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駐蒙軍

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駐蒙軍
創設 1938年昭和13年)1月4日
(駐蒙兵団)
再編成 1938年(昭和13年)7月4日
(駐蒙軍)
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位
所在地 内蒙古-北支
通称号/略称 戌(ぼ)
最終上級単位 北支那方面軍
最終位置 河北省 張家口
戦歴 日中戦争-第二次世界大戦
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駐蒙軍(ちゅうもうぐん)は、大本営直轄の駐蒙兵団として編成され、後に改編、北支那方面軍隷下内蒙古での警備蒙古聯合自治政府政務指導に当たった大日本帝国陸軍である。

沿革

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1938年昭和13年)1月4日大陸命第42号により駐蒙兵団編組下令、内蒙古、察南及び晋北地方の警備に当たった。同年7月4日、駐蒙兵団は駐蒙軍に改編され北支那方面軍戦闘序列に編入、蒙疆方面での作戦及び占領地域の警備に従事した。1945年(昭和20年)、ポツダム宣言受諾を受けた大本営の方針による、8月20日の支那派遣軍総司令官からの「ソ連軍に対する武装解除と停戦命令による投降せよ」との厳命を現地軍として「現実的でない命令」と判断し、進入するソ連軍を撃退。約4万人の在留邦人の後送が完了する8月21日まで防衛戦闘を行った。その後、警戒しつつ8月27日に北京から50キロメートルの内長城の南口鎮に撤収を完了した。1946年(昭和21年)7月27日に復員

軍概要

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歴代司令官

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駐蒙兵団司令官

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  • 蓮沼蕃 中将:1937年12月28日-1938年7月4日

駐蒙軍司令官

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歴代参謀長

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駐蒙兵団参謀長

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駐蒙軍参謀長

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経理部長

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最終司令部構成

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  • 司令官:根本博中将
  • 参謀長:中川留雄少将
  • 高級参謀:田村清中佐
  • 高級副官:乾璋中佐
  • 兵器部長:平田静大佐
  • 経理部長:浅野忠通主計少将
  • 軍医部長:嶋田昇軍医大佐
  • 獣医部長:杉山一郎獣医大佐
  • 情報部長:鈴木重種大佐

所属部隊

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1939年末
太平洋戦争開戦時
1942-1943年当時
1944年12月当時


終戦時
  • 電信第11連隊:長岡護孝中佐[7]
  • 独立有線第130中隊
  • 独立有線第131中隊
  • 第166兵站病院(張家口)[7]
  • 第167兵站病院(大同):松岡長栄軍医中佐[7]
  • 第198兵站病院(包頭)[7]
  • 第199兵站病院(平地泉)[7]

脚注

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  1. ^ 外山 1981, 522頁.
  2. ^ 外山 1981, 523頁.
  3. ^ 外山 1981, 524頁.
  4. ^ a b c 藤井 2020, 147頁.
  5. ^ a b c 藤井 2020, 149頁.
  6. ^ 藤井 2020, 151頁.
  7. ^ a b c d e f g 外山・森松 1987, 1263頁.

関連項目

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参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 

外部リンク

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