コンテンツにスキップ

馬水槽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トロントの水飲み場(1899年)歩道側に人間の水飲み場があり、男性が水を飲んでいる。彼の足元には犬猫用の水飲み場があり、車馬道側には牛馬用の水飲み場がある。
トロントの水飲み場(1899年
満州の老嶺にて丸木をくりぬいた馬水槽から水を飲んでいる馬
丸木をくりぬいた馬水槽から水を飲んでいる馬(満州国老嶺)

馬水槽(ばすいそう)とは、を飲むために人為的に設けられた水飲み場である[1]牛馬水槽牛馬用水牛馬用水槽飲馬水槽愛馬水槽などとも呼ばれる。

概要

[編集]

日常的な物資の輸送に牛馬が用いられていた時代は人間のみならず牛馬のためにも飲料水を供給する必要があった[2][注釈 1]。そのため道端には自治体や動物愛護団体などによって馬水槽が設置されていたほか、軍の設備として軍馬のための馬水槽が存在した[3][4][5]

人間や犬猫と共用のもの

[編集]

都市部の馬水槽では犬猫、人間のための水飲み場も併設したものが作られることもあった。様々な構造のものがあるが、車馬道側に馬、歩道側に人間、下部に犬猫の水飲み場があるものが多い。

厩舎内のもの

[編集]

厩舎内の牛や馬の水飲み場も牛馬用水槽の一種である[6][7]

保存

[編集]
新宿駅東口に設置されているみんなの泉(馬水槽)
みんなの泉(馬水槽)

みんなの泉

[編集]

新宿駅東口広場には現在も石造りの馬水槽がある。これはロンドン市飲水泉及牛馬給水槽協会から東京市へ寄贈されたものである[8][9]。これが日本に持ち込まれた経緯は、ロンドンを視察した際に市内の馬水槽に注目した中島鋭治が日本にも同様のものが欲しいと申し入れたとする資料[1]が多いが、日本に滞在していたあるイギリス人が水が飲めずに路上で行き倒れた馬を見て帰国後にそれを報告したことがきっかけになったとする資料も存在している[10]

この馬水槽は1906年(明治39年)11月27日麹町区八重洲町にあった東京市役所正面の歩道に設置された[9][11]1918年大正7年)からは同じく麹町区八重洲町の市水道局庁舎前に移設され使用されていたが1923年(大正12年)の関東大震災で給水不能となり、復旧に4年を要している[8]太平洋戦争の空襲でも被害を受け、1948年昭和23年)に復旧したものの、戦後の物資不足から蛇口鉛管の盗難が相次ぎ使用不能となった[8]。さらに輸送手段としてトラックが普及してきたことから使用を取りやめ、記念物として1957年(昭和32年)に淀橋浄水場へと移設することとなった[8]。しかし淀橋浄水場の移転が決まったことで再び馬水槽は行き場を失うこととなる[8]。それを聞いた国鉄(現在のJR東日本)が譲受の打診を行い、1964年(昭和39年)9月20日に新宿駅東口ステーションビル(現在のルミネエスト新宿)の完成に合わせて新宿駅東口の広場へと移設され、名称も公募で「みんなの泉」と決められた[8][12][9]。現在は給水が止められているものの同型の馬水槽はみんなの泉を含めて世界に3基しか現存していない[8][13]

1986年(昭和61年)6月6日新宿区指定有形文化財に指定されている[8][12]。また、東京都水道歴史館ではレプリカが展示されている[14]

日本銀行中庭

[編集]

日本銀行本店の中庭には馬の水飲み場が残されている[15]

横浜の牛馬飲水

[編集]

横浜市馬車道の馬車道十番館前には「牛馬飲水」と書かれた牛馬用水槽が残されている。これは1917年(大正6年)に磯子区の八幡橋に設置され、1970年(昭和45年)に同地に移設されたものである。なお、神奈川県立歴史博物館前にもレプリカが設置されている[16][17]

