駒木 (流山市)
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駒木 | |
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駒木 | |
北緯35度52分34.14秒 東経139度56分18.5秒 / 北緯35.8761500度 東経139.938472度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 流山市 |
人口 | |
• 合計 | 5,787人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-0132[2] |
市外局番 | 04[3] |
ナンバープレート | 野田 |
駒木(こまぎ)は、千葉県流山市の地名。郵便番号は270-0132[2]。
地理
[編集]流山市の中部に位置する。地域の一部は流山市の新拠点として都市再生機構により「流山都市計画事業新市街地地区一体型特定土地区画整理事業」(つくばエクスプレスタウン流山新市街地地区)が行われている。地域内を首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス・東武鉄道野田線が通り、また、地域内に北総病院、江戸川大学がある。
東・北は柏市十余二、西は十太夫・美田、南は柏市豊四季と接している。また、柏市高田と篠籠田の間に、大堀川に沿う形で細長く伸びている。柏市中心部と柏の葉地区を結ぶ道路の、大堀川に架かる青葉橋は駒木に位置する。この細長い区域は、青葉橋のたもとに飲食店がある以外、ほとんど人家はないが、東端は数軒の住宅地となっている。この住宅地は柏市篠籠田と道路でつながっているが、流山市の他の地域とはつながっていない。
歴史
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地名の由来
[編集]由来と考えられている説はいくつかあるが、どれが正確なものであるかははっきりしていない。説は2つ存在する。
- かつては「古牧」であり、駒木と変化した。
- 源義家が奥州征討時に当地にある諏訪神社の木に馬(駒)をつないだことから駒木とされた。
沿革
[編集]- 1869年(明治2年) 葛飾県葛飾郡駒木村となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により印旛県葛飾郡駒木村となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡駒木村となる。
- 1889年(明治22年) 東葛飾郡思井村、芝崎村、前平井村、後平井村、古間木村、長崎村、中村、名都借村、野々下村、前ケ崎村、向小金新田、大畔新田、市野谷村、十太夫新田、駒木新田、青田新田、初石新田と合併し、東葛飾郡八木村大字駒木となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 流山町、新川村と合併し、東葛飾郡江戸川町大字駒木となる。
- 1952年(昭和27年)1月1日 江戸川町が流山町に改称。東葛飾郡流山町大字駒木となる。
- 1967年(昭和42年)1月1日 市制施行により、流山市大字駒木となる。
小字
[編集]駒木には11の小字が存在する。ここでは北から順に列挙する。
- 西新請(北西部が1971年(昭和46年)に美田に編入)
- 新請
- 上駒木(北西部が1971年(昭和46年)に美田に編入)
- 一番割
- 二番割
- 中溜上
- 堂台
- 中橋上(西部が昭和期に十太夫に編入)
- 駒木橋上
- 大下境
- 諏訪腰
消滅した小字
- 大溜上(全域が1971年(昭和46年)に美田に編入)
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
駒木 | 2,366世帯 | 5,787人 |