隠岐宗清
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天文13年(1544年) |
戒名 | 幽窓院殿前隠州太守更月省三大居士 |
墓所 | 清安寺(島根県松江市) |
幕府 | 室町幕府 隠岐守護代 |
主君 | 尼子氏 |
氏族 | 隠岐氏 |
父母 | 父:隠岐清秀 |
子 | 豊清 |
隠岐 宗清(おき むねきよ)は、戦国時代の武将。尼子氏の家臣。隠岐国守護代。国府尾城(甲尾城)主。
略歴
[編集]隠岐氏は隠岐の国人。京極氏の庶流・尼子高久の弟である秀重(宗清の祖父)が隠岐氏を称したとされる(諸説あり)。
隠岐清秀の子として誕生。父・清秀の死後、家督を継いで尼子氏の被官となる。
永正9年(1512年)、村上右京亮雅房に安堵状を送る[1]。永正11年(1514年)、村上清景らを奉行として隠岐国分寺を再興する。 大永3年(1523年)、国府尾城を築いて宮田城から居城を移した。
享禄3年(1530年)、水若酢神社との対立から隠岐の諸領主が反乱を起こすが、天文10年(1541年)には尼子氏の援軍を得て隠岐を統一する[2]。
天文13年(1544年)、死去。その後、家督を継いだ子・豊清が父を弔うために寺領を出雲清安寺に寄進したという。
墓所は現在、島根県松江市の曹洞宗清安寺墓地にある。法号は幽窓院殿前隠州太守更月省三大居士。