電通銀座ビル
電通銀座ビル | |
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情報 | |
用途 | オフィス |
設計者 | 横河工務所 |
構造設計者 | 中村伝治 |
施工 | 大林組 |
建築主 | 日本電報通信社 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 696.631 m² [1] |
建築面積 | 565.612 m² [1] |
延床面積 | 5,824.869 m² [1] |
階数 | 地上8階、地下2階 |
高さ | 30m |
着工 | 1932年 |
竣工 | 1933年 |
所在地 |
〒104-0061 東京都中央区銀座七丁目4-17 |
座標 | 北緯35度40分13.3秒 東経139度45分40.5秒 / 北緯35.670361度 東経139.761250度座標: 北緯35度40分13.3秒 東経139度45分40.5秒 / 北緯35.670361度 東経139.761250度 |
電通銀座ビル(でんつうぎんざビル)は、東京都中央区銀座七丁目にある建築物である。「銀座電通ビル」(略称:銀電ビル)とも表記される[2]。
外堀通りと交詢社通りが交わる銀座西六丁目交差点の南角に1933年(昭和8年)に竣工し、1967年まで大手広告代理店電通が本社を置いていた[3]。現在でも電通のグループ企業や広告関連団体が入居している。
歴史
[編集]1901年(明治34年)7月1日に、光永星郎により、東京市京橋区弥左衛門町(現在の銀座4丁目)にて日本広告株式会社設立[4]、同年12月に通信社の電報通信社を併設した[5]。銀座並木通り沿いで、当時は主要な新聞社が集まる一角であった。翌1902年には、京橋区南佐柄木町(現在の銀座6丁目)に社屋を移した。1909年、光永は株式会社日本電報通信社を設立。1910年に電報通信社を買収、1911年に日本広告を対等合併した。日本電報通信社は1911年に京橋区滝山町(現在の銀座6丁目)に、南佐柄木町社屋の3倍の床面積の西洋風2階建の社屋を建設したが[6]、これも手狭になり、1911年に京橋区加賀町(現在の銀座7丁目)に3階建の新社屋を建設した[5]。1923年(大正12年)、関東大震災発生。倒壊は免れたものの類焼により社屋を焼失し、帝国ホテル内に仮事務所を置いたのち丸の内仲通りに移転した。1930年、震災復興事業完了。その後加賀町の社屋の跡地に、1932年より耐震建築である電通銀座ビルの建設に着手、1933年に竣工した[3]。1967年、中央区築地に新本社ビル(のちの 電通テック本社ビル)が完成。創立記念日に当たる7月1日に本社機能は新ビルに移転した。移転当日の朝には、銀座へのお礼と築地への挨拶の意味を込め、社長以下社員有志1200名あまりが電通銀座ビルから築地の新社屋に行進した[7]。1988年には本ビル内に電通プロモーションギャラリーを開設した[8]が、その役割は2002年に汐留の電通本社ビル内にオープンしたアド・ミュージアム東京に受け継がれている。
建築
[編集]設計は横河工務所[9]。当時の建築法令では100尺(約31m)の高さ制限があり、本ビルは上限いっぱいまで使って建てられた。同時期に建った和光ビルは7階建であり、頭一つ越えた8階建の電通銀座ビルは当時銀座随一の高さであった。正面玄関上部には当時の社章の五芒星、その左に吉祥天、右に広目天のレリーフが飾られ[3]、エレベーターホールにはモザイクタイルの装飾が施されている[10]。完成時には、電通は1階の一部(用度課)、2階(営業部、会計課、経理課)、3階(通信部)、4階(役員室、写真スタジオ)、5階(写真課、製版室)、8階(ホール、電話交換室)と屋上に設けられた伝書鳩の鳩舎を使用し、東京-福岡間の専用電話回線や、写真電送設備も設けられた。6・7階には電通と関わりのある新聞社の東京支局、1階には婦人公論花の店、森永キャンデーストア、下関ふぐ料理店「大吉」が入居した[1]。
入居企業・団体
[編集]- 日本広告業協会(8階)[11]
- 日本生活情報紙協会(8階)[12]
- 東京広告協会(7階)[13]
- 日本国際広告協会(7階)[14]
- 吉田秀雄記念事業財団(4階)[15]
- 電通育英会(4階)[16]
- 全日本広告連盟[17]
- ACジャパン[18]
脚注
[編集]- ^ a b c d 『電通66年』p121-123
- ^ 『電通66年』p359
- ^ a b c 藤森照信『銀座建築探訪』白揚社、2012年5月30日、187-194頁。ISBN 978-4-8269-0164-2。
- ^ 『電通66年』p79
- ^ a b 『電通66年』p81
- ^ 『電通66年』p89-90
- ^ 『電通66年』p342-344
- ^ 電通110年物語 (PDF)
- ^ 『東京建築ガイドブック 明治大正昭和』p23
- ^ GINZA RENDEZVOUS(資生堂)[リンク切れ]
- ^ 協会概要(日本広告業協会)
- ^ 日本生活情報紙協会
- ^ 協会概要(東京広告協会)
- ^ IAA日本国際広告協会のご案内
- ^ アクセスマップ(吉田秀雄記念事業財団)
- ^ 所在地(電通育英会)
- ^ 全日本広告連盟
- ^ 団体概要(ACジャパン)
参考文献
[編集]- 電通社史編纂委員会 編『電通66年』1968年12月25日。
- 倉方俊輔、斉藤理『東京建築ガイドブック 明治大正昭和』エクスナレッジ、2007年2月20日、23頁。ISBN 978-4-7678-0531-3。