青地晨
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青地 晨(あおち しん、1909年4月24日 - 1984年9月15日)は、日本のジャーナリスト、社会評論家。
本名は青木滋。最初の妻は寺田寅彦の三女雪子。
人物
[編集]富山県生まれ、佐賀県育ち。父[1]青木助次郎(歩兵第22連隊隊長ほか)は、葉隠武士道で知られる佐賀藩の足軽の出身で、江藤新平による佐賀の乱、後に陸軍軍人として義和団の乱・日清戦争・日露戦争にも参戦した。その父の厳しい教育を受け、その生い立ちと、横浜事件で逮捕投獄された経験をもとに、戦後は権力への反逆者・反骨者と冤罪事件に関する著作や言論活動を行った。
文化学院卒業。1938年、中央公論社に入社。1944年、横浜事件に連座し逮捕される。戦後は『世界評論』編集長を務め、社会評論活動に入る。
1957年、大宅壮一が創設した「ノンフィクションクラブ」に参加し[2]、初代幹事となる[3]。1974年、日韓連帯連絡評議会代表。1974年に創設された日本ジャーナリスト専門学校の初代校長。
『冤罪の恐怖』と『魔の時間 六つの冤罪事件』で取り上げた合計11の事件は執筆時点ではいずれも冤罪を訴えて再審請求を起こしたり裁判中だったりしたが、再審請求中に被疑者が死亡した4件(竜門事件、帝銀事件、丸正事件、名張毒ぶどう酒事件)以外全て(免田事件、徳島事件、仁保事件、島田事件、松山事件、梅田事件、弘前大学教授夫人殺人事件)で被告の無罪が確定している[4]。
経歴
[編集]- 日韓連帯連絡会議(正式名称「日本の対韓政策をただし韓国の民主化運動に連帯する連絡会議」)代表[5]
著書
[編集]- ライバル物語 河出新書, 1955
- 現代の英雄 人物ライバル物語 平凡社, 1957
- 現代史の曲り角 弘文堂, 1959
- 叛逆者 日本を支えた反骨精神 弘文堂, 1966、改題「反骨の系譜」現代教養文庫, 1981
- 天理教 弘文堂新社, 1968
- 冤罪の恐怖 毎日新聞社, 1969、現代教養文庫, 1984
- 野次馬列伝 反骨の十字架を背負った男たち 毎日新聞社, 1971
- 激動するアジアと朝鮮 日韓民衆の連帯を求めて 共著 世界政治経済研究所, 1976
- 魔の時間 六つの冤罪事件 筑摩書房, 1976、現代教養文庫, 1980
- 日韓連帯の思想と行動 和田春樹共編 現代評論社, 1977
- 同じことをみずみずしい感動で言い続けたい 社会思想社, 1987
脚注
[編集]- ^ 『反骨の系譜』青地晨 松岡正剛の千夜千冊
- ^ 大隈秀夫「大宅壮一を読む」(時事通信社)プロローグ
- ^ 『大宅壮一全集 別巻』P.135「ノンフィクション・クラブ」末永勝介
- ^ 死刑・犯罪文献を考察する
- ^ 張明秀 『徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち』宝島社