青山 忠次(あおやま ただつぐ)は、安土桃山時代の武士。
天正5年(1577年)、青山忠成の嫡男として誕生した。家督を継ぐ前に天然痘、あるいは肺炎により、文禄4年(1595年)に夭折した。享年18。家督は次弟の忠俊が継承し、江戸幕府の開府に伴って青山家も大名となった。