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馬黎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
馬黎
各種表記
ハングル 마려
漢字 馬黎
発音: マ リョ
日本語読み: ば れい
ローマ字 Ma Ryeo
マッキューン=ライシャワー式 Ma Ryŏ
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馬黎(ば れい、朝鮮語: 마려、マ リョ)は、百済の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。朝鮮氏族長興馬氏木川馬氏の始祖である。

中国殷王朝人馬浣は、学識と徳の高い君子であり、紂王の暴政を戒めて隱居したが、殷王朝滅亡後に箕子とともに朝鮮に入朝した。

馬黎はその子孫であり、温祚王の建国元勳、左輔の官職を務めるなど百済の建国に大きな役割を果たした。

その後、馬斯良県を領地として下賜された。

参考文献

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  • 三国史記』第2巻 金富軾井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
  • 金相勲、稲田奈津子、三上喜孝韓国人の起源に関する中高生の意識と『国史』教科書との関係」『山形大学歴史・地理・人類学論集』第13号、山形大学歴史・地理・人類学研究会、2012年3月、45-46頁、ISSN 13455435CRID 1050282677551302272 
  • “장흥 학송마을, 장흥마씨의 숨겨진 이야기”. 장흥신문. (2019年1月11日). オリジナルの2021年1月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210121201307/http://www.jhnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=457800