陸琰
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陸 琰(りく えん、540年 - 573年)は、南朝陳の文人・官僚。字は温玉。本貫は呉郡呉県。
経歴
[編集]梁の中軍宣城王記室参軍の陸令公(陸雲公の兄)の子として生まれた。幼くして父を失い、学問を好んだ。州により秀才に挙げられた。宣恵始興王行参軍を初任とし、法曹外兵参軍となり、嘉徳殿学士として宿直した。博学で歴史や古典に詳しく、占いを得意として、陳の文帝の側近として仕えた。まもなく通直散騎常侍を兼ね、王厚を主使とする北斉への使節で副使となった。王厚が鄴で病没すると、陸琰は代わって主使をつとめた。帰国すると雲麾新安王主簿となり、安成王長史に転じ、寧遠府記室参軍となった。太建元年(569年)、武陵王明威府功曹史となり、東宮管記を兼ねた。母が死去したため、官を去って喪に服した。
太建5年(573年)、死去した。享年は34。至徳2年(584年)、司農卿の位を追贈された。
残された文章は多くなかったため、南朝陳の後主がかれの遺文を探し求めさせ、2巻にまとめさせた。弟に陸瑜があった。