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青木一興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
青木一興
時代 江戸時代後期
生誕 文政5年(1822年
死没 嘉永2年8月10日1849年9月26日
戒名 玄了院殿俊徳義勇大居士
官位 従五位下美濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶
摂津麻田藩
氏族 青木氏
父母 青木一貞青木重龍
兄弟 重龍谷衛昉一興、鏗ら
一咸
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青木 一興(あおき かずおき)は、江戸時代後期の大名摂津国麻田藩の第12代藩主。官位従五位下美濃守

略歴

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文政5年(1822年)、10代藩主・青木一貞の六男として誕生した。

弘化4年(1847年)11月23日、兄で11代藩主の重龍の養子となり家督を譲られた。同年12月16日、従五位・下美濃守に叙任する。しかし、藩主に就任してからわずか2年後の嘉永2年(1849年)、重龍に先立って死去した。享年28。

一興の死後、豊前国中津藩5代藩主・奥平昌高の十二男・一咸が養子に迎えられ、家督を継いだ。