金城学院の牛馬用水

[編集]

金城学院高等学校内の噴水池には牛馬用水が保存されている[18]。これは1928年(昭和3年)6月13日バージニア州で動物愛護運動に従事している女性からの寄付によって名古屋市長塀町の外国人教師館の煉瓦塀をくり抜いて作られたもので、電車通りを通る牛馬の喉を潤していたが戦後、外国人教師館が爆破されて水が出なくなったことや牛馬がトラックに移り変わったことから後に同地に移設され、現在も保存されている[18][19]

関連項目

[編集]
  • 馬頭観音 - 全国各所の馬の水飲み場の付近に祀ってあることが多い。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 馬1頭は1日におよそ19~57リットルの水を飲む

出典

[編集]
  1. ^ a b 馬水槽 | 一般社団法人新宿観光振興協会”. www.kanko-shinjuku.jp. 2025年1月11日閲覧。
  2. ^ 齋藤秋雄 (11 1931). 陸軍兵器行政本部. ed. “戰場給水裝備”. 軍事と技術 (軍事工業新聞出版局) 5 (11): 35-36. doi:10.11501/1537555. 
  3. ^ 『輓馬の手引』日本通運、1949年、98頁。doi:10.11501/1160974 
  4. ^ 『千島土地株式会社五十年小史』千島土地、1962年、96頁。doi:10.11501/2496218 
  5. ^ 『日本水道史 : 中島工学博士記念 〔本編〕』中島工学博士記念事業会、1927年、685頁。doi:10.11501/1875793 
  6. ^ 『役馬共同厩舎懸賞募集設計図集』帝国馬匹協会、1930年。doi:10.11501/1173719 
  7. ^ 給水器・水槽 | 酪農機材 | 畜産・酪農 | 協同インターナショナル”. www.kyodo-inc.co.jp. 2025年1月11日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h 上前淳一郎『読むクスリ 28』文藝春秋、1997年12月10日、239-243頁。doi:10.11501/12411313 
  9. ^ a b c 『淀橋浄水場史』東京都水道局、1966年、305-306頁。doi:10.11501/2513089 
  10. ^ 堀越正雄『水道の文化史 : 江戸の水道・東京の水道』鹿島出版会、1981年12月、101頁。doi:10.11501/12135274 
  11. ^ 「初て出来た市役所前の馬水槽(人・馬・牛・犬の共用栓)」『読売新聞』1906年11月29日。
  12. ^ a b 検索結果詳細 | 温故知しん!じゅく散歩 新宿文化観光資源案内サイト”. 温故知しん!じゅく散歩  新宿文化観光資源案内サイト. 2025年1月11日閲覧。
  13. ^ 高瀬勝治『新宿史跡あるき』真珠書院、1970年、76-78頁。doi:10.11501/9640184 
  14. ^ 収蔵資料 | 東京都水道歴史館 江戸時代から現代までの、江戸・東京の水道の歴史”. 東京都水道歴史館 江戸時代から現代までの、江戸・東京の水道の歴史. 2025年1月11日閲覧。
  15. ^ 日本銀行本店見学 本店の新しい見学コースをご紹介します : 日本銀行 Bank of Japan”. 日本銀行ホームページ. 2025年1月12日閲覧。
  16. ^ 馬車道の老舗 馬車道十番館前は牛馬の水飲み場だった|横浜好き”. yokohamasuki.com. 2025年1月11日閲覧。
  17. ^ 【YOKOHAMA SNAP】牛馬飲水槽 - THE YOKOHAMA STANDARD”. theyokohamastandard.jp (2016年3月7日). 2025年1月11日閲覧。
  18. ^ a b 学院を象徴する施設 | 学院について | 学校法人 金城学院”. 学校法人 金城学院. 2025年1月11日閲覧。
  19. ^ 近藤武一『金城学院70年史 : 1889-1959』金城学院、1960年、52頁。doi:10.11501/9580687