馬場豊 (飛込選手)
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選手情報 | ||||||||||||||||||
フルネーム | 馬場豊 | |||||||||||||||||
国籍 |
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泳法 | 飛込競技 | |||||||||||||||||
所属 | 早稲田大学→天御津→国土計画 | |||||||||||||||||
生年月日 |
1933年11月30日(91歳) (1934年1月18日とも) | |||||||||||||||||
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馬場 豊(ばば ゆたか、1933年11月30日[1] または 1934年1月18日[2] - )は、日本の飛込競技選手、指導者。元飛び込み日本代表。
来歴
[編集]兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学水泳部に所属[3]、1953年から1955年まで日本学生選手権水泳競技大会の男子飛び板飛び込みで3連覇[4]。マニラで行われた1954年アジア競技大会の同種目で銅メダルを獲得、1955年の日本選手権水泳競技大会でも同種目で優勝している[5]。
早稲田大学理工学部卒業後は株式会社天御津に就職し、1956年の日本選手権水泳競技大会の3m飛び板飛び込みで2連覇を達成[5]。1956年メルボルンオリンピックに出場するも、大会中、現地の五輪プールで練習中に負傷し[6]、高飛び込みで11位、板飛び込みで12位に終わり入賞を逃した。1957年の日本選手権水泳競技大会では、高飛び込みで馬淵良の4連覇を防いで優勝するが[7]、3m飛び板飛び込みではその馬淵に3連覇を防がれ準優勝となった[5][8]。翌1958年は3m飛び板飛び込みの優勝を奪回[5]。東京で行われた1958年アジア競技大会では3m飛び板飛び込みで金メダルを獲得した。
引退後は1961年のユニバーシアードで飛込競技の全日本コーチとして[9]、のち国土計画に所属して日本代表のコーチとなり[10]、日本の飛込競技の強化に尽力した。
脚注
[編集]- ^ “Yutaka BABA - Olympic Diving”. Olympic.org. 国際オリンピック委員会. 2018年3月2日閲覧。
- ^ “馬場豊”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月2日閲覧。
- ^ 早稲田大学水泳部の歴史 早稲田大学水泳部。
- ^ 男子飛板飛込歴代優勝者 日本水泳連盟公式ホームページ、日本学生選手権資料。
- ^ a b c d 歴代選手権獲得者 男子3m飛板飛込 日本水泳連盟公式ホームページ、日本選手権資料。
- ^ 産経新聞大阪版夕刊、1956年11月15日。
- ^ 歴代選手権獲得者 男子高飛込 日本水泳連盟公式ホームページ、日本選手権資料。
- ^ 記録(日本選手権水泳競技大会飛込競技) 早稲田大学水泳部、2018年3月2日閲覧。
- ^ 記録(ユニバーシアード) 早稲田大学水泳部、2018年3月2日閲覧。
- ^ 海外派遣遠征関係 機関誌『水泳』(日本水泳連盟)1962年8月号、3頁。
外部リンク
[編集]- 馬場豊 - 国際オリンピック委員会
- 馬場豊 - オリンピックチャンネル
- 馬場豊 - Olympedia
- 馬場豊 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