須田頼隆
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正18年4月24日[1](1590年5月27日) |
別名 | 富岡佐渡守 |
戒名 | 元寿院殿泰岳真公[1] |
官位 | 佐渡守 |
主君 | 二階堂照行→盛義 |
氏族 | 須田氏 |
須田 頼隆(すだ よりたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。二階堂氏の家臣。
略歴
[編集]当初、本丸館[2]を居城として安積郡富岡[3]を所領として富岡佐渡守とも号したが、天文20年(1551年)に笹川城に移り天正18年(1590年)まで安積郡笹川[4]を所領とした。
一方、笹川城主・須田氏は天正16年(1588年)頃より伊達政宗に臣従したようで、『伊達天正日記』『伊達治家記録』にも天正16年から文禄3年(1594年)まで須田佐渡守あるいは笹川佐渡守という名前で記述がある。同じ受領名を称しているが頼隆の子であろうか。