馬黎
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馬黎 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 마려 |
漢字: | 馬黎 |
発音: | マ リョ |
日本語読み: | ば れい |
ローマ字: | Ma Ryeo |
マッキューン=ライシャワー式: | Ma Ryŏ |
馬黎(ば れい、朝鮮語: 마려、マ リョ)は、百済の建国時(紀元前後)に諸王に仕えた重臣。朝鮮の氏族の長興馬氏と木川馬氏の始祖である。
中国殷王朝人の馬浣は、学識と徳の高い君子であり、紂王の暴政を戒めて隱居したが、殷王朝滅亡後に箕子とともに朝鮮に入朝した。
馬黎はその子孫であり、温祚王の建国元勳、左輔の官職を務めるなど百済の建国に大きな役割を果たした。
その後、馬斯良県を領地として下賜された。
参考文献
[編集]- 『三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
- 金相勲、稲田奈津子、三上喜孝「韓国人の起源に関する中高生の意識と『国史』教科書との関係」『山形大学歴史・地理・人類学論集』第13号、山形大学歴史・地理・人類学研究会、2012年3月、45-46頁、ISSN 13455435、CRID 1050282677551302272。
- “장흥 학송마을, 장흥마씨의 숨겨진 이야기”. 장흥신문. (2019年1月11日). オリジナルの2021年1月21日時点におけるアーカイブ。