飯島虚心
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飯島 虚心(いいじま きょしん、天保12年10月17日(1841年11月29日)[1] - 明治34年(1901年)8月1日)は、明治期日本の浮世絵研究者・美術史家。名は半十郎、虚心と号す。
経歴
[編集]江戸幕府徒士・飯島善蔵(家禄70俵5人扶持)の長男として江戸に生まれる。文久2年(1862年)頃に昌平黌に学び、文久3年(1863年)に書物御用出役として上海視察団に同行している。慶応2年(1866年)頃に騎兵差図役並に配転され、成島柳北の配下になる。この頃、益田孝、矢野二郎と共に三人で断髪し、長官から叱責され再び蓄髪したという逸話が残る。慶応4年(1868年)の江戸開城にさいして榎本武揚の江戸湾脱出に同行し、回天丸に乗艦し仙台へ脱出。ここで父と弟に会い、共に箱館戦争に参加。明治2年(1869年)の五稜郭陥落に伴い捕虜となり、翌年に赦免された。
明治5年(1872年)頃に文部省編集局に入り教科書編集に従事。この時期に大槻如電・大槻文彦・那珂通高・榊原芳野らと知り合い、「洋々社」というサークルを結成し機関誌の編集も行う。なお、虚心の号は友人の中村正直が名付けたもので、『新約聖書』「マタイによる福音書」の「心の虚しき者は幸なり」に拠るという。明治33年(1900年)には下谷上根岸に居住し、翌年に胃がんにより逝去する。享年61。法名は「清閑院霊誉虚心居士」。静岡県の最誓寺(伊東市音無町)に墓がある。
著書
[編集]- 『木曾沿革史』(未刊、1879年)
- 『初学山林書』(青海堂、1882年)
- 『浮世絵師便覧』(蓬枢閣、1893年)
- 『葛飾北斎伝』(蓬枢閣、1893年/造形社、1978年。瀬木慎一校訂/岩波文庫、1999年。鈴木重三校注)
- 『浮世絵師歌川列伝』(畝傍書房、1941年/中公文庫、1993年)。玉林晴朗校訂
- 『河鍋暁斎翁伝』(「日本芸術名著選3」ぺりかん社、1984年/河鍋暁斎記念美術館(文庫版)、2012年)。河鍋楠美監修
- 『蒔絵師伝・塗師伝』(吉川弘文館、1925年)
- 『日本絵類考』(1900年)
脚注
[編集]- ^ 『幕末維新大人名事典』上巻 p.83