社京都府)、祐徳稲荷神社佐賀県)、豊川稲荷愛知県)、最上稲荷岡山県)という。[要出典]
  3. ^ 高橋稲荷初午大祭”. 藤江ホテル (2008年1月16日). 2018年11月21日閲覧。
  4. ^ 高橋稲荷神社 熊本観光 九州”. 有限会社ニューメディアエンジニアリング. 2018年11月22日閲覧。
  5. ^ 高橋稲荷神社”. 九州観光推進機構. 2018年11月16日閲覧。
  6. ^ くまもと便り[熊本県内の写真]”. 熊本県浄化槽協会. 2018年11月16日閲覧。

関連図書

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  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、209頁上段
  • 鈴木喬『熊本の神社と寺院』熊本日日新聞社、1980年、34-35頁
  • 高木盛義『くまもと史跡散歩』熊本新評社、1982年、180-182頁
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、677頁

外部リンク

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