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高崎警察署

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
群馬県高崎警察署
都道府県警察 群馬県警察
管轄区域 高崎市南部
交番数 11
駐在所数 5
所在地 370-0805
高崎市台町4番地3
位置 北緯36度20分3.1秒 東経138度59分59.5秒 / 北緯36.334194度 東経138.999861度 / 36.334194; 138.999861座標: 北緯36度20分3.1秒 東経138度59分59.5秒 / 北緯36.334194度 東経138.999861度 / 36.334194; 138.999861
外部リンク 高崎警察署
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高崎警察署(たかさきけいさつしょ)は、群馬県警察が管轄する警察署の一つである。

所在地

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管轄区域

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  • 高崎市のうち旧市内、塚沢地区、片岡地区、佐野地区、六郷地区、新高尾地区、中川地区、豊岡地区、大類地区、南八幡地区、岩鼻地区、倉賀野地区、京ヶ島地区、滝川地区、新町地区、吉井地区

沿革

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交番

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  • 問屋町交番
  • 飯塚町交番
  • 柳通り交番
  • 高崎駅東交番
  • 高崎駅西交番
  • 片岡町交番
  • 高関町交番
  • 倉賀野町交番
  • 西島町交番
  • 新町交番
  • 吉井町交番

主な事件

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  • 功明ちゃん誘拐殺人事件 - 1987年昭和62年)9月14日16時50分ごろ、高崎市筑縄町の男児(当時5歳:幼稚園児)が自宅近くの「地神社」(座標)に出掛けたまま行方不明になり、同日18時30分ごろから16日7時50分にかけ、男児の家に男の声で身代金2000万円を要求するなどの脅迫電話が3回、男児の声で「これから帰るよ」との電話が1回あった[1]。事件発生から44時間後の同月16日12時30分ごろ、同市鼻高町の寺沢川(碓氷川支流)に架かる「入の谷津橋」(座標)下で全裸の男児の遺体が発見された[1]。被害者の男児は誘拐翌日の15日未明、橋の上から生きたまま約13 m下の川へ投げ落とされて殺害されたものと思われる[2]。高崎署に設置された特別捜査本部殺人身代金目的誘拐などの容疑で捜査を行い、事件発生から2002年(平成14年)9月13日までの15年間で捜査員26万4000人を投入して22000世帯への聞き込み、不審者など約4200人、車両約4万2000台を対象とした調査などを行ったが、電話の逆探知による発信元の特定に失敗したことや、犯人の声の録音テープの音質が悪かったこと、また物的証拠や有力な目撃情報が乏しかったことから未解決のまま、事件発生から15年後の2002年平成14年)9月14日0時に殺人罪の公訴時効が成立した[3]。戦後日本で発生した身代金目的誘拐殺人事件が未解決のまま公訴時効を迎えた史上初の事件で、特捜本部は2002年9月13日午前、被疑者不詳のまま事件を前橋地検書類送検した[3]

駐在所

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  • 筑縄駐在所
  • 中尾駐在所
  • 豊岡駐在所
  • 山名駐在所
  • 下滝駐在所

脚注

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  1. ^ a b 上毛新聞』1987年9月17日朝刊(第33273号)1頁「5歳園児を誘拐、殺害 高崎 中年男が身代金2000万円要求 碓氷川支流 寺沢川、裸の遺体発見 橋上から投げ落とす」「犯人は高崎近郊か」(上毛新聞社)
  2. ^ 『上毛新聞』1987年9月18日朝刊(第33274号)1頁「功明ちゃん誘拐殺人 生きたまま川へ投げ込む 15日未明に殺害 自宅付近に白い不審車」「家族ら悲しみの対面」(上毛新聞社)
  3. ^ a b 『上毛新聞』2002年9月14日朝刊第2版(第38583号)1頁「功明ちゃん誘拐殺人事件 無念の時効 身代金目的で戦後初 特捜本部、未明の会見 周年の捜査実らず」(上毛新聞社)

外部リンク

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