高堂城 (飛騨国)
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高堂城 (岐阜県) | |
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別名 | タカウドの城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 広瀬利治? |
築城年 | 寛正3年(1462年)頃?、天文年間(1532年〜1555年)? |
主な城主 | 広瀬氏、姉小路氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、石垣等 |
指定文化財 | 県指定史跡[1] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯36度11分44.3秒 東経137度12分05.1秒 / 北緯36.195639度 東経137.201417度座標: 北緯36度11分44.3秒 東経137度12分05.1秒 / 北緯36.195639度 東経137.201417度 |
地図 |
高堂城(たかどうじょう)は、飛騨国、現在の岐阜県高山市国府町瓜巣城山にあった日本の城(山城)。別名・タカウドの城。高山市北部に位置し、広瀬城から寺洞砦に続く東西方向の稜線の、更に奥にある詰城である。岐阜県指定史跡[1]。
概要
[編集]天文年間(1532年 - 1555年)に広瀬左近将監利治によって築かれたといわれるが、それ以前の寛正3年(1462年)頃の築城とも考えられている。
天正11年(1583年)広瀬宗域が鍋山顕綱と謀をしたとして姉小路頼綱に攻められ落城。その後頼綱は隠居して高堂城と広瀬城を居城とした。
飛騨征伐により、金森長近の軍が攻めてきて攻城戦が行われた。朝廷の命により姉小路頼綱は投降。後に廃城となった。
城郭
[編集]城跡は瓜巣川の北岸にある標高778メートルの山頂にある。主郭は山頂にあり、西、北、東の三方向に伸びる尾根にも曲輪がある。四面は断崖の山で囲まれている。東尾根を降った所には馬止場がある。主郭の西側から南へ伸びた尾根の南端に堀切があり、尾根を降った辺りには広瀬氏の居館がある。
城の総長が南の出丸より北宇津江まで1キロメートルにも及ぶ広大な縄張りの城である。高堂城と広瀬城を合わせると大城郭である。石垣(石積)・郭(曲輪)・堀・切岸・土塁・狼煙台・物見台跡が遺っている。
岐阜県指定史跡であり、石碑、説明板が設置されている。城址標柱が建てられ、ステンレス製の碑の裏に、説明文とQRコードが記されている。
高堂城の峰続きに、寺洞砦Ⅰ・寺洞砦Ⅱ・蓬ヶ洞砦Ⅰ・蓬ヶ洞砦Ⅱ・オトシ砦が続き、出城として広瀬城がある。
商品
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 宮坂武男『信濃をめぐる境目の山城と館 ―美濃・飛騨・三河・遠江編-』(戎光祥出版、2015年)pp.254-8
- 森本一雄『飛騨の城』(郷土出版社、1987年)
- 小島幸男『図説飛騨の歴史』(郷土出版社、1987年)
- 飛騨教育史学研究会『ひだびとのあしあと』(岐阜新聞社、1999年)
- 『飛州志』