阿部孫左衛門 (初代)
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阿部孫左衛門 あべ まござえもん | |
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生年月日 | 1847年4月19日 |
出生地 |
日本 出羽国田川郡新堀村 (現・山形県酒田市) |
没年月日 | 1904年2月15日(56歳没) |
前職 | 学務委員 |
所属政党 |
(自由党→) (憲政党→) 立憲政友会 |
子女 | 長男・2代阿部孫左衛門 |
選挙区 | 山形県第3選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1894年 - 1894年6月2日 1898年 - 1902年8月9日 |
東田川郡会議員 | |
山形県会議員 |
初代 阿部 孫左衛門(孫左衞門、あべ まござえもん、1847年4月19日(弘化4年3月5日[1])- 1904年(明治37年)2月15日[2])は、日本の地主、政治家。衆議院議員、山形県東田川郡新堀村長。幼名・今吉[3]。
経歴
[編集]出羽国田川郡新堀村(のち山形県東田川郡新堀村大字新堀、現酒田市)で、地主・阿部彦太郎の二男として生まれ、同村の本家・阿部孫右衛門の養子となる[1][3]。
東田川郡新堀学校世話掛、飽海郡南山牛場看守人、余目勧業区連合村会議員、新堀学校通学村連合会議員、学務委員、山形県会議員、東田川郡勧業会員、新堀村長、東田川郡会議員、同郡参事会員などを務めた[1][2]。
1894年3月、第3回衆議院議員総選挙に山形県第三区から出馬して当選[2]。さらに第6回総選挙でも再選され、立憲政友会に所属して衆議院議員を通算二期務めた[1][2][3]。
有志と荘内中学校(現山形県立鶴岡南高等学校)の設立に尽力し[3]、また、牧畜業の改良発展に尽した[1]。
親族
[編集]- 長男 阿部孫左衛門 (2代) - 衆議院議員・実業家[3]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 庄内人名辞典刊行会編『新編庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。
- 山崎謙編『衆議院議員列伝』 衆議院議員列伝発行所、1901年。